第61話 こたつは人を

「写真部にさあ!」部室に入ってくるなり、小宮山さんが興奮ぎみに言う。「こたつ置いてあったよ!」

 今日の小宮山さんは20代前半っぽい。ベージュのコートを荒々しく脱いでソファにかけると、シンプルな白いトップスと黒いメタリックなロングスカートが現れる。あらすてき。

 にしても、珍しく小宮山さんがヒートアップしている。

「さっき入れてもらったんだ。こたつに。今の部屋に引っ越すとき捨てちゃったからなあ、こたつ。何年ぶりだろ、こたつ。やっぱいいよね、こたつ。そもそも部室にこたつ置くって発想が凄い。なかなかやるよね、写真部。たしかにストーブより安全だし、居心地もいいし」

「狭い部室がさらに狭くなりそうですけど」

「写真部って4人しかいないんだよ。ちょうどだよ。うちなんて3人だから、もっといいよね。どうせ藤田くんはパソコン机にしか座らないし、私たちで独占できるよ。この冬はこたつで縫い物しよ?」

「えー。細かい道具の紛失が多発しそう。こたつだと」

「それはおかしい。あなたはただの印象で語っている。こたつには針やビーズを吸い込む機能はない。もしあなたが部室で針やビーズを落とした場合、こたつがあろうとなかろうと、それは部室のどこかに転がっている」

「そうだけど。こたつの弁護士なの?」

「とにかく、すっごいあったかくて良いんだよ。こたつってやつはさ。机のうえに専用の布団をかぶせて、中をヒーターで暖める仕組みなんだけど」

「私がこたつを知らないと思ってます? 知ったかぶりしてる人を傷つけないようスマートに説明してあげてる、みたいな話し方やめて」

「いや、しおりちゃんときどきびっくりするぐらい常識ないから」

 小宮山さんにだけは言われたくない……と思ったけど、私は常識人なのでぐっとこらえた。

「みかんも出してもらったの。写真部で。やはりこれだな、と思ったね。みかんとこたつ。いいでしょ?」

「まあ、みかんはたしかに」

「ね? こたつ置こうよ。ここに」

「でも眠くなって作業効率落ちません? こたつは人をダメにするっていうし」

「いや。こたつは人を成長させる」

「斬新な意見だ」

「しおりちゃんも体験してみなよ、部室のこたつ。今から写真部に行こう? 私が話つけて、私たち2人だけにしてもらうから。それだったら、人見知りで何にもできないしおりちゃんでも大丈夫だよね?」

「私、人見知りで何にもできないしおりちゃんですか?」

「あと、みかんむいてあげる。私が」

「それは魅力的ですね」


 写真部のドアをノックすると、さっぱりした感じの背の高い女性が、驚いた顔で私たちを迎えた。ユノさん(湯野さん? 苗字だと思う)という名前らしい。部室にはどうやら彼女しか残っていない。

「また来たの? 私もう出るとこなんだけど」

「こたつ入りに来ただけなんで……」と小宮山さんが恥ずかしそうに言った。恥ずかしいという感情はあるんだ?

「こたつ導入したら急にお客さん増えたんだよな」とユノさんは笑う。「まあ楽しんでいってよ。部室の鍵あずけとくね。私これから学食でごはん食べたり文章書いたりしてるから。終わったら持ってきて」

 ユノさんは途中から私に向かって言っていた。

 鍵を預ける相手として、小宮山さんは信用できないと思ったのだろう。

「終わったら」という言い方が少し気になったけど。

 何か変な誤解されてないか?

