第5話



 ぼくを含めて、最終的に残ったマンダルバ領後継者候補は、三人。

 昼食会だと招かれた室内に、その三人と、それぞれの付添人たちが顔を合わせることになったのは、その場がクイン・グレッド管財官の厳正なる審査の続きであったからかもしれない。ただ一人を見極めるために領地外までやってきた管財官は、ほんの少しの動向をも見逃すまいと、ぼくたちを観察するだろう。

 マンダルバ領事館は、もともと白を基調とした建物で、これまでの部屋は清潔でさっぱりとした印象だったが、昼食会に招かれた部屋は観賞画や大きく飾り立てた生花などで華やかな印象の、最上階にある広大な部屋だった。三十人を超えた人数でも晩餐会を開けそう。部屋の中央の巨大な黒色天然石天板に並べられた料理の種類は豊富で、集まった人数では絶対に食べきれない分量であるのは贅沢の極みだ。とても重厚感のある部屋で、この場での自分の存在は絶対的に場違いだった。

 ぼくたちが最後の招待客だったらしく、幾人かすでに席に着いていた。入室すると、その場にいた皆の視線は、まずリクに行った。とても個性的で印象強いリクのことだから、それは当然といえた。そのリクのあとに皆の目線がぼくに移れば、なぜこんなところに貧相な子供が、と思われたに違いない。

 部屋の奥側の主賓席らしきところは空席で、片側の端から数席置いて一人の少年が座っており、一つ空けてぼくとリク、エヴァンスが続いた。ぼくの隣にいる少年の向かい側には、もう一人の少年と三人の男が座っていた。

 後継者候補らしき二人の少年の印象は、まるで正反対だった。

 付添人がいる向こう側の少年は、男臭さよりは少年期の可愛らしさがある、優しげな印象だ。彼の付添人は、少年期を脱したくらいの青年、屈強な体格の警護人といった感じの男、どんな仕事でもそつなくこなしそうな中年の男。

 ぼくの隣側にいる少年には、付添人はいないようだ。向かいの少年よりは活動的で、なんでも一人で立ち向かっていけそうな意思の強い瞳をしていた。

 ぼくは他人事のように平静だった。

 実際、この場にぼくがいること自体がおかしなことだと思っている。そして、キルリクでリーヴだという、隣にいる人物の個性があまりに際立っていることが、他の候補者との初顔合わせであるいまの状況に戸惑わずに済んでいる原因だった。リクの庇護下にあるぼくは妙な安心感を抱いていて、初めて他の少年たちを見たときにも冷静に観察をしていたくらい。

 クイン・グレッド氏は最後に入室し、ぼくたちと同列、数席空けたところに用意してあった一席についた。他の人物やジョーイ・ハーラット管財官補佐も入室したが、食卓に着いたのは管財官だけだった。

 なんとも言い難い奇妙な空気感の中、食事は管財官の簡単な開始の言葉で始まった。

 まさか、他の候補者と一緒に食事をすることになるとは、この場にいる誰も考えていなかったと思う。クイン・グレッド氏が席に着いてすぐに、紹介もなく始められ、自分の陣営以外は誰かもわからないでいることが、重苦しい空気を漂わせていた。クイン・グレッド管財官の底意地は、極めつけに悪いに違いない。食器が鳴る音以外に誰も話さない静けさの中、皆それほど食は進まなかったようで、食卓上にはまだ沢山の料理が片付いていなかった。

 通常ならば一食たべ終えるくらいの時間が経過した頃、前触れなく管財官が発言した。

「皆さん、ご覧の通り、いまこの場には我がマンダルバ前領主、ザグゼスタ様のご子息と思われる方が三人、いらっしゃいます。どなたがご本人であるのか。現時点で判断することはかないませんでした」

