第17話
その会談が有意義であったのかは、これから先、何年も経ったときにわかることなのかもしれない。
マンダルバの未来、ムトンで暮らす者たちの未来、そして、リクとぼくの未来も、このときには誰にも予測できる人はいない。
自ら選び、仲間を信じ、過去も現在も見据えて、生きていく。
願いに手を伸ばし、夢を追い、障壁に阻まれ、ときには絶望を味わうかもしれない、それでも。
きみがこの世界のどこかで、前を見つめて立っている。
それだけで、救われる人がいる、奮い立つ人がいる、苦しみや悲しみを乗り越えられる人がいる。
きみは、キルリク。
みんなの煽動者であれ。
マンダルバの本都は、西側の海沿いにある。
スーザから西南にある港町から、船で半日の距離。金銭に余裕のある者は、船で短時間で移動をする。時間をお金で買う形だ。陸路の場合は、船よりも安定性が高いが、その分時間がかかる。新鮮なものを扱う商売は海路を、それ以外は陸路を使うのが一般的。
人の場合、船に耐性があるかどうかも関わってくるので、体ができあがっていないぼくなんかは、船酔いに苦しんだかもしれないので、陸路だったのは正解だったろう。
それでも、管財官がぼくのマンダルバ入りに陸路を使ったのは、金銭や体調の問題ではなく、きっとぼくにマンダルバという土地を、ぼく自身の眼で見ながら旅をしてほしいと願っていたからかもしれない。
のどかな農業地帯が多かった郊外から、本都に近づいていくと、なにかの工場らしき大きな建物や、人の密集する住宅街が増えていった。やはり人が多いところでは仕事の種類が増え、生活圏ではいろんな売買が行われる。
それでも、町の片隅にも木々が残されていたり、そこかしこに適度な森や林もあった。長らく自然と共に暮らしてきたマンダルバの人々は、その自然への感謝を忘れないようにしているとの管財官補佐の言葉だった。
レッテ本山の噴火による溶岩からできた地盤が大地に広がっているマンダルバの海沿いは、岩礁が多く、砂場地帯が少ない。低い崖や、ところにより断崖絶壁もあり、そういうところはちょっとした観光名所にもなっていて、領外からの観光客も結構来ているらしい。
本都の中心部に入っても、あの襲撃以来目立った妨害はなく、本都へ来るまでの不安はとりあえず消えていき、あとは、前領主義弟アーノルトとの直接対面だけが懸念材料だった。
何事もなく済むはずがなかった。
だからこそ、ヤトゥ商会の男たちもほとんどがぼくたちに同行してくれたし、管財官も本都に入ってから警護の人員を増やすことができ、戦力的には十分すぎるほどだった。
領主が代々住んでいた館は、マンダルバ本都中心部ではなく、海側の小高い断崖のある広い丘陵地帯の上に建てられている。
ぼくたちは、そこへ向かっていた。
いまは前領主の妻が住まうところ。自分の夫が自分以外の女性を愛し、その女性が産んだ子供を、彼女はそこで待ち受けている。
アーノルト氏の話を聞いたところでは、おとなしめの控えめな女性といった印象だけど、カルトーリの突然の出現に、どんなふうに思っているだろう。
もしかしたら、アーノルト氏よりも、気を引き締めないといけない相手だ。
領主の館へ向かう前に、本都の中心街から少し離れた町で宿に泊まった。
管財官が言うには、領主の館には前領主の妻やアーノルト氏以外にも、親族の人が数人訪れる予定とのことで、リクもぼくも身なりのいい服を着せられることになった。
客人扱いのフィジやキースは旅装よりは少しよい服装で、ヤトゥ商会の男たちも粗野には見えない程度には整えてほしいとの申し出に、旅装くらいしか手持ちのない男たちは急遽商店に買い物に行く羽目になって、いつも適当な格好のセリュフがめんどくせえと言っていて面白かった。
