第7話



「なるほど、それでお勉強をなさっているのですね。世情を知るのは、どの立場にいる者にとっても大切なことですからね。それに、直接協会にまで足を運んでくださる方は、協会にとって、もっとも貴重な方です。魔法や魔法士の仕事内容などに興味を持ってくださっても、噂や簡単な説明くらいしか外には出回らないようでして、なかなか魔法士本来の魅力に皆様気づいてくださらない。そんなにこの協会の敷居は高いのでしょうかね。近年、魔法士協会のほうから積極的に活動をするようになりまして、人材発掘のためにもいろんなところで説明会や実地研修などを行うようにはなりましたが、そもそも魔法の才能を持つ人間が少ないので、まあ正直思うようにいっていないのが現状です。少しでも興味を持ってくださる方が増え、自身の隠れた才能を見出してくだされば、協会とって大変喜ばしい。ですから、見学者は大歓迎でございます」

 リクが以前に揃えてくれた新しい衣服を身につけ、マンダルバ領主後継者らしく身だしなみを整えたぼくは、リクと共に、街の中心街から少し外れたところにある魔法士協会の建物にやってきていた。

 見た目は周囲の建物となんら変わらず、むしろ専用の建物ではなく、建てたあとから入居が決まったのではないかと思うくらいで、事務的だが来客用らしき部屋に案内された。魔法士協会という名の響きだけで神秘的なところか、あるいは薄暗い魔窟的なところを想像していたので、あまりに現実的な雰囲気に拍子抜けしたくらいだ。

 愛想のいい応対をしてくれているのは、一見普通の一般人のような、三十歳代の男性で、ショールと自己紹介を受けた。見学者だと名乗ったぼくたちに説明をするためにやってきた人物で、愛想はいいし、ぼくのような子供を前にしても、ちっとも偉そうな態度を見せない。自身が言うように、人材発掘を目的にちゃんと活動をしていることをうかがわせる。ここに来るまで身構えていたぼくは、余分な緊張感を解くことができた。

 小さめの木卓を前にぼくとリクは並んで座り、ショール氏が来る前に他の女性が淹れてくれたお茶をいただきながら、軽い談話を楽しんでいる者たちのようにショール氏の話を聞いていた。ショール氏は向かい側に座っていた。

「魔法士になるには、結構な年数が必要になります。ですから、幼少の頃より技を磨くことが、一人前の魔法士になるための早道となります。レナン様のような年齢ですでに修行に入ったという方が、優秀な魔法士となられる場合が多いのです。それでもやはり才能が備わっていないと、いくら修行を積んでも無意味ではありますが。実力の浅い者でも、単純な仕事もございますし、世間との関わりはいくらでも見つけられましょうから、修行期間が無駄になることは、決してないと言えるでしょう」

 よく喋る人だ。あまり質問する余地がない。

「魔法士について、基本的なことはご存知でしょうか? おお、それは説明時間が短縮できて結構でございます。魔法の力に憧れて、魔法士を目指される少年少女たちは年々増えております。しかし、残念ながら、その方々すべてが魔法士になれるわけではございません。このようなことまでお伝えすれば、魔法士になられたいという願望をお持ちでしたらお気持ちの変化があるやもしれませんが、事実はしっかりとお伝えしてこそ、魔法士たちの未来が開けるものと信じておりますので、どうぞお聞き届けください。命に関わる職業だからこそ、志のある方を募っているのです。もちろん、ご自身が魔法士を目指しておられなくとも、なんらかの形で、魔法士と接することがおありでしょう。魔法士を雇われる立場となれば、なおのこと、魔法士の真髄を知っていただかなくてはなりません。魔法を扱い、それをもって仕事とすれば、なんぴとでも魔法士を名乗れます。ですが、一人前の仕事とは、戦場での戦士の補佐の職や、継続で専属契約ができるような筋の、専門職を有してこそ、認められるものでございます。それは、魔法士界の門をくぐった者の中で一割に満たない数であると、統計では出ております。それだけ、魔法の才をお持ちの方が希少だということなのです。レナン様、また、知人の方々も、どうか、市井にて魔法士をお見かけの際は、本人の努力と才能に、最低限の敬意を払ってやってくださいませ。それが魔法士に伝わりましたならば、必ず、恩義をもって、皆様に報いる働きをすることでしょう」

