第69話 大当たり

 小宮山さんのバイトがあと30分で終わる。

 スマホ見ながらフードコートで待っていると、ふと「この状況、リオさんがふらっと現れるパターンだよなー」という考えが浮かんでしまった。

「お、忠犬ハチ公」

 私に向かって誰かが言う。絶対にリオさんだ……と思いながら顔を上げると、やっぱりリオさんが立っている。

 私はできるだけ大げさにため息をついた。

「また犬あつかいですか? ワンパターンですね」

「犬だけに?」

「え?」

「ワン・パターン」

「しょうもな」

「ワンワン」

「犬語で返事しないでよ。私って、そんなにも小宮山さんの犬ですか? 小宮山さんの調子によっては、私が飼い主っぽいときもあるんですよ」

「ないよ」

「人間に戻った」

「ハロー」リオさんはエプロンを脱ぎながら、私の向かいではなく、なぜか隣に座る。「お前は犬だよ。私とコミが共同で飼ってる犬。神社で」

「家で飼ってもらえない子がやるやつじゃないですか。昭和のドラマとかで」

「何飲んでるの?」

「え? そこの紅茶ですけど」

「いちばん安いやつじゃん」

「もうすぐ小宮山さん来るので」

「お腹空いてない? ハチ公はご主人がいなくなったあと、渋谷の屋台でエサもらってただろ? バインミーとか。私もなんか奢ってあげるよ。何がいい? ケバブ?」

「ハチ公がバインミーとかケバブ食べてたわけないでしょ。あと私、お腹空いてないです」

「このあとコミと何か食べに行くんじゃないの? その前に腹いっぱいにして困らせてやろうと思ったのに」

「何ですかその地味な嫌がらせ。今日はレイトショーで映画観るんですよ」

「ポップコーンで腹膨らませるぐらいなら、ここでガパオライス食べておいたほうが良くない? ハチ公みたいに」

「ハチ公はガパオライスも食べてませんよ。それに私、映画観るときは一切食べたり飲んだりしないんです」

「コミは飲み食いするよね?」

「しますね……めっちゃ飲み食いするし、途中でトイレ行くときもありますね。大事なシーンとか関係なく」

「やりそう〜」リオさんが爆笑する。「ぜったい一緒に映画観たくないタイプだわ。そもそも私は1人でしか観ないけどね」

「まあ私もどっちかというと1人派ですけど……でも今回のはホラーなので」

「ホラー映画1人で行けないの? 幽霊とか信じてるの? 可愛いね」

 リオさんがあからさまに馬鹿にしたように言う。

「幽霊は信じてないですけど……ホラー映画の怖さはまた別じゃないですか?」

「占いは信じてる?」

「うーん。良い結果だけ信じます」

「良い結果だけ信じるって言うやつで、悪い結果を無視できてるやつなんて見たことないけどね」

「まあ……そうかもしれませんけど」

「ちなみに私は姓名判断で大凶なんだけど」

「人として大凶ってことですか?」

「言うね。お前は末吉って感じだね。犬として」

「今日やけに絡みますね……」 

「絡んでないよ。機嫌が良いの。競馬で210万勝ったんだから。昨日」

「210万!」

 私は文字通り目を丸くする。

 どこが大凶なんだ。

「だからもう、朝からお喋りが止まらなくて。目に映るすべてのものが輝いて見える。目に映る何もかもが可愛い。ハマチとかイサキとか」

「鮮魚コーナーの話してる」

「お前のことも、可愛くて仕方ないの」

 リオさんが慈愛に満ちた眼差しになって、私の頭をぽんぽんした。

 お、おう……。

 ぽんぽんされている……。

「なんか緊張してない?」

「急にぽんぽんするからでしょうが!」

 急にキャンキャンわめいてしまった。

 これでは小型犬との誹りを免れない。

「ワンワンをぽんぽん。楽しいな」リオさんが頬杖をついて、爽やかに笑いかけてくる。

「酔っ払ってるのかな……様子がおかしすぎる」

「210万当ててみなって。こうなるから」

「そうなるのか」

「まともな思考はできなくなる。210万のこと以外考えられなくなる」

「何に使うんですか?」

「そりゃあ……毎日少しずつ、70歳までちびちび使うよ。コンビニスイーツとか、おかずを一品増やしたりとか」

「意外すぎる。ギャンブル好きの言葉とは思えない……。てか毎日ちびちび使ってたら2年ぐらいでなくなりません?」

「真面目に考えるなよ」

「真面目に考えてみようかな」私は電卓アプリを立ち上げる。「毎日300円をコンビニスイーツに使ったとして、365日で10万9500円。それの50年分で……」

「ぴったり210万だろ?」

「そんなわけないでしょ。あ、でも547万5000円。思ったほどの金額ではないかも」

「210万だと、だいたい20年は持つ計算だな。40歳ぐらいまではいけるってことか。え? すごくない? 40歳までコンビニスイーツ無料なんだよ。210万円の凄さが分かるだろ? 犬にも」

「犬じゃないですけど……犬だとしても電卓使ってる時点で天才犬だし。でもたしかに、20年間毎日コンビニスイーツ無料か……いいなあ!!」


「声でか」


 と、いきなり会話に割って入ってきたのは小宮山さんだ。

 バイト用の20代前半の姿。やわらかなブラウンのノーカラーコートに、淡いブルーのストール。なんだか全体が儚げに見える。

「小宮山さあん!」

 リアルに210万円を引き当てた人と会話をして、静かに興奮していた私は、椅子に座ったまま小宮山さんの腰に抱きついてしまった。

「わっ、なに」

 小宮山さんの少し慌てた声。

「ほぼ犬じゃん。ご主人様が返ってきたときの。やば。しっぽ振りすぎ。うれションしそう」

 リオさんが冷淡な声でぼそぼそ言っている。

 聞こえないふりをして、私は小宮山さんのコートに顔をこすりつけた。わんわん。

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