第72話 人形は踊る

 部室の外まで音楽が漏れている。

 何だ?

 と不安に思いつつドアをそっと開けると、爆音が響いた。

 私は慌てて中に入り、戸を閉める。

 何これ。音量だけならパチンコ屋さんみたいだ。バッハだからパチンコ屋っぽくはないが。いやパチンコ屋の音楽知らんけどね。小フーガ・ト短調を馬鹿でかい音量で流すパチンコ屋さんもあるのかもしれない。

 しかし、この状況は何だ?

 部室が何者かに乗っ取られている可能性はないか?

 私はそーっと部室の中央に近づいた。


 あほの藤田くんが踊っている。

 壁を向いて踊っている。

 すごい踊っている。

 火星人のダンスみたいなのを踊っている。


 私はそーっとソファに座った。

 こちらに背を向けている藤田くんは、私に気づいた様子がまったくない。

 それくらい音が大きい。

 だんだん耐えられなくなってきた。

「おい! 藤田くんとやら!」

 私が手を叩きながら声をかけると、藤田くんはいきなりダッシュした。

 目の前に壁があるのに。

 そしてまっすぐ壁に激突する。

 いやいや……どういうバグり方よ。

 壁に阻まれて停止していた藤田くんは、壊れかけのロボットみたいに、ゆっくり私を振り返る。

 目が合う。

 藤田くんの顔からみるみる人間らしさが失われ、形が崩れ、どろどろになり、鋳型に流し込まれ、再構築され、最後にはいらすとや、みたいな顔になってしまった。

 もともといらすとや、みたいな顔だったのかもしれない。

 恥ずかしかったってことか?

 表情の変化が不気味すぎる。

 藤田くんは咳払いをして、「ふう」とか言いながらPCデスクに座り、おもむろに音楽を止めた。

 ようやく部室に静寂が取り戻される。

「ふう、じゃないよ。何なの今の」私は冷淡に言った。

「今の、とは?」しらばっくれる藤田くん。

「何であんなデカい音出すの。近隣の部室までうるさいじゃん? 藤田くんって、そういうところはしっかりしてるタイプじゃないの? びっくりだよ。踊ってるし。なんか嫌なことでもあった? 踊ったりして。話を聞いてあげたり……はしないけど。他人に迷惑かけるストレス解消の仕方は良くないよ。踊りも奇妙だったし」

 私に詰められた藤田くんは、「にっ、にっ」と変なことを言った。

 ふざけてるのか?

「に?」

「にっ……人形の!」

「人形の?」

「気持ちになってみようかと」

「何を言っとるんだねキミは」


 水をがぶ飲みして、やや落ち着きを取り戻した藤田くんの説明によると。

 次回公演の演出を考えていて行き詰まり、「逆に、操られている人形たちの側から物事を考えてみよう!」と思った。とのことだった。

「今書いてる脚本、宮廷ミステリーだからさ。舞踏会でみんなが踊り狂っている最中に殺人が起こるという。その場面を自分で演じていたわけ。人形になりきって」

「殺人事件? ずいぶん大人向けの人形劇だね……」

「次の公演、老人ホームのボランティアでやるやつだから」

「なおさら殺人とかやめたほうが良くない?」

「いや。相手がお年寄りだからってナメた演目は良くない。老人ホームみたいな場所でこそエンタメに徹しなければならない」

 柔和な見た目とは裏腹に、創作に関しては尖ったやつだよ、ほんと。

「まあ、がんばって、としか言えないけど」私はこの件に関して急速に興味を失いつつある。「踊るにしても、音は小さくしてよね」

「ああ、ごめん。興が乗っちゃって」

 一瞬の沈黙。

 そこにノックの音が響いて、小宮山さんが現れた。

「うー、2号館のトイレ寒いね!」手を擦り合わせながら言って、小宮山さんは私たちの微妙な空気を察する。「どしたの?」

 今日の小宮山さんはアラサーぐらいだろうか。

 私だったら着ぶくれ間違いなしのゆったりニットをエレガントに着こなしている。

「お邪魔だったら出てくけど」とか言いながら小宮山さんは私の隣に座った。

「そんなわけないでしょ」私はため息をつく。「じつは藤田くんが踊ってて」

「すぐ言うんだ……」と藤田くんが絶望する。

 あ、やっぱさっきの見られて恥ずかしかったんだ?

 でも私は構わず、かいつまんで事情を説明する。

 うんうんと頷いていた小宮山さんは、話を聞き終えるとキリッとした顔つきになった。

「なるほど、よくわかったピピ!」

「……ぴぴ?」

「藤田くんの主張、とても立派だと思うピピ。人形の気持ちになって演出する……この人形劇サークルにかける、真摯な思いが伝わってくるピピ!」

「だからピピってなんだよ」

「よし、決めたピピ!」私を無視して小宮山さんは立ち上がる。「今から、3人で踊るピピ! 人形の気持ちなんて、全員が分かってたほうが良いに決まってるピピ!」

「まずそのプリキュアのお供の妖精みたいな喋り方の説明してくれよ」

「ひょっとして」と藤田くん。「もうすでに、人形の気持ちになっているのでは……?」

「ピピッ!」小宮山さんは藤田くんに向かって親指を突き出す。正解らしい。「さあ、音楽をかけるピピ!」

「よーし!」と急に乗り気な藤田くん。

 再び鳴り響くバッハ。

 適切な音量の小フーガ・ト短調。

 私たちは踊った。

 思い思いに。

 人形の気持ちになって。

 火星人のように。

 ヨガ教室の中級者向けコースのように。

 打ち捨てられた古代文明のロボットのように。

 なんで私たち踊ってるんだ? と途中で思ったりもしたけど、はじけるような笑顔の小宮山さんを間近に見ることができて、意外にも良い体験だったピピ。

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