第8話



 フィジが、ぼくたちにこのことを打ち明けている理由がわからない。

「そんな大事なこと、どうして教えてくれるんですか?」

「うん、単純なことなんだけど、そのいくつかの仕事依頼、名前を挙げた本人からではなくて、使者を通してきたこと、それから、あたしになにをして欲しいのか、不明瞭だから」

 え? そんなことで?

「あたしは別に秘密主義じゃないし、仕事を請ける相手には門戸を広くしているの。私情で仕事をしたことはないし、相手の思惑も知ったことではない。仕事を請けるのは、自分の条件に適ったときだけ」

「条件?」

「そう。いくつかあるけど、そうね、ひとつは報酬。希望額を一括で支払えること。それに、これは結構重要なんだけど、契約相手が、個人であること」

 それは協会でも聞いた話だ。

「個人なのは、どうしてなんですか?」

「魔法士や術者を必要としているのは、大概が組織なの。なんのために魔法や術が必要となるのか。水が少ない地域に水魔法が必要だとか、寒冷地で簡単に火を扱いたいだとか、そんなかわいらしい理由で魔法士を雇いたいというのは逆にまれね。仕事依頼のほとんどが争いごとなの。魔法といえば神秘的で不思議な響きがあるだろうけど、やっていることといえば、人を害することばっかり。組織の中でもいろんな人間がいて、人が違えば考えていることもそれぞれ違うのは当然だけど、それが仕事を通して表面化するのは大迷惑なの。組織の命令を与えている人間が途中で変わることもあるし、でもその都度やらされることがころころと変わるのは、あたしは受け入れられなかった、ということね。本当に面倒くさいよ? 命令が変わるまで、正反対のことをしていた、ということだってあるからね。個人との契約なら、相手がその立場を離れれば、むこうの契約不履行になるから、あたしの仕事はそれでおしまい。もしその後も仕事を続けさせたいなら、契約し直しになるし、その条件がそのときの状況によっても変わるから、再契約しないことだってありえる。そういうこと」

 でも、それは仕事を請ける人間にとって、すごく不利な条件なのではないだろうか。

「あの、それだと、仕事依頼が減ってしまいませんか?」

「そうねえ、それがそうでもないのが、現時の世情の救いがたいところなのかなあ。それでもいいってところが結構多くてね。自分たちの利益のためになりふりかまわない人間ばかり。でもね、それが人間ってものだと思うし、それが悪いことだとは思わない。だから、あたしを雇いたいというなら、善人だろうと悪人だろうと、それは大した問題じゃない。協会で聞いたんでしょ? あたしの評判。仕事に善悪はない。どちらに雇われても、あたしたち魔法士がやらされることは、大きく変わることはない」

 でも、それだと、なにも悪くない人が犠牲にならないだろうか。

「不満そうな顔ね。考えてることは想像つくけど。あたしは罪を裁く者じゃない。生きているためにやっていることを、他人にとやかく言われるのは好まない。どう思われても気にしないけど、責められる筋のことじゃない。もし人を救いたいと思うなら、個人でいてはだめ。組織に属し、その長となり、悪人を攻めることね。その悪人が死ぬことによって悲しむ人間がいるかもしれない、巻き添えになる者があるかもしれない、そういうことを承知の上でね。覚悟の意思でもって人を殺すのが善人、なんの覚悟もなしに簡単に人を死に追いやるのが悪人、そういうことなの? あたしはそうは思わないけど」

 ぼくは、そんな難しいことは、わからない。

 でも。

「人が死ぬのは、いやです」

 フィジの眼を見て言った。

「それが悪人でも?」

 フィジの眼は真っ直ぐで、ぼくがどういう人間なのだか、奥のほうまで見ているようだ。

 悪人でも?

