第三章 鳴かない金糸雀

徒話扨置・心あらずの人生相談

 緑の乏しいヘリティアの街並みの中で、ランドグシャ商会の緑色の天幕は、遠目からでも良く目立っていた。


 間断なく吹き荒れる潮風は、ヘリティアに植物を根付かせない。小島と塩湖の境目に爪先立つようにして根を張っている塩に耐性を持つ樹木と、湖の周囲を囲う草原を占領する単子葉植物群が、この街に自生する数少ない植物種だった。


 観葉植物を飾ろうにも、生活用水に僅かに混じる塩分が植物を枯らしてしまう。塩分が含まれない水を使用できるのは社会的な地位の高い人だけなので、多くの植物で家を飾りたてることがこの街ではステータスになっている。


 緑に飢えた心に訴えかけることが、ヘリティアでの商売成功の突破口だった。緑色の天幕、観葉植物に飾り立てられた店内。ほんのそれだけのことで、明らかに客入りが違うのだ。


 客寄せに人事を尽くしても、暇な時間は発生する。ランドグシャ商会がたなを広げる中央商店街は、昼時になると人通りが激減するのである。商店街から直通で繋がっている食堂広場に人を奪われてしまうためだった。


 この時間を活用しないリアナではない。食堂街に吸い込まれた人の中に、リアナとツァランの姿もあった。


 中央商店街から流れて来る人がランドグシャ商会の扱っている商品を持っているのを見る度、リアナは顔をほころばせた。あの商品はこの値段、その商品はこの値段。彼らが店に落とした貨幣を思うと、どうしたって頬が緩む。


 反対に、ツァランはやや機嫌が悪かった。


「ツァランさん、ご機嫌直してくださいな。」


「特に怒っているつもりはありません。」


 ツァランはいつも通りの声と態度で答えた。


「娘が手伝いもせずに遊び惚けて申し訳ないとは思っております。」


「それは良いのですよ。ヴァナディスちゃんは雇っているわけではありませんから。」


 リアナはきっぱりと答えた。


 リアナはヴァナディスに日当を支払っていない。それどころか雇用契約書を交わす折には、子供連れで護衛が務まるか疑わしいと因縁をつけて護衛料金の値引き交渉までしたのである。


 本音を言えば雇うつもりもなかった。護衛長がこの人を雇うべきだと主張しなかったら、ファルム親子を門前払いしていたことだろう。


 ツァランからの第一印象は酷いものだったに違いない。なんてことかしら、と恋するリアナは項垂れる。


 とは言うものの、リアナの反応は決して珍しいものではなかったはずだ。大切な命と商品を預けるのに、年端も行かない女の子を連れていては心配になるのも仕方がない。


 娘の命と依頼者とを天秤にかける必要に迫られたとき、ビジネスに徹することのできる者がどれだけいるだろう。娘への情に負けて裏切る者は雇えないし、娘を見捨てて依頼主を守る者には近づきたくもない。


 依頼主以外に守らねばならない者を連れ歩いている時点で護衛としての価値が低いと言わざるを得ない。


 あの時の反応から考えれば、ツァラン自身もそれを知っているはずだ。ではなぜヴァナディスを連れて漂泊の日々を送っているのか。


 彼の能力は戦闘だけに留まらない。肉体労働に強いのは勿論のこと、読み書きも計算もできる。教養の深さと頭の回転の速さは他に類を見ない。あらゆる能力が高いレベルでまとまっているのだ。仕事も定住地も、探して見つからないということはないはずだ。


 市井に交われないのなら、正規の兵士として身を立てることもできるだろう。神聖帝国との緊張状態が続く昨今、どこの小国も兵士を募っている。非正規就労の護衛業などより、そちらの方がよほど暮らしやすいはずだ。ヴァナディスと共にいたいのならば……。


(何か、あるわよね……)


 黙々と食事をするツァランに視線を注いで、リアナは考える。食事の所作の一つをとっても、彼の育ちの良さは明らかだ。


 彼の立ち居振る舞いは上品だが貴族的ではない。味気ないまでに無駄を省いた隙のない動きは、帝国騎士のそれに近かった。元騎士なのではないか、と言うのは出会った当初からリアナが感じていたことである。


 ふと、ツァランの灰色の瞳がリアナに向けられた。正面から目が合う。リアナは慌てて視線を伏せた。手元の魚料理をつついて耳まで赤くなっているのを誤魔化す。


「あの、ヴァナディスちゃんのことですが……」


 落ち着け、とリアナは自分に言い聞かせた。交渉の道筋を立てるのだ。咄嗟に口に出してしまった以上、ヴァナディスのことを起点に話を進めるしかないが……。


「ヴァナディスちゃんは、とてもしっかりとした良い子ですよね。」


 とにかく、まずはおだてることから入る。ただしこれは本心だ。


「そうですか?」


 ツァランは不審げに言った。だが、その鉄面皮の隙間からまんざらでもない空気が透けている。掴んだ。リアナは確かな感触を覚えた。


「ええ、本当に。あの子は良い子です。それなのに一体、何を心配しておられるのですか?」


「……何を、ですか。」


 ツァランはふと、視線を遠くに飛ばす。待て待て、とリアナは内心で呟いた。


 リアナはこの質問の答えが欲しいわけではないし、彼の悩みを解決したいわけでもない。あくまで自分と彼との婚姻関係の打診をしたいのである。話の軌道を修正せねばなるまい。


