第95話 金策
「歌わないけどカラオケ行かない? 歌わないけど」と小宮山さんが謎の誘い方をするので、午前中からカラオケボックスにこもっている。
私は一切歌わず、猛然とノートパソコンのキーボードを叩き続けていた。明日提出のレポートがあるのだ。
大学から直行したので、重たい資料もテーブルに山積みだ(というか図書館で資料を選んでいた私に、背後から「だ〜れだ」をしてびびらせる、というのが今日の小宮山さんの登場だった。こっそり私の体内にGPSでも埋め込んでいるのだろうか?)。
で、小宮山さんが何をしているのかというと、一心不乱におもちゃの金魚にフックを取り付けている。
内職だ。
人生経験の乏しい私は、内職というものを初めて目にしたかもしれません。
おもちゃの金魚は、サンタクロースみたいに大きな袋にぎっしり詰まっている。何千個もありそうだ。妙に大きい荷物だとは思っていたが……。
今日の小宮山さんは21歳。私よりひとつ年上。可愛いジャンプスーツとベレー帽は真っ白で、靴とバッグは黒。おしゃれ。とてもおもちゃの金魚にフックを取り付けるときの格好とは思えない……。
と、そんなことはどうでもいい。
自分の作業に戻らないと。これまでの大学生活、レポートは確実に提出してきた私だ。単位を落としたこともない。私はきっちりした性格なのだ。留年王の小宮山さんとは違う。私だけは絶対にまともでいたい。
集中する。
水の一滴も口にせず、Adoの一節も歌うことなく、気づけば90分が経過していた。
ハッ!と顔を上げる。
ひっ!と声をあげそうになる。
じっ!と小宮山さんが私を見つめているのだ。だいぶ前から何の作業もしていなかったことがモロバレの、腑抜けた顔で。
腑抜けた顔のまま小宮山さんは「はあー」とため息をついた。そして「お小遣い、あげたいなあ」と言った。
「え。くださいよ」と私。
「キミにじゃないよ。小さい甥っ子とか姪っ子にだよ」
「甥っ子とか姪っ子いるんですか?」
「どうだろうね」
どうだろうね?
とは。
小宮山さんは自分の家族のことには、ほぼ一切言及しない。
何もかもが謎に包まれている。
そのことは少し寂しい。
もうちょっと話してくれても良いのでは。と思うけど、毎日年齢が変わる小宮山さんのことだ。20歳の日と40歳の日では甥っ子の設定も違ってくるだろうし……。
いやいや。
何を擁護しようとしてるんだ。
実年齢の小宮山さんの、本当の家族の話をしてくれたら良いだけじゃん。
詐欺師じゃないんだから。
ていうかこの人、詐欺師のやり口で私と交流してるよな?
やば。
私、詐欺師と友だちなのか?
「この年になるとさ」私の心の中の嵐を知らない小宮山さんは、頬杖をついてのんびり言う。「お年玉とかも、貰うよりあげる喜びっての? そういうのに目覚めちゃって」
「私は今年もお年玉貰いましたよ。受け取らないとお婆ちゃんがしょんぼりするし。私が結婚するまではあげたいらしくて……結婚しなかったら永遠に貰えるのかな?」
「私はむしろお婆ちゃんにお年玉をあげたいね。老後は何かとお金が要るものだよ。吉野さんも、就職したらお婆ちゃんにお小遣いあげな」
「小宮山さんって、お婆ちゃんと仲良いんですね」
「難しい話題はさておき」
難しい話……。
難しいか?
お婆ちゃんの話すらしてくれないのか?
「吉野さん」と小宮山さんが真剣な顔になる。「私にもし、小さい甥っ子や姪っ子がいると仮定しての話だがね」
「仮定しての……」
「その子たちにお小遣いをあげたいと思ったら、私の財布には幾ばくかのお金が入っている必要があるね?」
「はあ」
「先立つものが必要なのだよ」
「先立つものって……大げさだな。小さい子にそんな大金あげないでしょ」
「私の財布は空っぽなのだよ」
「空っぽ!!」
ここの支払いは!?
途中から口調が変だが??
そもそも仮定の話に付き合いたくないのだが???
いろいろ言いたかったけど、私は口をぱくぱくするのみ。
「お金がないんだよぉ」と小宮山さんは甘えた声を出した。
お金をたかっているのか?
そのために私を密室に連れ込んだのか?
私はあっさり詐欺師の餌食になってしまうのか?
しかし小宮山さんは急に澄ました顔になり、脚をすっと組み替えた。
「お金がない。そこで私は一計を案じた。親戚の子供へのお小遣いに相応しい額、これを3000円としよう。2人分で6000円。それにちょうど良い金額を、内職などで捻出できないか、とね」
「それで金魚の口にフックを取り付けてたんですね」
「それで金魚の口にフックを取り付けていたのだよ」
「そんなにお金ないの?」
「そんなにお金ないの」
「じゃあサボってないでさっさとやれば? 私もレポート書かないとだし」
「でもさあ」小宮山さんがこめかみに指を当てて悩ましい表情を作る。「これ1個0.4円なんだよ。100個作っても40円だよ。1000個作って400円。1万個でやっと4000円だ。1秒に1個作ったとしても、1分間で60個。1時間で3600個。目標の6000円に達するには1万5000個が必要……ってことは、4時間かかるんだよ」
「だからさっさとやりなって」
「いやいや! 聞いてた? 1秒に1個作ったらの話だよ? 1秒に1個なんて無理じゃん。この計算は最初から破綻してるんだ!」
じゃあ聞かせるなよ……。
「2秒に1個作ったとしても8時間だよ! でも2秒に1個すら無理じゃん! 3秒に1個だったら? 12時間だ! ところがその3秒に1個すら無理ときたもんだ!」
なぜかマイクを掴んで叫ぶ小宮山さん。
もう黙ってくれ。
「吉野さあん。手伝ってえ」
突然くにゃくにゃの軟体動物になって、小宮山さんが私にしなだれかかってきた。
内職を手伝わせる。これが狙いだったのか。
絶対手伝うものか……と言いたいところだが、私の気持ちはぐらついている。
私はボディタッチに極端に弱い。ちょろい女なのだ。
「うっ、うっ……」小宮山さんは私の腕に顔を埋めて嘘泣きしている。
しかし、顔をくっつけられた袖が濡れるのを感じた。
「えっ、ほんとに泣いてる!?」
小宮山さんが顔を上げた。
目にちょっとだけ涙が浮かんでいる。
そして鼻水が盛大にたれていた。
私の袖を濡らしたのは、鼻水だ。
「うぐっ、吉野さあん……」
小宮山さんが鼻水をすする。
私は覚悟した。レポートは完成しないかもしれない、と。
そうなれば人生初の失態だ。
ほんと、悪い友達なんかと付き合うものじゃないね。
せめて自分の甥っ子姪っ子には、そういうことをきちんと伝えよう。
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