 ぼくはショール氏の眼を見ながらうなずくのが精一杯だった。

「前置きはこのくらいにいたしまして」

 うわ、この長いのが前置きなのか。

「魔法士に関わることならば、すべて承ります。見学、ということでございますが、この協会の中で見ていただくことなど、たかが知れておりまして、私がこのように口頭にて説明させていただくことに限られてしまいますが、疑問、質問はありますでしょうか?」

 ぼけっとしていたぼくに、隣に座って一緒に話を聞いていたリクが、靴先でぼくの靴の腹を小突いて、合図を寄越した。

「あ、えーっと、この前、この街の広場で、魔法を使っていた人たちを見たんです。なんだか、魔法の練習をしていたような感じで、他の大道芸人さんたちに混ざるようにして」

 なんとか考えついた質問に、ショール氏はにこやかに答えてくれた。

「さようでしたか。この街にも、修行中の者が結構数おります。魔法士養成校はこの街にはないのですが、講師として教えられる魔法士は何人か滞在しております。後世の者に魔法を伝えていくのも協会の使命としておりますので、ある程度の報酬を用意し、そのように見習いたちに教えてくれる魔法士を街で受け付けております。次の仕事を始めるまでの手慰みとして引き受けてくれる魔法士もあり、そのように協会発展に貢献してくれているのを大変嬉しく思っております」

「この街に、魔法士さんがやってきたら、みなさんこの協会に来られるんですか?」

「いいえ、そうとも限りません。すでに仕事に就いていらっしゃる方は来られません。協会の情報を欲しておられる方か、求職中の方ですね。協会には、斡旋所や国家機関など、いたるところから個人の魔法士に関する問い合わせが発生いたしますので、得意分野や職歴など、分かる範囲で情報を提供しております。ですから、求職中の魔法士は、主要都市の魔法士協会などに立ち寄ることで、次の職に就きやすくなるのです。このように、通常経路の職探しならば、魔法士は必ず滞在先の魔法士協会に参ります。一部には、裏経路での契約をしている者もあるようですが、そのような者は信用問題に関わりますので、安易に契約なさらないほうがよろしいでしょう。もちろん、協会に在籍していないからといって、実力が伴わない、ということはございません。あくまで、協会の情報はひとつの目安にすぎません。すべての責任は、魔法士を雇う側の力量にかかっているのですから」

 自分の眼で見て雇え、自己責任、てことか。

「でも、たとえば、いままで魔法を見たことがない人は、どうやって判断すればいいんですか? なにが普通で、どんなことが凄いことなのか、わからないのに」

「はい、そのようなときこそ、この協会を頼りにしていただきたいのです。協会は、魔法士の実力を測る眼を養っております。斡旋所などには通さずに、直にこの協会に問い合わせくだされば、お求めの魔法士がおりますかどうかを検索できるのです。ひとつの支部に、近隣の支部より情報も入って参ります。お急ぎのことでなければ、遠方の支部より情報を取り寄せることも可能でございます」

 でも、ぼくたちは急いでいる。

「えっと、ぼくはいま魔法にすごく興味を持ってて、一番すごいというほどの魔法を見てみたいんです。でも、まさかそんなすごい人がこの街にいるなんて偶然、ないですよねえ」