 その悪い人間とは、誰にとってのことだろう。

「わかりません……でも、たとえば誰かが死んだ、と聞いて、それが、すべての人が、その人は悪い人だった、と言ってても、なんか、喜べません」

 ぼくが言っていることは、偽善と言われることかもしれない。

 だけど、その想像は、ぼくをもの悲しい気分にさせた。

「ふうん」

 フィジはうつむきかけたぼくの髪をそっと撫でた。

「困るなあ。私情は仕事に持ち込みたくないんだけどな」

 フィジはそう言って手を離す。

「その、マンダルバ関連の仕事を、請けられるおつもりなのですか?」

 エヴァンスが戸惑いがちな声で尋ねる。

「それねえ、どうしようかなあ」

 心底困ったようにフィジはつぶやく。

「関係者と会ってからにしたら?」

 ずっと静観していた男性が言った。

「もちろん会うけど、なんか、別々に会うのが無意味なような気がしてきた」

 ええ?

「いっそのこと、関係者全部、集めようかな」

 なんだか雲行きが、違う方向に。

「好きにしたら?」

 男性は突き放すのではなく、本当にフィジがいいように、という感じで言った。

 聞いているほうは、そんな無責任な、と思ったけど、

「うん、そうしよ」

 フィジは悩む様子もなくあっさりと告げた。

 と、ここでぼくは我にかえった。

 ちょっと待って、こんな展開で、いいの?

 ぼくは恐る恐る、顔を後ろに向けた。

 すぐ後ろにいたエヴァンスは、困惑したようにぼくを見ていた。

 そのさらに向こうにいる人のほうを見るのには、いままでで一番の勇気を絞り出した。

 リクは、

 ん?

 いない?

 一瞬そう思ったけど、視線の先を変えると、

 いた。

 リクは草地の上に寝転がり、眼を閉じていた。

 確かにいまは眠気を誘われるような陽気で。

 ぼくは心臓を激しくさせていたのがとんだ勘違いだと知り、安心するどころか、ひどく気落ちした。

 リクは、きっとぼくに失望した。

 どうしよう。

「誰に言おうかな。ああ、ちょうどいいところに」

「こんなところにいらしたのですか。約束の時間はもうすぐですが」

 一人の男がこちらにやってきた。マンダルバ人のようだ。

「そうね。それなんだけど、ちょっと頼まれてくれる?」

 男性の腿に乗ったまま、顔だけを相手のほうに向けフィジは男に言う。

 急いでやってきたのか、男は息をはずませていたのを落ち着かせて、笑顔を見せた。

「いかなることでしょう?」

「たしか、あなたはマンダルバ前領主義弟からの仕事を持ち込んだ人ね? いまから言う人を、一箇所に呼んでくれない? マンダルバ管財官補佐、いえ、管財官本人と、マンダルバ領主候補全員、もちろん、前領主の義弟も」

 その男は、なにを言われたのかわからなかったようにフィジの顔を見続け、その後理解をしたらしく顔を紅潮させた。

「なにを、なにを言うか! おまえはアーノルト様の仕事をするのだぞ! 事情を理解しているのか⁈ たわけたことを」

 怒りに立場を忘れたのか、もともと自分のほうが高位にいると思っているのか、男はフィジに怒鳴った。

 フィジのほうは、とくに気にした様子も、男を侮る様子もなく、さらに男に言った。

「まだそちらの仕事を受けてはいないし、あなたにも返事をした覚えはないと思うんだけど。そのアーノルト氏に会う約束をしただけだったよね、キース」

 男性のほうを見て、にこりと笑ってみせた。

「そのはずなんだけどね。あなた、お名前はなんとおっしゃいましたか」

 男性は男に穏やかな声で言った。

 男がそれに答えようとするのを、今度は片手を上げて封じ、

「ああ、それはどうでもいいのだった。もし、彼女の言うことを聞いてくださらないのなら、彼女が出向く理由がなくなるのですが、それに対して、どうされるおつもりなのでしょう? まさか、術者である彼女に、実力行使が通用すると思っていらっしゃるのでしょうか? もしそうなら、僕が先にお相手しますから、どうぞ、お好きなように」

 と笑顔を添えた。

 殺意を見せたわけでも、大声を出したわけでもない。

 それでも、わかる。

 彼はそのまま男のところに行き、一瞬で男を殺害することができる。武器を持たなくとも。

 究極の脅しだ。

 これに脅威を感じない人は、この世にどれだけいるだろうか。

 男もわかったのか、声を失ったまま両手を彼のほうに向け、何度もうなずきながら後退していく。一定距離を越えると、男は限界に挑戦するような速度で後ろを向き、全速力で駆けていった。