「失礼ながら言わせていただくと、ツァランさんは男手一つで娘を育てているが故に、漫然とした不安を覚えておられるのではありませんか?」


 ツァランはふっと目を細くした。どうやらうまく刺さったらしい。


「確かに、あれの暴力的で品のない傾向は男親のみで育てたことに起因するかもしれません。」


「いえ、そうではなく。ていうか、私はそんなこと全然思っていませんからね?」


 リアナは引き攣った笑みを浮かべた。絶妙な具合で、会話はリアナの進めたい方向に向かわない。


「そもそも、ツァランさんはヴァナディスちゃんを低く評価し過ぎではありませんか?」


 リアナは咳払いしてそう言った。狙った道筋からはますます逸れてしまうが、言わねばならないこともある。


「……そうでしょうか。」


 ぽつり、とツァランが呟いた。


「ええ。そうです。思いますに、ツァランさんはご自分の子育てに自信がないのですよね? だからヴァナディスちゃんへの目が厳しくなるのではありませんか?」


「そうかもしれません。自分には親がいなかったもので、親としてどう振る舞ったらよいのか、解りかねる。」


 ツァランの不動の表情が揺らいだ瞬間、リアナの心臓が重苦しく跳ね回り、顔が熱を発した。湯だった脳は見据えていた道筋をあっさりと見失う。


「自分が親になるなど、土台無理なことだったのかもしれません。」


「そんなことはありませんよ。」


 リアナは殆ど反射的にそう言っていた。


「ヴァナディスちゃん、照れてしまって表に出しませんけど、本当はとてもあなたのことを慕っていますよ。」


 微笑ましいなあ、と思いつつ、リアナはにやけそうになる頬を抑え込んだ。己の内心に関わらず任意の表情を浮かべることがポーカーフェイスの神髄であり、交渉の基本スキルである。


「そう、ですか……。」


 安堵している。とても喜んでいる。共に長い旅を超えたからこそわかる、微妙な表情の変化。通じ合っているわ、とリアナは思う。やはりこれは家族になるしかないではないか。


「あの子、ツァランさんのことをとても信頼していますよ。ツァランさんもあの子のことを信じてあげてはどうです?」


「信じてはいるつもりです。あれは時に愕然とするほど軽率で直情的で吹っ飛んだ判断をするが、結果的には良い位置に着地する……。」


「そ、それは信じすぎでは。」


 思った以上の信頼に、リアナは前言撤回して苦言を呈した。


「先だっても、女の子を助けようとして一緒に溺れそうになっていましたよね。」


「そうですね。……だが、あの娘が跳び込まなければ俺は彼女を助けなかった。」


 ツァランの冷やかな言葉に、リアナは一瞬どきりとした。


「あれは全く直感的に正しい道を選ぶことができる。自分はそれなりに長生きをして分別を身に付けたつもりでいるが、その分動くのに二の足を踏んでしまう。」


 ツァランは視線を皿の上の魚に注いで呟いた。


「あの娘を見ていると、少し眩しくも感じるのです。反射的に正しいことを選択しているかのような、猪突猛進っぷりが。」


 リアナは酔った脳の中にかすかに残った理性を動員して神妙な表情を浮かべた。ツァランの言葉を実感として理解するには、リアナはまだまだ若すぎた。リアナを酔わせているのは発言の内容ではなく、滑らかな低い声と、どことなく漂う大人の男の重みである。


「大人の役割は、子供の失敗をフォローすることなのでしょう。転んだ時に起こしてやればそれで良い。そうとは解っているのですが、あれは本当に勢いよく走るので、大怪我をしそうに思われて、つい止めたくなってしまうのです。……やはりあの子を信じていないということになるのでしょうか。」


 ふっと、リアナの口元に笑みが浮かんだ。


「もう、ツァランさんったら。立派に親ではありませんか。」


 ツァランは怪訝そうな表情を浮かべた。


「偉そうなことを言いましたけれど、私は親になったことがないから、解らないことも多いのです。でも、私の父もそう感じているのかなと思うと、なんだかとても納得できて。」


 同調。人間関係における基本スキルである。リアナは途中からツァランの声にばかり意識をやって、肝心の内容はうっすらとしか聞いていないのであった。だが、それでも、それっぽいことを言って同調してさえおけば会話は繋がるものである。


「ふふ、それに私もヴァナディスちゃんのことは娘のように思っていますからね。恥ずかしながら、共感できることも多かったです。」


 最後に進路をやや強引に矯正して、リアナは上目遣いでツァランを見る。ツァランは賢い男である。「では、ヴァナディスの親になっていただけますか?」と言うのが、この場で次に発せられるべき言葉であることは心得ているはずだ。


 なお、現在のリアナの頭は恋に汚染され熱が溜め込まれた状態であるので、彼女が本来持つ交渉技術が著しく損なわれているが、幸か不幸か本人は気が付いていない。


「あなたとヴァナディスでは、親子というより姉妹ですな。」


 残念ながら、ツァランの応答はリアナの望むものとはかけ離れていた。


 リアナは赤くなった頬を風船のように膨らませた。

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