 いまここにはいないエヴァンスの演技力を見習って、少しおおげさに残念そうに言ってみた。

 ショール氏は、いったん考える様子を見せ、ためらいがちに発言した。

「魔法士の力を極め、最大限まで高めることで精霊の力の根源を引き出すことが可能となり、さらに、五精霊すべてと契約し、その五つの精霊より根源の力を発揮できれば、術者となれます。術者は魔法士の最高峰でもあるのです。残念ながら、この小さな街に術者組合はございません。魔法士に比べれば、術者の数はまた極端に少ないからです。大国ならばそれも存在するのですが、このスーザでは、魔法士協会が術者の情報管理も兼務しております」

 この様子では駄目か、と思ったとき。

「現在魔法士で実力者の登録はございませんが、非公式ながら、術者が一人、街に滞在しております」

 と、なぜだか浮かぬ顔でショール氏は言った。

 それまで傍観者となっていたリクが発言した。

「なぜ、非公式、なんだ」

「それが、なんといいましょうか、魔法士といえば魔法士ですし、術者といえば術者ですし、結局のところ、魔法士としての求職登録が現在ないわけでして、術者組合がございませんので、術者として求職中として登録されているわけでもなく」

「はっきりしないな」

「はい。協会としては、求職登録をしていただければいいのですが、ちょっと、一筋縄ではいかない人物でして。実力はある方なんです、なんですが」

「他に問題がありそうだな」

 ショール氏は、気が進まなさそうに語った。

「はい。問題なんです。移動なさるたびに各所の協会に立ち寄ってくださるのは大変よろしいのですが、この表経路はもちろん、裏経路でも取り沙汰される方でして」

 と、あれだけはきはきと話してくれていたショール氏の声が、だんだん小さくなってきた。

 またリクに足を小突かれた。

「あの、どんな人なんですか。実力がある人なんでしょう?」

「はい。術者でいらっしゃるので、並の魔法士よりも遙かに上等の実力をお持ちです。しかも五精霊すべての魔法を扱いになられる。それだけならば、協会にとって誇れる方なのですが……包み隠さず申しますと、その方の仕事ぶりが問題視されております。契約は完遂される方ですが、初めに交わす契約内容、さらに、その雇い主をどう選んでおられるのか、社会倫理を外れることもなさる方で」

「あの、よくわかりませんけど」

「そうですねえ。事例を申しますと、国家、都市、そういった組織との就労契約は、組織と行います。ですが、その方は、国家ならば最高元首、都市ならば統治者、一般組織においてもその責任者などと、個人と契約なさいます。それも、どういった立場の組織であっても、仕事となれば躊躇なくその契約内容を履行なさいます。それは、どのような内容のものであっても、です。報酬については、実力に適った相当に高いものであると推察できますので、どうも報酬さえ手に入れられれば、仕事内容に頓着されていないのではないかと噂されております」

「悪名高い、というわけか」

 リクが興味ありげに言った。

「はあ。ですから、裏経路での仕事のほうが多いのではないかと思うのですが、今回のように、立ち寄られた魔法士協会のほうにも必ず顔を出してくださいますし、仕事はきっちりとなさる方ですので」

「協会から追放もできないと」

「はあ、そのようでして。あの、わりと気さくな性格の方ですので、仕事ではなくとも、魔法の披露程度ならやってくださるのではないかと。子供好きでもいらっしゃるので」

 足を小突かれた。

 わかったよ、もう。

「教えてくださって、ありがとうございます。できればお会いしてみたいです。どこに行けばその人に会えますか?」

「滞在されている宿はうかがっておりますが、日中はおられないでしょう。活発な方ですから。宿は、“白雉”でございます」

 それを聞いてリクがすぐに席を立った。

「わかりました。ありがとうございました。行ってみます」

 ぼくも立ち、慌てていることを表さないようにしながらショール氏に礼を言って、まだ聞いておかなければならないことがあることに気づいた。

「あの、その人のお名前は、なんていうんですか」

「フィジ、とおっしゃいます。ひとつ、補足でございますが」

 ショール氏は立ち上がりながら言った。

「お顔をご覧になってすぐにはその方が本人であるか、ご判断が難しいでしょう。外見から術者であるとわからない方ですから。みなさん驚かれます」

「どうしてですか?」

「術者となるには、魔法士となってからさらなる修行期間が必要となります。素養も大きく関わりますが、十年ではきかないでしょう。ひとつの種類の精霊を使いこなすだけでも努力と才能が必要であるうえに、五精霊すべての魔法を極めなくてはならないのですから。一人前の術者として仕事ができるようになるのには早くとも三十歳代に入ってから、というのが一般的です」

