第3話
「だからな、もう誰も真剣に見ていないぞ、この騒動を。この街の住人たちには直接関係のないことだし、これだけ偽物が多く出りゃあなあ。真贋を見極めるのはここの領事館の奴らじゃもはや無理ってことで、いま本都に誰か派遣できないか打診してるらしい」
少しかすれた野太く低い男の声が言う。
声につられてそちらのほうを見れば、さっきまで街中で人波に揉まれていたはずなのに、いつの間にかどこかの飲食店に入っていたのか、自分とリクが隣に座る向こう側に、無精髭面の逞しい大柄な男が座っていた。
「その偽物たちの数、正確にはどれくらいだと思う?」
にやにやと、人をからかうような笑みで、その髭面男は言った。
男は自慢の肉体を誇張するように、太い二の腕を剥き出しにした衣服を着て、大きな手には不透明な硝子杯を持っている。声からも豪快といった印象。
「焦らさなくてもいいから、さっさと言え」
横の視界に入るリクが、木目の美しい卓上で頬杖をついて、そう言った。
そちらに目を向けて、あれ? なにか違うな、と思ったのは、リクの身体ががっしりとした大人で、相当に背が高く、彼の顔を見るのに上のほうを見なければならなかったから。
大人になったら、きっと誰もが羨むような男前な青年になるだろうなと思っていたが、想像通りだった。
顔の骨格はゴツくなくて、目鼻立ちの彫りの深さもちょうどいい感じ、眉の形は一級品、蠱惑的な目元は物憂げ、鼻梁はスッと高く、唇は程よい肉付きで目線が惹きつけられる人が多いだろうと思う。
少年のリクは、同年代の少女だったら誰でも恋に落ちそうというくらい、少し年上の女性をも魅了したかもしれないけど、青年になったリクは全年齢が対象といった感じ。色気の塊みたい。
「この街で詮議された者だけでも二十六人。阿呆が多くて条件の合わない者まで名乗り出たみたいだから、そいつらを入れたらおそらく百は超えただろうな」
「馬鹿ばっかりだ」
リクが呆れたように言った。
「あっはっは、その百何人目かを連れ込んだおまえが言うことじゃないな」
髭面男が盛大に笑うと、
「ちょっと! いまリーヴを馬鹿扱いした?」
と若い女の人の声がした。
ぼくとは反対側のリクの隣から、十六歳前後くらいの女の子が髭面男に向かって指を突きつけていた。それに対して、髭面男はうっすらと笑う。
「いんや、とんでもない」
緩やかに巻いた金の髪が綺麗な、整った容姿のその女の子は、歳のわりに大人びた豊かな肉体を惜しげもなく晒すような衣装を着ていて、少し目のやり場に困るのだが、女の子は自分の好きなようにしているだけなんだろう。
ところで、リーヴって、誰?
「セリア、頼むから静かにしてて」
今度は若い男の声。
それは少し遠い位置から。
「あとから来たのはそっちのほうでしょ? 仕事の話ならよそでしてちょうだい!」
女の子はピシリとした口調で言い返した。
「姉さん、ほんとに静かにして。病人が寝てるから」
少し向こうに、薄色の短い髪だけど少年には見えない、素顔の綺麗な少女がいた。寝台の上に座って、隣で横になって寝ている人の頭を撫でている。
寝台? 飲食店だったはずなのに。
寝ている人は誰だろう。少女の陰でわからない。
「セリュフがよそに行くと、リーヴも行っちゃうことになるけど、いいの?」
今度は少年の声が言った。セリュフというのは髭面男のことだろう。
「イチヤ、あんたは余計なことは言わないで、スウィンに従って大人しくしてなさい」
知らない名前が次々と出てきて、そろそろ頭が混乱してきた。
そして、気づいた。
ああ、これは、夢だ。
夢とわかったから、もういい。
もう、起きなきゃ。
現実に戻れるように、頭に命令する。
「セリア」
静かなリクの声が言う。
とくに強い口調じゃなかったし、感情は込められていない。でもそれに返す女の子の声はなかった。
「それで? 本都はどんな反応だ」
リクの口調は変わらない。
「数日前に聞いた話じゃ、どうもお偉いさんが直々に来るらしいですよ。堅苦しそうな肩書きの、なんだったかな」
若い男の声に、
「クイン・グレッド管財官」
舌ったらずな幼い男の子の声が答えた。
「そう、管財官」
やっと、夢のごちゃごちゃとした背景や登場人物たちの顔が消えて、閉じた目の裏のような暗闇になったと思ったのに、まだ起きることができない。
「ロクレイのほうが優秀だな。情報係を返上するか? エヴァンス」
かすれた低い男の声はそう言った。
もういい加減に目を覚ましたい。
「リーヴ、そろそろ彼、目覚めるよ」
少女の声が誰かにそう言う。
「ナオ、起きろ。もう十分寝ただろう。そろそろ腹になにか入れないと、餓死するぞ」
はい、ごめんなさい。
でも、まだ。
「がしだぞー」
これは幼児の声だ。
そんな小さな子までいるの?
