第58話 君がいるだけで

 ここしばらく小宮山さんが26歳のままだ。

 いつ会っても実年齢。変化なし。

 べつにいいけど(というかそれが普通なんだけど)、でも、なんというか……。

 醍醐味がない。

 しょせん私は小宮山さんのことを「毎日年齢が変化する人」としか見てなくて、日々エンタメ的に消費していただけなのだろうか。

 いやいや。

 そんなことはないでしょうよ。

 さすがにね。

 しかし疑問は残る。

 年齢を変えるのに飽きたのだろうか。

 年齢を変える技術(能力?)が失われてしまったとか。

 まさか、もう歳を取らなくなったとか?

 それはさすがにないとしても、エルフ族みたいに若いまま何百年も生き続けるというのはありそうだ……。

 ないか。

 本人に聞けば早いのだが、もちろん、私はそんな野暮はしない。

 野暮をしないかわりに、もやもやが蓄積する。気持ちがふさぐ。表情筋が動きづらくなる。


 学食でカツ丼を食べている小宮山さんは今日も26歳だ。

 明らかにラー油をかけすぎている。

「なに? じろじろ見て。カツ丼にすれば良かったと思ってる?」

「思ってないです。ラー油かけるんだ? とは思ってますけど」

「ラー油? 顔見てたじゃん。私の」

「髪を見てたの。色変えたんですね」

「変えた! やっと言ってくれた。ハイライト入れまくったんだよ。ブルーアッシュ」

「ベースはブラウンのまま?」

「いや、色入りやすいように明るくして、ブルーアッシュは全体に入れた」

「きれいだな。私も色変えるなら寒色系にしたいな」

「でも出来上がりはやばかったよ! ド派手になりすぎちゃって。田舎の天才芸術家のお婆さんみたいになってさあ」

「田舎の天才芸術家のお婆さん」

「シャンプーしたら良い感じに青が薄れたから助かったよ」

「うん。なじんでる。いいね」

「ちょっとパープル入ってるようにも見えるけどね。だんだん理想に近づいてきた。私、美容院が定まらない女だからさ」

「みんなそうですよ」

「しおりちゃんもたまには髪型変えたら? 一緒に行こうよ」

「一緒はイヤかな」

「冷たい……心がブルーアッシュじゃん」

「かっこいいな」

 いつもと同じ会話なのに、なんか腑抜けた女子トークしてるなー、と感じてしまうのも、小宮山さんの年齢が変化しなくなったせいか?

 むしろ自分の心理に根深い歪みを感じてしまう。


 数日後。

 サーティワンで休憩している小宮山さんも26歳。

 チョコミントにチョコミントを合わせている。

「同じ味を2個頼んだことないなあ」と私。

「アイス食べにきたんじゃなくて、チョコミント食べにきたんだよ私は」

「そんな好きだっけ? チョコミント」

「好き。チョコミント嫌いな人ってさあ、よく歯磨き粉の味だって言うじゃん?」

「言いますね」

「そもそも歯磨き粉がおいしいだろ! って思うんだな、私は」

「私は歯磨き粉はおいしいと思わない」英作文の謎の文章みたいに私は言う。

「しおりちゃんもチョコミント嫌い派?」

「まあまあ好き派」

 と答える私のカップにはバニラと抹茶。

 普通だ。


 そこから数日後。26歳の小宮山さんとユザワヤをうろうろしている。

「生地選んでると眠くならない?」半分まぶたを閉じた状態で小宮山さんが言う。

「眠くはならない。トイレは行きたくなるかな」

「本屋みたいに?」

「本屋みたいに」

「本屋行こうか?」

「なにか欲しい本あるんですか?」

「ない。一緒におしっこしたくなりたいだけ」

「おしっこって人前ではっきり言わないでよ」

「やだ……思春期?」

「小宮山さんは幼児後期ですか?」

「ねえー。おしっこしたくなろうよー、ふたりで」小宮山さんが私の肩を大きく揺さぶった。「そんで仲良くトイレ行こ? 隣の個室でおしっこしよ? これからのトレンドは尿意の共有だよ」

「やべえなこいつ」

 小宮山さんは腹を抱えて笑っている。

 ユザワヤで腹を抱えて笑う人を見たことがない。

 私は引きつった曖昧な笑みで応じた。


 小宮山さんの年齢が今後一切、行ったり来たりせず、私たちと同じように順調に重ねられていくのだとしたら。

 私も小宮山さんとの関係を見つめ直す必要がある。

 ような気がする。

 ただの大学のサークルの先輩と後輩?

 友達……。

 し、親友?

 少し違う?

 それ以外の何か?

 あるいは、それ以外の何かに変化する可能性を孕んだ何か……。

 だんだん核心に近づいているような、だんだん自分でも何言ってるのかわからなくなるような。

 私たちはいつまで一緒にいられるのだろう?

 うーん。

 最近、何をやるにも調子が出ない。

 ぜんぶ小宮山さんのせい。


 さらに数日が経過した。

 私は部室にこもって人形の服を縫い続けている。気が乗らない。気が乗らない日の縫い物は、おいしくもない豆まきの豆を年の数だけ食べさせられるのに似ている。

 似てないかも。

 私は作業を中断してソファに横になった。

 部室のドアが急に開く。

「風がもう冷たいよ〜」

 大きな声を出しながら入ってきたのは小宮山さんだ。

 上品な紫のケープコート。メーテルみたいな帽子。エレガントに波打った茶色の髪。

 場違いすぎる。

 それに。

「こ」と言いながらソファに身を起こす私。

「こ?」と首をかしげる小宮山さん。

「小宮山さんが」

「私が?」

「ふ」

「ふ?」

「老けてる〜」

「老けてるとはなんだ」ブーツを鳴らして近づいてきた小宮山さんが、私にでこぴんした。「まだ46歳だ」

 私は久しぶりに心から笑った。そのあと少しほっとして、少し寂しくなり、少し泣いた。

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