「他の者が偽物だとわからないとは、怠慢であろう。少年が相手だったとはいえ、審査に手抜かりがあったとしか思えない」

 そう言ったのは、向かい側に座る少年の付添人の中年男だった。

「いまだ紹介をしておりませんでした。いま発言なさった方が付添人である、ユナム様。向かいにいらっしゃるのが、シン様。そしてもうお一人が、そちらのレナン様」

 自分を批判した中年男は眼中にはないように、管財官はぼくたち三人を見回して紹介した。

 中年男は気勢をそがれて、次に言おうとしていた言葉を飲み込んだようだ。

「さて、いかなることでカルトーリ様を見極めることができるでしょうか。身体遺伝の証拠を見出すことはかないません。ザグゼスタ様は、一般的なマンダルバの民と同じような特徴をお持ちであった。カルトーリ様を産まれた女性もまた、似たような身体特徴を持っておられた。容姿はいかがか。カルトーリ様がザグゼスタ様と似ているとは限らず、母親似であるかもしれない。私の目から見て、お三方は、どなたもザグゼスタ様に似てはおられない。私の仕事は、ザグゼスタ様のご遺志を叶え、ただ一人の実子であるカルトーリ様にマンダルバすべての資産を手渡すことであり、そのためにカルトーリ様を捜索いたしました。ですから、そちらの方が言われたような手抜かりがあるようでは、私の目的が果たされるはずもないのは、付添人の方々もご承知いただけるでしょうね」

 管財官の冷笑を受けたユナム少年の付添人は、失言を取り消せぬまま硬直していた。

 彼からすれば随分と歳下である管財官は、年齢とは関係なく、重大な使命を持つ者の貫禄を備えていた。

 マンダルバ領“管財官”とは、領内の法を取り仕切り、領地の産業を管理し、領民の安全を守る官吏。

 事実として、クイン・グレッド管財官は、マンダルバ領主そのものの仕事をこなしているのだった。

「現時点で真のカルトーリ様を判断できないからといって、怠惰に時を過ごすわけにはまいりません。先日より告知をしておりましたカルトーリ様捜索の情報は、すでに近隣諸国にも出回り、本日私がここに参りますまで、幾人もの方が名乗り出られました。条件外である金髪碧眼の方までも名乗り出られ、総数であれば、皆様の想像を遥かに超える数であったとお伝えしておきます。その中で残られたのが、いまここにいらっしゃるお三方なのです。遺産の相続を望まぬまでも、所在だけは明らかにしていただきたいと告知に盛り込んでおりましたので、この時点でご本人が名乗り出られなかった、あるいは、ご本人にこの捜索の告知が届いていなかった、どちらにしても、それは遺産相続を放棄されたとみなします。ザグゼスタ様のご遺志を知る者としては、こちらのお三方の中にご本人がいらっしゃることを願うしかありません」

 管財官は面々を見回し、発言があれば受け付けるというような間を置いた。

 ためらいがちに発言したのは、ユナム少年だった。

「これから、僕たちはどうすればいいのですか? 僕がカルトーリではないのであれば、いままでの生活に戻れば済むことです。とにかくこの先のことが見えないのでは、とても落ち着かない」

 それを聞いた付添人である中年男が目を剥いた。

「ユナム様、なにをおっしゃるのです。私が保証いたします。あなた様がカルトーリ様であるのは間違いないのですから」

 中年男は感情的なところがあるみたいだ。

 勢い込む連れ人に、ユナム少年はやれやれといったように椅子に深く身を預けた。

「そうまで言われるそちらは、いったいどなたなのでしょうか? 純粋なる疑問なんですがね」

 大人主導の会話に、こちら側からはエヴァンスが参戦した。

 向こうからすれば得体の知れない若者が発した言葉に、中年男は侮蔑の眼差しを寄越した。

「人に素性を訊く前に、そちらこそ身元を明らかにされよ」

 大人というものは、なにをそんなに警戒し、威嚇し合うのだろう。訊かれたことには素直に答えればいいのにと思う。

「これは失礼いたしました。私はレナン様の後見人の側人で、エヴァンスといいます。このまま発言の機会を逃すと、いつの間にかそちらのユナム殿がカルトーリ様であると決められかねないと思ったものでね。非礼はお詫びしますよ」

