第8話 助教さん、落ち込む

 夜のカフェは人気ひとけがない。休憩スペースをかねているので夜間も立ち入ることはできるが、当然店は閉まっている。僕は自動販売機でコーヒーを買うと、テーブルに論文を広げた。明かりのついた廊下に面しているので、ある程度文字は読める。自分一人のために、カフェの広範囲の蛍光灯を点けることに気が引けたのだ。

 ふと目をやると、テーブルに誰かのいたずら描きがあった。これは初歩の明かりの魔法陣だ。同じことを考えた誰かがここで勉強しようとし、やはり暗さが気にかかって明かりを灯す魔法を用いたのだろう。

 僕は魔法陣に片手を触れ、力を込めた。

 するとたちまち明かりが──なんてことはない。

 そう。彼女たちの言う通り、僕は魔力がゼロなのだ。

 魔法はよく文章を書くことや絵を描くことに例えられる。

 「本日は晴れ」と書くことや、丸と線を組み合わせて太陽を描くことならば、多くの人にたやすくできる。だが、読む人を涙させる物語や詩を書くこと、見る人を感動させる絵画を描くことが誰にでもできるわけではない。

 魔法を使える、ということは、それとよく似ている。

 魔法の発動は、基本的には本人の才能で行われる。

 少しでも才能があれば、大半の魔法を使うのは難しいことではない。ほとんどの魔法は、手順を踏むことで誰でも同じように発動することができる。またそうできるように日々僕らのような研究者によって研究されている。

 魔法とは、今では基本の理論の明らかな科学なのだ。

 だが、個々の魔法には可能なこと、不可能なことも多くある。だから魔法技術の発見で世界の様々な問題が一気に解決し、貧困も飢餓も消滅した、なんていうことも残念ながら、ない。

 さらに、中には発動の条件が難しいものがあり、それは個人の持つ魔力や「コツ」、技術に左右される。そういった数値では計ることのできない、ブラックボックスと呼ばざるを得ない分野もまだまだ多く、そこを明らかにするのもまた、僕らの仕事の一部だ。まだ魔法技術が大衆の手にするところとなって、数十年しか経っていないのだから。

 そこで話は戻るのだが、先ほどのたとえを使うならば──僕は文字を使えない、絵筆で丸や線をかくことができない、というような状態に近くなるのだ。

 魔法の発動をすることが、全くできないのである。

 とはいえ、物語が書けない文学研究者はいるし、まったく絵が描けない美術研究者もいるだろう。僕はちょうどそんなところ、と、自分を慰めているのだ。

 現代のこの国で、魔法が使えなくとも生活に困ることはない。魔力ゼロの人間が著しく少ない、というわけでもない。まぁ、時には不便に思うこともあるかもしれないが、そんな時ですら誰かが手助けをする仕組みができている。

 もちろん就職に困ることもない。魔法関係の職につかなければ。そう。僕のように。

 僕が日々あくせくと行っている研究は、より複雑な魔法を解明したり、もしくはさらに簡単に魔法を使えるようになるためのものだ。それによって世界が少しずつよくなる助けになっている。はずなのだと思う。

 だが、ああもはっきりと「意味がない」と言い切られてしまうと、落ち込まないといえば嘘になる。

──僕は一体、なんのために、働いているのだろう。

 明かりのついていない、電球を僕は見上げた。

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