第5話 助教さんとナイト・スパイダー

 実験室にたどり着いた時、アルカード君は扉を出てこようとする「何か」と必死に戦っていた。

「せ、先生……!」

「大丈夫!? どうしたの!?」

 アルカード君の隣に飛びついて、一緒に扉を押さえる。ゆっくりとした動きだが、何かが中から強い力で扉を押しているのがわかった。金属製の扉は何かがぶつかるたびに大きな音を立てている。

「使いました、動物の成長促進魔法。様子を見に来たら、なってました、こんなこと。どんどんなります、大きく……」

 慌てているのか、アルカード君の言葉の滑らかさがいつもより失われている。

「アルカード君、これ、中に何がいるの!?」

「な、Night Spiderの一種です! とてもとても小さい、だったんですけど……」

「成長促進だけでなく、サイズまで巨大化してしまったってわけか」

「ナイト・スパイダー……有毒種かな?」

「いいえ……!」

 それは幸いだ、と伝えたのだが、いっそう大きく開こうとするドアを押さえることに必死で、おそらく誰の耳にも届かなかっただろう。

「ちょっとだけ、しびれる」

 うん、それを有毒種と言うんだよね。そう言う余裕ももうない。何かが扉にぶつかって大きな音を立てる度、隙間から毛の生えた脚がのぞく。様子はわかっていても気持ちの良いものではない。

「先生……!」

 青井さんが一緒に押さえながら僕に言う。

「事務へは?」

「そうおっしゃると思ったので、すでに報告してあります。紺谷さんに連絡したので、間違いなく動いてくださっているかと」

「良い判断だね」

 十分以内には対策班が大挙してくるはずだ。

「お日様の下にはめったに出てこない、おとなしい種なのに……」

 青井さんはそうつぶやいた。お日様。僕は逡巡する。いけるかもしれない。

「……発動中の魔法を書き換えるのは危険だけど……」

「アルカード君、次に僕が合図したら一瞬扉を開けてくれ!」

「先生!?」

「まあ最悪、ケガくらいで済むさ、たぶんね。ちょっとしびれるくらいなんだろ? さて……今だ!」

 僕は押さえる力が弱まった瞬間を見極めて、指示通りアルカード君が細くあけたドアの隙間から体を滑り込ませた。

 部屋の床に敷かれた実験用紙の上。

 やっと魔法陣の全貌が見える。実験前に提出されていた概要と頭の中で素早く照らし合わせる。しかしそれもゆっくりと確認している暇はない。

 顔を上げた僕は息をのんだ。ナイト・スパイダーの八つの目が僕を見下ろしていた。もともとは小さく、成体になるまで長い時間がかかる種なのだ。その分、愛好家も多いと聞く。確かにそれもうなずけるほどその巨体は恐ろしく──美しかった。普段は小ささゆえ、そこまでよく見えることのない細かな体毛はビロードのようになめらかで、爪は磨かれた黒曜石のように深く艶めいている。

 ナイト・スパイダーが首(というのか否かは定かではないが)を傾げた瞬間、僕は左手に握っていたボールペンを投げた。ボールペンは後ろのロッカーにぶつかり、大きな音を立てる。ふいにナイト・スパイダーはそちらのほうに目を向けた。やはり。

 ナイト・スパイダーはあまり目が良い生き物でなかったはずだ。それゆえ、音や振動で生き物の気配を察知していると聞いたことがある。

 僕は心の中で小さくうなずいた。隙を見て窓際に転がり出た。

 だが次の瞬間、再びナイト・スパイダーはこちらを向いた。牙がちらりと光る。

 僕は暗幕を一気に引いた。さっと半分、部屋が陰に落ちる。ナイト・スパイダーは反射的に影に身をよせた。これがねらいだった。

 音を立てて陽動し、暗幕を引き影を作る──。

 これで彼は影に引っ込むはず。

 しかしナイト・スパイダーが影に潜んだのは一瞬だった。今は珍客である僕の方をなんとかしようと考えたらしい。僕に飛びかかろうと体を縮める。

「先生!」

 青井さんの声が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る