第2話
リクと、リクに付き従う姿勢を貫くル・イースとの三人旅の間、とくにすることがないぼくは、二人のことをよく見ていた。
だからといって、リクがどういう人かって、そう誰かに訊かれたとしても、とてもひとことでは言えない。
リクは、いくつもの顔を持っている。
馬車を止めて、外で火を焚いて簡単な食事をすることになったとき。
ル・イースが山道の周囲から拾ってきたいくつかの石を組んで簡易的な炊き場を作り、常温保存してあった野菜を適度に刻んだものとなにかの干し肉をちぎって一緒に煮込んだ。リクは自分より下の立場らしいル・イースにそういった作業をすべてさせるのかと思っていたけど、彼は自分でも動く人だった。
リクは宿屋で先にもらっていた薄焼きパンを取り出して人数分に振り分けたあと、軽く周囲を見渡し、ふらりとどこかに向かった。その辺りは大きな樹木は少なく、腰丈くらいの高さの木や岩場の合間に生えた葉の小さな植物ばかりで、食べ物にできそうなものはないと思っていたが、リクは道から外れたところに足を踏み入れ姿が見えなくなった。
しばらくして帰ってきたその手には、葉っぱのついたふた枝ほどのなにかの植物を持っていた。無言でそれを馬車に備蓄している水で軽くすすいでル・イースに手渡し、ル・イースは無言で受け取り葉をいくつか手でちぎって煮込み鍋に投入した。独特の香りのする香草だったようで、それはちょうどいい料理の味付けの一つになった。
自ら動いてそういうことができるリクは、ル・イースより上の立場の人には見えなかった。そんなふうに、馬車にいるのときのリクは、ル・イースになにかを任せっぱなしにすることはなかった。
なにもしなかったのはぼくのほうで、リクは、どうせ覚えちゃいないんだろうが、と言ってぼくをぼけっと手持ち無沙汰にさせた。そのとおり、ぼくはなにをしていいのか思いもつかないんだ。
でもリクは、そういう役立たずのぼくを、急かしたり叱ったり無理やりなにかをさせようとはしない。
それはリクの優しさのようで、でも、突き放されている感じも受けて。
それがツキンと胸の奥に小さく痛むように悲しく思えて、一度見て知ったことはぼくも自分からやろうと思えた。
それを実行したぼくを見て、リクはふっと笑う。大人のお手伝いをちゃんとできた小さな子供を見るようだった。それでも、生まれたての赤ん坊からは脱却できた気がして嬉しかった。
ル・イースが馬車を操っている間、リクは荷台のほうで暇つぶしといったように仏頂面でなにかの本や書類を見ていることが多かった。がたんがたん揺れる荷台の上で器用に体の動きを調整しながら、面白くはなさそうになにかを読んでいる。
ぼくのほうは、まだ自分のことを知るのが怖くて、リクの読むそれらをちょっとでも覗いて文字を見てみるということすらできないでいた。いずれ、自分と向き合わないといけないときは来るんだろう。でも勇気が出なかったんだ。
リクは、ぼくになにも強制しない。無理に記憶を思い出させるようなことはなく、本を自分から見せることもない。
彼が本を読んでいるときは、ぼくは彼の視界にはない。ぼくがいてもいなくても、彼のすることにはなにも変わりがないんだと思った。
リクたちがぼくを助けたのは、本当に偶然のことで、そのときのわずかな時間は、ぼくにとっては奇跡でも、彼らにとってはただの時間つぶしか気まぐれだったのかもしれない。
もしかしたら、この先の自分には、明るい未来なんてないのかもしれない。
それでも、リクに出逢ったあのときは、自分にとって最大の転機なのだと心の奥にある本能が訴えているように感じていた。
だから、いまぼくと深く関わってくれているリクと、ル・イースを見つめる。
ただ、もう一人の同行者であるル・イースとは、あまり視線が合わなかった。彼のほうが、ぼくのことを見ていないからだ。彼の行動は、すべてがリクに関わることだけだ。その徹底した行動に、目に見えない二人の絆のようなものを感じていた。
二人をずっと見ていると、いろいろと見えてくるものはあった。