 今度のエヴァンスは、少し好戦的な口調だ。この人には絶対に役者としての素質がある。

「そちらのシン殿はお一人でいらっしゃるし、あまり付添人がでしゃばるのもどうかと思ったのですがね、こちらのレナン様も候補者の一人であることを主張し直しておきたいところでして」

「きみの名前など、どうでもいい。その後見人とやらは、いったい誰だというんだ」

 まだ自分の素性を明らかにしないまま、人にばかり答えを要求する大人には、あんまりお近づきにはなりたくない。

「こちらのリーヴ様は、私が仕えますヤトゥ商会出資者のご子息でいらっしゃいます。リーヴ様が、レナン様の後見人なのです」

 隣に座っているリクのほうを見れば、この状況を観察するような冷静な眼で、大人たちのやり取りを見ていた。

「ほう、ヤトゥ商会の名をこんなところでも聞くことになるとは。神出鬼没なのは、成り上がりのヤトゥ商会の専売特許なのだろうな」

 極力声質を抑えていたが、中年男のその声が嫌味ったらしく聞こえたのはぼくだけではないはずだ。ヤトゥ商会の業績がどんなものかは知らないけど、中年男にとってはいい印象として記憶されていないようだ。

 それに対してエヴァンスは澄ました態度だった。

「恐れ入ります。ただ、今回のことは、ヤトゥ商会の業務的にはなんの意図もないことです。リーヴ様は、レナン様のご友人であり、後見となられましたのも個人的な好意によるものに過ぎません。お間違えのないようにお願いしたい。こちらはお答えいたしましたので、いい加減そちらの素性もお尋ねしたいのですがね」

「すみません」

 と遠慮がちに大人の舌戦に割り込んだのは、ユナム少年だ。

「彼は本来とても冷静な人なのですが、僕に関わることになると、つい行き過ぎてしまうんです。コーグさん、お話ししてください」

「はい」

 コーグと呼ばれた男は、落ち着きを取り戻すように一度咳払いした。

「私はさるお方の代理人として、ユナム様の付き添いに参りました、コーグです。こちらは私の部下のサット、そしてユナム様の隣はご友人のクラフ。ユナム様がカルトーリ様であるのは、我々が持ついくつかの証拠により明白なのです。いつまでも管財官殿がそれをお認めにならないのは不本意ですが、いましばらく見極めに時間が必要だというなら、それに従いましょう。その時間を無駄にするのは我々ではないと、いずれわかるでしょうから」

「さるお方、とは、いったいどなたでしょうかね」

 相手の要領を得ない話し方に、エヴァンスの声も冷ややかになってきた。

「そちらに話す必要はないし、話すつもりもない」

 またも舌戦開始か、と思われたとき、少し慌てたように役人らしき男が管財官に近寄り、ひそやかに耳打ちした。

 座ったままそれに聞き入る管財官は、わずかに眉を寄せたようだ。

 破られた場の空気に、言い合いをしていた両者は口をつぐんだ。

 なにか指示を出そうとしたのか、口を開きかけた管財官だが、それが音になる前に大広間の扉が唐突に開いた。

 それは、計算しつくされた演劇のような一幕だった。

 身なりのいい屈強な体格の三十歳代の男が、堂々とした態度でいきなり現れた。

 押し留めようとする者たちを無視し強引に入室してきたようで、室内にいる招待客以外の人々の落ち着きのない様子から見れば、その男の出現は関係者にとって想定外であるようだ。