「言う通りにしてくれるかな」

「してくれるんじゃない?」

 恋人同士らしき二人は、料理の注文をしているような手軽さで会話した。

「悪いけど、きみも付き合ってもらうね。ちょうど食事どきだし、向こうに奢らせるから」

 確かにそろそろお昼どき。

 ぼくはリクのほうを見た。

 食事どきと聞こえたからか、リクは片手を地面につけたまま上半身を起こし、下を向いて自分のお腹を片手でさすっていた。

 不機嫌そうなのが、ぼくに怒っているからか、腹が減っているからなのか。

 その不機嫌さに怯えるぼくにはわからなかった。




 またもや不本意な、一堂に会しての食事となった。

 食事のときに会合をするのは、どんな世界でも共通のことかもしれないけど、緊張感の張り詰めたところで料理の味がわからないのは前回で実証済みだ。

 今回は、スーザで一番質の高いと言われる店を貸し切ったようで、マンダルバ領事館での大きな卓で全員で、というのではなく、四、五人ほどでの食卓に分散する形となった。

 これも一種の戦場なのだろうか。

 剣を振り回して戦うのとはまったく違うけど、心理戦も戦いのひとつであるはず。

 前回と違うのは、以前がある程度全員承知の元であったのが、今回はまったくの不意打ちであることだ。

 アーノルト氏は平静を装うものの、機嫌がよくないとわかるし、クイン・グレッド氏は相変わらずの無表情、ユナム少年は少し怯えるように周りの人に視線を行き来させ、シン少年は周囲を観察するように強い眼をしていた。

 ぼくは周りのことより、リクのほうが気になっていた。

 いま、こんなところに、こんなことでいたくなかった。

 リクはエヴァンスと一緒に来てはくれたけど、あれから発言どころか、ぼくに視線すら向けない。

 エヴァンスはリクの機嫌の悪そうなのを察してか、ぼくに気遣ってくれているようだけど、リクのことは放っているらしく、助けてくれるわけでもなかった。

 気乗りしないまま、こんな場所にいたら、取り返しのつかないことにならないだろうか。

 フィジとキースだけが、この状況に動じず、なんでもないことのような顔つきだ。二人でひとつの卓について、次々に出てくるマンダルバ特産の野菜、魚、肉料理、いろいろな種類や形のパン、葡萄酒のような鮮やかな色の飲み物など、美味しそうに手をつけていた。

 他の席には、クイン・グレッド氏とジョーイ・ハーラット氏、アーノルト氏とユナム少年と前に見た付添人、そして、ぼくたち三人とシン少年も一緒の席に着いた。

 いまリクと一緒にいるのが気まずくて、なにか緩衝物はないかと無意識にめぐった視線の先にシン少年がいて、彼はどうしても一人になってしまうし、ぼくが遠慮がちに誘ったら、シン少年はちょっとした笑顔で受け入れてくれた。結構男前な性格だ。リクと出逢っていなくて、彼と最初に出逢っていたら、彼を慕っていたかもしれないと思わせるほどだ。