「若いのか」

「お若い、女性です」

 リクの問いに、ショール氏は浮かない顔をしていたのを忘れたかのように、ほほえんだ。実力ある魔法士で術者であるその人のことを、ぼくたちに話せたことを誇っている、そんな表情だった。

 もう一度ショール氏に礼を言い、魔法士協会の建物を出て、ぼくを置いてきぼりにする速度で先を行くリクを小走りで追いかけた。足の長さが違うリクの速度についていくのは一苦労だった。

「とんだ無駄足だ」

 リクが歩きながらそう言ったので、なにがだろうと思った。

「どうして?」

「宿がだ。俺たちがいま泊まっている宿が、“白雉”だ」

 それは、知らなかった。白くて上品な建物ではあるけど、さすがに名前を訊いてなかった。

「身隠しの術をかけてたら、魔法を身につけた気配がわからない。誰も気づかなかったわけだ」

「気配って。そんなの、わかるもんなの?」

「ああ。精霊を手に入れただけじゃ、魔法は使えない。修行するって言ってただろ。魔法を扱うということは、その力を見に纒うわけだから、魔法を扱える者だったら他の者の力も感じ取れる」

「ふうん」

 雑多な繁華街を避けて裏道らしきところを通っていると、思いがけず声をかけられた。

「リーヴ。わかりましたよ」

 エヴァンスだ。手を上げてぼくたちを呼び止めた。

「わかりましたよ、金髪美青年の行方。やっぱり目立つ外見で、そこかしこで情報を得られたようです。なんとその人物、“白雉”にいるらしいですよ」

 え? それはものすごい偶然だ。

「足元は見えないもんですねえ。いや、この場合は頭上になるのか。たぶん上階に泊まってるんでしょう。その人物がキスリングだったら、たっぷり金は持ってそうですからね。魔法士探しのほうはどうでした?」

「その探し人も“白雉”に泊まってる」

「へえ、一度に片がつきますかね」

 エヴァンスも共に宿に戻り、宿の職員に話をきくことになった。他の客のことを教えてくれるか不安だったけど、長くこの宿に逗留しているぼくたちを信用してくれているみたいで、教えてくれた。

