第17話 反逆の鐘

 少し時をさかのぼる。


 ヴァナディスとフリージアが脱出したのとすれ違いで、ツァランは領主邸にてジークシーナと接触。彼に案内させて屋敷内を調べて回り、アーダから二人が脱出したという情報を得て、大螺旋滑路だいらせんかつろを通って街に降り、二人の追跡を開始した。


 しかし残念ながら、ヴァナディスとフリージアは見事に追って来るツァランたちをいたのである。


 ツァラン、ジークシーナ、イセシャギ、アーダの四名は二人一組で少女たちの探索を開始した。


 ツァランが街を走り回って娘の姿を探したかといえば、それは否である。彼は巨大な風車を擁する大風車橋の上に立って、ぼうっと街を見下ろしていた。アーダもその隣に棒のように立っていた。


 立体的な街を照らすあかりは、暗闇の中に幻想的に浮かび上がっている。時折、その灯の中を忙しなく駆け抜ける者がある。ヴァナディスとフリージアを探す親衛隊である。二人はどうやら、どこかに身を潜めているようだった。


 上手く身を隠しているなら、無理に探し出す必要もない。ツァランはほとんど身動きせずに、時折灯の下に現れる親衛隊を高所から眺めていた。


「随分と効率的に捜すものだ。」


 ツァランとアーダ。無口な二人の間に当然のように横たわっていた沈黙を破ったのは、ツァランのこの一言である。


「なにか情報共有の手段があるのか?」


携行用遠話装置トランシーバーを持ち込んでいます。」


 アーダは平坦な声で答えた。


「……借りるか。」


 ツァランはふらりと出かけていき、ほんの十数分で携行用遠話装置トランシーバー片手に大風車橋へと戻った。


 ヴァナディスとフリージアの発見を携行用遠話装置トランシーバーが伝えたのは、それからしばらく経った頃だった。橋を渡っている途中で発見されたらしい。なぜこのタイミングで、隠れているところではなく移動しているところを見つかるのか。ツァランは怪訝に感じた。


 余談だが、ヴァナディスとフリージアを発見したのは、実はジークシーナとイセシャギだった。可愛そうなのはイセシャギで、二人を探して息急いきせき切って風車塔の上を確認しに行ったところ、相手の顔すら確認しないヴァナディスによって蹴り落されてしまったのである。


「私はいつも正しいのさ。」


 その言葉をイセシャギがどのような気持ちで聞いたものか、それは本人にしか解らない。


 助けに来た相手を勘違いで蹴り落して逃げ出した二人の少女は、ついに親衛隊に捕捉された。


 そんな事情とは知らぬまま、ツァランは娘と合流すべく立ち上がった。しかしここで、携行用遠話装置トランシーバーから無情な音声が流れた。


『オーネからフィーブ。応答せよ! 応答なき場合はイクスと判断する!』


 オーネことロードレイもまた、じっと身を潜めていた少女たちが突然移動を開始して捕捉されたことに疑問を抱いたのであった。そこで彼は、経過報告が途切れている部下の存在に思い至る。


 ここでロードレイはフィーブのコードネームを与えられた部下がフリージアたちと接敵し、敗北したと解釈した。そして同時に、携行用遠話装置トランシーバーを奪われて情報をさらけ出す可能性に気が付いたのである。


『以後、呼びかけに応答せぬ者はイクスと判断し通話から切り離すこととする。復帰の際には回線ニネに繋げること!』


 そう言い置いて、携行用遠話装置トランシーバーは沈黙した。


「バレたか。」


 ツァランは静かに溜息を吐いた。


「ロードレイは実戦経験こそありませんが、優秀な人です。むしろ今まで気付かれなかったのが奇跡的でしょう。」


 アーダが無感情に指摘した。ツァランは溜息を吐いて携行用遠話装置トランシーバーを放り出した。


「……とりあえず、敵の数を減らす。」


 何事でもないようにツァランは宣言して、こんを手にした。


「姫様をお願いいたします。」


 アーダはそう言って頭を下げる。ツァランは頷いて大風車橋から飛び降りると、別の橋に着地した。




 一方その頃、ジークシーナとイセシャギは難儀していた。


 二人は街の構造を誰よりもよく知っている。フリージアとヴァナディスの行き先も、かなりの精度で検討していたが、いかんせん親衛隊の前に身を晒す度胸がなかった。二人とも顔を知られているし、見逃してもらえるはずもない。


 こそこそ身を隠して親衛隊をやり過ごしながら、ジークシーナは情けない気持ちになった。一体自分は、何ができると思って少女たちを追い回しているのか。合流したところで足手まといになるだけではないか。イセシャギは武芸に秀でているが、それでも神聖帝国の精鋭と渡り合えるとは思えない。