 リクはぼくがシン少年を誘ったことに、なんの反応も見せなかった。黙々と料理を食べていた。

 ぼくは本格的に途方に暮れた。

 もう、なりゆきに任せるしかなかった。

 食後のお茶とお菓子が出て、フィジはそれも美味しそうに食べていた。

 キースは自分の菓子を彼女に与え、その様子を笑顔で見ていた。ぼくたちのことは完全に忘れ去っているかのようだ。

 店内の緊張感から飛び出たのは、アーノルト氏だった。

「フィジ、といったな。きみはなぜ我々をこの場に呼んだのかね。我々になんの用だ。食事を楽しませたかっただけなのか?」

 他の人が彼女を雇おうとしていることを知らないのだ。

 フィジはここに来てから、その件についてひとことも言ってはいない。

 フィジはアーノルト氏のほうへ少し横向きで対峙した。

「あたしを呼んだのは、皆さんのほうでしょ? 面倒だから、一度にしたの」

 いともあっさりと、最も重要なことを彼女は言った。

 アーノルト氏は眉を寄せて周りを見まわし、最後にユナム少年を見た。

「おまえ、まさか」

「ごめんなさい! いろいろ、心許なくて……お金で雇える人なら、仕事が終わるまでは僕を助けてくれるだろうと思ったから」

「なにを恐れることがあるというのだ。おまえがカルトーリだと、言っているだろう」

 その断言に、あえて反論する者はいなかった。

 クイン・グレッド氏は傍観する姿勢だ。ジョーイ・ハーラット氏はこの状況を面白がっている顔だったが。

 こちらの席は、はなから部外者だった。

「管財官、おまえもか」

 クイン・グレッド氏はまったく動じることがない。

「なんのことでしょう」

「とぼけるな。術者をなんの目的で雇う必要がある」

「いろいろと探っておられるあなたがご存知ないとは思いませんでした。いまマンダルバの置かれている状況は、けっして楽観できるものではありません。ムトンやこのスーザが間にあるとはいえ、最も近い小国ハレイナディやロームナンド、自国の領土を維持し続けているミリアルグでさえも、マンダルバに無関心なのではありません。いまは様子を探っているだけでしょうが、この状況が膠着するようなら、どのような手出しがあるかわかったものではありません」

「それは承知しているが、ひとりの術者を雇ったからといって、それに対抗できるはずがないではないか」

「彼女を雇うということは、もうひとりの方を味方にできるということなのです」

「もうひとりが、彼、ということか」

 キースはとくに反応を見せず、茶碗を口元に運んだ。

「マンダルバに、知っている人がいるとは思わなかったよ、クイン・グレッド管財官」

 フィジが言った。

「情報は、私の専門分野ですから。もっとも、あなたを雇うのが簡単なことではないことも分かっています。報酬については、言い値でお支払いできると約束いたします」

「あなたなら、その地位はしばらく揺るぎなさそうね」

「いかにも」

「待て待て」

 アーノルト氏が遮った。

「アーノルト様、あなたはなにゆえ彼女を必要としていらっしゃるのですか」

 冷ややかな声でクイン・グレッド氏が問うた。

「当然、マンダルバの行く末を案じてだ。おまえほど状況分析は長けていないが。マンダルバの魔法に関する人材不足は否めない。たまたまいい人間がいると聞いたので、招こうと思ったまでだ。いい人材は、早めに押さえておくに限る」

 淀みない口調は真実のように聞こえる。

 この中で偽りを言っている人は誰もいないのかもしれない。

「彼のことは、知らなかったの?」

 フィジがアーノルト氏に訊いた。

「その男が、誰だというんだ。皆いやにもったいぶるな」

 キースが只者ではないと察しているようだが、正体までは知らないみたいだ。

「そうなの? 結構彼目当ての依頼もあるんだけど。でも、言っておくけど、彼は雇えないよ? それでもいいなら話を聞くけど」

 どういうことだろう。

 皆の疑問を、クイン・グレッド氏が代弁した。

「どういうことでしょう?」

「それは知らないのね。まあ、知ってる人はほんのわずかだけど。彼はね、あたしが雇ってるの」

 驚かされることが多いので慣れているつもりだったけど、今度のことは、驚く以前によくわからなかった。

「雹雲のキスリングを、あなたが雇っている、のですか」

 さすがのクイン・グレッド氏も、表情には出てないけど驚いたのかもしれない。

「キスリングだと⁈」

 アーノルト氏もキスリングの噂は知っていたようだ。

「そう。だって、そうでもしないと、ずっと一緒にいられないじゃない」

 そんな理由なの?

「だから莫大な報酬を要求されるわけですね」

「彼と一緒にいるには、費用がかさむの。無職でいさせるわけにはいかないでしょ? だったらあたしが雇えば済むもの」

 違う次元の話を聞いている気がする。

 えっと、ということは、キースはフィジの、あれ? なんて表現すれば正解なんだろう?