「はい、お二人とも、当館にお泊まりでございます。ですが、一緒にお出かけになられました」

「え、一緒に?」

 質問したエヴァンスが驚きを隠さず、思わずといったように言い直した。

「はい。一部屋に共にお泊りですので。本日も連れ立って出かけられました」

 偶然どころか、それは当然のことだった。

 それにしても、探し人二人がそんな親密な関係だなんて。

 どんな人たちなんだろう。

「男性のほうは、キスリング、ですか」

「いいえ、キース様とうかがっております」

 キース。キスリングを愛称のようにした響きの名前に、本人である可能性は高い。

「どこに行かれたんでしょうねえ。お会いしたいんですけど」

「存じません。夜にはお戻りでしょう」

「うん、それじゃちょっと遅いんだよね」

 “白雉”の職員は、少し考え込んでから言った。

「先日、学校はどこか、とフィジ様がお尋ねでしたのでお教えしました。子供がお好きだとおっしゃっておられたので、もしかしたら」

 結局、また出かけることになった。

「一緒にいるなら手間が省けていいですが、ちょっとばかりうまくいきすぎてますね。幸運っていうよりも、悪運、て感じですかね」

「そのフィジって女、悪名高いらしいぞ。知ってるか?」

 歩きながらエヴァンスは首をかしげた。

「この街は初めてのようなこと聞きましたし、この辺りでの仕事はしてないのでは? セリュフは知ってるかもしれませんけど。訊いてきます?」

「無用だ」

「どうせ本人に会えばいいことですね。さて、美人ですかね」

 エヴァンスの興味は、別のところにあるようだ。

 他愛ない話をしながら、街の学校に向かった。

 エヴァンスが言うところの、うちの子供たち、も通うその学校は、下は幼児から、上はリクくらいの年齢まで幅広く在籍している。年代別に学べるほど子供の数は揃わないし、教える人間も充実しているとは言えない、最低限の基礎知識を学ぶためのところだ。それでも、小さな村や一般的な町よりも学力の水準と種目の数は整っているようで、近隣の村からわざわざ通っている子もいるという話だ。

 着いてみれば、そこは他の建物とさして変わりがない石造りで、隣接して運動場としても使える平地があり、一角には植物も植えられていた。

 子供たちが建物内で授業を受けているのが遠目でも見えるのは、跳ね上げ式の板窓が開けられているからで、板窓はつっかえ棒で支えられ、ちょうどよい日よけの庇のようになっていた。

 いくつかの教室から子供たちの元気のよい声や笑い声が聞こえてくる。

 見通しのよいところから近づいていたぼくたちに、現実離れしたような光景が、目に飛び込んでくるように鮮やかに映った。

 学校から平地をはさんだ緑地に、二人の男女がいた。

 ひとつの大きな樹木に寄りかかるように地に座る長身そうな男性と、彼が膝を立てて座るその片側の腿に腰掛ける小柄な女性。

 遠くからでも二人の親密さが伝わり、人目を惹く。

 遠目では二人の容姿が確認できないが、絶対に、美男美女だ。

「わかりやすい人たちだね」

 思わず言ったぼくに、二人とも返事はなかった。

 ぼくはリクとエヴァンスの反応を見ていた。

 リクはその男女二人の姿を視界に置いてから、少し歩調を緩め、自然に立ち止まった。無意識なのだか腕組みし、男女からは視線を外して、後ろを歩いていたぼくのほうに体を返した。

 相手がこちらからの視線を感じ取らないようにしているみたいだった。

 エヴァンスのほうもリクに倣うようにし、リクの表情から今後の行動を読み取ろうとしていた。

「あれは……確かめなくてもわかりますね。間違いなくキスリングでしょうよ。まったく、いやになりますよね、本当に同じ人間なんだか。周りで慣れてる俺でも、むやみに近寄れやしません。なんにもしてなくてもあれですもん。カドルは怖い怖い」

 ひとりごとのように、密やかにエヴァンスが言った。

「リーヴ」

 確認するように、エヴァンスはリクをうかがった。

 リクは無表情で、しかも視線をぼくに固定していた。

 でもぼくに対しての意識はなくて、彼が考えをめぐらせているのがわかった。

「ナオ」

「はい?」

 ぼくに負けず劣らず、リクは唐突だ。

「おまえ、あいつらと話せるか?」

 ぼくはリクを見つめ返して考えた。

「たぶん、大丈夫」

 目の前に一番怖い人がいるので、他のどんな人が近くに来ても、必要以上には気にならないと思った。リクがそばにいる前提で、だけど。

 遠くから見る限り、いまあの二人が怖いとは思わなかったし、むしろ興味が湧く。ぼくが身の程知らずだからだ。

 それが役に立つなら、リクの言う通りにしようと思った。

「普通の会話、できるだろ? 俺はあえて口は出さない。だが、わかってるよな」

 なんとか味方に引き込め、ってことでしょ?