「僕らは一体何をしているんだろう。」


 ジークシーナはつい口に出してそう言った。


「判断を間違えたよ。合流したところで何にもできやしないじゃないか。」


 思えば、ジークシーナはただじっとしていることに耐えられずに部屋を飛び出しただけではなかったか。そこに正常な判断などなく、展望もない。またも流されてここまで来てしまったのである。


「どうでしょう……。ツァランさんが合流できれば、あるいは……」


 ヴァナディスによって生み出された巨大なに手を置いて情けない顔をしていたイセシャギが、ぽつりと呟いた。


「いや、そんなはずは……」


 ジークシーナは苦笑した。一人増えたところで何が変わるとも思えなかった。


「僕はあの人が恐ろしいです。何が恐ろしいのかよく解らないのですが、ジークシーナ様にあの恐ろしさが見えないというのがさらに恐ろしいのです。」


「な、何を言っているんだ?」


 ジークシーナは眉根を寄せた。イセシャギは少しだけ考える素振りを見せる。


「そう、あの人は動くときに軸が一切ぶれない。立ち居振る舞いの一つ一つに、極まったものがチラチラと見えるのです。雰囲気が違う、空気が違う。なのにまるで普通の人のようで、構えたところがない。自然に極まっているのです。それが怖くて怖くて仕方がないのです。」


 ジークシーナは武芸にまるで覚えがない。それが印象の違いを生んでいるのだろうか。ジークシーナから見れば、ツァランもヴァナディスとそう変わらないのだが。


「親衛隊の人たちから見れば、もっと恐ろしく感じられるかもしれません。能ある鷹は爪を隠すと言いますが、あの爪は隠せるものじゃない……」


 ジークシーナにはよく解らなかったが、イセシャギは酷く深刻な表情を浮かべていた。




 ロードレイはといえば、仲間からの通信が次々に途絶するという恐ろしい体験の最中であった。しかも、少女たちの現在地からは明らかに離れた位置にいた仲間である。


 何者かがロードレイたちの邪魔をしている。ロードレイは携行用遠話装置トランシーバーを睨みつけた。あの分別のない少女以外に、一体だれが邪魔をすると言うのか。


『オーネから各員、以後は二人一組で行動せよ。』


 二人一組の体勢に変更し、注意喚起を行ってなお、部下を襲撃している者の影すらも報告に上がって来ない。一方で、部下の脱落には歯止めがかからなかった。


『よい、とにかく姫様を確保せよ。全員、地点イェルに向かえ!』


 何者かの影をひしひしと感じつつ、ロードレイは指示を出した。


 部下たちを一か所に固め、少女たちの追跡と何者かからの防衛を行う所存であった。




 ツァランが次々と親衛隊を脱落に追い込んでいる頃、ジークシーナとイセシャギは隠れているばかりで何もしていなかった。


 自分は結局、奮起したところで何もできないのではないか。ジークシーナは絶望的な気分でその事実と向き合った。


「結局さ、無力な僕らがいくら立ち上がったって、大きなものに潰されるだけなんだよなあ。」


 ジークシーナはついつい弱音を吐いていた。イセシャギは同意とも否定ともつかない呻き声でその呟きに応える。


「僕らだけで何かしようったってさ。せめてもう少し人がいれば違うんだけど。」


「今は寝静まっていますからね……」


 イセシャギは溜息を吐いた。


「父上の決定は独断だったけど、僕の決意だって独断だ。もしかしたら、皆、僕に反対するかもしれない。大風鈴だいふうりんを止めた時だって、意見が割れたし。僕は絶対止めるべきじゃないって思ったけれど。」