だけど。
自分のこと以上に、忘れてしまっているこの世界のことを、なにもわかってはいなかったのだと思い知らされた。
リクに拾われたのは、ムトンという岩山や荒野ばかりの地域で、いくつかの集落が山道の要所にあるくらいで人はあまり住んではいないらしく、ここら辺りはどこの国にも属していないと教えられた。農耕に向かない土地で開拓は難しく、その範囲が広すぎて、どの国もこの辺りには進出していないという。
岩はたくさんあってもめぼしい鉱物は取れないし、大きな植物も生えない、地面は固く土自体を作ることができない。領地として治めるには、資源地から次の資源地までが遠すぎて、直轄地とするよりも空白地帯として置いて、自国の主要地の守備を固めるほうが有効なんだとリクは言っていた。
これはぼくには難しい話で、首を傾げたぼくを、わからなけりゃいいとリクはそれ以上説明してくれなかった。
とにかく、馬車の行く道はろくに舗装がされていない。ずっと馬車の荷台で揺さぶられていると、短い時間でもすぐに体力と忍耐力が失われてしまう。
ときおり休憩を取って、軋んで痛む身体を労ってやらなければならなかった。
ぼくは馬車を降りて体のあちこちをゆっくりと伸ばすくらいだが、他の二人のやり方は独特だった。
リクが荷台にある大きめの木箱から、なにか長めのものを持って降りてきて、近づいてきたル・イースにそれを手渡した。
馬車を止めたのは少し広めに平らな草地で、休憩するにはよさそうなところだと思った。
でも、二人は休憩に来たんじゃなかった。
二人がそれぞれ持っていたのは、抜き身の中剣。
二人は、なんの準備運動もなく、いきなり動き始めた。
本当にそれはいきなり始まった。
二人はとくに息を合わせたわけじゃなく、むしろ視線さえ交わしていない状態で、ル・イースのほうが突然にリクに剣を振るった。
思いがけないその行動に、ぼくの思考も体も硬直した。
でもそんなことはリクにとってはわずかな瞬間でしかないといったように、リクのほうもル・イースの剣先を素早い身のこなしで避けながら反撃の手を振るう。
ル・イースの体ぎりぎりのところを、リクの駿撃が鮮やかに通っていく。
剣を交えるのではなく、互いの体を交互に剣で狙い、それらを最小限の動きで避けていた。
二人で作り出す美しい踊りを、見ているようだった。
だけどその手に持っているのは、真剣。
それは彼ら自身が証明した。
リクの剣先が下からル・イースの体めがけて跳ね上がったとき、下に生えている草が複数舞い飛んだ。叩き折られてまとまって飛んだんじゃない。剣振りの速さでその場でいくつもの草が鋭利に切られて舞い上がった。
ル・イースがリクを草場の端まで動きで追い込み、ル・イースの剣はリクの着ていた服の上腕あたりを斬り込んだ。リクはそれを躱していたが、次に動いたときに見えたのは、そのところが鋭く切られ破れていたこと。
なにより、二人が振るう剣の音が鋭く辺りを奏で、命を削る呪われた音楽のように聴こえて、ただ怖くて、ぼくの立ち尽くしていた足は感覚がないくらいに強張り震えていた。
ある程度動いて満足したのか、二人はしばらく振っていた剣を下ろし、またこちらに何事もなかったように普通の足取りで戻ってきた。
ぼくが固まっているのを見て、リクは訝しげな顔をしていた。
ぼくは震える手を上げて、リクの切られた上腕の部分に伸ばし、服の下に傷がないかを確かめようとしたけど、もし傷があったら痛いはずと思えばそれ以上動かすことができなくなった。
怖くて涙が出そうだった。
リクはそれに気づいたような表情で、ひょいと眉を上げた。
「服だけだ。気にすんな」
力なく手を下ろしたぼくの横を通り過ぎるとき、リクはぼくの後頭部をぽすんと叩いていった。ル・イースはなにも気にかけることなく、馬の管理をしに戻った。
ぼくは立ち尽くしたまま、リクが破れた上衣を脱いで違うものに着替えている姿を見ていた。
どうして、こんなに、怖いんだろう。
剣は、人を傷つける道具であると、ぼくは知っていた。
