第70話 お説教
最近は部室に近づこうともしなかった小宮山さんが、私より先に部室にいた。
しかも何か熱心に布を貼り付ける作業をしている。今、とくに急ぎの作業とかなかったはずだけど……。
その前にまず、今日の小宮山さんの見た目に言及しておこう。
かなりレアリティ高めだ。
年齢は16歳ぐらいだろうか。ハリのあるお肌に、ちょっとウェットな韓国メイク。髪なんて、顔の周りだけハッシュカット風で、色は明るめのグレージュだ。K-POPアイドルグループの端っこにいる、可愛いけどすぐ辞めちゃう子、みたいな印象。
「何作ってるの?」小宮山さんが明らかに歳下のときは、私はタメ口だ。「藤田くんに何か注文受けた?」
「えー? 何でもないよ」と小宮山さんもタメ口で返す。私より歳下の時は敬語を使うことが多いのに。
「何でもないってことはないでしょ」
「ボンド使いたいだけ」
「ボンド?」
小宮山さんの手には手芸用のボンドが握られていた。
「このボンド、使い切ってやろうと思って」
「なんで?」
「意味はない。中途半端に残ってて気持ち悪いから」
小宮山さんは余り物の端切れのいたるところにボンドを塗りたくり、なんでもかんでも無意味に貼り付けている。
「無駄遣いやめてよ。いつも私が自腹で補充してんだよ」
「え〜?」小宮山さんはボンドをテーブルに置いた。「わかったよ。うるっさいな……」
うるさい?
うるさいだと!
私は小宮山さんと向かい合って座る。
「小宮山さんさあ」
「えー……なに?」怒られる雰囲気を察してか、小宮山さんは顔をそむけた。
「前から言おうと思ってたんだけど。もうちょっと真面目にやってくれない?」
「べつにいいじゃん、サークルなんて」
「べつにいいけど。サークルなんて。でもせっかくやってるんだからさ。あんまりふざけられると迷惑なんだよね。あと小宮山さん、よく水出しっぱなしにしたり、電気付けっぱなしにしたりするじゃん? ああいうだらしないところ、ちゃんとしたほうが良いよ」
「それは今関係ない」
「ペットボトルのフタもちゃんと閉めないし」
「もっと関係ない」
「それにさあ」
私のお説教スイッチが完全にオンになってしまった。細かい生活態度にはじまり、小宮山さんが何回も留年していることとか、生き方がふらふらしていること、将来を見据えて動いたほうが良いとか、そんなクリティカルなことまでねちねちねちねち言い続ける。
たまーに、私はこういうモードに突入してしまうのだ。
最初は不服そうにしていた小宮山さんは、だんだん頬を膨らませ、不機嫌になり、やがてうつむき、最後ちょっと泣いてしまった。
そこでようやく私はハッと我に返る。
「……ま、まあ? 急には無理だろうけど? 明日から気をつけてくれたらいいよ。今日はもう出よう。ファミレス行こう。おごってあげるからさ」
説教のあと酒飲みに連れて行こうとする、昭和のおじさんのようなことを言ってしまった。
私の中にいるのかもしれない。昭和のおじさん。
ぐすぐすベソをかいている小宮山さんと、大学近くのファミレスに向かう。
可愛くておしゃれな女の子を連れて歩いて、私の中の昭和おじさんもご満悦だ。
「なんでも食べなよ」昭和おじさんに憑依されている私は偉そうに言った。
昭和おじさんと違って、ファミレスを奢るほどの財力を持たない私だが、バイト代が入った直後で気が大きくなっている。
私はサーロインステーキに、ライスとコンソメスープを付けたセット。1650円。
小宮山さんはジャンボおろしハンバーグとカットサーロインステーキが両方入ったプレートに、石窯パンとサラダのセット。そしてセットとは別のオニオングラタンスープを付けて2530円。
まあいいけど。
「まあいいけどさあ!」私は再点火する。種火を切り忘れていたのだ。「怒られた直後にこんな食うかね? 私が苦労して1500円以内におさめて、消費税で1650円になってるのにさあ! 余裕で2000円オーバーしてくるかねえ!」
「え……なんでも食べて良いって言ったから……」
「なんでも食べて良いよ! なんでも食べて良いけど私がセットのコンソメスープ頼んでるのになんでセット外からオニオングラタンスープ召喚するかねえ! なんで明らかにスープ対決で超えてくるかねえ!」
「飲みたかったからっ……」
小宮山さんはビクッと震えて縮こまった。
そこで私は再び我に返る。
「ま、まあ……食事は楽しく食べたほうが良いから、もう言わないけど」
しーん。
まったく楽しくない雰囲気だ。
小宮山さんはサラダバーの権利を得ているのに、ぜんぜん取りに行かなかった。
二人ともスマホすら見ない。
重い沈黙に押さえつけられている。
私の中にこんなやっかいな昭和おじさんが眠っていたとは。
それに16歳のK-POPアイドル風の、一見すると生意気そうな小宮山さんがこんなに打たれ弱かったとは。
料理が運ばれてきた。
幸いなことに、二人分同時だ。
良い匂いのする湯気が私たちのあいだに立ちこめた。ちょっとだけ雰囲気が和らぐ。2人とも無言で食べる。
食べる。
食べる。
食べ……私は顔を上げた。
「めっちゃおいしくない!?」
「これおいしくないですか??」
私たちはほとんどユニゾンで言った。
何かから解放された私たちは、うまいうまいと口々に言いながら、これひと口どうぞ、でしたらこちらはこれをどうぞ、などと細かい品目を交換しさえした。デザートも奮発した。お会計6000円いった。
でも私たちは、笑い声を白い息に変換しながら、肩を寄せ合って駅まで歩いたのだ。
おいしい食べ物は友情を救う。
6000円なんて安いもんだよ。
楽しい〜、と思いながらも私は心の隅で、制御不能の昭和おじさんを封印するため、霊媒師のサイトでも見てみようかしら、などと不穏なことを考えたりしている。
あれは化け物だよ。
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