「止めてしまえば、敢えて再稼働しようという動きも起きませんでしたね。」


 そう言うものなのだろう。変化は全てを呑み込んでしまう。是も非もなく。


「……鐘。」


 ジークシーナは呟いた。突如として舞い降りた天啓に、彼の心は浮足立った。


「鐘だ!」


「ジークシーナ様?」


 突如叫んで走り出したジークシーナをイセシャギは戸惑いも露わに追いかけた。


 ジークシーナは階段を駆け上がり、橋を渡り、階段を降り、橋を渡り、階段を降り、また橋を渡り、大風鈴を擁する塔に辿り着くと、螺旋階段を一気に駆け上がった。


 最上段に辿り着いた頃には、ジークシーナの呼吸は乱れに乱れていた。後を追ったイセシャギは、余裕の息づかいである。


「ジークシーナ殿?」


 アーダが怪訝そうに振り返った。空には既に朝の気配が濃密に漂っている。


「アーダさん? ツァランさんは?」


「親衛隊の数を減らしに……」


 物騒な答えを耳にして、ジークシーナは顔をひきつらせた。


「ジークシーナ殿は、何を?」


 アーダの疑問でジークシーナは目的を思い出す。


「手伝ってください。」


 ジークシーナは大風鈴の拘束を外しにかかる。拍子抜けするほど簡単な拘束だった。あるいはこれは、大風鈴を止めることへの父なりの抵抗であったのかもしれない。


 手伝ってもらうまでもなく、ジークシーナは鐘の拘束を外した。


 早朝の風を受け、大風鈴は音を響かせる。深くて重い、懐かしい音に、ジークシーナは聞き入った。


 ヘリティアの目覚めを促す鐘。神聖帝国との決別の鐘。ヘリティアの未来を望む鐘である。


「うるさ!」


 アーダは顔をしかめて耳を押さえた。


「一体何をなさっているのです?」


 鐘の音に負けまいと、アーダは大声でジークシーナに問いかけた。


「皆を起こすんですよ。」


 ジークシーナの答えは簡潔で自信に満ちていた。


「はあ、そうですか……」


 アーダの冷淡な反応は鐘の音にかき消されて、得意顔のジークシーナには届かなかった。




 鐘の音はヘリティアの隅々まで響き渡る。


 ある人は懐かしさに目を細め、ある人は何か起きたのかと不安がり、ある人はあまりのやかましさに耳を塞いだ。


 失恋に枕を濡らしていたリアナは飛び起きて、不安がる隊商の仲間たちをなだめて回った。




 ツァランは二名の親衛隊をした直後に、うすぼけた朝をつんざく鐘の音を聞いた。


 丁度この時、携行用遠話装置トランシーバーは極めて忙しく働いていた。ジークシーナが思った以上に、鐘の音は親衛隊を混乱させたのである。


 突如鳴り響いた鐘に関する情報が飛び交い、二人の少女の発見連絡が舞い込み、また二人が橋から落ちたという報告が流れ込む。その混乱の中で、ロードレイは情報を規制し損なっていた。


 携行用遠話装置トランシーバーが二人の少女の行き先を喚きたてるのを聞くと、ツァランは身を翻した。


 道中出会う親衛隊を撃破しつつ、少女たちの行き着く果てへと急いだ。



*****



 かような経緯を辿ってツァランは娘に追いついたわけである。


 各人の思い違いや思い込み、早とちりにすれ違いに筋違いがこんがらがってここに至ったが、この場の誰もそれを知らない。


「死神ラタム……。あなただったのか、我々の邪魔をしていたのは。」


 ロードレイは静かな声で確認する。


 ラタムはかつて世界にその名を轟かせた神聖帝国の騎士である。奇跡の力が生み出した数多の英雄のうち、最も有名な人物の一人だ。


 大変異で奇跡の力が失われた後も神聖皇帝の下で剣を振るっていたが、若き皇帝の治政が安定すると、いつの間にか姿を消していたという。


 民衆のイメージする帝国騎士の姿。帝国騎士にとっては目指すべき偶像そのもの。


 それが自分たちの前に立ちはだかっている。その事実がロードレイに与えたのは、苛立ちでもなく、危機感でもなく、奇妙な高揚感だった。


「救国の英雄が、何故我らの邪魔をする!」


「成り行きだ。」


 すこぶる投げやりに、ラタムは答えた。


「真のお姫様というものは、特に何もしなくとも王子様とか騎士とかが助けに来るものなのよ。困ったわね、私の覚悟は決まっていたのに。」


 フリージアが悩ましげに言った。


「あなたは黙っていろ。」


 奇しくもラタムとロードレイの言葉が重なる。フリージアはムスッと黙り込んだ。


 ロードレイは高揚を押さえようと息を吐く。


 どれほど悪と断じていようとも、フリージアは武力を持たぬ非力な少女でしかなかった。


 どれほど強く小憎たらしくとも、ヴァナディスは所詮現実を知らぬ我儘な子供でしかなかった。


 殺意をもって彼女らを追い回すことに、忸怩じくじたる思いを抱いていたロードレイの前に、ようやく打倒するに値する巨大な力が立ち塞がったのである。優れた敵との闘いこそ、騎士の本懐だった。