だけど、初めて、それを実感した。
そのときの自分を冷静になってから思い返せば、そんなふうに思ったんだ。
記憶がない自分がいまいる状況が、夢を見ているみたいだと、ふわふわと浮ついていた気持ちが、いきなり地面に叩き落とされ、これが現実なんだと、問答無用と強制的に着地させられた。
その感覚は、記憶がないということじゃなく別の衝撃で、常に自分の中に違和感が燻っているようだった。
二人のこと、自分のこと、周りのことも、見つめ続けていくうちに、初めはなんの焦りも感じていなかったのに、小さく生まれ出した不安が、どんどんと大きくなっていく。
リクは、まだぼくのことを楽観的な赤ん坊のように思っている。
旅の間、宿があるときはそこに泊まった。借りたのは寝台が二つのひと部屋で、寝台の一つをル・イースが使い、もう一つにはリクとぼくが一緒に眠った。宿にお風呂があれば湯を使わせてもらえた。宿がない夜には、民家の納屋を借りて、風呂の代わりに濡らした布で体を拭き、荷台に置いてあった毛布で包まれた。民家さえ見えないただの荒野では、馬車の狭い荷台の荷物をずらし、なんとか三人体を寄せて、でもそういうことに慣れないぼくは眠れない夜を過ごした。
その間、リクのぼくに対する扱い方は、ほんの小さな子供の世話を焼いているという感じだった。
でも、ぼくは、そんなに子供じゃない。
記憶がないくせに、そういうことはなぜか気がつく。
そして、こうやって、小さな子供ではできない考え方をしている。
旅が始まってから数日経ってようやく、自分に記憶がないという不安、思い出せるのだろうかという焦り、なにか思い出しかけているようでなにも掴めないもどかしさ、そういったものが自分の中に芽生えていた。
そのことを考えていると、リクにはただぼくがぼうっと呆けているように見えるみたいで、ときどき指先で頭を突かれた。その衝撃にぼくがむぐと喉を鳴らせると、リクはおかしそうに小さな笑みを見せてくれる。
きみが楽しそうならなんだっていいやと、そのときは思えるから不思議だ。
だから、深く悩むのだけはやめようと思った。
旅を続け、リクたちが当初から向かっていたというスーザという名の大きな街に入ったのは、出発してから六日目のことだった。
荒野ばかりのフッサ地方にあるセンテンサという山を降りてきて、ようやく平野地へ入ろうというところで、平野の向こうに見えてきていたスーザの街並みを初めて目にしたときはそんなに大きな街だとは思わなかったが、近づいていくと、だんだんとその大きさがわかってくる。
二階建ての建物ほどの高さで無数に組まれた石の壁が街を守る、小さいと思っていたその街は、あらゆる違う方向へ広大に複雑な形で広がっていた。
およそ東西南北に走る大小の街道の交わる要所。それが自由貿易都市スーザだった。
センテンサ山を越えてきた細道からは直接街の入り口にはたどり着けないようで、馬車は一度大きな街道に入ってから本格的に街へと向かった。大きな道は整備されていて舌を噛みそうになることはなくなり、安心して荷馬車に揺られた。
フッサの荒野から一転、緑の木々も増えていき、小さな森のようなものも見えてきた。
他の旅の荷馬車ともよくすれ違うようになっていき、大街道から違う道を少し入ったところで、石壁の間が大きく開かれたところから、人の大きな気配のする街へと入った。
馬車が通る街の主要路の両脇には、いくつもの店が連なり、沢山の人が行き交っていた。
この街の常にいる人間の数は二千人は超えるらしく、この街を訪れる人の数はそれ以上。すでに数十もの小さな露店を馬車は通り過ぎ、止まったのは大きな広場。いくつもの馬車団も止められるようになっていて、街に入った旅人がここにまず荷物や人を下ろす場所のようだった。
この広場を囲むように、見えるだけでも数えきれない店や人の数。
野菜、果物、穀物、肉、魚介、香辛料、木材、鉱物、武器、鋳物、陶器、家畜、衣料、この街で手に入らないものはないというくらいに、なんでも売り出されていた。がっしりと作られた建物の合間にも、布切れだけで覆われた露店が道や広場の一部にもはみ出し、客も店の者も見ただけでは区別がつかず、人々の年齢性別服装もさまざま。