タグやセリア、シチェックは、ヤトゥ商会の男たち数人を供に本都見学に残っていて、これからはマンダルバでの旅を楽しんでくれるといいなと思った。
ぼくやリク、フィジとキース、ヤトゥ商会からは数人が泊まるのは立派な建物の宿で、その警護はマンダルバの警邏や兵たちが担当し、他のヤトゥ商会の男たちは堅苦しいところよりは下町風のところのほうが性に合っているということもあり、いくつかの素朴な宿に分かれて泊まることになった。
ぼくは食事をたくさん食べるようにとの命をいろんな人から受けているので、夕飯を苦しいくらいに食べることになり、そりゃもちろん美味しいものをいただいてはいるんだけど、食べ過ぎで動けなくて、休憩室としている談話室の椅子に座ってふうふうと唸っていた。フィジは可笑しそうに笑い、キースはそんなフィジを見て幸せそうな笑みをこぼしていた。
フィジは食後のお酒をキースと二人、嗜んでいた。
発酵した葡萄酒ではなくて、葡萄を蒸留したお酒。蒸留酒は醸造酒よりも強いらしくて、フィジはきみたちはまだ飲んじゃだめだよと、ぼくとリクに大人の特権といった笑顔で言った。あ、それ、ぼく、リクに飲まされたかもしれません。
マンダルバは、お酒の種類も豊富で、果実酒、麦酒、穀物酒、いろいろあるみたい。
大人になったら、リクと一緒に飲めるかな。リクはもう飲んでそうだけど。
ヤトゥ商会の男たちは、リクとぼくが二人でいるときには、一緒な場所にいることが多いけど、フィジとキースもいるときには二人にはあまり近寄らない。近寄るときには結構な覚悟を持たないといけないとエヴァンスは言う。
「だってね、戦闘力の塊みたいな人なわけですよ、キスリングってカドルは。レナン様も見たんでしょう? 彼の戦さぶり。どうでした? うん、すごかったでしょうね、わかりますよ、想像できますもん。それで、近寄りたいと思いました? そうでしょう、無理でしょ、ありえません、死にますもんそこにいたら。一瞬で死ぬ。近くにいるのはいやですよ、いい人だとは思いますよ、でも無理です。恐怖で震える自信があります。だから無理」
エヴァンスが一息に言って面白かった。
それで、いまヤトゥ商会の男たちの姿はこの部屋にはない。
「おまえたちは、いつまでマンダルバにいるつもりだ?」
リクとぼくは、これからの眠りを妨げない軽いお茶をいただいていた。ぼくはお腹がいっぱいでまだ手をつけていなかったけど。
リクに言われたフィジは、小首を傾げてリクを見た。
「どうだろう。レナンの希望にそって、一緒にマンダルバ入りするのが第一の目的みたいなものだったし。これからまだなにかあるかもしれないけど、レナンの次期領主っていうのは確定みたいだし? それに、きみたちムトン勢力のせいでマンダルバも巻き込まれるわけで。まだこの界隈には、いることにはなりそう。誰かが別の依頼を持ってくるまでは、一応きみの依頼が有効のまま。いまはレナンの守護人のつもりだよ、まだね。とりあえずは、アーノルト氏の出方によっては、もうちょっと継続してもいいと思ってる。でも追加料金をもらうほどじゃない。まだ大したことはしてないから」
もう十分すぎるほど、助けてもらったよ。
キースのほうは口数は少ないけど、始終穏やかな表情で、一緒にいてもぼくにとっては苦にはならない。フィジも話しやすい人で、二人と一緒にいるのは楽しい。それは鈍感なおまえだからだとリクにあきれられたけど。
「管財官にはきいたの? アーノルト氏がどんな奴か。そのお姉さんて人のことも」
その姉弟は、カルトーリから見れば血縁ではないし、彼らから見ればカルトーリは本来疎ましく思える存在。
リクを見る。
「姉のほうはよく知らないな。管財官もあまり気にしてはいないのか、話には出てこない。アーノルトにはまだ警戒してるようだが」
リクは関心のないような口調で、卓上に頬杖をついた。