 クイン・グレッド管財官は、笑顔で現れた男に冷ややかな目線を送り、突然の闖入者に対して慌てたそぶりは見せなかった。

「私はお任せいただくと申し上げて、領地をあとにしたはずではなかったでしょうか? アーノルト様」

 アーノルト。それは確か、前領主の義弟の名前。

 マンダルバ人の典型的な容姿の男は、冷静な管財官を前にしても、気後れするどころか自信たっぷりな態度だ。

「確かにおまえはそう言ったが、俺はそれに承知した覚えはないな。言葉少ない姉上をやり込めたつもりだろうが、俺には姉上の代理として事態を見届ける義務がある。そうだろう? クイン・グレッド管財官」

 男は管財官から数席離れた椅子を大きく引っ張り出し、どかりと腰を掛けた。管財官のほうを向き、腕と足を組んだ、好戦的な構えだ。

「義兄上の遺志は当然尊重するさ。いくつかの高家が領地の管理を任されてはいるが、実質マンダルバすべてが領主個人の土地だ。領主は一国の王に等しい。マンダルバ領主の意思に従うのが、マンダルバ領民の義務だからな。それでも、せっかく授かった子を乳飲み子のときに病で亡くし、その後は子供を産むことができずに領主血族らの前で肩身の狭い思いをしてきた姉上の長年の苦労を思えば、ひょっこりと現れる相続者がマンダルバのすべてのを持っていくのを、黙って見過ごすわけにはいかない。俺が個人的に財産を横取りしようという邪な魂胆を持っているわけではないと、もちろん理解していただけるでしょうな、管財官殿」

 役人に過ぎない管財官にわざと敬語を用いるのは、明らかな皮肉だ。

 それでも、彼の姉という、前領主の妻の立場からすれば、その気持ちは理解できるのも確かだった。

「もちろんですとも。私はそちらのお気持ちと利益をも踏まえてお任せくださいと申し上げた。ご納得いただいたものと思っておりましたが、信用いただけなかったようですね」

 管財官は変わらぬ態度で言葉を返した。

「信用はしているさ。三代続けて、管財官を任せられた家の、現在の管財官を。おまえが仕事をおろそかにするなど考えたこともない。俺はただ、見届けに来ただけだからな」

「さようですか。それでは口をお出しにならないと認識してよろしいのですね?」

「心にもないことを言わなくてもいいぞ。当然口も出させてもらう」

 クイン・グレッド管財官の態度は、誰が相手でもいささかも変わらず、それは不正に染まらないこの人の潔さのようなものに見えて、ぼくはだんだんとクイン・グレッド管財官を尊敬しだしていた。

「俺を排除できる権限がおまえにあるとは知らなかった。もっとも、争いをするためにここに来たわけではないからな、口はできるだけ出さないように努力はしよう」

 排除できるならやってみろ、と言っているのだろうな。

「そうなさったほうがよろしいでしょう。実際に、私には、職務を侵すものあらば、それを排除できる権限があるのですからね」

 なおも冷静な管財官の言葉に、アーノルト氏は眉をひそめた。

「なんだと?」

「これは、ご存じなかったのですか。ザグゼスタ様が逝去なさる以前、次期ご領主が正式に領地を継がれるまで、私がマンダルバ領主の職務を代行せよ、と、お言葉を残されました。誓紙もいただいております」

 クイン・グレッド氏の反撃、といったところだろうか。

 アーノルト氏の眉間の溝は、ますます深くなったようだ。

「なにを馬鹿な。一官僚に過ぎないおまえが代行だと? 聞いておらんぞ。偽りではあるまいな」

「ザグゼスタ様の血縁にあたる方々にはお知らせいたしました。皆様からも承認を得ております。あなた様には、確かに直接お伝えしておりません。血縁者ではございませんので。ザグゼスタ様が私に代行をお命じになったのは、血縁の皆様はご高齢、適齢の方がいらっしゃらなかったからでしょう。領主血族として職務の見聞をした事もない方が代行につかれましても、なにもおできになれないようでは代行の意味もございませんでしょう」