 くくっと笑ったのはリクだ。顔は別のほうに向けていたけど。

「笑いごとじゃないんだよ? 失礼だなあ。この人、仕事しないって言うんだもの。仕方ないじゃない?」

 キースは笑っている。楽しそうだ。

「結婚は、されないのですか」

「どこに届けを出すの? 神様は信じてないし、固定の国籍はないし。そういうわけなの」

 はあ。理解した。

「仕事をされない、ということは、あなたと一緒に来られても、彼はなにもなさらない、そういうことですか」

「あたしの意思はきいてくれるよ。それと、彼が独自に行動するとしたら、あたしに危害がありそうなときね」

「では、やはりあなたを雇えば済むお話です」

「彼は積極的には動かないけど、まあ、敵にならないだけでもいいでしょうね」

「それは最も重要ですね。あなたを正式に雇いたいと思うのですが、返答はいかがでしょうか」

「待て」

 アーノルト氏が再度遮る。

「なにか?」

 クイン・グレッド氏は、アーノルト氏を相変わらず冷ややかに見る。

「私が彼女を雇うのに、なにかご不満でも」

「いや、そうじゃないが、いや、そうだな。おまえはいま、権力を持ちすぎている。そこへもって独断の行動は、いらぬ詮索を避けられないぞ」

「詮索? 探られても痛む腹など持ちませんが」

「おまえがマンダルバ領主として名乗りを上げるのではないかと思うものが出てくるのではと、懸念しているのだ」

「私はマンダルバ領主代行として、正式に申し出ているのですけどね。万が一、そういった方が出てくれば、あらゆる方法で理解を求めましょう」

 どうにも話が進展しない。

「こうしたらどうかな?」

 キースが穏やかに言った。

「なに?」

 フィジが返す。

「マンダルバ領主が決まってから、その人の話を聞けば? どうも、皆さんマンダルバのことを思ってのようだし。それまでマンダルバでのんびりしたら?」

 キースは的確に助言しているようで、一部にとっては一番都合の悪いことをいつも言っている気がする。

 フィジにとって最善の方法を言っているからだ。

 各々独自の意見はあったにしろ、これは誰も反論しなかった。反論できるだけの正論を思いつけなかったんだろう。

「そうね、そうする」

 なんともできた組み合わせの二人だ。何事にも相性がいいのだろう。

 喧嘩すること、あるのかな。

「わかりました。それでは、マンダルバには明日出発するのですが、同行していただけますか?」

 クイン・グレッド氏の問いに、フィジは笑顔を見せた。

「そうします」

 そう言って、彼女はぼくに視線を寄越した。

「これで、きみの願いが叶ったね」

 皆の視線がぼくに集中した。

 誰が、どうやって、この結果が生まれたのだろう。

 皆のあらゆる視線が痛くて、ぼくは身を縮めた。

 隣のリクが喉の奥で笑いながら、ぼくの頭をぽんと叩いた。



「怒ってないの?」

「なにがだ」

「ぼくに」

「怒ってはいないが、あきれてた」

「俺も、どうなることかと、はらはらしましたよ」

 これはエヴァンスだ。

 “白雉”の自室で寛ぎ、やってきたセリュフに報告をしていた。

 エヴァンスとセリュフは食卓の席に、ぼくとリクは床の敷物の上。

「まあ、敵にまわらなかっただけでも上出来だ」

 セリュフはそんな感想を言った。

「しかし、術者フィジがこの街にいたとはね。しかもキスリングつきで」

「どんな人だか、知ってました?」

「ある筋では有名だからな」

「よくないほうで、有名なんでしょ?」

 セリュフは、食卓に肘をつけ、手のひらに顎を乗せた。

「そうだなあ。皆が知ってるところで言うと、タギヤの虐殺だな」

「ああ、あれか」

 リクは床の敷物上に寝転がったまま、記憶を探るように納得の声を上げた。

「ちょ、ちょっと、それ、大事件じゃない」

 エヴァンスが敬語を忘れるような、大変な出来事らしい。

 虐殺。

 人がたくさん死んだことに、彼女は関わっていたのか。

「あ、ええっと、それはですね」

 と、まだ驚きながら、エヴァンスが説明をしてくれた。


 精霊、それは自然の力の具現。