「アーノルトねえ。よくわからない人物だね」
フィジの感想に意外に思った。ぼくのその表情を読み取ったのか、フィジが説明してくれる。
「いろんな人物を間近で見てきたけど、悪党にも、欲深い輩にも、ある程度の類似性がある。自分に絶対的自信を持っている支配者類と、自己の人非人ぶりをよくわかっている真の悪党類。だいたいはこの二種類。あとは、いろいろいるんだけども、アーノルトって人は、ちょっと特殊な部類かな。見た目が善人というのは結構いるけど、あの人は見た目も言動もちょっと小悪党風だし、他人の評価は低いほう。でも、憎まれているってほどじゃない。評判を聞いてると、仕事はきっちりとこなす人なんだね、そこを評価してる人もいるんじゃない? 金持ち特有の自意識過剰ぶりは鼻につくかもしれないけど、そういう人は世の中にごまんといる。大国の貴族にはあれよりももっとひどいのも多いから。でも、アーノルトは、取り巻きたちの扱いは悪くはないし、評判だけなら悪党類じゃない。支配者類とはかけ離れてるし、うーん、なんだろう、すっきりしない。自分を演出する類の輩ではあるけど、それはべつに悪いことじゃないしねえ。ある種、その多面性こそ人間らしくて面白いけど、友達にはなりたくないって感じ?」
「あんたにも読めないか」
リクが苦笑する。
「あたしはあんまり人物鑑定には目が利かないほうだから、本能的に人の本質を見極められる者のほうが読めるかもしれない。レナンは、どう思った?」
え、それって、ぼくが人の本質を読めるっていうこと? いやいや。
わたわた挙動不審にしてると、フィジに笑われた。
「きみは結構、読みを外してないと思うんだけどね。味方を引き寄せる力っていうか、味方になりそうな人をちゃんと選んでる気がする。人をよく見てるし」
人を見てるってことなら、ぼくにはそれしかできないから。
「でも、自分を演出するような人って、本当の自分を出してないってことだと思うし、そういう人は、全然わからないです。あんまり近寄りたくはないなってくらいで。ちょっと怖い人でも、ありのままで接してくれる人なら、一緒にいれば慣れますし、気にならなくはなるんですけど」
フィジはふっと笑う。
「それはそのまんまそこにいる人でしょ」
うん、リクのことです。
「怖い人でも気にならなくなる、それって、結構特殊能力だよ? だから、強面な男たちに好かれちゃうんだよ、そういう人って。どんなに荒い人格の者でも、素の自分を認めてもらえてるってことだから嬉しいと思うんだね。そういうところは、ちょっと気をつけなよ。厄介な人物に好かれすぎると、執着されることにもなる。そこにいる人なんかは、執着通り越して独占状態なわけだけど」
ええ? それはどうなの。
リクを見るけど、少し眠そうにぼくを見返しただけ。
「否定はしないわけね」
声を出してフィジが笑う。
「きみも不思議な人だけど。あまり見たことない」
リクを見つめるフィジの眼は、力を持つ者を認めるような、真剣な眼差し。
「善人にも、悪党にも、見る人によってはどちらにもなる。敵にとっては憎き者、味方にとっては絶対的存在と思われてる。どれだけの人を殺めてきた? 名もなき者たち。盗賊や無頼の者たちをいくつも倒してきたんでしょ。セリュフはじめ、ああいう面倒くさい男たちを束ねられるなんて、大人でも無理。強いだけならキースだってそうだけど、この人は孤高の存在、誰かを下につけるつもりもないし、仲間意識は強くはないほう。きみは懐深く、でも、敵には容赦ない。漢くさい人が惚れる男だね、きみは」
「特別なことはなにもしてないな。勝手に集まってきただけだ」
面倒そうに言うけど、リクもそんな人たちを拒否はしないで、受け入れてる。
