第71話 難儀な人
部室棟の長い廊下を小宮山さんと歩いている。
今から帰るところで、小宮山さんは機嫌よく昨日観た海外ドラマのあらすじを語り続けていた。
はっきり言って小宮山さんは説明が下手だ。
シンプルなストーリーをバラバラに引きちぎって、洗濯機にかけ、目についたものから結びつけていくような話し方なのだ。
私はそれを聞くともなしに聞いていた。
いきなりどこかの部室のドアが開く。
強く腕を引っ張られ、私はどこかの部室に引きずり込まれる。
どこかの部室のドアが閉じられる。
拉致されてしまった。
拉致されてしまったぞ??
私を監禁しようと目論む犯人の顔を見る。
背の高い、さっぱりした感じの女性。
写真部の湯野未亜さんだった。
湯野さんは私の腕をつかんで離さず、部室の中央に据えられている、いまや写真部名物となったこたつに私を連れ込んだ。
ほとんど竜巻に飛ばされたドロシーのように、私は何も抵抗できない。
こたつを挟んで私の向かいに座ると、湯野さんは眼鏡の位置を素早く直して、机ににA4のコピー用紙をどさっと置いた。
「短い詩のようなものをいくつか書いてみた。今まで長いのしか書いたことなくて。ひょっとしたら私は短いもののほうが向いてるのかも? と思っちゃってね。あと、こっちは純文学っぽいやつ。じつは私はエンタメの人じゃないのかもしれないという閃きがあったものだから。あ、脚本風のものもあるんだ。ちゃんとした脚本の書き方ではないけど。脚本家という道もなくはないと思うんだよね……そうそう、映画評のブログも始めた。映画ライターから入るって手もあるし。最近だと、コミックの原作とかソシャゲのシナリオという方法もあると思っててえ……」
ずっと何言ってんだこの人……と私は思い、ずっと何言ってんだこの人……の顔で湯野さんを見つめ続ける。
「何か言ってよ」
「何か言ってよじゃないですよ。大丈夫ですか? ちゃんと寝てます?」
「11時間寝てるよ」
「11時間寝てそれなら、なおさら心配ですよ。まともなコミュニケーション取ってくださいよ。山賊じゃないんだから」
そこでようやく湯野さんは、ハッと我に返ったような顔になる。
「ごめんなさい私……自分で書いたものを読み返してたら興奮してきちゃって。吉野さんに見せに行こうと思ってドアを開けたら、吉野さんが目の前にいたから。もう何が何だかわからなくなっちゃって」
意外と直情的な人だな……まともそうに見えるのに。
可愛いといえば可愛いけど。
「それを読んで感想言えば良いんですか? 私、そこまで読書家ってわけでもないですけど」
「そういう普通の人の意見が聞きたいわけ。普通の人がこぞって買うのがベストセラー作家の本ってものでしょ」
「それだったら、わざわざ私でなくても……」
「前に言ったと思うけど、自分の小説を誰にも見せたことないんだよ、私は。賞に応募したって、最終選考ぐらいには残らないと何の感想ももらえないし。こないだ吉野さんがたまたま読んでくれたから、これも何かの縁だと思ってさ」
「たまたま? たまたまだったかな……?」
「たまたまだよ。たのむよ~、私の人生の唯一の読者なんだよ」
「荷が重いですよ……。ネットに載せて反応みるとかしたらどうですか?」
「そんなん誰も読まないよ。あと、私はあのアホらしいバズの文化とは無縁でいたい」
言うことだけは、いっちょ前なんだよな……。
仕方なく私はいちばん上の紙束を手に取って、目を通す。
400字におさまる程度の短い小説がいくつか。
正直、ぜんぜんぴんと来なかった。
ショートショートみたいにオチがあるやつじゃなくて、なんかふんわりとした……情景描写? みたいなのの断片のような。
「長い小説の一部を切り抜いたような文章ですね」私は苦労して、そんな感想をひねり出す。そして、あわてて付け足した。「私は好きですけどね」