 その精霊と、人間が共存する、このフロルト大陸。

 西部は山岳地帯が多く、最西部は血統を重んじる国家ソサイデ。ガッダン山岳地帯が他国の侵入を許さず、独自に発展してきた。

 その東にムトンの地域やスーザがあり、荒野が多く無法地が占めているが、さらに東には小国ハレイナディとロームナンドが並び、ムトンの南部にマンダルバ領。

 大陸全土北部は寒冷が長く、他国の侵略を防ぐために八つの国が互いに支え合う、北方八極連合。

 中央は、独自の治世で長く続いている司法国家ミリアルグと、王侯貴族制の大国アスリロザ。

 乾燥砂漠地帯と熱帯雨林の南部では、各地の支配欲を抑制するため共和国と連合国で治めている。

 東部は商業国家ノホノア共和国、そして、古くから根付く多民族をまとめて勢力を広げてきたフェン国がある。

 その、フェン国のタギヤという土地で、近年、国家に対する叛乱が起きた。

 フェン国は、好戦的な民族の、数多ある争いの末にできた国家で、民族間での小さないざこざはよくあることだった。支配権は最も数が多いユタ族にあり、王権によって治めていた。

 そのユタ族から支配権を剥ぎ取るために、ワシ族ら少数民族が結託し、タギヤにて戦火を上げた。

 ワシ族は傭兵を雇うなど戦闘組織力を増やすことでユタ族を脅かしたが、戦況はユタ族勝利の方向に進んでいた。

 激しい戦闘により戦力が衰えたワシ族は、フェン国王に停戦を求めた。

 これで叛乱は終結したと、関係者、周辺国は考えていた。

 しかし、フェン国王は、ある命令を下した。

 ワシ族の根絶やしだった。

 好戦的な民族とはいえ、ユタ族の者はその命令に躊躇した。

 民族の根絶やし、それは、戦いに参加した者のみならず、女、老人、子供、赤子、すべての人間を殺害することだ。

 躊躇した自民族に代え、フェン国王は金で請け負う者を雇った。

 ワシ族は、子供までも殺害され、フェン国王の命令は完遂された。

 タギヤの悲劇は、各国に伝えられ、忌まわしき虐殺として語られた。


「大虐殺、と言ってもいいんだろうが、正確な死者数は発表されていないからな。内乱だから、戦況も非公式だし」

 セリュフは他人事のように軽い口調だった。

「叛乱が長く続けば、国政は破綻するし、自国民も多く失う。なにより、周辺国の介入が予想される」

 リクも淡々と言った。

 そうだとしても。

「停戦申し出の時点で、叛乱はほぼ鎮圧されてたんだがな」

「あの民族は、とくに復讐心が強いといわれていた。時間が経って、子供が育てば、脅威になると王は考えた」

 自分がそのフェン国王のように、リクは言った。

 でも、その結果は?

 その叛乱は、誰にとって正義で、誰にとって悪であったのか。

 フィジが言ったことは、理解できないわけじゃない。

 だけど。

 ぼくは座っていた床から寝台に這い上がって、横になった。

「ナオ」

 リクが呼んだけど、返事ができなかった。

「あっと、我々は退散します。すいません、変な話をして」

 エヴァンスが済まなさそうに言ったけど、答えられない。

「リーヴ、あとでまた来る」

「ああ」

 セリュフにリクは返事をし、寝台に上がってぼくの顔をのぞき込んだ。

「ナオ」

「きもちわるい……」

 話を聞いていて、想像が強すぎて、場面が鮮明に浮かんでしまった。

「マンダルバに行くのは、やめるか?」

 フィジと、笑って話をできるだろうか。

 それはわからないけど、ぼくは首を振った。

「頑固な奴だ」

 リクは息をついた。

 そのまま放っておかれたけど、リクはぼくの横にいた。

 リクが、セリュフが、エヴァンスが、ル・イースが、フィジが、キースが。

 ぼくの知っている人たちが、ぼくの目の前で人を殺したなら、ぼくはそれに眼を背けずにいられるだろうか。

 殺されるかもしれない人のことよりも、そっちのことを考える自分自身に、ぼくは気分が悪くなったんだ。


 最低だ。


 いったい、誰が?


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