「きみと、きみの仲間たちは、これから世界の脅威になる。それは断言するよ。名もなき者たちがムトンに現れ出したのはほんの数年前。そのとき、きみ、まだ子供だったでしょ。それなのに、いまの名もなき者たちの数は常識はずれなほどに集まってる。まだまだ、結構急激に増えてるわけでしょ? きっと、いろんなところから、もっと集まるよ。こんなに面白そうなこと、最近じゃなかったろうし。腕試しをしたいって男たちも多い。それを自覚もなしに率いていくきみは、もうすぐ世間に大きく取り上げられるようになる。当然、敵になる者たちに命を狙われるし、きみの仲間も注目される。そのとき、きみはどう行動するのかな。興味はあるよ。この一帯は、世界の視線を浴びる。いままでの紛争地帯よりもね。命のやり取りは、辛いことも悲しいこともある。それでも、生きているって思わせてくれる。だからあたしは争いごとに首を突っ込む。ただ息をしてるよりも、戦禍にいるときのほうが心が動く。あたしも厄介な者だと、自覚はしてるよ」
「勝手に集まって、勝手に興味を持たれて、勝手に敵視される。面倒くさい」
心底面倒そうに言うリクに、あははとフィジが可笑しそうに笑うけど、ぼくは笑えなかった。
そんなに、危険なことなの、リクたちがやっていこうとしてることって。
世界は放っておいてくれないの?
ただムトンの人たちが困らないようにしているだけなのに。
フィジの眼が、不安な気持ちでいるぼくに向く。
「もう覚悟は決めてるだろうけど。きみたちの選んだ行動による結果は、きみの想像を超えるよ。人が懸命に生きていけば、それを邪魔する者、排除しようとする者、妬む者、多くの障害が目の前に立ちはだかる。いろんな人がそれぞれの人生を送る。苦しまない人はいない。大なり小なり、人は悩んで苦しんで、その中で楽しみを見出したり、幸せを見つける。それが生きるってことだと、あたしは思ってる。喜びを知らず死んでいく人もいる。ただ息をしている人も。それも、人。他の生き物よりもわかりやすくて、わかりにくい、単純で、複雑、矛盾そのもの。だから、面白い」
その気持ち、ちょっとわかります。
いろんな人がいる。
それを見つめる。
いろんなことが見えてくる。
一人一人、みんな違う。
似てる人でも、中身は大きく違う。
いい人も、嫌だなって思う人も、自分の感じ方ひとつで、ときには印象が違ったりする。
リクは、いろんな人を、ぼくよりも見てきたんだろうなと思う。
リクは、人を拒絶はしない。
敵も、仲間も。
向かってくる敵には真っ向から迎え撃ち、慕ってくる人は受け止める。
そこから先の行動は、相手次第。
そう思うと、うん、やっぱり他の人とは、違う。
そこにある、魂のまま。
面倒そうに、退屈そうにしてることもあるけど、それをも受け入れているように見える。
面倒さも、退屈さも、自分の周りで起きていることから逃げずに、否定せずにいる。
リクのところに人が集まるのが、とても自然なことに思えるよ。
フィジはぼくの話として人を認めるってことについて言ってくれたけど、リクこそ、どんな人をも認め、見つめ、物事を判断する。
リクの仲間になれたなら、それはその人にとって、なによりも悦べるものになる。
リクは彼方を見て口元に笑みを作っていた。
フィジの言葉に、思うところがあるのかな。
リクも、人との関わりを持とうとしている。
でも、そのことで人を救っている意識はないのかもしれない。
普通の暮らしができる、それは、ムトンではむしろ贅沢なこと。
世間での普通が、ムトンでも普通なのだと、そんな日が来ればいい。
翌朝は早くに出かける準備をさせられた。
リクはヤトゥ商会出資者子息となり、いいところの坊っちゃまにふさわしい服装をエヴァンスが見繕ってきていて、それを着た。おしゃれさんなエヴァンスの感覚らしく、ゆったりと動きやすい見た目で質素ながらも、いくつかの色を絶妙に配置した衣服は、顔立ちの整っているリクにとても似合っていた。
