第82話 モンキースパナの亡霊
あほの藤田くんの動画が少しバズっている。
藤田くんは人形劇サークルの宣伝のため、iPhoneで撮影した公演の様子を毎回YouTubeに上げたりしているのだ。涙ぐましい努力といえよう。私は1回しか観たことないけど。2分でやめたけど。再生回数4だったけど。
しかし、最新の動画「新・白雪姫」(2か月前の公演。衣装を作るのが楽しかった。台本は読んでないし、本番も見に行かなかったので内容は知らない)は、公開から40日間で再生数11だったものが(それでも快挙だ)、2週間前に突如として火がつき、現時点で4万再生を超えている。
種明かしをすれば、悲しいことに劇の内容が良かったからではない。
心霊動画として注目されているのだ。
開始から6分18秒の時点で、人形を操作する男(藤田くんの知り合いで、私は知らない人)の背後に、ぬるっ、と髪の長い女の顔のようなものが浮かび上がり、2秒ほど微笑んだあと闇に溶けていく。
首から下はない。
立派な心霊動画だ。
私と小宮山さんは、その動画の存在じたい知らなかった。
藤田くんが軽く説明しながら、ノートPCを部室のテーブルにセットする。
私たちは身を寄せ合って動画をチェックした。
「わー、本当だ! 顔だ!」と小宮山さんが声を上げる。ちなみに今日の小宮山さんは41歳。喋らなければ、腕の良い女医さんみたいに見える。女医って今あんま言わないか。
「家で1人で見てたら無理だったかも」私はちょっと気分が悪くなった。
「怖いの苦手なんだ?」
「苦手ってほどでは。でも、さすがに自分たちが関わっている公演だと」
「関わってるって……2人とも観にも来なかったのに」と藤田くんが苦い顔をした。
私も小宮山さんも、衣装や小道具の製作はやるけど、本番はたまにしか行かない。人形の操作とかは、藤田くんの知り合いの人形使いたちが毎回やるしね。人形使いって言い方で合ってるのか? 私は何も知らない。
まあそんなわけで、動画に映り込んでいるのは私たちではない。
「この日、関係者に女性は何人いた?」小宮山さんが画面を見ながら聞く。連続ドラマの女刑事みたいな所作だ。女刑事って言わないか、今どき。
「女の人はいませんでした。髪の長い人も」と記憶を探りながら言う藤田くんは第一発見者みたい。
「じゃあ100%幽霊じゃん」小宮山さんは両手を挙げて、一瞬で女刑事の職を辞した。
「100%なわけないでしょ」私は怖いのであまり画面を見ない。「光の加減とか、反射とか、いろんな条件が重なっただけじゃないですか?」
「てかさあ、この女の人、誰かに似てない?」
「私も思ってました!」
「僕は心当たりがないな」
「……芸能人だな。井川遥か?」小宮山さんが神妙な顔で言う。
「あー。でも、もっと病的な感じしないですか? アニャ・テイラー=ジョイとか。マーゴット・ロビーとか」
「マーゴット・ロビーは健康的じゃない?」
「いつのマーゴット・ロビーの話してます? タランティーノのときじゃないですよ。スーサイド・スクワッドのときです」
「アメコミの映画観ないんだよなあ。ベネディクト・カンバーバッチにも似てたよね?」
「えー? マーゴット・ロビーが? あ、アニャ・テイラー=ジョイか! 似てるかも!」
「いや幽霊だよ。幽霊の顔が。ベネディクト・カンバーバッチに」
「ああ」
「怖いけど美しい顔だよね。この幽霊。プレーリードッグのようにも見えるけど」
「カピバラじゃないですか?」
「カピバラだ」
「カピバラだと思うと怖くないかも……いや怖いな。カピバラの顔だけが宙に浮いてるなんて。意味不明すぎる」
「道場六三郎にも似てるかも」
「誰ですか?」
「知らないなら、いい……」
「政治家?」
「知らないならいい。あと他、誰に似てるかな……」
「似てる人を探すゲームでしたっけ?」
