バックミラー

春嵐

バックミラー

 光。

 また、闇の中から浮かんで、通り過ぎる。消えた。

 赤と反射だけの世界。残りは、限りなく闇。ときどき、路側の緑。

 バックミラー。自分の前髪と化粧を確認。後部座席。全員、寝てしまっている。よほど海がたのしかったのだろう。男女分け隔てなく、全員が全員にもたれかかっている。ちょっとした芸術作品に見えるかもしれない。

 闇の中。車を走らせる。ハンドルの感触。アクセルは踏んでいない。惰性と最新が合わさったような仕組み。外からは運転しているように見えるが、中身で言えばただハンドルを握っているだけ。進路変更も車線変更も、全て車が勝手に行う。自分は、急ハンドルと急停車のためだけの存在だった。

「ミサイルにもこんな仕組みあったっけな」

 間違って発射しないように、人の手が必ず入ると聞いたことがある。聞いたことがあるだけで、自分の専門ではなかった。現場の人間は、ただ与えられた武器を持って、しに向かって突っ込むだけ。

「車だって速度出せば立派なミサイルだよ」

 助手席。

「起きてたの」

 寝ていたと、思った。

「気が気じゃなくて」

 この車の仕組みを作ったのは、助手席。いかにも活発で運動ができそうな短髪。日焼けした肌。そこそこ筋肉質の細腕。筋肉質なのに細腕なのが謎。ほんとうに謎。

 横目で見る。

 目を瞑っている。寝言だったのかもしれない。

 助手席。これだけスポーツ系の見た目をしておきながら、中身が徹底した理系だった。肝も小さい。ちょっとのことで寝れなくなる質。

「海で遊んだときは、たのしそうにしてたのに」

 目をつむっている顔は、少し、しんどそうだった。

「たのしかったですよ」

 起きてた。でも、目は瞑ったまま。

「先輩も入ればよかったのに」

 自分は、海には入らなかった。というより、入れなかった。

「化粧しなおすの面倒だし」

 化粧。付けているのは、赤のリップだけだった。別に水で取れるものでもない。

「いいのよ私のことは」

 むかし、雷雨の戦闘中、氾濫した川に流されて海まで行ったことがある。近くの瓦礫につかまって、雷と雨の中をじっと耐えた。その記憶が残っている。自分の腰より高い水位に入るのを、避けていた。

「ごめんなさい」

 急に、謝ってくる。

「何が?」

 知らないふりをした。流された海で拾われるまでの孤独が、顔に出たかもしれない。

 助手席を見た。目を瞑っている。

「化粧を取った先輩のかお、みたかった」

「残念だったわね」

 赤のリップ以外は、何もしていない。

 赤色の口紅が、すきだった。血の色。血色がよく見える。自分がしんだときも、きっとこの赤のリップのような、そんな鮮やかさでいたい。この赤のリップのように、しにたい。

「車の状態、とてもいいわよ」

 こちらから、話しかけた。

 ただハンドルを握っているだけ。良いも悪いもなかった。

 助手席。

 横目に見る暇は、なかった。

 目の前。

 闇。これまでと違う。

 温度のある、あたたかい、暗さ。

 赤のリップ。

 唇に、唇が、ふれる。

 いち。

 に。

 さん。

 四秒で、離れた。無意識に数えている自分が、少しいやになった。味方の掩護が着弾するまでの秒数を数えるように、キスの長さを数える自分がいる。

 沈黙。また秒数を数えようとしているのを、我慢した。

「凄いでしょ。これだけ近くで視界を奪ったり動揺させても、この車は止まらない」

 ちょっとして、助手席から声。

「そうね」

 としか、答えられなかった。

 思考が追いついてきた。キス。感覚までは、とらえられなかった。自分は、ただ、目の前に人がいて唇がふれあった秒数を数えていただけ。

「ごめんなさい」

 また、助手席から声。

「何が?」

 かろうじて口から出た返しが、さっきと同じ。

「急にキスして」

 助手席のほうは、見れない。

「先輩、なんでいっつも危険なところに突っ込んで行くんですか」

 答えられない。それが私だから。危険なところに突っ込んで行くのが、私。

「先輩のためにそういうのは全部、こういう車の仕組みみたいなのは全部は先輩のために」

 助手席。そこまで言って、少し沈黙。

「先輩が楽になれば、先輩が安全になればと思って作ってるのに」

 光。すぐに過ぎる。

「先輩はそれを持って、もっと危険なところに突っ込んで」

 また、闇。

「なんでですか。なんでそんな」

 しんどそうな、声。

「ごめんね」

 口に出して、すぐに後悔した。

「ちがうの。キスがいやだったとかあなたがきらいというわけじゃなくて」

 ただ謝っただけの意味で口にしたのに、この場で謝ることが、相手を拒絶するという意味になってしまう。

 いちど、呼吸を整える。

「あなたのことはすきよ。この車とか、あなたの作る便利なものもすき。でもね、それとおなじくらい、私は自分自身が好きなの。しに場所を探して突っ込んで行く自分が」

 そして、しが好き。この赤いリップのような、綺麗で美しいしが。そのために、生きている。

 助手席の相手には、残酷なことなのかもしれない。すきだった相手が、ただのしにたがりだった。

 でも、自分でどうこうできる問題ではないし、私がしんだあとも、向こうは生き続ける。いくらでも別にすきな相手をみつけることだって。

「うわっ」

 後ろから、運転席を蹴られた。

「何よ」

「何よじゃないよ。なんで一世一代の大勝負に対して、なんでそんな、てきとうなことを」

 連続で蹴られる。というか後部座席全員が私を蹴ってる。みんな起きてたのね。

「ふざけてんのか。なぁにが『自分が好きなの』だ、この自己中野郎」

「いや特攻野郎よ。勇気出してキスしただろうに、ごめんねってあなた、あなたちょっとあれよ、ひどいわよ」

「もっかいキスしろ。お前からだ」

「そうよ。キスしなさい」

「そして愛を誓いなさい。もう危険なところに突撃しませんって言いなさいほら」

 逃げられなくなってしまった。

 助手席。

 笑っている。

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バックミラー 春嵐 @aiot3110

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