第9話 嬉しかったこと

 ちょっとした大道芸のフェスに我が人形劇サークルも参加することになった。今回必要なのは既製品のマリオネットに着せてあげるオリジナルの服を10着。私が8着半、小宮山さんが1着半を無事に縫い終えたのが今朝の5時だ。最後は2人でカラオケボックスにこもっての長時間作業になった。

 いったん解散して、13時に現地集合。

 当然のように小宮山さんは来ない。ガルシア=マルケス風に言えば、完全に予測された寝坊の遅刻だ。


 舞台そのものは、藤田くんと、藤田くんが毎回どこからか連れてくる素性の分からぬ闇の傀儡師軍団がやってくれるので(いや、普通に良い人たちだけどさ)、私たちに仕事はない。

 とはいえ、本番は見ないってのも薄情だし、自分の人形が動いているところを見たくないわけではないので(じつを言うと見たくない気持ちもけっこう強い。アラが見えちゃうのと、恥ずかしさと、あといろいろ)、一応顔は出すのだが、今回は5分ほどの演目だったので、まあ来なくてもよかったかなーという感じだ。

 藤田くんの脚本・演出は、今回はやや置きに行った印象がありますね。もっと冒険しないと。ただ、途中のダンスシーンさえなければ服は4着で良かったのに、そこを削らなかったのは評価できる。彼の矜持でありましょう。本人には言わないけどね。


 すべてが終わったあと小宮山さんがやって来た。ふらふらの状態で現れるに違いない……と思ってたら元気いっぱいだったので驚いた。

 というか若い。10代前半か? 服装もロリータ風だ。軽くね。

 私を見つけるとぱっと顔を明るくし、「おはよー」と手を振りながら小走りに近づいてくる。

「今から撤収作業だよ」私はちょっと冷たく言った。

「えー。もう終わっちゃったのか」小宮山さんは後ろ手を組んで、ボールを軽く蹴るようなあざとい仕種をした。「しおりお姉ちゃんは見たの?」

 しおりお姉ちゃん。

 私はぎょっとする。

 ぎょっとしつつ、何らかの扉が私の中で開かれるのを自覚する。

「妹さんですか?」と近くにいた他校の女の子が言った。「かわいい」

「いとこです」と恥ずかしそうに小宮山さんは私の袖をつかんで半分隠れる。

「照れてる~。小学生?」

「中1です」

「かわいいなあ」

 少しずつ人が群がってくる。一緒に写真を撮ったりしている。着ているロリータ服を褒められると、小宮山さんは「自分で縫ったんです」と胸を張る。

 私は変なやつが変な写真撮ってないか周囲に気を配りつつ、

 いとこって何だよ!

 そんな服自分で縫えるわけないじゃん!

 畜生、かわいい!

 などと思って神妙な顔つき。

 ほんと、ナチュラル虚言なんだよな、小宮山さんって。

 思ってるよりヤバい人なんじゃない?

 今更過ぎるか。

 見た目が毎日変化する人に対して。

 でも小宮山さんって、人を傷つけたり、陥れたりするタイプの嘘はつかないもんね。

 こんな風にむりやり好意的に捉えようとする私は、すでに目的地の決まった脱出不能のエレベータか何かに乗っているのではないでしょうか?


 公演のあとは3人で軽い打ち上げをやる決まりになっているのだが(二次会は小宮山さんと2人でやる)、藤田くんは「今回のは打ち上げやるほどでもないよ」と言い残し、闇の傀儡師軍団を引き連れて消えてしまった。こっちとしてもラクだけどさ。

 まだ夕方だ。小宮山さんも未成年だし、久々にジブリさんの喫茶店に行くことを提案する。店主の女性が、見た目も言動もいかにもジブリ映画に登場するおしゃれなお婆さん、って感じの店なのだ。

「えー、なんだかおもしろそう!」と小宮山さんは両手を胸の前で合わせた。おまえもなかなかジブリじゃん。あと、一緒に行ったことあるじゃん。

 道中、小宮山さんはずっと私の袖をつまんでいた。

 中1にしては幼くない?