「あ、わかってくれた!」湯野さんの顔がぱっと明るくなる。「そうなんだよ。変にオチのあるショートショートとかさ、私はあんまり良いとは思わない。それより、心の奥底に眠る記憶を呼び起こしたり、新しいイメージを植え付けたりするような、シャープな描写。そういうものにこそ興味があるんだよね」
私はベタにオチがあるやつのほうが読んでて落ち着くかな……文学少女じゃないし。と思ったけど、うんうんと頷くにとどめて、何も言わなかった。
「あと、これ読んでみて。さっきも言ったけど、ちょっと脚本風に書いてみたんだ。俳優も私の頭の中には明確なイメージがあって、ほとんど当て書きに近いんだけど。あえてそれが誰かは言わないね? 吉野さんが読んで、配役も考えてみてよ。それが私の考えと同じだったら嬉しいし、ぜんぜん違っても、それはそれで勉強になるし」
うっ……けっこう面倒くさいかも。
時間がないとか言って帰ろうかな……。でも急だと不自然だし。
少しは読むか。
と思って読み始めると、突然、湯野さんが取り乱した。
「わあああー!! やっぱりだめだあ!!!」
私の手からコピー用紙を奪い取ろうする。私は反射的に力を込めて離さない。すると湯野さんは紙の上でめちゃくちゃに手を動かして文字を隠した。
「読めないんですけど」
「読まなくていい! 恥ずかしくないふりしてたけど、やっぱり恥ずかしい! 死にたい! 死ぬ! 死んだ! 返して! 返してください! ここで見たことはぜんぶ忘れてください! 清らかな日常に戻ってください!」
いやいや……惨劇の村の少女かよ。
情緒がすごい。
湯野さんは私からコピー用紙をむしり取って胸に抱えた。
息が荒い。顔が真っ赤になっている。
「べつに恥ずかしがるようなことはないと思いますけど……」
「恥ずかしいよ。秘密の日記を盗み見されたようなものだよ。なんてことしてくれたんだ」
「むりやり見せられたんですけど」
「もう帰って。誰とも話したくない」
なんて言い草ぐさだ……。初登場時の常識人っぽい印象はなんだったんだ。
私の周囲にまともな人間はいないのか?
とそこで、私は小宮山さんを完全に放っぽっていることを思い出す。
小宮山さんに海外ドラマの話を聞かされながら帰宅しているところだった。
遠い昔のことのようだ。
私がいないのに気づかず、小宮山さんが今もずっとドラマの話をしてそうで恐い。
空気に向かって。
帰るか……。
と思ったタイミングで、写真部の扉がバーン! と音を立てて開かれた。
「あー、! ここにいた!」
小宮山さんだった。24歳の姿。茶色のワンピースにクリーム色のチェスターコート。遠い昔どころか、15分前に見たままの格好だ。
「しおりちゃんいないのに気づいてなくて、私ずっと空気相手にドラマの話してたじゃん! 落語家さんみたいになってたじゃん!」
予想通りかよ。
「どこら辺で気づいたんですか?」
「もう正門出てたよ!」
「遅」
「ほんと探したよ~。売店も食堂もぜんぶ見たし。コメディ映画とかで人を探すとき、ゴミ箱の中とか見るシーンよくあるじゃん? あれも一応やったのに」
「やんなくていいよ。ゴミ箱にいたら猟奇じゃん」
「急にいなくなるからだよ」小宮山さんが勢いよくこたつに侵入してくる。「ここで何してたの?」
数秒間の変な沈黙があった。
「あ、お茶いれるね……」紙束をそそくさとファイルケースにしまってから、湯野さんが立ち上がる。
「私、コーヒーがいい」と湯野さんの後ろ姿に声をかけて、小宮山さんは肩までこたつに入った。「はー。あったけー」
「あんまりこたつ布団めくらないでよ。寒いじゃん」と注意してから、私は湯野さんの様子を窺う。
電気ポットの前。
湯野さんはパタパタと自分を手で扇いで、顔のほてりを冷ましていた。
難儀な人だ。
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