 痛烈な一撃が、アーノルト氏に撃ち込まれたようだ。

「わかったわかった、降参するよ。有能な管財官殿に任せるさ。ただし、俺は姉上の代わりにここに来た。その心積りで対処してほしいものだな」

 形勢不利とみたのか、アーノルト氏は下手に出る作戦に切り替えた。

「承知いたしました。それでは、あなた様はいったいどのようになさりたいのでしょう」

 ようやく本題に入ったようだ。

 大人の駆け引きって、なんて遠回りなんだろう。

「これは姉上のご意思だ。義兄上の子供が見つかったならば、ご自身のもとに迎えたいとのお考えだ。すぐにでも領地に入ってもらい、対面を果たしたいと望んでおられる」

「そのご意思は尊重いたしましょう。しかしながら、現時点において、カルトーリ様を断定するにいたっておりません。いましばらく、調査に時間が必要かと思われます」

「なに?」

 と、アーノルト氏は、ようやくこの場にいた他の者たちに目を向けた。

 食卓につくぼくたちを眺め渡し、管財官に厳しい眼を向ける。

「クイン・グレッドともあろう者が、なにを手間取っている。ただ一人を見極められんとはどういうことだ」

 そういえば、このアーノルト氏は一人の候補者の後見をしていると、以前セリュフが言っていた。

 それはおそらくユナム少年なのだろう。それならば、あの付添人の確信を持った態度にもうなずける。前領主の義弟が後押ししているのなら、それは確かにカルトーリ本人である確率は高いのだろう。

 アーノルト氏の叱責を受けて、クイン・グレッド氏は、感情のない声で、静かに語りだした。

「ただいまこちらには、三人の方がいらっしゃいます。いずれの方も、私が持っておりますカルトーリ様捜索の手掛かりに近い証拠を提示されました。しかしながら、完全なる証拠というものは、もともと存在しないのです。その点につきましては、こちらに残られたお三方、付添人の方々もご承知でしょう。ザグゼスタ様が愛された女性がマンダルバを去っていかれた理由は、私も存じません。ザグゼスタ様は当初、陰ながら女性の支援をなさるおつもりで行方を探られましたが、すぐには見つけられず、探し当てた頃にはその女性はすでに男児をご出産されていた。探索員は、女性を訪ねました。女性は、子供を手放すつもりはなく、マンダルバに帰る意思もないと告げられた。ただし、子供が生まれたことはお伝えして欲しい、そうおっしゃられ、探索員はいったんマンダルバに戻り、ザグゼスタ様に報告しました。子供の誕生に驚き、また、喜ばれたザグゼスタ様ですが、女性の意思を尊重なさり、連れ戻すのではなく見守るおつもりで、いま一度人を向かわせました。しかし、女性と子供はもうその場にはいらっしゃらなかった。またしてもお姿を隠されたのです。付近を捜索しても見つけられず、帰ってきた部下の報告に、ザグゼスタ様は深く失望なさいました。しかし、その後もずっと探索は続けられた。そして、十年ののちに、ようやく似通った方と、年頃の子供がいるとのことで、探索員がその地に向かうと、ある事実が判明いたしました。確かに、お二人はその地にいらっしゃった。しかし、探索員がその地に到着する前に、女性は命を落とされていたのです。そこはムトンの奥地、寂れた地域で人は少ない集落の一つで、けっして治安のよいところではなかった。女性の住居を含めたその一帯が、盗賊に襲われたのちに炎に包まれた、との近隣の者の証言でした。その火事跡から女性の遺体は見つかりませんでした。あまりに高温の火災で、骨すらもほとんどが失われてしまい、何人が亡くなったのか、それすら定かではなかった。しかし、ひとつだけ。ザグゼスタ様が女性に贈られたものが、じつはあったのです。宝玉の乗った指輪が。形も崩れてしまった遺骨のひとつから、その宝玉が、溶けた金属に埋まっていた。証拠は、それ一つ。それでも、その証拠を持ち帰った探索員に、ザグゼスタ様は言われました。彼女に違いないと。子供も、見つけることは叶わなかった。その小さな体とまだ弱い骨は、すべて燃え切ったかもしれない。が、また、逃げ延びた可能性もまだ残されていた。ザグゼスタ様は、その可能性に賭けたのです。女性が呼んでいた子供の名前は、ありきたりでよくある名前で、それは明らかに偽名だろうという近隣の者の証言でした。その子をあまり外には出さなかったことから、事情があったのだろうと察していたそうです。子供の探索は公にはできないことでしたので、捜索の手足は少なく、大変細いものでした。そして、ザグゼスタ様のご病気が判明したことで、先代管財官であった私の父にザグゼスタ様は打ち明けられ、父がそのあとを、父が亡くなってからは私が、カルトーリ様捜索に関わってまいりました。お言葉を残されたザグゼスタ様が亡くなられて、ようやくこの件を公表することができ、大々的な捜索を行うことが可能となりました。具体的な事実を伏せ、少しばかり脚色した経緯を広めることで、カルトーリ様ご本人でなければ知りようがない事実を持っていらした方ならば、それがどのような些細なことであろうと、カルトーリ様ご本人である可能性がある。これまで、私が用意した偽りの情報をもとに、さまざまな人々が名乗り出られましたが、いずれも、偽りの情報に惑わされた、偽りの人々でした。こちらにいらっしゃるお三方は、なにひとつ、偽りの発言をされなかった。それゆえに、この場にいらっしゃるのです、アーノルト様。これより、皆さんの記憶をもとに、答えを導き出さなくてはならないのです。これで、この時点におけます状況をご理解いただけましたでしょうか」