 ジブリさんは今日もジブリだった。短いグレイヘアに、品の良いアースカラーのワンピース。お婆さんなのに、スリムで背筋が伸びててかっこいい。小宮山さんを見た第一声が、「あら、かわいいお連れさんね」ときたもんだ。私はすっかり嬉しくなってしまう。

 店内には舌っ足らずの女の子が歌う非常にレトロなポップスが流れていた。曲名をジブリさんに聞くと話が長くなりそうだったので、iPhoneのアプリで調べる。


 シャンタル・ゴヤ

 めぐみの雨(La Pluie Du Ciel)


 1965年の曲だって。両親とも生まれてないな。

 小宮山さんは迷わずオムライス、私は少し迷ってレモンパスタを注文した。

 ジブリさんは本当にジブリ映画みたいにてきぱき動く。見とれているうちに料理が運ばれてきた。しかもとびきりの味。

 食後には、「これはサービス。そのかわり、ひいきにしてね」とバニラアイスまで出してくれた。ジブリ光線を浴びすぎではないか? 少し心配になる。

 アイスには細かく挽いたコーヒー豆が振りかけてあった。

 おいしい!

 私たちは目を丸くしてジブリさんのほうを見る。

 返事はウインク。異次元だね。


「ねえねえ、しおりお姉ちゃん」小宮山さんが両肘をついて言う。「今まで生きてきて、いちばん嬉しかったことって何?」

「どうしたの急に」

「いま私、とっても嬉しいから。しおりお姉ちゃんは、どんなときに嬉しいのかなあと思って」

 いやいや。これはもうジブリではない。メルヘンだね。興ざめだよ。やりすぎてしまったな、小宮山さん。

「いちばん嬉しかったことか……。何だろ。すっごい昔、ペルソナ4をクリアしたことかなあ。初めてクリアしたゲームだったから。半年くらいかかったのかな。子供だったし。あれはドキドキしたよー。ものすごい充実感があってさ、お母さんに2時間ぐらいストーリーを語って聞かせたもんね」

「……それが今までの人生でいちばん嬉しかったことなの?」

「まあ、そうかな」

「えええ~……」中1の小宮山さんが引いている。

「なんだよ。悪い?」

「悪くはないけど……」

「じゃあ小宮山さんは?」

「私はね、小1からずっと好きだった青山くんと小6で両思いになれたことかな。まあ、2週間で別れたけどね」

「えええ~……」今度は私が軽く引く。

 これは何歳の小宮山さんの意見だ?

 13歳の姿だからって、ほんとに中学生なわけじゃないし。26歳の小宮山さんが、13年前の思い出を語っているのか? それとも、まったくの虚言か?

「あと、こないだ100メートル走で14秒切れたこと。私、陸上部なんだよ」

「あ、そう……」

「社会の先生に作文褒められたのも嬉しかったな。地区の賞取って、表彰されたんだ」

「よかったね」

 私は途中からインスタを見ながら適当に流している。

 しかしふと気づくと小宮山さんが頭を抱えていた。

「もうだめだ……」

「何なの。ぜんぶ急だな」

「お酒飲みたい」小宮山さんが私に耳打ちする。「着替えたい。大人に戻りたい。居酒屋で本格的な打ち上げやりたい。だし巻き食べて日本酒飲みたい」

「今日ぐらい、お酒我慢したらどうですか」と私は意地悪を言った。

「お願いお願い! しおりお姉ちゃん、お願い! お酒飲みたい……朝まで飲みたい……でも一人では飲みたくない……だらだら飲みたい……でろでろになりたい……できるだけ安い酒で……お願いお願い……」

 かわいい声でとんでもないことを囁きかけてくる。

 私もちょっと倒錯的な気分になってきた。

 お冷やを注ぎ足しにきたジブリさんが、小声で会話する私たちを見て微笑んだ。

「あなたたち、ほんとに仲の良い姉妹ね。私も山形に妹がいるの。いろいろ思い出しちゃうな」

 ジブリさん……なんてジブリなんだ。心が洗われるようだ。加藤登紀子をかけてくれ。おもひでぽろぽろだよ。

 ん?

 加藤登紀子は紅の豚だっけ?

 なんか曲の雰囲気似てるんだよな。

 どっちだ?

 どっちでもいいか。

 小宮山さんの潤んだ瞳がとてもきれい。

 アイスクリームがとにかくうまい。

 私たちはまだまだ、人生を振り返るような時期じゃない。

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