「普通、てことなら。ぼくにとってはなんでも普通だし、そんなんでいいなら」

「リーヴとこんな会話ができてて、どこが普通なんですか……」

 またひとりごとのようにエヴァンスが言った。

 そんなこと言われても、どういうことかちっとも理解できない。

 そりゃあ、リクは怖い人だ。

 でも、ぼくは彼が優しいことも知ってる。

 それは、リクの人格全体の割合で言えば本当にほんのわずかだけど、それでもリクという人の魅力を数倍にしている。

 リクと話をするということは、彼が相手に少しでも意識を向けているということ。

 もしぼくが普通ではないというなら、その少しの彼の意識を嬉しいと感じているからだ。

「自分自身のためだと思え。おまえのぼけっとした頭でも気づいてるはずだな? あの二人は、敵にはまわせない。厄介どころじゃない。命を狙われれば、確実に、即死体になって終わりだ」

「リーヴ、脅かしてどうするんですか」

「うん、わかった」

 あっさりとぼくが返事したからか、エヴァンスは深い溜め息をついた。

「もう、信じられません……」

「エヴァンス」

「はあい」

「ナオの補佐」

「はいな」

 このエヴァンスの力の抜け具合が何事に対しても絶妙なのは、エヴァンスこそただの人ではないからだと思うんですけど。

 リクは目標に向けて歩みを再開した。

 どんな展開になっても、リクの思惑の結論に持っていかなければならない。

 でも、目標二人を間近にして、その使命をぼくの頭の中に留めておくことが困難だった。

 近づくぼくに、まだ距離があるのに、二人は同時にこちらを向いた。

 想像以上の、美男美女だった。

 男性は噂通り、いままで出逢った人以上に整った顔立ちで、しかも穏やかな人間性が顔に表れていた。

 明るい薄茶色の髪は緩やかにうねり、鮮やかな蒼の瞳を持つ眼は柔らかくこちらを見つめ、手足の長さが常人離れしていて、身長の高さに見合う体格全体がそれはそれは素晴らしく整っていて、男から見ても羨ましさを通り越して潔く降参、という感想だ。

 格好よすぎる。

 女性は、小柄で細身、白金の髪を頭を覆う程度まで短くし、身につけている衣装は体にぴったりとしたもので、七分くらいの袖と裾からにょっきりと長い手足が出ていて、一見俊敏そうな少年みたいだ。肌色はいままで見た誰よりも白いが、健康的で活発そうなのが見て取れる。

 でも、よく見なくても女性だとわかるのは、少し膨らんだ胸元と、首が細長く小さな頭に細い顎、大きな透き通った水色の瞳が装飾する整った顔立ち、そして、彼女が座っている男性と共にいることで醸し出している女性としての色気。化粧気がなくて、女性特有の装飾類を身につけてはいないのに、それらがかえって彼女の魅力の邪魔をせずによかったと思ったほど。

 リクに迫るほど、印象的な二人だ。

 二人の向けてくる視線は穏やかだが、その余裕の態度は、どんな状況下においても変わらなさそうな、非情な印象もあった。その点はリクと似ていた。

 ぼくは異質な気高さを持つ二人に、リクの指令を考えるまでもなく、強い興味を持った。

「こんにちは」

 ぼくは二人に挨拶した。

 男性は表情を変えぬまま、同じ挨拶をぼくに返した。声は低く豊かで、さらに格好いい。欠点が見つからない人だ。

 女性は、ぼくを好奇心の輝くような瞳で見つめ、こちらの出方を待つ様子だ。

「あの、えっと、ぼくはレナン、といいます。じつはいま、魔法士協会に行ってきて、そこの方にフィジさんという術者のことを教えてもらったんです。あなたが、フィジさんですか?」