「バボちゃんに似てるな」
「バレーボールの?」
「バレーボールの」
「それは似てなくないですか?」
「似てないか」
「何でも言えば良いってもんじゃないですよ」
「厳しいな……そんなシビアなルールでやるもの?」
「じゃあ私も思ったこと言います。地図記号の官公署のマークに似てません?」
「カンコウショ? のマークってどんなだ? ていうかカンコウショって何だ?」
「官公署は……」
「説明しなくて良い。そういうのアリなら、モンキースパナに似てたよ」
「モンキースパナ……工具の?」
「工具の」
「イメージ湧かないですね……似てたかな」
「激似だよ」
「じゃあ、モンキースパナが映り込んでたのかな」私は考え込んだ。
「モンキースパナはあったと思うよ、現場に」藤田くんが割って入る。「でもあれがモンキースパナなわけないでしょう。はっきり人間の顔だよ」
「はっきり人間の顔とか言うなよ! そんなのわかってんだよ! なんとか怖くない方向に持って行こうとしてんだよ!」私は大声を出してしまう。
「落ち着きなさい。本当にモンキースパナだという可能性もある」小宮山さんが女刑事の表情を取り戻した。「昔の人がジュゴンを人魚と見間違えたように」
「見間違えるかなあ。はっきり人間の顔だけど」藤田くんはまだぶつぶつ言っている。こいつは本当にだめだ。
「じゃあ藤田くんは幽霊信じるっていうの?」私はけっこう怒った顔で問い詰める。
「いや、幽霊は信じないけど……」
「モンキースパナの亡霊だね」小宮山さんはもう女刑事じゃなくなってる。「死んだモンキースパナの霊魂が宙に浮かんでいたんだ」
「ああ、うん……」と私。いい加減ばかばかしくなってきた。
「ていうかさあ、これ開始6分ぐらいのとこじゃん?」小宮山さんが新たな視点を提供する。「この退屈を煮詰めたような動画を、少なくとも6分間は観た人がいるってこと? 誰も観てなかったらバズらないわけだし」
「幽霊よりそっちが信じられないですよね」
「ひどいこと言ってるよ、2人とも」
「ねえ見て、しおりちゃん! 解説動画のほうは10万再生いってる!」
「それは僕が作った動画じゃない」藤田くんは悲しそうに首を振った。「無許可だ。使用許可の類いはぜんぶ無視してるから」
「なんで無視するの? 宣伝になるじゃん」私が聞くと、「こういうので話題になっても、お客さんの質が落ちるだけだよ」と藤田くんはそっけない。生意気だ。
「まあ、なんか偶然が重なって誰かの顔が映り込んだか、顔っぽく認識できるものが表示されたってだけでしょ」飽きたのか、小宮山さんが急にシメに入った。「良かったじゃん、美人の顔で。汚物とかじゃなくて」
「なんでそんなきもいこと言うんですか」と私。
「これで過去の動画も再生数伸びたんじゃない?」
「いちばん多いので14回です」と藤田くん。
私と小宮山さんは無言で顔を見合わせた。
じゃあ、どっちにしろお客さんなんて増えないじゃん。なにがお客さんの質だよ……と言いたいのを必死にこらえる。
藤田くんがノートPCを閉じた。
沈黙。
「帰るか」小宮山さんがすぐに沈黙を破った。
「今日うちに泊まりません?」と私。
「怖いから?」
「怖いからです」
「じゃあ……泊まってあげようかな。もてなしてね」
「わーい。おもてなし、しまあす!」
私は小さくバンザイした。そして感謝した。モンキースパナとか、地図記号の官公署とか、カピバラとか、ベネディクト・カンバーバッチとか、スーサイド・スクワッドのときのマーゴット・ロビーとか、クイーンズ・ギャンビットのときのアニャ・テイラー=ジョイとか、何のときかわからないけど井川遥とか、そんな、いろいろなものに似た幽霊に。
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