第92話 ろくな人間じゃない

 日曜日。

 小宮山さんと2人で映画館に向かっていると、突然腕をつかまれた。

 小宮山さんに。

 そのまま強引に建物の陰に引っ張り込まれる。

 え? え? と思うばかりで、私は何も抵抗できない。ただ、緊迫した気配だけは伝わってきた。不審者でも発見したのだろうか?

 小宮山さんはコソコソと歩道の様子をうかがっている。しかしその横顔は真面目そのもの。

 今日の小宮山さんは35歳。元宝塚トップスター、退団後は慎重に仕事を選んでイメージを保っている。みたいなタレント。みたいな雰囲気だ。自分でも何を言っているのかよくわからないが。

「何かあったんですか?」

 私は小宮山さんの肩越しに顔を出そうとする。

 その頭を押さえつけられた。

「出すぎ! もっと引っ込んで」それから、顎をしゃくってある方向を指し示す。「見て、あそこ。あれ、リオちゃんだよね?」

 リオさんなら隠れなくて良いのに……と思いつつ、外の様子をのぞき見る。

 道路を挟んだ向かいの歩道に、金髪の女性が歩いていた。

 リオさんだ。

 しかし……。

「服」と私はつぶやいていた。

 ふだんは細いデニムにTシャツとか、ライダースとか、おしゃれな作業服みたいなやつとか、カッコいい服を着てるリオさんが、ふりふりのロリータ風ワンピースを着ている。

 何があったんだろう……。

 罰ゲームか?

 あっけに取られているうち、リオさんが角を曲がる。

 そのとき、さっきまでは見えなかったリオさんの右の側頭部が見えた。

 お花の付いた小さな帽子。

けよう」

 小宮山さんがサッと路地から飛び出す。私も後を追う。ちょうど信号は青。私たちはくノ一のような気分で小走りして、リオさんが曲がった角に半身を隠す。

 リオさんの後ろ姿が見える。もうかなり遠い。

 小宮山さんがまたしてもサッと飛び出し、リオさんの5メートルほど後方にある青果店に身を潜めた。私も自動でついていくNPCのように、小宮山さんの背後に位置する。

 リオさんはこちらに気づいた様子はなく、無表情に花屋を覗いていた。

「リオちゃんが花……」小宮山さんが唾を飲み込んだ。「いよいよおかしい」

「食べられる花かどうかしか興味ないような人ですもんね」

「隠れて! 動いた!」小宮山さんの号令で、私たちは青果店に完全に身を潜めた。頭上に、吊るされたバナナがある。一房68円……だと? くそっ。こんなときでなければ……!

 私たちの尾行は続く。

 リオさんが次に入ったのはパン屋だ。ガラス張りなのであまり近づけない。店を出たリオさんは、紙袋からクロワッサンを取り出した。食べながら歩いている。

「ウインナーパンとか焼きそばパンじゃない……!?」小宮山さんがうめき声をあげた。「しかも、飲み物もなしに……喉につかえるぞ!」

 それはべつにいいだろ……。

 リオさんはクロワッサンの後半部分を口に押し込むと、指をドレスの裾で拭い、自販機で缶コーヒーを買った。腰に手を当て、ほとんど一気に飲み干している。

「やっぱ、いつものリオさんじゃないですか?」

 私の興味は急速に薄れつつあった。

 それに、映画を観に行く途中なんですけど……。

 しかし小宮山さんは尾行をやめない。

 不動産屋の壁に貼られた物件情報を睨みながら腕組みするリオさん。

 仏具店でお線香を買うリオさん。

 自転車屋でロードバイクのサドルをぺんぺんっ、2回叩いて去るリオさん。

 よしっ、と軽く気合いを入れてパチンコ屋に入るリオさん。

 いやいや。

 結局パチンコ行ってるじゃん!

 いつものリオさんじゃん!

 解散解散。

 と思ったけど、小宮山さんは「なんか変な男と付き合ってるのかも。ロリっぽい格好で一緒にパチンコ打ってくれたらお金をあげる、って言われてたりとか」

「なんかピンとこないな……」

「しおりちゃんは若いから世の中を知らなすぎるんだよ。女の服装を指定するやつにろくな人間はいないんだから」

「リオさんが自分で着てる可能性はゼロなの? 私たちに隠れてこっそり楽しんでる趣味かもしれませんよ。放っといてあげましょうよ」

「いや! そんなはずない! リオちゃんは誰かに洗脳されている! 私が助け出す! 美しい日本を取り戻す!」

 小宮山さんはパチンコ屋にダッシュした。

 この人のほうがろくな人間じゃない。


「おー。コミとその犬」

 パチンコを打ちながら、リオさんはいつもの調子でそう言った。とくに慌てた様子もない。

「犬じゃない」私もいつもの調子で返す。

「ごめんごめん。マルチーズだったね」

「犬種指定しろって言ったんじゃない」

「リオちゃん!」小宮山さんが強引に割って入る。「どうしてそんな服着てるの!」

「ああ……そうか。この服」リオさんはお腹の辺りの布を引っ張る。「正月に買った福袋に入ってたんだよ。最近の福袋って、だいたい値段分の中身が保証されてて、つまんないの多くてさ。私は昔ながらのギャンブル性の高い福袋が好きなんだ。近所のやばい商店街のやばい古着屋には残ってんだよ、そういう風習が」

「だからって、そんな普段とまるで違う服着る?」小宮山さんが突っかかる。

「自分の趣味じゃない服だから汚れても良いし、けっこうラクだよ。ちゃんとしたときは着ないけど、コンビニとかパチンコ行くとき着るか〜、と思っただけ。パチンコの服なんて何でもいいからな。カレーうどん跳ねても悲しくないし」

 思ったよりだいぶ雑な理由だった。

「いいや、信じない!」小宮山さんが信じてなかった。「なんでも良いなら、どうして小さなお花の帽子なんて被ってるの! それはいらないはず!」

「これもセットで福袋に入ってたんだよ。使わないとかわいそうだろ」

 思ったよりだいぶ可愛い理由だった。

「くそっ!」と小宮山さんは拳を握りしめた。これほど意味の分からない「くそっ!」があるだろうか。

 私は改めてリオさんの全身を観察する。ごてごてのドレスを難なく着こなしていた。煙草も妙にマッチしている。

「打っていけば?」リオさんは自分の隣の台を指さした。「そこ、ずーっとおっさんが打ってて無風だったけど、私のカンだとそろそろ出るよ」

「わかった」小宮山さんは真顔で頷いた。「打つ」

 打つんかい。

「じゃあ私、近くの喫茶店にいますね」私はため息まじりに言う。「休日つぶした罰として、儲かったら奢りに来てください」

「任せときなって」

 小宮山さんが腕まくりをした。

 お金がゼロになる相が出ておるな……と私は思った。

 映画はまた後日、1人で観に来よう……と私は思った。

 まとまりのない日曜日になったな……と私は思った。

 でも、リオさんが大勝ちする可能性に賭けて、ちょっと高い喫茶店に行ってみようかな。

 

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