ぼくは管財官補佐に伴われたシン・レが持参してきた衣服を身につけさせられた。
マンダルバには昔ながらの民族衣装といったものはないが、その世代世代で流行を取り入れ変遷してきたらしい。マンダルバの本都では大国風の都会的な衣服がいまは流行ということで、身体に密着しながらも動きやすく立体的に仕上げた黒っぽい下衣と、襟を少し立てて簡素に見えるけど複雑な織り方をしてある白めの上衣、ぼくの体調も考慮してその上から柔らかな軽い毛織物の羽織ものを用意された。
シン・レはぼくの従者の位置につく。主人よりも目立たないよう、色の少ない、質のよい衣服。ぼくの着替えを手伝ってくれながら、本日は近くでお守りいたしますと、そっと、控えめな笑みで言ってくれた。ありがたいけど、何事もなければいいと願っていた。
町で少し髪を切って前よりも清潔感のある梳き上げた髪型のセリュフは、堅苦しいのは苦手なのか、いつもの格好よりはましになったくらいで、全然しゃれてはいない。
今日は色柄を抑え気味にした衣服のエヴァンスは、自身の金髪碧眼も相まって簡素でも華やか、あいかわらず黒づくめのル・イースは好対照だった。
目立つことをしたくないとヴィイは渋ったけど、さすがにヤトゥ商会随一の戦力はセリュフに強要されて、領主の館内部までの同行を了承した。黒っぽい衣装だけど、ル・イースの服のようにただの簡素なものではなく、よく見れば縦の織り目が交互にくるような複雑な織り模様の粋な衣服で現れた。ヴィイは見た目は普通だけどよく見れば素敵といったものを好んで着ているみたいで、セリュフは無駄な趣味だと笑っていた。
ヤトゥ商会の他の者たちは、ぼくたちとは少し離れて、分散して目立たぬように行動することになっていた。百名近くが一気に移動すれば、何事が起こったのかと本都の者が動揺すると言われて、それは理解できることではあるのでそのような形になった。
フィジは、女性らしさはないけど体の線がわかる薄めの服。袖や裾が緩めになっていて、動くたびにひらりと舞って、フィジの綺麗な顔立ちと相まって、なにか神秘的に見えた。似合ってる? と訊いてきたので、ちょっと気恥ずかしくなって、黙ってうなずくと、きみも似合ってるよと、むぎゅと抱きつかれた。胸が当たりそうなのでやめてください。
キースは、なんというか、こんな服でいいの? っていうくらいに、どこにでもありそうな単純な作りの服なのに、それを感じさせない存在感を持っていた。かえって、すごい。彼のすばらしい肉体こそが、彼の装飾品。そして、顔立ちが抜群に整っていて、目立つ。飛び抜けるくらいに背の高い人なので、それだけで人の目に入るし、過剰な装飾がないほうが彼にふさわしい。唯一彼の装飾品を挙げるとすれば、濃い蒼の瞳。宝石のように、一際美しくきらめく。
ジョーイ・ハーラット管財官補佐の衣服は、贅沢ではないが普通の役人よりも独自の仕様を取り入れたような上下揃いらしい黒に近い色。
クイン・グレッド管財官は、管財官補佐に近いものに個性を加え、鮮やかな紺を基調としたやはり上下揃いの上質そうな衣服で現れた。これは我々にとっての戦闘服ですよと言って、感情の読めない眼で笑った。
今回は、二人から四人乗りの馬車に分けられた。
クイン・グレッド管財官、その隣のシン・レと共に、ぼくとリクが二人並んで座った。
とくに会話なく、クイン・グレッド管財官は目を閉じ、シン・レは外の気配を探っているのか、時々真剣な視線を方々にやっていた。
向かっているのは、マンダルバ領主の館。
カルトーリの父が住んでいたところ。
マンダルバの未来を願って、そこから歴代の領主が、マンダルバを見つめ続けた場所。