 長い、長い告白だった。

 けれど、その言葉の重みに、長いとは感じなかった。

 ぼくはずっと、クイン・グレッド管財官を見つめていた。

 管財官は、その話に登場する故人を悼んでいたのだろうか。いままでのように冷たく端的に語ったのではなく、ゆっくりと、感情を抑えて冷静になるようにしていたように見えた。

 カルトーリという人物の過去が、これほど深刻なものだと、ぼくは考えてもいなかった。

 マンダルバ領主の地位が転がり込んできた、幸運な人だと思っていた。

 ぼくがそのカルトーリ本人だったならば、自分を探していることを知って、単純に名乗りを上げられただろうか。

 きっと、複雑な心境であるに違いない。

 なんらかの理由があって母親が自ら去った地に、あえて飛び込んで行かなくてはならないのだから。

 本物のカルトーリは、この真相を知っているのだろうか。

「管財官。俺は、マンダルバ領主夫人の弟として、二十年ほどを過ごしてきた。これまでの姉上のことはもちろん、義兄上の動向についても、ある程度把握しているつもりだ。十五年前、義兄上がよその女性に心惹かれたことを、姉上は気づいておられた。義兄上が遊び相手に事欠かなかったのは確かだし、男の俺から見ても魅力的な人であった。当時から姉夫婦の関係がよかったとは言いがたい。義兄上の遊び方はお上手で、火種を作ることはそれまではなかった。その女性が現れるまではね。義兄上はあるときから変わられた。遊びが止まったわけではなかったが、誰か特定の相手がいるのではないかと感じさせるには十分な態度をときおり見せられた。姉上との婚姻は、マンダルバ高家として家柄を見込まれての姻戚婚であったから、当人同士が勧んでのことではなかったが、姉上が夫にした以上、俺にとってマンダルバ領主ザグゼスタ・ラインは義兄だ。その義兄が姉以外の女性を本気で愛することがあれば、それを見過ごせるはずがない。ただ、義兄上がその女性を懐に招き入れるような人ではないことは承知していた。一度は子供を成した姉上が不幸に遭われたこと、それに追い打ちをかけるなど、できないことだ。関係を続けられるならばおそらく密かに囲われるだろうと、俺は思っていた。あるとき、俺は女性を見つけ出し、接触した。どのような心積りで義兄上と関係を持っているのかと問い質した。ただの女なら、その時点で涙の一つも流し、もう二度と姿を現さない、そう申し出たかもしれない。だがその女性は、俺の想像を遥かに超える人だったよ。俺の問いに女性は、妻持ちの男と本気で付き合うはずがない、もちろん、遊びよ、と、笑い飛ばした。内気な姉上と違い、気持ちを率直に表す潔い女だったよ。義兄上が惹かれたのも不思議ではない。その返答が本心であったのか、当時若造だった俺は分からなかったが、その後間もなく、女性は姿を消した、俺は思ったよ。本気であったからこそ、義兄上の元を去ったのだな、と。俺は、義兄上がどう動くのかを見ていた。もちろん詳細はわからぬし、誰をどう使っていたのかもわからなかったが、女性を捜索しているのだけは知っていた。俺はただ、俺が女性を訪ねたせいで、事態が拗れたのではないかと気掛かりだった。だから、姉上に悪いと思ったが、俺は独自に動いた。管財官はもうご承知だと思うが、そこにいるユナムは、俺が見つけた。確実な証拠は、確かにない。判明している状況証拠だけだ。それでも、俺は彼が義兄上の子だと思っている。いまのこの状況は、まったく予想外だがね」