ふわりと意識が浮上した。
目を開けると、こちらを好奇心いっぱいな目で見ている、五歳くらいの男の子の顔が横になって見えた。
ぼうっと瞬きをしても、その姿は消えない。
「おきた!」
顔面すべてで笑顔を作った男の子が、ひょいと浮上したあとで横へ追いやられた。誰かに抱えられて動かされたらしい。
続いて見えた顔のほうへ目を向けると、十代半ばくらいの、薄い色の髪をさっぱりと短くした少女が、こちらに向けて身を落とし、顔を覗き込んできた。
「気分は?」
慎重に考えて、呼吸を数度行い、強張る全身の関節が痛むのを宥めながら動かし、横向けだった体をゆっくりと仰向けに直した。
ゆっくりと膝を曲げて、両手を腹の上に置いて、楽な姿勢になる。
「わるくない」
ぼくのこの答えは、少女のお気に召さなかった。
「ちゃんと答えなさい。吐き気は?」
目を閉じて自然に呼吸する。
「ない」
「頭痛はある?」
「大丈夫」
「痛みがあるところはないのね?」
「うん」
眠気は完全に抜けていた。
意識をなくしている間に、状況はものすごく変化をしていたようだ。
まだ覚醒しきっていない身体は完全には動けない。目をつむったままでこの突然の状況を把握することにした。
「腹は減ってないか」
リクの声だ。
「ものすごく減ってる」
即答したらいくつかの笑い声が聞こえた。男の人が数人、子供の声も。
「できるようなら、自分の力で起きてみて。すぐにじゃなくてもいいから」
少女の声にうなずいたけど、すぐに行動することは避けた。
「話を続けてもいいかな」
かすれた低い男の声に、うなずくだけで答えた。
「いいよ」
代わりに声は少女が出してくれた。
「エヴァンス」
かすれた低い男の促す声に、若い男の声がそのあとを語る。
「えっと、そう、管財官。もうすぐこの街に来るそうで、そうなればほとんどの者が外されるだろうね。たぶん、残るのは数人」
「筆頭は」
冷静なリクの声。
かすれた低い男の声は答えた。
「前領主の義弟、アーノルトが後見となっている者だろう」
ぼくは目を開けた。
ゆっくりと身を起こして、聞こえてきていたリクの方角に目を向けた。
なにかを、感じた。
自分でもよくわからないし、リクがなにを考えているのかも知らないけど、言葉にしてみれば、リクの心の欠片を感じた気がした。
自分がなにをしていても、思わず意識がリクに向くような、なにかを。
リクは、その場にいる誰とも視線を合わせてはいなかった。
寝台向こうの毛足の長い敷物の上でゆったりと身を投げ出し、少し上等な服に着替えていたようで、とてもくつろいだ姿に見える。片側の脇下に弾力のある背布団を敷き、どこを見るでもなく、真っ直ぐに視線を固定していた。
他の人も自分の視界にはあったけど、そのときのぼくには、リクしか見えなかった。
他の人は、リクになにも思わなかったんだろうか。
リク以外の人の会話は続いていた。それは聞こえていたけど内容は頭に入ってこない。
ぼくは、リクから視線を外すことができなかった。
リクが、ぼくが見ているのを知っていたというように、こちらに顔を向けた。
薄くほほえんでいた。
ぼくは、笑い返せなかった。
リクの眼は、笑ってなどいない。
ぼくの顔を見ているけど、ぼくを見てはいない。
「アーノルトが後見をしているということは、表立ってはいない。当然だが、真を見極める前に本物だと公言して偽物と判明すれば赤恥ものだ。代理人を押し立てて、陰から支援する形だ。エヴァンスの探りで知れたが、他の候補者側はこのことをまだ掴んでいないだろう」
かすれた低い男の声が言い、リクは視線をこちらから他に移した。
「こいつも可能性がある。聞いた話じゃ信憑性がある」
リクが言ったのは、たぶんぼくのことだ。
ぼくは発言しなかった。
声など、出せない。
「ほう、それじゃ、一騎打ちということになるかな。どうも他の候補者はしっくりといかなくてな。俺の勘じゃ、他は全部外れだろう」