馬車から下りて、初めて目にする人の数とそれらが生み出す熱気に、ぼうっと周りを見回した。
ぼくが惚けている間に、ル・イースが誰か商人らしきあご髭を生やした男の人と話をしていて、リクは少し離れたところで彼に話しかけてくる商店の人たちを無表情に軽くあしらっていた。
ル・イースとあご髭の男の人との話し合いは済んだらしく、男の人は馬車の中をざっと見回し、荷台に上がって中身も確認し、最後に馬の状態を見てから腰袋から取り出したものをル・イースに見せた。ル・イースはうなずいて、それを片手で受け取った。
ぼくがそれをぼうっと見ていたので、リクはぼくの肩を片手で押して別の方向へと促した。
「あれ、なにしてるの?」
わからないことは訊くことにしていたのでリクに言った。
「全部売った」
「え?」
「荷台は中古だったのがこの旅でさらに痛んだし、荷物は元々旅のために揃えただけで日用品しかない。馬も年寄りを安く買ったものだったから、あとはここで簡単な荷運びにでもされるだろう。邪魔な荷物を処分しただけだ」
そう、なのか。
「え、じゃあ、これから、どうするの?」
どこへ向かっているのかわからずに、促される方向へと一緒に歩いているけど。
「ここには定宿がある」
「定宿?」
また適度な宿屋に泊まるのかな。
「俺の持ち家だ」
持ち家。
え?
すぐに返す言葉が出てこなくて、口を開けていたけどすぐに閉じた。
リクのことを全然わからないでいたけど、さらにわからなくなった。
しばらくは無言で二人歩いた。
多くの人の波に乗せられたり、逆らうように人にぶつかりそうになって立ち止まったり、歩くことがこんなに大変だとは思わなかった。
少し息が詰まって、固く痛んだ足を止めて、先を行ってしまいそうなリクに早くついていかなきゃと思った。
ふうっと息を吸って大きく吐く。
さっきよりもましになったと思い、歩き出したとき、リクが振り向いた。
「疲れたか?」
「うん、そうだね」
この細い小さな体で、ガタついた馬車の硬い荷台で何日も揺られて、痛みの感じないところはないくらいに。
でも。
それは言ってはいけないと思ったから。
世話になりっぱなしで、リクの思いだけで助けてもらっているから。
「もう少し我慢しろ」
でもリクは。
そんなぼくにとっくに気づいてくれていたんだろう。
人混みではぐれてしまわないように、リクはぼくの片手首を掴んで歩き始めた。
ぼくは、なにも言わずに、ただリクについて歩く。
人と物で雑多だった繁華街を過ぎると、徐々に人通りは減っていき、石造りの建物が増えていって、大きな広い建物も増え始めた。大きな建物でも四、五階ほどで、それ以上高さのある建物はない。
リクは静かになってきたそんな石造りの街並みの、ある建物の前で立ち止まった。
白壁がひときわ目立つ、高さも広さもある建物で、他の石造りの建物とはまったく趣が異なっていた。上品で、静か。そんな印象。
まさかこれはリクの言っていた持ち家とは違うだろうと思った。だって、あまりにもリクの持つ印象と違う。人を従わせるところはあるけど、リクは普通の感覚を持っている。こんな高級そうな、近寄る人以外は拒絶しているような孤高の存在じゃない。
「持ち家?」
一応訊いてはみた。
「いや、宿」
宿なの?
また歩き始めたリクのあとをついていく。
リクは気まぐれでもある。でも考えていたことから変えることがあるのなら、理由がきっとあるからだ。
ぼく一人なら近寄りもしないような建物は、白石をさらに白く塗り固めたような外壁。単調に質素。でも静けさと清潔感がある。上部が半円形の高くて広い入り口を潜り内部に入ると、数階を一つに吹き抜いた広場になっていた。左右の壁には繊細な色柄の大きな織物が掛けられ、無機質な石造りに温かみのある印象にしている。正面には壁がなくて、向こう側に緑が見えた。本物の植物。一階が、庭?