リクは、ずっと窓の外を見ていた。その横顔は、いつもよりも表情がなかった。
ぼくはその横顔を見つめ、緊張での速い鼓動をなだめ、手に力が入りそうなのを意識的に緩めて、自分も窓の外の景色に目を移した。
町から離れていくに従い、家屋たちが少なくなり、自然が増え、建物がほとんど見えなくなり、自然そのものの風景がしばらく続いた。
管財官は、どんなふうにぼくたちを紹介するのだろう。
シン・レがカルトーリではないことを明らかにするつもりなのは明白だった。
だとすると、はじめから、ぼくがカルトーリであったと、明かすのだろうか。
それとも、アーノルト氏がなにか自ら主張するのを、いったんは聞くのだろうか。
ユナム少年は。
彼は、どうなるんだろう。
いろいろと思い悩むことがあって、そんなことを考えていると、もうすぐですと、管財官が目を開けていて、ぼくに告げた。
少し坂になった道を、馬車が上がっていく。
緑の木々もあるけど、岩盤の上なんだなとわかる岩が露出した光景も増えていく。
自然と共存する、断崖の丘の上。
黒っぽい石造りの古きよきといった趣のある立派な建物が窓の外に見えはじめ、何度か馬車が角度を変えたあと、動きが止まった。
管財官に促されて外に出ると、さあっと少し水気を含んだ風が上がってきていて、海風ですよと、乱れた髪をシン・レが直してくれた。
かすかに、波が岸にぶつかる音が聞こえる。崖の上にあるので、直接波しぶきはやっては来ない。
辺りに視線をめぐらす。
ここは、断崖地の一番上。背の高い木々はなく開けていて、視界の下側がこの場所の庭のように、さきほどから上がってきた緑の多い地帯が広がっていた。
視界に入っていた建物に視線を定める。
重厚で、でも威圧感はなく、そこにあるのがもう自然のものに見えるくらい、景色に馴染んでいる、マンダルバ領主の館。
その館の前は石畳で舗装された開けた平地があり、馬車がいくつか停められていた。
すでに、訪問者が来ているようだった。
塗り物を施された大きな二枚扉が開かれ、何人かマンダルバの人が現れ、管財官に一礼した。
「もうおいでなのか」
管財官の問いに、
「お揃いです」
と屋敷からの男の人は答えた。
ぼくたちのあとから、セリュフたち他の人が乗った馬車も着いていた。
自分の手が、自分のものじゃないと思えるくらいに冷たく、震えていた。
みんなが扉に向かって歩き出す中、ぼくはまだ立ち尽くしていた。
どうなるんだろう、これから。
ぼくがここにいることは、本当に正しいことなの?
目がリクを探していた。
ぼくのやや後ろにいたリクは、ぼくを見ていた。
ぼくの緊張にはもう気づいてるはず。
リクは待っていた管財官に目を向けた。
「少し時間をくれ」
リクの言葉に、管財官はうなずいた。
リクは、ぼくの冷たい手を自分のあたたかい手ですくい、馬車の横に、館から見えない場所にぼくを引っ張っていく。
馬車で遮られ誰からも見えなくなって、それでも緊張で震える両手を、リクは自分の両手で握ってくれた。
あったかい。
「なにも言わなくてもいい」
ぼくの目を見て、リクが言ってくれる。
「うん」
きみがいるから、心配はしてない。
リクがふっと笑った。
「おまえは、目がうるさいな」
どういう意味。
無表情だと、その整った顔立ちのせいで、より冷たい印象になるリクだけど、笑うと、少年らしさの残る感情豊かな表情に一瞬で変わる。
手を握ってくれる力が、少し強くなった。
すぐにそのまま、手が離れていく。
「いくぞ」
「うん」
先にぼくに行かせて、ぼくの後頭部をちょっとだけぽんと叩き、リクはあとから歩き出した。
これも、きっと戦場。
戦端は、すでに切り開かれていた。
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