一章ノ壱『人狼のロウ』2


 ムロが生まれてからは、厳しい父の教えも特に辛くはなかった。


 ムロが俺と同じように父から教えを受けるようになった時、もう一度はっきりと使命感のように〝守らなければ〟と考えるようになる。


「さぁ、ムロ、やってみろ」


 六つになった頃、父にそう言われたムロは、飛んでいる小鳥にオオカミの姿で飛び付こうとする。だが、地面を蹴ったその瞬間明らかに鳥にまで届かないその体は、そのまま地面に着地すると弱音を吐き出す。


「こんなに高いのに、無理だよ父さん」


 ムロの言葉に父は小さく笑みを浮かべて、俺を見ながら言う。


「ロウはお前の歳にはこれを毎朝三匹捕まえていたぞ」


 俺は、父に実際見せてやれと言われている気がして、オオカミの姿へ変わり助走も無しに家の屋根よりも高くを飛び回る鳥を銜えて見せた。


「ロウ!凄い!」


 ムロがそう言うと、俺は少し誇らしげに口から鳥を放してやる。


「ムロ、俺のように捕まえるには少し訓練が必要だ、俺も訓練なしにこんなことはできない」


 父の教育の仕方は厳しいものだったが、それがムロには例外で、できなければできなくていい、それが父のムロに対する教育方針だった。


 対して、俺には厳しくて常に結果を求めていた。この日もクマ狩りを一人でやれと言われ、俺は単身で森に住む獣のニオイからオスのクマを探し、夕方にはそのクマを背負って帰った。


「さすがはロウだ、初日に発見し倒してくるとは」


「ロウは凄いな~さすがボクの兄さんだ!」


「クマはこの辺の生態系を崩すからな、鹿なんかがいなくなってしまったら困る、だからこうして時々雄を狩るんだ、覚えておけよムロ、いつか一緒に狩りに行くんだ」


「うん!」 


 父に褒められるよりも、弟であるムロに褒められる方が数倍は嬉しかった。



 人狼の成人は雄が十七、雌が二十二、俺が成人する少し前には人間と俺たち人狼は剣悪な関係になっていた。


「そもそも、キリンが人に成りたがって、森から出たことが間違いだと俺は思うんだ」


 聖獣の話になると俺はいつもキリンが人に成りたがることが理解できず、キリンに対する嫌悪感を口にしていた。


「いや、そもそも聖獣はどの方々も人に成りたがっているのだ、キリンが六つに自身を割いたのも人に成る方法だったのやも知れぬ」


「だけど、そのせいで森で過ごしていたキリンの眷属はもうすっかり生き残っていないし、結果キリンは人に巫子が宿ってしまうんだとしても、眷属が可哀そうだろ」

 俺と父はこの話でまったく意見が合うことはなく、いつも互いに平行線な会話を続ける。それを理解している母も、絶対に会話に混ざろうとしなかった。


「全てはキリンの望むままに、それがメイロウが思うところだろう」


「いや、メイロウはキリンの尻ぬぐいに嫌味の一つでも言いたがっているはずだ。もともとはメイロウの方が先に人へと近づいていたのを、キリンが嫉妬したに違いない」


 重い空気にムロはシュンとしている、俺はそれに気付かず父との会話に自身の考察を語り続けた。


「キリンの無茶でキリンの眷属は絶え、メイロウが森を守るために平地を捨てた。アンジャの恨みももしかしたら関係があるかもしれない、キリンのわがままなのは明らかだと思う」


「……ふぅ、だが私はキリンの行動は当然と考える、眷属は絶えるべくして絶えたのだろう」


 その理屈は俺は嫌いだった、眷属は聖獣の奴隷じゃない、盟約に基づいて互いに尊重しあうべきだ。


「……父さんがそう思うのは勝手だよ、だけど、現に人はこの森を欲しがってる。盟約なんて無かったかのように、メイロウに森を守るように頼んだのは人の方なのに」


 俺がそう言うと父の表情は暗くなる。


「もうやめましょう、早くご飯食べちゃって」


 いつものように母が止めに入れば俺は黙り、そうして父との重い空気だけを残し食事も終わりを迎える。



「食事は楽しい方がいいよ、どうして食事中に話しをするなって村のじいちゃんが言ってたのか分かった気がする。食べ物が零れるからじゃない、ご飯が不味くなるからだよ」


 ムロはそう言うが、俺にとって食事中の父との会話は、自身と父が対等に会話できる唯一の場であり、母には悪いが食事はついででしかない。


「ま、ムロは気にせず飯を食えばいい、母さんの様に無視してればいいんだ」


「……確かに母さんもそう言ってたけど――」


 俺はムロの頭に手を置くと、少し笑みを浮かべて言う。


「別にケンカをしているわけでもないし、父さんだって俺の本音を聞いておきたいって思っている気がするしな、ムロはついてこれないだろうけど、ま、気にしないことだ」


 そう言い終わると、俺はムロのまだまだ軽い体を持ち上げて肩車をする。


「そら」


「わ!高いよ兄さん!」


 もう何度こうしてムロを抱いたり肩車しただろうか、そして、これから俺は何度こうしてあげられるのだろうか。

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