「ここ、鍵かけてるんだ!」と小宮山さんは馬鹿みたいなことを言う。

「予備のカメラとかレンズとか、高価なものもあるし……かけてないの?」

「盗られて困るものがないので……」私たちは身を小さくした。


 部室のこたつ。

 それはたしかに、なかなかの見ものだった。

 ここにないはずのものがある。

 ちょっとしたシュルレアリスムだ。 

「おおー」と私は声をあげる。こたつに入る。なんともまろやかな暖かさ。「おおー」

「ね? いいでしょ」と言いながら小宮山さんも私の向かいに座る。

「みかんむいてくださいよ」

「情緒なさすぎるよ! もっといろいろお話ししようよ」

「みかん食べながらでいいでしょ。みかんむいてもらいに来たんですから」

「なんてやつだ。若すぎる。せっかくこたつに入ってるんだよ? こたつにふさわしい会話で気持ちを高めるのが先だよ」

「こたつにふさわしい会話……」

「みかんはヘッドライナーなんだよ。私たちの楽しいお喋りが前座だね。会場を暖めないと。こたつだけに」

「やかましわ」

「なに話そっか」

「小宮山さんが考えてよ」

「そうねえ。しおりちゃん、最近、家で何してる?」

「家で? うーん。あ、友達にむりやり10冊も貸された小説のシリーズ読んでますよ」

「へー。なんてやつ? おもしろい?」

「おもしろいけど、いまいち入っていけなくて。言葉遣いとかが。パンティって言葉が普通に出てくるんですけど」

「官能小説なの?」

「推理小説なんです。昔の。『被害者のパンティが』とかって、若い女性のキャラが普通に言うんです。作者が男性ってのもあると思いますけど。違和感すごくて。パンティって言います?」

「叶姉妹はパンティって言ってたよ」

「叶姉妹」

「どんなパンツはいてるんですか? ってテレビで聞かれて、『その前にまず、パンツではなく、パンティですね』って答えてた。叶姉妹が」

「どんなパンツはいてますかって質問じたいがどうなんだろ?」

「しおりちゃんはパンティって言わない?」

「言いませんよ。小宮山さん言うときあります?」

「言うときもあるかな」

「あるの??」

「みかんむいてあげるね」

「このタイミングで??」

「なんか、暖まったから」

「寒いんですけど」

「まあ、パンティは言わないけどね」

「でしょうね」

「おパンティとは言うね」

「お??」

 思わぬ一撃に、私たちは大爆笑した。こたつの中でのたうち回り、私の脚と、小宮山さんの脚と、こたつの脚が何度も何度もぶつかり合った。

「はー」ようやく落ち着いて、小宮山さんが涙を拭う。「みかんむくね。正式に」

「はー」私も涙を拭う。「お願いします。正式に」

 小宮山さんは立ち上がり、写真部のお菓子ゾーンから勝手にみかんを2個取ってくる。再びこたつに座ると、指が汚れないよう、みかんにティッシュをあてがってから爪を立てる。小宮山さんのネイルは薄い紫。ティッシュにみかんの果汁が染みこんでいく。手際よく皮がはがされていく。本当に上手。小宮山さんがみかんをむき続けるだけのYouTubeとかあったら、観ちゃうなあ。

「はい」

 きれいにむかれたみかんが私の前に差し出された。

「食べさせて」私は目を閉じ、口を開ける。

「自分で食べなよ」と小宮山さんの冷めた声。

「けち」

「こたつでみかんを食べるときは、ぜったいに自分で食べるもんだよ。そのほうが、こたつとの一体感が高まるから」

 言いながら小宮山さんは自分のみかんをむいている。

「こたつとの一体感なんて私求めてましたっけ?」ぶつぶつ言いながら、私はみかんをひと切れ食べた。そして目を見開く。「あまーい! このみかん! あまい」

「でしょう。半分はこたつの力だよ」

「そんなわけないでしょ。どこ産?」

「どこだろ。写真部産?」小宮山さんが自分のみかんをむき終わる。4分の1ほどを一気に頬張る。うっとりした顔になる。「うーん。こたつは最高のスパイスだね」

「スパイスって表現、今は違いません?」

「固いこと言うなって。甘夏を皮ごと食べてるみたいに固いね」

「みかんおいしーい」

 私たちはみかんを味わい尽くす。少しのあいだまったりする。こたつを出る。鍵をかけて、ユノさんに返しに行く。口の中に幸せな後味。

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