「あんたの勘じゃ、あてにならない」
リクが笑いを含んだ声で言う。
「同感」
リクに同意したのは若い男声だ。
「食事、用意したよ」
そっと、少女が教えてくれた。ぼくはうなずき、抱えた膝に顔を埋めた。
リクは、ぼくの記憶喪失を、なかったものにした。
ぼくはそれになんの反応も示さなかったことで、それを承知した。
無言で交わされた互いの意思は、奇跡のように隠された。
リクがなにを考えているかなんて、ぼくに分かるわけがない。
ぼくはただ少女に促されるまま、寝台上に提供された食事を少しずつ体内に入れた。
食事をしながら、さりげなく周囲を見まわした。
部屋の中には、一度では把握しきれないほどの人間がいた。
大きな寝台の端に腰掛けて、大人たちの会話を眺めている少年がぼくの左側に二人。
ぼくの真似をするように食べ物を口にする幼児が右隣。
短髪の少女が向こう側にある長椅子に座っていて。
その隣に男児二人と女児二人がなにかの遊びに夢中。
長椅子のさらに向こう側の個席に少年が一人。
入口のほうに近い薄布で仕切られた食卓と揃いの席があり、その二席に男の影。
見える一席に体格のいい男が一人。
その横手でぼくの目前の床の敷物上にもう一人の少女が座って膝を抱え。
リクがその隣でくつろいでいた。
よく集まったものだ。広かった宿の室内が、さすがにいっぱいだ。孤独だなんて考える隙がない。
リクが優しいと思うのは、こんなときだ。一人になった途端に人恋しくなったぼくの心を察してくれたのだと感じさせてくれる。
不思議な人だと思う。
あんなふうに、鋭く、ふれがたい一面も持っているのに。
「それで? お前はなにをしたいんだ、リーヴ」
体格のいい男が、かすれた低い声で誰かにそう問いかけた。
「利益を得ることさ」
薄笑いで、リクがそう答えた。
「そろそろ新しいことに目を向けないと、退屈で死にそうだ」
リクの言葉に、体格のいい男が席からリクの正面へ移動し、距離を置いてしゃがんだ。
男の少し長い程度の濃い茶色の髪は硬そうで、浅い無精髭面で体つきも屈強だが、夢で見たほどのむさ苦しい印象ではない。体は大きいし口調も砕けているのに、粗野な印象じゃなく、知的なところが見える。
「例の仕事はどうする」
男はリクの隣に座る長い金髪の美少女には目もくれず、リクだけを見つめて言った。
「もともとあんたに任せてあったろう。俺が口出すことでもない」
リクは先ほどまでの冷たい笑顔から、ほんの少し感情を含めた笑顔をようやく見せた。
男は肩をすくめる動作のあと、その場でどっかりと胡座をかき、身を崩してリクと相対した。
「おまえがそう言うのならこのまま進めるが、領主後継問題に大きく影響が出るのはわかってるだろう」
リクは深く笑った。
でもやっぱり目元に和やかさがない。
「仕事は続行。だが、規模を大きくする。いいよな?」
男はリクの言葉にしばらく間を置いた。
「十分、口出してるだろうが」
男は立ち上がると席に戻り、卓席に共に座っている男たちに言った。
「大きな仕事になるってさ。よかったなあ、しばらく退屈だけはしなくてすむぞ」
「うわあ、勘弁してほしい」
男の一人が卓上に突っ伏したようだ。
「おまえだって、刺激が足りないって言ってたろう。久々の大仕事になるぞ。刺激的じゃないか」
「刺激の規模が違うでしょうが! 総動員に、なるんでしょ?」
「なるんだよな?」
体格のいい男がリクに訊く。
「なるな」
リクは当たり前のように返した。
「うわあ、勘弁」
突っ伏した男がもう一度言った。
幼児はときおりぼくの顔を覗き込んでにこりと笑い、長椅子に座る子供たちは元々遊びに夢中だし、寝台のほうと個席の少年たちは興味深そうに大人たちの会話を聞いている。
