第12話 私ならね!
最近の小宮山さんはスーパーでレジ打ちをしている。今日でもう2週間。常に20代前半の姿をキープし、アルバイトに精を出しているのだ。
やればできるじゃないか!
普通の人みたいだ!
と私は感動しているのだが、小宮山さんが何のためにお金を貯めているのかは不明だ。私へのクリスマスプレゼントでないことは確実。小宮山さんには「感謝の気持ち」「奉仕の気持ち」「他人を喜ばせようとする気持ち」などが著しく欠如している。ほがらかで明るい性格だから、なんとなく周囲には気づかれにくいんだけど。根っからのお姫様体質なのだ。悪い意味での。
そんな小宮山さんが2週間も熱心に働き続けるというのは不思議な話だ。
生活費? 借金? お金のかかる趣味?
新しい恋人でもできたのか?
まさか相手はスーパーの店員?
心配だ。不安だ。
小宮山さんというお姫様にとっての教育係的な? 最も信頼できる侍女みたいな? 秘密を共有できる唯一の相手といった感じの? 存在である私としましては、視察しておかねばなるまいね。
ということで私は駅前の大きなスーパーで、こそこそ小宮山さんの様子を覗き見ている。あの小宮山さんが、手早く、正確に、ときに可愛らしくもたつきながら、見事にレジ打ちのバイトをこなしていた。
目頭が熱くなる。
我が子が幼稚園で立派にお遊戯しているような。
しかし小宮山さんが、それこそ園児のように無垢な笑顔を振りまいているのは気がかりだ。よからぬことを考えるおじさんとか出てきそうで怖い。この子、おれに気があるのかな? とか……気があるわけないだろ! 目を覚ませ! すぐ帰れ! そのお惣菜をあっためて腹いっぱい食え! 寝ろ! 明日も仕事だ!!
私が脳内の敵を焼き殺すのに夢中になっていると、ボンッ! と鈍い爆発音がした。えっ、私の頭が? と一瞬焦ったけど違う。小宮山さんのレジが黒煙を上げているのだ。そしてすぐにおさまった。いったい何が? まさか我が脳内の炎が顕現したというわけでもあるまいに……(口調が変だな)。
40代くらいの男の店員が小宮山さんのレジにサッと駆けつけた。すぐに原因がわかったらしく、2人で大笑いしている。
いやいや、レジが黒煙上げたのに??
ちょっとしたネットニュースだよ??
と思うが、そんなことより男が渋いイケメンなことが気になった。
こいつか?
こいつなのか……?
自分でも気づかぬうちに私は小宮山さんのレジに近づいている。ノールックでPascoのカスタードクリームパンとマウントレーニアのクリーミーラテを手に取り、小宮山さんのレジにどん、と置く。
「えっ、吉野さん」
小宮山さんは少しびっくりした顔。深い緑色の店員用エプロンがよく似合っている。その下のグレーとベージュの中間のようなゆったりニットは労働に向いていない気はするが……。
「まじめに働いているようですね」私は存在しないメガネを指でくいっと持ち上げた。
「お友達ですか?」とハンサム店員が小宮山さんに聞く。
「はい、大学の友達で……私、ここで働いてるって言ったっけ?」
「スーパーで働いてるのは聞いたよ。ここは、その、たまたま来ただけ」
「じゃあ、休憩入っていいですよ」男が小宮山さんに言う。「レジも直さないといけないし」
「レジ、どうかしたんですか?」私は2人の中間地点に言葉を投げた。
「少し機嫌が悪いみたいだ」イケメンがレジを撫でながら言う。その指に結婚指輪が鈍く輝いている。「小宮山さんのきれいな手が傷つかなくてよかった」
えー。
めちゃくちゃ気持ち悪いやつじゃん。
店内のフードコートで待ってて、と小宮山さんが言うのでマウントレーニアを飲みながら待っている。こんこんと説教してやらなくては。小宮山さんの警戒心のなさを。
「おまたせー」
小宮山さんの声に振り返ると、見知らぬ女性を連れてきている。私たちと同年代だろうか? ベリーショートの金髪に、ピアスが3つの左耳。
かなりの美人だ。
「鮮魚コーナーのリオちゃんだよ」
「こんにちは」と少し微笑んで、鮮魚コーナーのリオさんは小宮山さんの隣、私の向かいに座る。
私は一瞬で機嫌が悪くなりかけたが、私以外にはまったく意味不明の怒りであることくらいはわかっていたので、にこやかに大人の対応をするモードに切り替える。
はずだったけど、2人が仕事の愚痴やハプニングやシフトの話なんかで盛り上がるから、私はだんだん無口になる。中身が空っぽのマウントレーニアを力なく吸い続けている。ストローがぼろぼろになっている。
「ほらこれ。もう破れちゃったんだよ」
小宮山さんがトートバックから制服のエプロンを取り出して、鮮魚のリオさんに見せている。
「安物だからねえ」とリオさんが笑う。タバコを取り出しかけて、「あ、ここ吸っちゃだめなんだった」と真顔になる。
「いま直せますよ」と私は言った。
「え?」2人が同時にこちらを見る。
「エプロン。裁縫道具持ってるし」
私は小宮山さんの手からエプロンを奪い取った。
「なんで裁縫道具持ってるの?」とリオさんがおもしろそうに言う。
「私たち、大学の人形劇サークルなんだよ」と小宮山さん。
「裁縫道具いつも持ってなきゃいけないの?」
「この子だけだよ。すっごい上手なんだよ、この子。プロ級」
この子、という言い方が他人行儀に聞こえて少し傷ついたが、私は無言で縫い物の準備を進める。
「わー、手際が良い。すぐ直せるものなの?」とリオさんが言った。
「こんなの一瞬ですよ」と答えながら私はすでに縫い始めている。
「かっこいいな」とリオさん。
私はいつもの倍速ぐらいで縫う。少し意地というか、見てろよ! という気持ちがある。ちょっと危険なスピードになりつつあるが、止まらない。
「惚れ惚れしちゃうね」
リオさんが私の目の前に顔を近づけて言う。どうせなら小宮山さんの口から聞きたかった。
「ほら、できた」私はエプロンを広げてみせる。なぜかリオさんに渡してしまう。
「えー! すごい!」リオさんがエプロンを手に取り、しげしげと眺める。「縫い目がきれいだ……」
「これとまったく同じエプロンを、もっと良い生地を使って、イチから作ることだってできます」
そう、私ならね!
