第87話 役者根性
冬のあいだは写真部に設置されたこたつが人気で、いつ訪ねても人でごった返していたのだが、今となっては遠い昔。湯野未亜さんに呼ばれて久々に行ってみたものの、すっかり閑古鳥が鳴いている。
「ここ、他に部員いないんですか? 湯野さん以外見たことないんですけど」シンプルなスツールに腰掛けながら私は聞く。
「全部で4人だよ。品評会ひらくとき以外は、みんな写真撮りに行ってるか、映像部でゲームしてるかのどっちかだね。この写真部ってじつは1回潰れてて、映像部から『のれん分け』みたいな形で復活したものだから。あと、映像部にはプレステ1と3がある。私は新参者で、映像部に友達いないし、ゲームもやんないから」
「ふーん」
「ふーんって。自分から聞いたくせに」
「マナーとして、世間話を一応やってみただけです。どうせ新しい小説読んでくれって言うんですよね? さっさとやりましょう」
「ムードないなあ」
「ムードが必要なんですか?」
「必要というか、その、今回のは」もごもご言ったあと、急に湯野さんは立ち上がった。「やっぱりダメだ! 導入を間違えた! 今日は帰ってくれ!」
「何ですかそれ! 帰らないです!」
「帰れ!」
「嫌だ!」
「時間を無駄にしなくてすむでしょ! 帰って!」
「わざわざここまで来た時間が無駄になるから嫌です! 読ませて!」
不毛なやりとりを体感で30分も続けたあと(じっさいは2分ほどだろう)、ようやく湯野さんが折れた。
「読んでください。私の新しい小説です。締め切りが2週間後の文学賞に応募しようと思ってます。客観的な意見が聞きたいです。よろしくお願いします」
差し出されたのは、ダブルクリップで留められたコピー用紙の束。けっこう薄い。
「前みたいな大作じゃないんだ」
「今回はエンタメじゃなくて純文学の賞だからね。といっても、私は『面白さ』から逃げるつもりはないのだが」
「なんすかその口調」
「なんすかってなんすか」
なんすかってなんすかってなんすか、とか不毛なやり取りパート2に突入しても良かったのだけど、賢明な私は思いとどまり、『タイトル未定』とだけ書かれた紙束の1枚目をめくる。
湯野さんが「ほんとに読むんだ!」って感じで大げさに息をのんだ。
読みづらいなあ。
で、わりと冒頭。
主人公の女性が青い傘を手にするシーンで、私は原稿から顔を上げる。
「そういえば小宮山さんもこないだ青い傘買ってたなあ」
「そうそう、コミちゃん大はしゃぎして。4万円もする傘だって、みんなに見せびらかしてたよね。雨降ってないのに。日差しも弱いのに」
「そうとう嬉しかったんでしょうね」
「あの傘のイメージを拝借させてもらったの。でも、そのキャラはコミちゃんがモデルってわけじゃないよ。見た目も性格もぜんぜん違うから。というか。きみ。いちいち細かい文章に反応しないでよ。一気に読みな」
はあーい。と私は黙って読み進めることにする。
大まかなストーリーはこうだ。
主人公の女性が雨宿りのためにバス停に向かうと、見知らぬ男性から青い傘を渡される。「返さなくていいから」と言い残し、男はバスに乗って去る。家に帰った女性は、その傘が高価なものであることに気づく。ネットで調べると4万円。さすがにもらえないと思い、少なすぎる手がかりから傘の持ち主を探そうと思い立つのだが……。
のだが……。
のだが……。
ようやく男と再会した女性は、わりと短いやりとりのあと、なんか急激にいやらしい感じのムードになり、ほぼ外、みたいな場所で服を脱ぎはじめ……。
そして……。
これは……。
「エロ小説なんですか??」
「そんな言い方するなよ!」真っ赤な顔で湯野さんが憤慨した。「純文学だ! 愛にまつわるすべての要素を突き詰め、抽象化した、高度な表現だ!」
「いやいや……痴女じゃないですか。男の方もクールな感じ装ってるけど、ガツガツしすぎだし」
「純文学の男女関係ってそんなもんだろう!」
「そんなもんかもしれないけど!」
そんなもんかもしれないのか?
「エロが主題じゃない! もっと大きなテーマのために必要なシーンなんだ! 最後まで読んでよ! 自信あるのは最後の1行の余韻なんだよ! 圧倒的な余韻を感じてくれ! こんなこと作者に言わせるなよ!」
「いやあ、でもお」私は口ごもる。「なんかあ、主人公を小宮山さんのイメージで読んでたからあ、エロいシーンはちょっと読みづらいっていうかあ」
「コミちゃんとは見た目も性格もぜんぜん違うんだって」
そうは言われても。
ルックスに関する描写がほぼないので、青い傘のシーン以降、完全に配役が小宮山さんで固定されてしまった。
小宮山さんが男と唇を重ね、すごくいやらしい重ね方に移行し、ねっとりした感じに身体を絡ませ……とても読んでいられない。
エロ小説を作者の前で読み、その反応をうかがわれる、という状況も異常すぎる。私もだんだん顔が赤くなってきた。湯野さんも湯野さんで、恥ずかしいのか何なのか、身じろぎばかりしている。
濡れ場に突入した途端、文体が激変しているのも気になった。
淡白な表現が多かった前半とは打って変わって、ねちねちした描写が微に入り細に入り、延々と続くのだ。
「エロいシーンだけ別人が書きました?」私は耐えきれずに言う。
「途中で口を挟むなって。エロいシーンのためだけに官能小説20冊買って勉強したんだよ。男向け12冊、女向け8冊」
「内訳聞いてないんですけど……。エロをがんばりすぎたせいで、前半と後半のつなぎがうまくいってないような」
「へえー、それがきみの批評ってわけかい。前半と後半のつなぎをうまいことやれば、この小説は大賞を取れるってわけかい。そいつが神の視点ってわけかい。ベッドシーンを上から覗き見ってわけかい。ご機嫌だね」
「真っ赤な顔で変なこと言ってますよ」
「真っ赤な顔はそっちもだろう」
「いや私は……小宮山さんがエロいことしてる感じで読んじゃったから! 見たことも聞いたこともない種類のエロ作業を小宮山さんがやってる感じになってるから!」
「コミちゃんとは違うんだって! じゃあ配役いま決めるよ! 有村架純だ! 有村架純で読め!」
「有村架純がこんな役やるわけないでしょ! だいたい小宮山さんと似てないし!」
「コミちゃんと似てないほうが良いってきみが言ったんだろうが!」
「そうだけど! 小宮山さんが降板して有村架純というのは納得いかない! 有村架純が降板してハスキー犬が代役やるぐらい意味わかんない! そもそも有村架純はこんな役やらないし!」
「有村架純の役者根性なめんなよ! 有村架純は価値のある作品の必要なシーンなら何だってやるよ! じゃあ壇蜜で読むか? 意外性ないだろ! Vシネマみたいになるだろ!」
不毛なやり取りが、今度は本当に30分ぐらい続いた。
私たちは疲れ果ててぐったりした。ものも言わなくなった。
「良いコンディションのときに読んでもらいたいから」と湯野さんが力なく言って、今日はお開きとなった。私はほっとしました。
部室に寄って帰るつもりだったけど、もし小宮山さんがいたら顔を見られないし、なんか変な気分になりそうでもあったので、さっさと帰宅。だらだら過ごしたあと、YouTube観ながら5時間かかって課題のレポートをまとめ、深夜2時就寝。文学的な価値もなく、圧倒的な余韻も味わえない、平凡な1日の終わり。
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