少女二人の態度は対照的だ。リクの隣の少女は、会話を聞いているようでもリクにしか視線を向けないのに、ぼくの世話をしてくれていた少女のほうは、興味がないそぶりだけど、ときおり視線を話をしている者に向けていた。
ぼくは、どうしたらいいんだろう。
「ナオ」
他のほうを向いたままのリクに突然呼ばれ、ぼくはびくりと体を跳ねあげた。
リクは視線だけをこちらに向けた。
「説明がいるか?」
ぼくは無意識に首を振っていた。わりと勢いよく。
「お、いい子だな。理解できないことを無闇に訊かないほうがいいってことをわかってるか」
初めて体格のいい男と目が合った。人のよさそうな笑みを浮かべているのに、目がそれほど笑っていないところはリクと同類だ。
「必要があることは、リーヴが説明をするだろうさ」
リーヴ、とは、やっぱりリクの別名らしい。
キルリク、リーヴ、どっちが本名だろう。
「エヴァンス」
「はい?」
リクに突然呼ばれた若い男は思いがけないことだったのか、少し裏返った声を出した。
「しばらくこっちと一緒に行動してくれ。子守がうまそうだ」
「あー、はい、子守ね。面倒なんですね、説明が。了解です。どうせ総動員なら俺の出る幕じゃないからね」
「ヴィイ、先に行ってくれ。リーヴの久々の本気だ、時間が惜しい」
男の一人が立ち上がり、部屋の扉に向かっていく。薄布の向こうで見えなかったその男は、体の各所に素晴らしい筋力を備えているとわかるしなやかさで動いた。背が高く、後ろ姿だけでも恵まれた均整のとれた体の持ち主だとわかる。
男は扉の前で立ち止まると、顔だけ振り向いた。短く刈られた黒髪が男には似合っている。黒髪に黒っぽい服装や、表情がないことから、ル・イースに近い印象を持ってもおかしくないのに、この男のほうには重い陰がない。
「あんたはいつ動く気だ」
体格のいい男に向けた、あっさりとした口調だ。
「さあてな、とりあえずのことはおまえに一任だ」
「あんたが顔を出さないと動かない奴らの尻を引っ叩いてもいいんならな」
真顔で冗談を言う男だとは思わなかった。
「動きが鈍い奴がいたらうまい餌をちらつかせてやれ。スーザの利権を手に入れることが、どんなに魅力的かをな」
「承知」
男は急がず、しなやかな動きで出て行った。
リクは目を閉じていた。
もうこの室内に、リクの関心ごとはないのかもしれない。
ぼくのことでさえも。
「さて、大人たちは退出するが、子供たちはどうするのかな?」
体格のいい男が立ち上がりながら言うと、子供たちはそれぞれに反応した。
「一緒に行く!」
「ここで遊ぶ」
とすぐに反応する子や、
「子供扱いすんな」
ぼそっとつぶやく少年。
言葉も行動も表さない子も幾人か。
「リーヴはこのあとどうするの?」
リクの隣の美少女が、可愛らしく小首をかしげて訊く。
「旅で疲れた。ここで寝る。おまえらは家に帰れ。遊ぶならそっちでやれ」
と素っ気なく答えるリクに疲れた様子はないが、子供たちが邪魔だということを隠しもしない。
「もう、つまんない」
美少女は諦めたように立ち上がり、誰よりも先に部屋を出て行った。他の子たちの反応は遅れたが、リクが目を開けもう一人の少女に目を向けると、少女が指示を出し始めた。
「タグ、姉さんを追って。夕刻に近いから」
最年長らしい少年は、リクよりは下でぼくよりは歳上だろうか。ぼくをなぜだかひと睨みしてから部屋を出た。
少女は他の子供たちにも指示を出し、ぼくに対して名残惜しそうな幼児の手を引いた。
部屋を出る前に少女はぼくに顔を向け、またね、と無表情ながら気遣う声をかけてくれた。
「俺はどうしたらいいんですかね」
エヴァンスという男だろう。薄布の陰から出てきたのは、金髪を長めに伸ばした、なかなか男前な青年だった。服装も色彩豊かで、ぼくにでもおしゃれに気を使ってるんだなとわかる。軽薄とまではいかないが、軟派な印象はあった。それが逆に女の人には好かれそう。
「おまえは子守だろうが。子供たちについていけ」