 アーノルト氏の告白は、クイン・グレッド管財官の告白を受け取った真摯さから生まれたものか。

「私は、このカルトーリ様捜索に関するすべての情報を保有しております。それは、ザグゼスタ様自身のものでもあります、独自に動かれているあなた様の行動を、ザグゼスタ様は承知しておられた。ただ、あなた様がどなたを見出されようと、カルトーリ様の真偽は生半に即断できるものではございません。ユナム様については、こちらも調査を進めております。いましばらく、独自の行動はお控えください。いまだ、カルトーリ様ご本人との判断は、ついてはいないのですから」

 それまで交わしていた好戦的な対峙から、少し穏やかなものとなり、マンダルバ領管財官と前領主義弟の会話は、そこで一区切りがついたようだった。

 ユナム少年の後見人として自ら名乗り出たことで、アーノルト氏は皆に自己紹介を済ませた形になった。これまでの会話から状況を把握できなかった者はいないだろう。

「まあ、ともかくだ、おまえもこの件でいつまでもこのままこの地にいるわけにはいかないだろう? そこで、姉上が気に掛けておられることでもあるし、もしこのまま判断が難しいようなら、いっそのこと皆をマンダルバに招待したらどうだろう。うん、それがいい」

 言っているうちに自己完結したらしく、アーノルト氏は自分の提案をすでに決定事項のごとく言い放った。

「それは、しかし」

「べつにかまわんだろう。おまえも他に煩雑な仕事を抱えているのだろう? おまえが自分自身で解決させたいというのはよくわかったし、それを邪魔する気もない。その代わり、俺も事態を見届けたい。どうせここにいるのはマンダルバ前領主の跡を継ぐつもりで来ている者たちだ。マンダルバに入ることになんの問題もないはずだ。心配しなくても、本物のカルトーリではなかったと判明したとしても、その者を罪人扱いするつもりはない。丁重に領地外まで送り出すことを約束しよう。それでどうだ?」

 管財官の言葉をさえぎって発言したアーノルト氏は、自分の言葉に納得したように自信を見せた。

 しばらく無言でいたクイン・グレッド管財官は、冷静な眼の内側で、どのような思考を働かせていただろう。

 やがて、管財官は沈黙を破った。

「わかりました。マンダルバ領主代行の名のもとに、こちらのお三方をマンダルバへお招きいたします。皆様、よろしいですね」

 反論の余地を抱かせない、管財官の宣言だった。

 誰一人発言できないまま、それは決定事項となった。



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