第10話 隆史と私②

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 いつものように、午前中の退屈な授業を乗り越え、昼休みに七海に拘束され、午後の一番眠たいときに限って、日本史の山下先生の長々とした歴史の話を死に物狂いで聞く。

 今日は何も変わらない一日で、少し物足りなさを感じながら部活へ向かった。


 部室の前では、1年生が靴ひもを結んでいる。1年生は着替えるとき以外、部室の中には入れない。それがルールだ。

 「石倉先輩、こんにちは!!」

 「こんにちは!」


 1年生のみんなは笑顔で私に挨拶してくれた。でも私は彼女らのその笑顔の目の奥に何かしらの不満が見えたような気がした。もちろん1年生だけが部室に入れないなんてかわいそうだと思う。男子に関しては、着替えも外でやらなければいけない。

でもそれがルールであり、伝統だと言ってしまえば終わりだ。


 私は彼女らに申し訳なさを感じながら、部室の中に入る。



 「みんな、おはよー」

午後4時くらいなのに、おはようと挨拶するのもその場の流れで出来たルーティンだ。いつも通り挨拶すると、部室の中でいつもと違う雰囲気が漂っていることに気づいた。何人かが深刻そうな顔をして、こちらを見ている。

 何事かと思った矢先、志穂がメディシングボール*¹を持ちながら、みんなが深刻な顔をしている理由を話してくれた。


「やばいよ咲妃!隆史が職員室の前で工藤先生にめちゃめちゃ怒られてたんだけど…」

「え?…隆史が…?」


突然すぎて、何も考えられなかった。心臓がドキッと一拍だけ大きく響いた気がした。たぶんこの部室にいる子たちは同じ気持ちでいるだろう。なぜなら、我々陸上部にとって工藤先生に怒られることは、かなりの大打撃が加えられるからだ。


「なんで怒られてるの?なんで?」

「わからない…たぶん部活始まる前に言うかもね…」


そう志穂に言われて、憂鬱になる。部活が始まってほしくないと思ったのは久しぶりだ。

 物足りないモノクロな一日だな、と不満を感じていたけれど、まさかこんな形で今日という日が彩られるとは思わなかった。もちろん、そんなこと望んでもいなかった。

 会話もなく、一人一人が沈んだような顔を見せながら、部室を出て、グラウンドへ向かう。





 グラウンドには既に男子が整列していた。男子たちの目線の先には、いつも通り腕ぐみをしている工藤先生がいた。そしてその後ろに、昨日まで元気だったはずの隆史が顔を下に向けた状態で立っていた。

 私たちはその空気の重さを察知しながらも、この部活のルール通り、先生に向かって、「工藤先生、こんにちは~!!」と大声で元気よく挨拶する。先生は無言でうなづくように、首を縦に1回振っただけだった。この空気に私たちの元気のよい挨拶は似つかわしくなかった。私たちも男子たちと共に整列する。

 先生は目の前の部員を一度見渡してから、話を始めた。


「今日はジョギングを始める前に、隆史から報告がある。隆史」

「…はい」

隆史の返事はいつもより弱弱しかった。先生は「報告」といったが、私たちは今から何が行われるのか既にわかっている。それは「報告」という名の「謝罪」だ。



「みなさん、部活を始める前にすいません。僕は、この部活の自主練禁止というルールを破り、全員に内緒で朝早くから自主練習をしてしまいました。そして、そのせいで、学校の授業がおろそかになり、教師に怒られ、この部活の印象を悪くさせてしまったことを誤りたく思い、部活前に集まってもらいました。……本当に申し訳ございませんでした」


隆史は私たちに背中を見せるくらいに深く頭を下げた。


昨日知った、隆史の自主練習。朝早くから自主練習をしていたせいで、授業中寝てばっかだったらしい。何度注意しても寝てしまう彼に教師は怒り、それを工藤先生に報告したのだろう。


桜田先生も含め、この学校の教師の中には、いわゆる「工藤先生信者」が何人か存在する。彼らは私たち陸上部が学校生活で悪さをした時、すぐに工藤先生にその事を報告する。そして今日のようなことが起こる。


「隆史、反省の思いを行動で示すためにも、今日から1週間は奉仕作業をやってもらう」

「…はい」


地区予選まで残り少ない。そんな中で隆史は練習を1週間もできなくなった。地区予選自体には間に合うが、今までの練習で積み重ねてきたものがこの1週間で消費されると思うと、私も胸が苦しかった。





 


 今日はスタート練習だった。ピストルの音にいかに早く反応できるかがカギだ。走り込みと比べたら、まだこういう練習の方が好きだ。


「セット」

———パァァァァァァン!!

スターティングブロックを蹴り上げて、思い切り飛び出す。スタート練習であるため、30メートルくらい走ればOKだ。

 

 30メートル地点あたりでスピードを緩める。スピードを緩めて、50メートル地点のあたりで立ち止まった時、私の視界には、隆史の姿があった。

 芝生でしゃがみ込んで、無駄に長く伸びた雑草を1本1本抜き取っている隆史の背中はいつもより丸くて小さく見えた。

 私は気づいたら、彼に声をかけていた。


「……隆史」

彼は私の方を振り返ると、おう、といって、いつも通りの笑顔を見せてくれた。

「咲妃、練習頑張ってるか??」

意外にも気にしてない感じを見せる彼に少し驚いたけど、私は彼からの質問に素直に答える。

「……うん」

「そっか。怪我しないようにな」

彼はいつも通り優しい。でも声のトーンは明らかに沈んでいた。心の中が声によって、見え見えだった。


「…隆史」

なんとなくもう一度名前を呼んでしまった。彼は私の気持ちを察したのだろうか。笑顔で私の声に応える。

「なんだよ!大丈夫だよ俺は。地区予選自体は出させてくれるんだから。お前も気にすんな」

そういって彼は奉仕作業を再び始めた。


 私が心配していることは、地区予選の事もそうだが、それだけじゃなかった。

 私が一番心配していることは、周りの部員の事だ。


 隆史が部活のルールを破り、勝手に自主練習をしていたことで、周りの部員の隆史を見る目が変わったのだ。明らかに彼を冷ややかな目で見ている。まるで犯罪者を見るような目だった。

 彼の声が沈んでいたのも、おそらくそれが理由だろう。


 この陸上部は、ルールを破った部員のことを見捨ててしまうのが特徴だ。でもそれも仕方がないことなのかもしれない。少しでもルールを破った人間をかばうようなことをしたら、自分もどうなるかわからない。そんな状況下にみんなは立たされているのだ。


 私は、一度周りの部員を見渡してみた。誰もこっちを見ていない。隆史の方を見ようともしない。なぜかそれが私も悲しかった。


 でもそんな中で目がふとあった部員がいた。彼は目が合った瞬間、すぐにそらしてしまった。


 

「……部長………」


部長は目があったことも気づいてない様子で、ハードルの練習を続ける。


彼は今、部長として何を思っているんだろうか。隆史が自主練をしていたことも知っていた。そんな隆史を彼は許していた。

部長もきっと私と同じく、この部活の雰囲気の異様さに気づいてしまったのかもしれない。



隆史の手によって、芝生がきれいになっていく。長く成長した雑草が刈り取られ、他の雑草と同じ長さにされるのを見て、なぜか私は悲しくなった。



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