 女性はぼくの顔をじっと見つめたまま、返事がない。

 瞳はきらきらとしていて、表情は笑みを浮かべようとしているのか、無表情になろうとしているのか、中途半端な不思議な顔になっていた。

 女性のその反応に困ったような表情をしてしまったぼくに、男性が笑顔を見せて言った。

「そう、彼女がフィジだよ」

 ぼくはほっとして、自然に顔が笑った。

「よかった。あの、しばらくお話ししても、いいですか?」

 自分が変なことを言っている自覚はなかった。ごく普通に話をしているつもりだった。

 女性、フィジは、ぼくを変わらぬ表情で見つめたまま、細身の腕を片方上げ、細長い指でくいくいとぼくを手招いた、ようだったので、疑問に思いながらその意思に従った。

 少し距離があったので歩いて近寄り、男性の足に腰掛けたままのフィジに、腰をかがめて顔を寄せる。

「はい?」

 まだ距離が足りないのか、フィジはさらに指を動かす。

 ぼくは短い草地に両膝をつけ、さらに彼女に顔を寄せた。すごく綺麗な人だなあと思いながら。

 フィジはぼくの頭に上げていた手をやり、最初は試すように柔らかく髪の表面を撫でた。

 その行為の意味がわからなかったので、間抜けな顔になってしまったかもしれない。

 ぼくに拒絶の意思がないとわかったのか、彼女の手の動きは、ぼくの予想しない方向に動いた。

 フィジは片手でぼくの頭を自分の肩口に抱き寄せた。

「うぎゅ」

 突然の態勢の変化と、女性の体に顔が密着したことに、変な声が出てしまった。

 うわ、目の前に胸がある。

 このままでいるわけにもいかず、でも手で突っ張るのも失礼な気がして、両手は空気を掻くように泳ぎ、体のどこにも力を入れられないまま、ぼくはじたばたしていた。

 どうして誰も助けてくれないんだと思ったとき、男性の声がした。

「フィジ、フィジ。戻っておいで」

「んー、ごめんなさい」

 そう言って、フィジはようやくぼくから手を離した。

 呼吸もままならなかったので、深く息をしながらなんとか態勢を整え、乱された髪を片手で戻した。

 その様子をフィジはなおもきらきらとした瞳で見ていた。

 なんなんだろう、いったい。

「ごめんね、ちょっと意識が彼方にすっ飛んだ。きみはここの子ではないの? 学校には行ってないのかな」

「はい。この前この街に着いたばかりで。すぐに出かけることになりましたし。あ、こちらは、エヴァンスさんと、えっと、リーヴ、です」

 後ろに立ったままの二人のほうに振り向くと、二人は先ほどの警戒などなかったように会釈した。

「はじめまして、エヴァンスといいます。おくつろぎのところをお邪魔したようで、恐縮です」

 エヴァンスとリクは、少し距離をとって、ぼくと同じように地に座った。

「いえ、かまわないの。愛らしい生き物は大歓迎」

 にこりと、フィジは笑った。

 さて、これからどうすればいいのかな。

「フィジに、用事かな」

 男性が話を振ってくれたので、ぼくはそれに乗った。

「はい。えっと、魔法に興味があって、協会に行ったんです。すごい魔法を見せてくれる人はいないかと探してて」

 フィジは男性の内側のほうを向いていたのを、彼の脚を跨ぐようにして外側に移動し、

「魔法を? あたしじゃなくても、街には数人魔法士がいるはずだけど?」

 と、首をわずかに傾げた。

「はい、そんなふうに聞きましたけど、あの、魔法が見たいからだけじゃないんです、協会に行ったのは。本当は、急ぎで腕のいい魔法士さんを探していて、協会に行けば見つかるんじゃないかと思って。だから、最高の力を持つ人がいるなら、そのほうがいいかと思って尋ねたんです、すごい魔法を見せてくれる人は誰ですかって。そしたら、あなたなら、子供相手に魔法を披露してくれるような方だって、教えてくれたんです」