奥の一角に木卓が置いてあり、数人の男性が立っていた。
そのうちの一人がすぐにこちらに気づいてやってきた。ぼくたちは旅装のままで、清潔で上等な身なりではない。いままですれ違ってきた人の中でも簡素な作りの服装だと思う。それでも白い長めの衣装を着た男性は、丁寧にぼくたちの前で浅く腰を折った。
ここは、いままで泊まった宿よりも、そしてこれから知るだろうものよりも、最上級のところに違いない。
どうして、リクはここに来たんだろう。
リクはやってきた男性に告げた。
「下階でかまわない」
「はい、ございます」
男性はそう言うと、すぐに先に立って案内を始めた。ぼくらはそのあとをついていく。
「来たことがあるの?」
小さなぼくの声に、
「ああ」
とリクは素っ気なく答えた。
奥のほうへ進み、緑が見えていた手前側の壁を過ぎると、水場もあるとても広い中庭が現れた。
たくさんの種類の植物や樹が適度な距離で植えられたその庭の上を見れば、数日ずっと続いていた曇り空。
庭の中央に奥まで道ができていて、そこを歩いていく。向こう側がまた建物の壁で、曲がったところには階段があった。この建物は庭を囲むように作られていて、入り口を入った奥が客室になるんだろう。
階段を上がってすぐの二階、少し歩いた先の部屋にぼくらは通された。男性に開けられた扉を通って中に入ると、いままでの宿とは比べられないほど広い部屋。
またぼうっと上等すぎる内装と部屋の広さに驚いていると、
「こら、立ち止まるな。こっちに来い」
リクに腕をぐいっと引っ張られた。
部屋の内装は、奥の窓から入る風が内部を吹き渡るようにか、壁で仕切るのではなく、いくつかの白柱と薄布を多用してあった。
奥へ行くと、高めの天井から白い薄布が四方に垂れ下がった大きな寝台があり、リクはその上にぼくを座らせた。
「まったく、自覚しろ、結構な高熱だぞ」
それがぼくのことを言っているのだとわかったのは、離れたリクが男性になにか話をしているのをぼんやりと眺めたあとで。
男性が出て行ったあと、しばらくして何人かの人が陶器の水差しのほか、食器や、数種類の果物を持って入ってきた。
「脱水症状も出てるから、とにかく水分を取れ。固形物が喉を通るようならこれも食べろ」
ぼくはリクに促されるまま水を飲み、少し喉に引っ掛けながら瑞々しい果物を口にした。
その間、リクは立ったまま、こちらの様子を無表情に見ていた。
その無表情が、怖い。
怒ってるのか、それとも呆れてるのか。
きっと、両方だな。
「予定外にもほどがある。その熱が引くまでここで寝てろ。いいな」
言いながら現れた完璧な笑顔のほうが無表情よりも怖いということをリクはぼくに実感させ、扉のほうへと歩き出した。
途端に、寂しさが湧いてきた。
「行っちゃうの?」
細くなった声に、リクは振り返った。
「宿の奴と話をするだけだ」
無表情に告げ、リクは部屋から出て行ってしまった。
広い部屋に、一人きり。
体調の悪さを自覚すれば、不安感が体に溜まってくる。
静かで。
時間が経てば経つほど、寂しさや不安が、怖さにすり替わっていく。
リクがいなければ、ぼくは、たった一人だ。
あまりに強い孤独感は、眠気を連れてはこない。
いつまでも胸苦しさが消えなかった。
いまのこの境遇に、なにも思わないなんて、嘘だ。
不安の原因を見つめようとしないのは、勇気がないんじゃない。
怖いから。
ただそれだけだ。
寝転がって、目を閉じると、暗闇が広がって、怖さが増していく。
なにもかもを忘れているぼくに、涙を流す許可は与えられていなかった。
自分の力でこの先の未来を掴み取れるとは、とても思えない。
そして、誰かがこんな自分のことを救ってくれるのを待つなんて、願うこともきっと許されない。
それでも。
誰か。
それが、きみだったらいいのに。
願わずには、いられなかったんだ。
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