第12話 地区大会の悲劇①
あと1時間。
ウキウキとドキドキが入り混じって、何とも言えない感情を抱いている。
ストレッチをしていると、いつもより体が固くなっているような感じがした。心と体が密接につながっていることを思い知らされる。
背伸びをするために立ち上がると、芝生自体が少し濡れていたのか、ズボンのお尻が少し濡れていることに気づいた。それに少しだけイライラする。私はイライラを解消することも含めて、両手を高く上に伸ばし、グーーっと空に浮かぶ雲をつかむ気持ちで背伸びをし、はあああーーっと息を吐きながら、体の力を抜いた。
うん、さっきよりは緊張がほぐれたかな。
「咲妃、緊張してるの?」
後ろから声がした。振り返ると、そこにはいつのまにか、志穂がいた。ストレッチ用のマットと私の水筒を持っている。
「お尻濡れちゃってるじゃん。これ使いな」
ほんと志穂は気が利く。日本部活マネージャー選手権的なのがあったら断トツ1位を取るだろうな。
そんなしょうもないことを思いながら、志穂が敷いてくれたストレッチ用マットに腰を下ろした。
「いやー、地区予選とはいえ、やっぱり緊張するわー」
「いつも通りやれば、大丈夫でしょ。予選の走り見たけど、調子よさそうじゃん」
5月になり、ようやく暖かくなってきた。まさに「陸上日和」といえるほどのいい天気。つい2時間前に100メートル予選があったが、楽々決勝へ進めた。最後スピードを緩めたぶん、タイムは前と比べて遅くなったが、それでも12秒33だった。
決勝でどんな走りができるか自分でも楽しみではあるが、やはり決勝となると、
かなり緊張する。ここで下手したら、県大会さえいけなくなってしまうとネガティブに考えてしまう。
「ちょっと咲妃?聞いてる?」
ストレッチしながら、上の空だった。
「あ、ごめん」
「もー緊張しすぎだって!いつも通りの走りをすればいいんだよ?大丈夫だから!」
志穂の声に救われる。この子がいなかったら、今頃ガチガチで決勝に向かっていただろう。
私はありがとう、と志穂にお礼を言ってからウォーミングアップをしに行った。
よし、いつも通り、気合入れていくぞ!!
腿上げやスキップなどをして、体を温める。周りには、これから一緒に走るであろう100メートルの選手たちが同じようにウォーミングアップをしている。みんな真剣だ。会話なんて一つもない。みんな県大会を本気で狙っている。
たまに彼女たちと目が合う。ウォーミングアップ中、常に誰かに見られている感覚に陥る。私の着ている赤ジャージが目立つからだろうか?それも一理あるだろうけど、たぶんそれだけじゃないだろう。前回大会の優勝者ということで、私を敵対視しているのだろう。
そんな気迫に負けてはいけない。私だってここまでたくさん練習してきたんだ。
私はこのレースで必ず勝たなければならない。この神楽西高陸上部のために勝たなければいけない。
私は自分の赤いジャージの胸についている神楽西高陸上部のロゴマークを見た。
「必ず勝たなきゃ」
自分にそう言い聞かせながら、入念にウォーミングアップをした。
15分前。100メートル走のスタート地点で招集を行なってから、私は一度地べたに座り、スパイクに履き替える。
「咲妃、」
私の名前を呼ぶ声がしたので、顔を見上げた。そこには工藤先生が少し怖い顔をしながら立っていた。
「とにかくスタートは失敗しないようにしよう。あとは後半も動きをしっかり意識しながら走ること。いいな?」
「はい!!!!」
周りに人がいることなんて気にせず、大きな声で返事をする。
そして先生は、最後に一言私にこう言って、去っていった。
「絶対勝てよ」
その言葉が私の心に直球で突き刺さった。それが良い意味なのかは自分でもわからない。でも先生にそう言われて、私の心拍数が急激に上がるのを感じた。
一度周りを見渡す。私以外の選手7名が既にレーンに立って準備をしていた。
「咲妃、行ってきな!がんばって!!」
志穂にそう言われて、またエネルギーがみなぎってきた。
「うん、行ってきます!」
私はレーンに立ち、スターティングブロックの調整をして、スタートの確認を行う。スターティングブロックを思いきり蹴ることをイメージしながら、軽く飛び出す。よし、良い感じのスタートだ。自信がわいてきた。
地面を見ながら、スタート地点へ戻る。この戻る時間で、周りの観客が私たちに注目していることを認識する。うわ、みんな見てる~って思ってしまう。
この戻ってる間も選手と目を合わそうと思えば、合わせられるけど、そんなことはしない。私自身に集中しなければ。
———それでは出場選手の紹介をします
アナウンスが選手紹介を始めたことで、私はこれから走るんだということを思い知らされる。気持ちを落ち着かせるために、軽くジャンプをする。
———4レーン、石倉咲妃さん
名前を呼ばれたことを確認し、手を挙げてお辞儀をする。スタンド席からパチパチと拍手する声が聞こえる。そこには、部長や隆史がいた。みんなが応援してくれている。
必ず勝たなきゃ。みんなのために。この陸上部のために。
———5レーン、真鍋詩織さん
隣の選手が私と同じように手を上げ、お辞儀をする。男の子っぽい短い髪型が私に似ている。それをしっかり横目で確認した。真鍋さんがかなり闘争心むき出しの顔をしているのが横顔でわかった。それを見て、心の中に炎のように燃え上がるものがあった。真鍋さんだけには負けてはいけない。
昨年の県大会も真鍋さんと隣で、彼女は同じような表情をしていた。その時はその表情にかなり圧迫された。それでも気負わず、勝つことができた。
私は心の中で自分自身に言い聞かせる。
「いつも通りいけば大丈夫だから」
胸に手を当てて集中モードになるスイッチを押した。
———以上、8名の選手による、女子100メートル走決勝です
———オンユアマーク
今、私の戦いが始まる。
次回「地区大会の悲劇②」に続く
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