第12話 助教さんの実験
とはいえ僕は僕で、自分の研究も進めなくてはいけない。
少し前までは助教という役職には任期がない学校も多かった。万年助教と腹を決めたら一日中新聞を読んで過ごす、なんていう研究室の主みたいな人もいたが、近頃はそうはいかない。
論文をジャーナルに通すべく、研究をし続けなくてはならないのだ。ジャーナルに通さなければ予算も降りず、実績もできない。早晩キャリアが行き詰まることは目に見えている。
今僕は加速魔法陣の仕事率をあげる方法について研究している。
魔法の増幅には限界がある。それゆえ、たとえば一つのパンを無限に増幅、飢えを根絶し、パン屋さんが失職する、というようなことは起こりえない。
その限界は固有の生物の持つエネルギーによって決まるとされている。僕はそのエネルギーの流出限界が時間にも左右されると考えているのだ。ここで詳しく話しても良いが、きっと朝までかかってしまうので割愛する。
理論的には計算ができており、この日、実験の段階になっていた。
「OK。じゃあさっそくサンプル品を増幅してみようか」
実験室に実験用模造紙を設置する。もちろん直に描いてもよいのだが、消したり書いたりが大変なので紙に描いて設置する。僕は魔法陣の起動と停止ができないので、今日は夕食後に少し研究をする、という赤間君にアシスタントをお願いしていた。
時刻は夕方の六時。実験室の予約を学生に譲っていたら、こんな時間しか空いていなかったのだ。しかも。
「倉庫実験室っすかー」
「ここしか空いてなかったんだよ」
研究生の増加によって必要な実験スペースは増え続ける。倉庫実験室というのは、その名の通り空いた倉庫を実験室にしたものだ。三畳ほどの小さな部屋、というかスペースにわんさか詰められたごたごた──箱を開けてみたら卒業生がおいていったマンガだったり、誰も使わなくなったクッションだったり、誰かのボウリングのマイボウルだったりした──を片づけて、実験スペースにしたものだ。もちろん、大学に申請した正規の実験室ではない。だから予約と言っても、紙に「六時から使用 白川」と書いただけのものだが。
「メデューサ・マンドレイク持ってきて。今日の陣は無生物には反応しないから、魔法生物を使うよ」
はーい、と重そうにマンドレイクのかごを持ってくる赤間君。マンドレイクは土から抜かれ、そのままかごに入れられている。ひと株だいたい、よーく育った白菜くらいのサイズだ。つまり、一株でもかなり大きい。しかしポイントさえ押さえれば、マンドレイクの扱いはそんなに危険なものではない。
「さて今日の実験サンプルはメデューサ・マンドレイク。注意点は?」
「えーっと、植物学でやったキリっすけど……確か、ある程度の空気にふれさせておく、でしたっけ?」
赤間君は記憶から情報を引き出してきた。よしよし、よく覚えていたね。
「そう。マンドレイク全般に言えることだけど、マンドレイクの声を聞いたものは死にいたる、っていうのは有名だね」
「こいつはその亜種のメデューサ・マンドレイクなんで、確か声を聞いたら石になっちゃうんですよね」
「そう。そしてマンドレイクは土の中で「声」を貯める。引き抜くことでそれを発散する。いったん土から引き抜くと、叫んだあとは冬眠状態になるんだけど、その間、再度土に埋めたり、なにかで空気との接触を遮断すると覚醒するんだ。また「声」を貯めてしまうってわけ」
「あ、そうか、だから箱にぎゅうぎゅう詰めにして運んだり売ったりできないんでしたよね、確か」
「そう! よくできてるじゃないか」
「えへへ、植物学、単位落としたんス。二回やったんで!」
じゃあよくできてないじゃないか。
「それが株のままのマンドレイクが市場において高価である理由の一つでもあるんだね。粉末にしちゃえばいいんだけど」
「先生、増えたマンドラゴラ、何個かもらっていいすか? ほかの研究室の友達が研究に要るから譲ってくれって言ってて。でも、たくさん増えたら売りましょうよ。ウハウハっすね」
「こらこら、早速悪用するんじゃない。でも少しならまあ、いいよ」
「うーっす! あ、先生これ、ビスケット。そいつがワイロにくれたんすよ」
手に乗せられた小さな小袋を見つめて苦笑する。
「今日は何時頃までいる予定?」
「えーっと、十一時頃ですかね」
「僕、夜の十時から海外とちょっとミーティングしてこなくちゃ行けなくて…。じゃあ魔法陣は十一時でいったん発動停止処置かけておいてね。そしたら帰ってくれていいから」
僕はサインペンで「白川使用中」と書いた紙を扉に張り付けた。
赤間君は目を閉じてかごのなかで眠っているように見えるマンドラゴラを見下ろした。
「先生、これってどれくらいで増えてく予定なんですか?」
「最初の一時間で倍、次の一時間でまた倍になる計算だなぁ」
「ふーん……。そうなんすか。わかりました」
僕はうなずくと、赤間君に実験室の鍵を手渡した。赤間君は、鍵を見下ろして、ニッと笑った……気がした。
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