第65話 通り魔
私と小宮山さんは部室にこもって真面目に人形作りに精を出していた。
今日の小宮山さんは17歳。シンプルな黒いニットに90年代風の可愛いチェックのスカート。髪はツインのお団子にまとめている。いいじゃん。
しかも珍しいことに、今日の小宮山さんには集中力があった。今も一心不乱に目玉を縫い付けている。
いいじゃんいいじゃん。
私はときどき手を止め、懸命に針を動かす小宮山さんを眺める。胸に温かいものが込み上げてくる。
孫を持つおばあちゃんの気持ちか?
あまりに根を詰めても孫がかわいそうなので、私から休憩を申し出て、紅茶をいれてあげた。
「殺人事件あったんですよね」
マグカップを胸に抱え、窓の外を見ながら小宮山さんが言う。
数日前に、大学のすぐ隣の路地で若い女性の刺殺体が見つかったのだ。
「たしか6号館から見える位置だっけ」と私。
「まだ犯人捕まってないって」
「通り魔かなあ。駅に行くほうの道じゃないから良いけど」
「いや怖いですよ! 駅に行くほうの道も暗いところあるし! 気をつけないとダメですよ!」
年下のときはきちんと私に敬語で喋る小宮山さんが、両手をぶんぶん振って可愛らしく訴える。おっほっほ……そのあざとさも可愛らし。
そのとき急にドアが開いて、あほの藤田くんが登場した。
「ノックしなよ。こんな簡単なルール覚えられないの?」私は藤田くんを睨む。
「ごめん、最近は誰も来なかったから……」
「誰もいなくてもノックするんだよ。いただきますとごちそうさまは誰もいなくても言うのと同じ。子供でもわかることだよ」
私は小宮山さんと2人きりの時間を邪魔された怒りをぶつけている。
「悪かったよ」と藤田くんは謝り、部室の窓に施錠した。「もう日も暮れるし、帰ったほうが良い。殺人事件あったの知ってるだろ? 犯人が捕まるまでは、遅い時間の作業はやめにしよう。2人とも駅まで送って行くよ」
私と小宮山さんはしばし沈黙し、それから大笑いしてしまった。
「なんかカッコいいこと言ってる〜」「通り魔が来たら盾になってくれるんですかね?」「通信教育で空手習ってたりして」「ここはオレに任せて先に行け!とか言うのかな」「犯人を羽交い締めにして、『オレごと撃て!』とかね」
私たちにさんざんなことを言われながら、藤田くんは照れたような、困ったような、不思議な顔をしている。
なんか、少しかわいそうになってしまった。
「せっかくだし、送ってもらおうか?」
「そうですね。怖いのは怖いし」
「じゃあ藤田くん、お願いね」
私たちはそそくさと裁縫道具を片付けはじめる。
そのとき藤田くんのiPhoneが鳴った。
「ごめん。すぐ戻る」と私たちに断ってから藤田くんは電話に出る。「ああ、いま大学。もう出るところだよ。えーと、7時にはそっちに着くかな。え? ほんとに? ふふふ、それはないよ」
などと声をひそめて楽しげに通話しながら、藤田くんは部室を出て行った。
私たちは顔を見合わせる。
「彼女かな」と私。
「まさか」
「まさかってことはないでしょ」
「どうせ人形劇関係の人ですよ。藤田さん、人形劇関係の人間関係えぐいから」
「彼女じゃないかなー。それか好きな人。そういう人ができたから、さっきカッコいいこと言ったんだよ」
「どういうことですか?」
「女を守らなければ、みたいな感覚が芽生えつつあるとか?」
「あはは、なんですかそれ。昭和じゃないですか」
「昭和ってか、マンガ?」
などと言ってるうちに、帰り支度は終了。
ところが10分待っても20分待っても藤田くんが戻ってこない。
「なんだあいつ」私は悪態をついた。
「外もう真っ暗ですよ」
「事件あったのも意外と早い時間なんだよね」
「帰ります?」
「帰ろっか。まだ人が多いうちに」
私たちは大学を出て大通りを歩く。
やや狭い路地に入る段になって、迷いが生じた。
「どうします?」
「なんか思ったより人けがないねえ……」
駅に向かう人は、たいていこの路地を通る。大通りを行くより5分以上も早く着くからだ。
なのに今日は、近道のほうがしんとしている。
まだ6時前だというのに。
「やっぱ大通りにします?」と小宮山さん。
「いや、この路地で良いんじゃない? 変な人が来たらすぐUターンしてダッシュ。その心づもりだけはしておくべきだと思うけど。それだけで数秒違ってくるし、その数秒が生死を分けるかもしれないし」
「フラグ立てないでくださいよ……もう絶対に通り魔出るじゃないですか」
「出ないよ」私は笑った。「そもそも事件あったのってこの道じゃないし」
結局、私たちは身を寄せ合って路地を進むことにした。
17歳の小宮山さんが私の腕にしがみついている。
普段の私なら、おっほっほ……と浮かれていたはずだ。
だけど私たちは二人して怯えていた。小刻みに震えていた。
角を曲がる。
なんだかさらに暗さが増す。
「嘘でしょ。こんなタイミングで街灯切れてるじゃん」と私。
「こんないっぺんに切れることあります?」
「ねー。3本に1本ぐらいしか点いてない」
「犯人がやったんですかね」
「さすがにそれは。今まで気づかなかっただけで、前からこんな感じだったのかも」
「……やっぱ引き返しません?」
「そうだね。大通りに戻ろう」
私たちはUターンしようとした。のだが。
一歩も動けなくなってしまった。
大通りから続く、私たちがいま通ってきた道から大きな足音がするのだ。
しかも早足の。
ハアハアと荒い息づかい。だんだん大きくなっている。
絶対に犯人だ。
「逃げよう」
私は引き返すのをやめ、小宮山さんの手を引いて路地を進むことにする。
方向転換が急だったせいか、小宮山さんが転びかけた。
私がその肩を支えるのと、足音の主が姿を現すのは、ほとんど同時だった。
「追いついた!!」
曲がり角から現れたその男が言う。
私たちはギャー! とか、グエー! とか大声を上げた。つもりだったけれど、それは声にはならなかった。ただ支え合うようにして、その場に崩れてしまう。
絶望しながら犯人の顔を見上げる。
賢明な読者なら、お気づきのことだろう。
走って私たちに追いついてきたのは、藤田くんだ。
「ハア、ハア、置いていかないでよ。ウップ、ハア、送るって、ハア、ハア、いったろ……」
膝に手を置いて、息を整える藤田くん。
私たちはしゃがみ込んで抱き合い、硬直したまま藤田くんを見つめていた。
結局、3人で駅に向かう。
調子を取り戻した私たちは、道すがら藤田くんをさんざんになじった。罵倒の限りを尽くした。
藤田くんは、にこにこしながらそれを受け流している。
だんだん私たちもクスクスしだして、すがすがしい気持ちでいっぱいになってしまった。とても奇妙なことに。
なんだか青春、て感じがしましたよ。図らずもね。
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