「ふうん?」

 こんなつたない説明でいいのだろうかと思いながら、なるべく偽りがないよう、説明した。

「ぼくは、明日、マンダルバに行くことになってます。あの、マンダルバの後継者問題って、知っていらっしゃいますか?」

「この街に着いた途端の、最も有名な噂話だから、もちろん知ってる」

「それなんです」

「きみが? マンダルバ次期領主?」

「いいえ、候補者、です」

「そう、候補者、ね」

 フィジの瞳が、真剣なものに変わっていた。

 自分の仕事に関わることだとわかったからだろう。

「失礼、補足させていただきます。先日、マンダルバ領管財官による審査が行われました。最終的に三人が候補として残りました。レナン殿はその一人です。ただ、あくまで候補でして、明確な証拠が挙がっていないのが現状です。どうも見極めは困難で、時間がかかる様子ですし、そのうえ、諸事情により、まだ候補の段階で、候補者三人がマンダルバに入ることになってしまいました。レナン殿の後見人をされているこちらのリーヴ様は、ヤトゥ商会の出資者のご子息でいらっしゃいまして、私はお世話をさせていただいております。我々は、レナン殿お一人で行かせるつもりはありません。心強い味方がいれば、と考えているのです」

 エヴァンスの口調は演技がかっておらず、真実の色を滲ませた、真摯な声音だ。

 相手の性質を正確に見抜き、それにふさわしい行動を常にとっているエヴァンスだが、今回の相手は、まやかしやごまかしが通用しないのを感じ取ったのだろう。

「味方、ねえ」

 フィジは、笑顔を見せてはいたが、それは意思の読めないものになっていた。仮面をつけた相手の表情が見えないみたいだ。

 こんな表情を見たいわけじゃないのに。

 すごく表情豊かな素敵な人なのに。

 悲しい気分になる。

「あの、ごめんなさい。それが本当なんですけど、いいんです。お邪魔しちゃって、すみませんでした」

 ぼくはフィジに頭を下げ、顔を見ないで立ち上がろうとした。

 背中を向けた途端に衣服の背中を掴まれ、地面に引っ張り戻された。

「子供相手に駆け引きはできないね」

 男性が穏やかな声で言った。

「わかってる。話は終わってないんだよ? 座んなさい」

 ぼくはどうすればいいのかわからないまま、言われた通り座った。

「きみは、どうしたいの? あたしに、なにをさせたい」

 どうしたいんだろう。

 ぼくはリクに言われた通り、実力のある魔法士を探して協会に行った。

 そんな人がいると聞いて、ここに来た。

 それは、ぼくの意思ではない、リクの意思だ。

 ぼくがこの人になにをして欲しいかといえば。

「一緒に、マンダルバに、行ってもらえませんか?」

 もう少し、この二人のことを知りたいと思ったし、一緒に話をしてみたいと思った。

「一緒に行って、なにをすればいいの」

 真剣な瞳で訊いてきたので考えたけど、べつになにかをして欲しいわけじゃないと思った。

「あの、それだけでいいんですけど」

 ふっと吐息をついたフィジは、男性の胸に背中をもたせかけた。

「どうする? 仕事じゃないみたいなんだけど」

「じゃあ、仕事の話はどうするの?」

「それは、そっちを聞いてみなくちゃわかんない」

 二人の会話に、エヴァンスが訊いた。

「仕事のお話が来ているのですか?」

「そう、いくつかね。まだ詳しいことは聞いていないけど、このあとすぐに人と会うことになってるの」

 だめかな、それじゃあ。

「そのいくつかの相手、教えてあげましょうか?」

 そう言って、フィジは人の悪い笑みを浮かべた。

「マンダルバ領管財官補佐ジョーイ・ハーラット。マンダルバ前領主義弟アーノルト。マンダルバ領次期領主ユナム」

 それは……

 ぼくが聞いてもよかったのだろうか。

 ぼくがマンダルバ領主後継者候補だと聞いて、仕事の依頼をしてきているというその面々と無関係ではないと分かりきっているだろうに。

「いろいろ、各自の思惑がありそうね。この街に入ったのも、もともとマンダルバの管財官からお誘いがあったからなんだけど、もうちょっとのんびりしたかったからマンダルバ入りの返事はしていなかったの。マンダルバで、なにが起ころうとしているのかな?」

 楽しそうに話してるけど、事態は深刻なような気がする。


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