「我らは国と誇りを賭けている。尋常な勝負とは参りませんよ。」


 何なら一騎打ちを持ち掛けそうなほどに気分が高揚しているロードレイではあったが、彼は互いの立場を弁えている。


 親衛隊所属の部下たちも同様である。剣を構え、互いの立ち位置を確認する。七対一。有利とは思わない。死神ラタムの伝説はそれほどに強烈である。


「恐れを捨てろ! 奇跡の時代は終わった。死神ラタムにかつての力はない!」


 ロードレイは半ば自分に言い聞かせるように叫ぶ。ラタムの手にしているのは棍一本。ありていに言えばただの棒だ。


「陛下のご意向に背きし英雄を打倒し、栄誉をその手に収めるのだ!」


 かつての英雄を囲う騎士たちのときの声を、ラタムは無表情に受け止めた。


「……遺書は書いたか?」


 ごく静かに発せられたその問いが、激流となって騎士たちの間を駆け抜ける。皆、退こうとする足を懸命にその場に押し留めた。


 踏ん張り過ぎて前のめりになった一人が、裂帛の気合と共に踏み込んだ。ラタムの持つ長物の間合いの内側に易々と踏み込み、気合一閃、剣を振り下ろす。何の感触もなかった。いつの間にか剣は彼の手を離れ、縦回転をしながら空中を舞っていた。


 ラタムが棍を鋭く振る。剣が打たれて軌道を変え、臨戦態勢を取っていた親衛隊の腰に装備された携行用眩響缶スタングレネードを貫いた。ベルトから外れて剣と共に床に落ちた缶が、小規模な爆発と共に強烈な光と轟音を発する。


 咄嗟に目と耳を庇った親衛隊が目を開けた時、既に三人が床に伏していた。ラタムの姿が見えない。


「どこに――」


 言いかけた親衛隊の男は、視界の隅で動くものを捉えたのを最後に意識を失った。


 四人目の意識を刈り取った棍が勢いそのまま五人目に向かう軌道上に、ロードレイは滑り込む。重い衝撃を剣に伝えて、棍の動きが止まった。


「今だ!」


 ロードレイが棍を押さえた瞬間、ラタムの後方と右方から残った二人が仕掛けた。


 ラタムが棍を引く。後方から仕掛けた男の鳩尾みぞおちに棍の先端が吸い込まれる。男は腹を抱えて倒れ込んだ。


 すかさず前進したロードレイは、突き出された棍を右に躱し、ラタムを中心に左回転して追撃をかけてくる棍に剣を立てる。これでラタムの右方から仕掛けた仲間が決める。


 棍を止めたはずの剣に手ごたえが伝わって来なかった。異様なほどあっさりと、剣が棍を断っていた。武器を破壊した喜びよりも戸惑いがロードレイを支配する。斬らされたのだ、と瞬時に悟った。


 ラタムの右方から仕掛けた男の意識が飛来する棍の欠片に向けられた瞬間、ロードレイを素通りして半回転を為した棍の反対側が男のこめかみを打った。


 ロードレイは呆然と立ち尽くした。ラタムは少しだけ短くなった棍の重心を的確に握り直して、指の先でくるりと回転させた。そう、指先だ。彼はただ指先に棍の重心を乗せて、くるくると回転させていたに過ぎない。ただそれだけで、六人を戦闘不能に追いやってしまった。


「馬鹿な……。いくら何でも……!」


「自分たちの正義がただの暴力によって捻じ曲げられる……。武力がもたらす、ごくありふれた理不尽だ。この先も武人としてあるつもりならば胸に刻んでおくのだな。」


 ラタムは指先でもてあそんでいた棍をしかと掌に握り込んだ。


「戦意が失せたならここで終わるが?」


「馬鹿を言うな。」


 ロードレイは不敵に笑った。


「この任務を仰せつかって以来初めて、胸のすく心地を味わっている。貴殿を倒して初めて、私は誇りをもって任務を成し遂げることができる!」


 彼の熱狂を、フリージアは聖杖の乙女像の台座に腰掛け、欠伸を噛み殺しながら冷やかに見つめていた。こいつは何を言っているのかしら、というのが彼女の本心からの感想である。


「そうか。」


 ラタムは仄かに笑うと、初めて迎撃の構えを取った。


 何やら通じ合うところのあったらしい二人の男を、フリージアは足をぶらぶらさせながら見下ろしていた。ヴァナディスは六人の親衛隊に紛れて高いびきである。


「いざ尋常に……勝負!」


 ロードレイは高らかに叫んだ。剣と棍のぶつかる音が一度響いたきり、神殿には静寂が戻る。


 敗者と勝者を見下ろして、姫が呟いた言葉が静寂を揺らした。


「男って馬鹿ねえ……」


 優先的に認識すべき音がないと脳が判断したためだろうか。一瞬の静寂を挟んだ後、奔放な鐘の音が聴覚に押し寄せて来た。

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