第83話 今日は吉日?の巻

 隣を歩いていた小宮山さんが、すてーん、ときれいに転んだ。

 うつ伏せに倒れ、ハンドバッグは放り出され、中からリップがころころと飛び出している。

 私は横にかがみ込んで、「大丈夫ですか?」と声を掛け、散らばったバッグの中身を集めてあげた。

 今日の小宮山さんは24歳。さっき大学のカフェで偶然会って、まだ5分ぐらいだ。だから、どんなキャラクターなのかがまだわかっていない。

 小宮山さんは自力で立ち上がった。

 そして、まるで転んでいないかのような顔つきで、むしろなぜキミはそこにしゃがみ込んでいるの? というような表情で私を見おろした。

 あー、そう。そういうタイプ?

 私たちは再び歩き出す。

 授業は違うけど、2人とも8号館が目的地だ。

 廊下で別れるとき、「終わったらここで待ち合わせて、お昼食べに行きません?」と私が言うと、「そうだね」とクールに言い残して小宮山さんは立ち去った。


 授業が終わってさっきの場所に戻る。

 すでに小宮山さんが待っていた。スマホも見ず、腕組みをして、斜め上を見ている。私も同じ方向を見てみたけど、換気口があるだけだ。

「ランチどこにします? 久しぶりにホムナイ行きます?」と歩いて5分のベトナム料理店を私が提案すると、小宮山さんはまたしても「そうだね」と答えた。このとき絶妙に滑舌が悪く、「ふぉうだね」と聞こえた。「フォーだね」と言ったのかもしれない。だとしたら意気込みがすごい。もう注文の練習をしている。

 歩道をカツカツと進む小宮山さん。早足だ。ちなみにカツカツというのは雰囲気であって、じっさいには小宮山さんはカツカツと足音を立てていない。ヒールじゃなくて、歩きやすいニューバランスを履いているからだ。ニューバランスで転んだのか、さっき。何もない道で……。

 と思っていたら、小宮山さんがまた転んだ。

 すてーん!

 と倒れて、真横にある背の低い生け垣にまるごとのめり込んでいった。倒れながら、ふわわ~!とか言っていた気もする。私もびっくりしすぎて、何も手助けできなかった。

 生け垣に埋まった小宮山さんは、カットの声がかかるまで演技をやめない役者のように静止している。しばらくすると、私には見えない監督の声でも受信したのか、ゆっくり起きあがった。顔や髪に葉っぱや小さい枝がたくさんついていた。目に涙がたまっていた。

 私は小宮山さんにくっついたゴミをひとつひとつ取ってあげる。

「怪我してません?」と聞くと、小宮山さんは「一粒万倍日ってあるじゃん?」と変なことを言う。

「一粒万倍日……って、占いとかでよく聞くやつ?」

「そう。年に数回ある、何かを始めるのにもってこいとされる、吉日」

「それが今日なんですか?」

 のわりに、すごい転んでますけど……とは私も言わない。

「いや、今日は仏滅だよ」

「はあ」

「それとは関係なくて」

「関係ないんだ」

「一粒万倍日の逆みたいなさ。転びの万倍日? ってやつなんだわ。今日が。私にとっての」

「転びの万倍日」

「殺しのライセンス、みたいじゃない?」

「みたいじゃないし」

「ゴミ、取ってくれてありがとう。しおりちゃん、きっと良い介護士になれるよ」

「えっ、そういうのやめたほうが良いですよ。ちょっと気の利く女にすぐ『良いお母さんになるよ』って言うような時代錯誤を感じる」

「野球は?」

「は?」

「野球選手の息子さんが、すごい強肩だったりしたら? 良い野球選手になれるよ、とかも言っちゃだめ?」

「うーん。お父さんゆずりだね、ぐらいなら良いと思いますけど。あ、でも母親に秘められた野球の素質がじつは凄まじいって可能性もあるか……。まあ、お父さんとの確執さえなければ、べつに言っても良いのかな」

「確執か。いいね。ドラマを感じる。母を捨てたプロ野球選手の父に復讐するため、自分もプロ野球選手になろうとする少年か」

「……何の話?」

「本人が望んでいないのにも関わらず、息子の野球の才能は明らかだった。父を叩きのめすことのできる唯一の武器と割り切って、少年はプロをめざす。でも少年の才能と努力は、ぎりぎりプロには届かないレベルだった。少年は20年近い時間を注ぎ込んだ野球の道を閉ざされてしまう。しかし、そこから本当の物語が始まるんだ。人生に挫折は付き物。誰だってつまずいて転ぶんだ。そういう話だよ。私が転んだのも」

 小宮山さんは遠い目をしてそう言った。

 何だそれ。

 転んだのがそんなに恥ずかしかったのか?

 私はずっと照れ隠しを聞かされていたのか?

 キメ顔でセリフを言い切ってすっきりしたのか、小宮山さんは颯爽と歩き出す。また少しつまずいて、よろめいたりしている。さすが転びの万倍日と豪語するだけある。意味こそ不明だが。

 ベトナム料理店に足を踏み入れた小宮山さんは、「何名様ですか?」と聞こうとしたはずの店員さんに、開口一番「季節のフォー」と告げた。意気込みがすごい。

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