体格のいい男に言われた青年は小さなため息をつき、
「ご婦人の相手のほうがいいなあ」
とつぶやいてから出ていった。
残されたのは、敷物の上に横になっているリクと、寝台上のぼく、立ったままの男。
それと、存在感をまったく感じさせなかったル・イースが、薄布の向こうから突然現れて驚かされた。
体格のいい男がぼくに視線を合わせた。
「自己紹介が遅れたが、俺はセリュフという。話せば長くなることばかりで面倒でね。おいおい把握してくれると助かる。きみは、このスーザの向こう、広大なマンダルバ領、領主後継者候補だ。リーヴが後見となるなら、俺たちもそれに従うことになる。だが、こちらにも成すべきことがある。このスーザ全域の利権を手中にすることが目的で、我々はこのスーザに滞在している。時間をかけて深部まで手を伸ばすことができてはいるが、全域まではまだ遠い道だ。もっと時間をかける予定だったが、きみの存在が大きくこの計画を左右することになった」
どんな反応を返せというんだろう。
なんの動きもできないぼくの反応など初めから期待していないように、セリュフは続けた。
「きみが、本物のマンダルバ前領主の息子ならば、このスーザの利権など小さなものだ。ここは、マンダルバの所領地ではないが、領地の直下で実質上スーザはマンダルバの勢力域にある。マンダルバそのものがあらゆる物産の名産地だ。スーザはマンダルバ交易の一端を担っているに過ぎない。我が組織は様々な分野での機動力を有している。きみがマンダルバ領主になるための力を貸すことが可能であり、きみがそれを欲するなら、その見返りが、このスーザの利権、ということになる」
少し、見えてきた。
「はい」
セリュフは素直な態度のぼくに、にこりと、先ほどとは違う本物の笑顔を見せた。
「きみが本物だろうと偽物だろうと、いまのところはどうでもいい。ようは、マンダルバの繋ぎになる存在が、いま俺たちの目の前にいる、ということだ。きみが自分の意思でここに来たということは、領主後継者候補として名乗りを上げる意思を持っているとみなしていいのだろう? それを利用させてもらうのは、俺たちにとっては当然の成り行きだ」
「はあ」
「きみの悪いようにはしない。代わりに、返答が欲しい」
男が言葉を切った。
ぼくがマンダルバ領主になった暁には、スーザを譲渡する、とでも言えばいいんだろうか。
「あの、口約束だけで済むとは思えませんが、なんと言えば正解なんでしょう」
くくっと笑ったのはリクだ。
男もにやりと笑った。
「いまリーヴがきみをかまっているのがうなずけるな。退屈気味のリーヴにはいい刺激物だ」
ぼくはもの扱いか。
「いまはなにも訊かないでおこう。きみが恩を返さない人物には思えないからな。リーヴの言うことを素直にきくことが、いまのきみにできることだ」
男はそう言って、堂々とした態度で部屋を出ていった。
「ル・イース、しばらく別行動でいい」
リクがそう言うと、ル・イースは一礼も目礼もなく部屋を出た。あいかわらず、ぼくには一欠片も目を向けなかった。
リクは身を起こすとこちらにやってきて、寝台に登ってぼくの近くで寝転んだ。広い寝台は、ぼくが五人は寝られそうだ。
目を閉じているリクの横顔を、ぼくは身を起こしたままで見つめた。
なぜ、ぼくたちはあの場所で出逢い、いまこうして、一緒の寝台の上にいるんだろう。
「眠気は飛んだのか」
目を閉じたままのリクが言った。
「うん」
「俺が眠い。邪魔はするなよ」
しばらくすると、浅い寝息が聞こえてきた。
リクは、初めからぼくを気にせずに眠った。
それは、ぼくが人畜無害の無力もので、リクにとってなんら害を及ぼすものではないから。
でも、それよりもなによりも、リクが誰一人をも恐れてはいないからではないだろうか。
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