心の中でiPhoneのCMみたいに言う。
「ねえ、ひょっとして刺繍とかもできる?」リオさんが私に聞いた。
「できるよ!」と答えたのは小宮山さんだ。「見てこれ。この子すごいんだから」
小宮山さんはリオさんに自分のカメラロールを見せている。小宮山さんのiPhoneには私の手芸フォルダが存在するのだ。私は見たことないけどね。
「はー、本気ですごいわ。これ手で縫うんだ?」
「基本手ですね。ミシンは実家にしかないので」
「いやー、これもいいけど、こっちのやつ好き〜! 渋いわあ」
リオさんは目をキラキラさせて小宮山さんのiPhoneを凝視している。少し嬉しいけど、2人が肩をぴったりくっつけているのは、どうかと思いますね。
「ねえ、私のエプロンにも刺繍してくれない?」とリオさんが言った。「ワンポイントでいいからさ」
「だめだよ、時間も手間もかかるんだから。タダでやってもらおうなんて」
即座に小宮山さんが注意する。小宮山さんとは思えないほど、まともな発言だ。しかし普段の私の、小宮山さんに対する多大な無償奉仕についてどう思っているのだろう……。
しおり、お前は私専用の家来だよ……って感じか?
ふふふ。悪くない。
にやつきをこらえていると、リオさんが私の目の前に突然ピースサインを突きつけた。
「お金払うよ。2万でどう?」
「えっ、2万円も?」
「昨日パチンコで7万勝ったんだよね。どうせろくなことに使わないから。刺繍でもしてもらったほうがいいかな」
「2万ならやります。ワンポイントじゃなくてもやります。エプロン全体を刺繍で埋め尽くします」私は前のめりになる。欲しいコートを「あと2万あれば……」と諦めたばかりなのだ。
「全面はさすがに怒られるからさ」リオさんが微笑む。「隅っこに薔薇の刺繍してほしいんだよね」
「薔薇」
「小さい龍とかもあったらいいな」
「薔薇と龍」
「薔薇には少し雪がつもってて、それと対比するように、血塗られた日本刀が月の光を反射してる。そして土佐犬の首輪には……」
「ちょっと待ってください」私はいったんストップをかける。「ある程度の図案は用意してもらわないと。私、絵は描けないので。あと、その量だとワンポイントでは済まないような」
とりあえず世界観にはつっこまないことにした。怖いから。
「あ、そっかそっか。絵は知り合いに用意してもらうわ。お金も2万じゃ少ないね。3万かな」
「やります!」
私はリオさんとLINEを交換する。横で小宮山さんが「私、LINEはやってないんだよねー」とか白々しいことを言っている。
アイコンのリオさんはサングラスに咥えタバコで、キャミソールの胸元のホクロを指さしていた。
プロフィール名は「リオ王」。
鮮魚コーナーにこんな王様が君臨しているとは、シェイクスピアとて思いもよるまいね。
それから話題は小宮山さんのレジが故障した事件に移る。40代くらいのイケメン社員は小柴さんというらしい。
リオさんが小柴さんの悪口を言い始めたので、私も参加する。
「小宮山さんのきれいな手が傷つかなくてよかった……とか言ったんですよ、あの人! きもすぎませんか!」
「まともな人間の言うセリフじゃないな」とリオさんは大笑い。小宮山さんもつられたように少し笑っている。
なあんだ。リオさん、感じのいい人じゃん。と私は思う。その直後。
「マキはセクハラに鈍すぎるんだよ」とリオさんが小宮山さんを小突いた。
マキ。
下の名前呼び。
小宮山さんもへらへらしている。
やっぱムカつく。
料金、4万に値上げしようかな。
私はプロ級だからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます