第99話 アドリブ
部室で備品の在庫チェックをしていると、ノックもなしに小宮山さんが入ってきた。
どこかの高校の制服とおぼしきグレーのブレザーを着ている。完璧に女子高校生。いつもながら感動するほどの変身っぷりだ。
しかし小宮山さんは、どことなく不安そうな顔をしている。
「ちゃんと見えますよ、女子高生に」
私が言うと、小宮山さんは怪訝そうに眉をひそめた。「何?」
「何って……コスプレみたいになってないか心配してたんじゃないんですか?」
「コスプレって?」
「何でもないです」私は引き下がる。野暮を言いました。小宮山さんは本物の女子高校生です。生まれたときから女子高校生。今後も永遠に女子高校生。
「ねえ、しおりさん」小宮山さんが腕組みをして私を見おろす。「さっきの言葉、本当に自分で考えて言った言葉ですか?」
「ごめんよ、そんなに怒らないでおくれ……」
「いや、怒るとかじゃなくて。しおりさんは、いつも自分で考えたことを喋っているの?」
「ん? 私は……自分で考えたことを……喋って……いるよ?」
いっこく堂みたいな言い方になってしまった。
「そう。やっぱりそうですよね」小宮山さんは片手を顔に当て、名探偵みたいなポーズを取った。何か考え込んでいる様子だ。
「なんなの?」
「いや、最近思っていることがあって」小宮山さんが深刻な顔で言う。「この世界って、私以外の人はセリフがぜんぶ決まっていて、私だけがアドリブで喋っているんじゃないかって」
「うん?」
「みんなが持っているはずの台本を私だけが持っていないんです。だから私はいつも周囲の人を困惑させてしまう」
「うん……うん?」
「この世界は私に見えている範囲しか存在しないんです。書き割りみたいに。その外側には、この世界を動かすスタッフがひしめいている。そう、この世界は私を中心とした舞台! どこかで大勢の観客に見られている演劇なんです! それなのに! 私だけ台本が渡されていない! これじゃどうあがいても失敗だわ!」
舞台女優みたいに左右に動きながら、舞台女優みたいな仕種で、舞台女優みたいに声を張り上げる小宮山さん。
うるさいんだけど。
部室棟の壁うすいんだけど。
あとで謝りに行かないと。
というか、ただの女子高生じゃなくて、何かをこじらせてるパターンの女子高生だったのか?
めんどくせ……。
私は在庫の確認作業に意識を集中した。
小宮山さんはまだ何かわめき続けている。
チェックリストをぜんぶ埋めて、現時点での在庫状況がはっきりした。
藤田くんにもらった予算をもとに、今後のやりくりを考えなければ。
そこでふと、小宮山さんを放置していたことを思い出す。
小宮山さんは私の正面のソファに座り、じっとこちらを見ていた。
「え、何?」
「いや、その在庫チェックも、台本通りの行動だったのかなって」
「まだ続いてたの?」私は呆れてため息をつく。備品だって、小宮山さんがまったく無頓着だから激減してるのに。「私の台本に、このあと何が書いてあるか教えてあげようか? 私は、小宮山さんに動物の編みぐるみの製作を命じます。小宮山さんは5時間も熱心にその作業に没頭することになってる。一切ミスすることなく、無駄な糸を消費することもなく」
「やれやれ」
「やれやれって何だよ」
「そのセリフも台本通り?」
「こいつ無敵かよ」
「茶化さないで!」宝塚の男役みたいな低い声で小宮山さんは言う。「私は苦しんでいるの! この世界でたった1人、道しるべもなく、アドリブだけで生きていかなければならないのだから……」
「そんなに台本が欲しいなら、自分で書けば?」
「え?」
「この先の展開を事細かに書いてみたら? あるていど付き合ってあげるよ。それで気が済むならね」
「自分で自分に台本を書く……。そうか、それって……筋書きの決まった運命、つまりこの世界に対する抵抗ってこと……なんだね?」
「知らん」
「ありがとう、しおりさん!」小宮山さんは勢いよく立ち上がり、少し踊った。「私は! 私の道を! 自分で切り拓くことができるんだ! 私もようやく! 世界の一員になれるんだ!」
「声でかいんだって」
小宮山さんは私の注意を無視し、バッグからノートとシグノの0.38を取り出すと、一心不乱に何かを書きだした。
私はフェルトの束を手に取り、今後の計画を再検討する。
5分後には、小宮山さんはペンを置いていた。
スマホを見たり、自分の爪を見たり、ソファの隙間のゴミを見たりしている。
「台本書くのやめたの?」私は少し意地悪な口調で言った。
「無意味だって気づいたの。運命は変えられない」
「飽きたんじゃん」
「ふう……」
「ふう、じゃないよ」
ふう、ともう一度言ってから小宮山さんは立ち上がる。
「しおりさん。私はね、失望しましたよ。因果律に囚われてしまったあなたに。もっと自由な人だと思ってた。手足を縛られても、空想の中では大空を羽ばたくことをやめない、孤独で気高い人なんだって。そう、人類が絶滅したあとに残された、最後の1機のコンコルドのように……。でも違ったんですね。ううん、違っていたのは私のほう。何も知らなかった私のほうなの」
思わせぶりな表情を残して、小宮山さんは部室を出て行った。
コンコルド?
深く考えるのはよそう。果てしなく無駄だ。
私も帰るか……と思って立ち上がりかけたとき、またドアが開いた。
顔だけをひょっこり出したのは、小宮山さんだ。
「サイゼで待ってるね」
サイゼ行くんかい。
ドアが閉じられた。
そしてすぐ開いた。
「一緒にエスカルゴ食べようね」
ドアが閉じる。
遠ざかる足音。
エスカルゴ? 急に?
コンコルドに触発されたのか?
どうでもいいか?
私たちがこのあと仲良くエスカルゴを突っつくことになるのは、台本通りの展開ってわけ。
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