第9話 隆史と私①

****


ゴクゴクゴク…


ぷはあ、水がうまい。走り込み後の水分補給は至福のひと時だ。


もう一杯飲もう。ウォータージャグから出る水をプラスチックのコップに入れ、

ゴクゴクゴク…


「ああ~うまい!!」


「ちょっと、あんまり飲みすぎないでよ。他の人も飲むし、これから筋トレなんでしょ?」


志穂にそう言われたから、そこまでにしといた。注意の仕方がお母さんすぎて、本当は私は志穂の子供なんじゃないかとさえ思う。


まさか今日も走り込みだとは思わなかった。150メートル3本を2セット。こういうスピードを出す走り込みが一番きつい。

周りの部員は幅跳びやハードル、投擲練習を真剣にやっている。


私はコップの中の残り少ない水をゆっくり飲みながら、他の部員の練習風景を眺める。


幅跳びピットでは、隆史が高く遠く、勢いよく飛んでいく姿が見えた。今まで怪我をしていた分、パワーがついたのだろうか。いつもより飛び方がダイナミックになっている。明らかに隆史の調子がいいことに気づいた。彼もかなり満足そうな顔をしている。これは地区大会に期待できそうだ。


「隆史、最近すげえよな」

いつの間にか私の隣が志穂ではなく、部長に切り替わっていた。私と同じように、彼も隆史を見つめながらそう言った。


「うん。なんかほんとに調子よさそうだよね。助走のスピードが速くなった気がする。その分、ジャンプも力強くなってるし」

 私なりの分析結果を彼に話すと、彼はフフッと軽く笑った。なぜ笑われたのかわからない。


 「え?どうしたの」

そう聞くと、私の知らなかった事実を彼が話し始めた。


 「隆史、毎朝家の近くの公園で坂ダッシュやってるらしいぞ」


 「え、そうなの?」

自主練習は本練習や試合に影響を及ぼすということで、うちの部活では禁止されている。


 「うん。俺、学校行くのにそこらへん通るんだけどさ、この前見ちゃったんだよね。てか咲妃、するどいな。坂ダッシュの成果が出てる証拠だよな。あとで隆史に言ってやれよ」


しばらく私は部長の顔を見つめた。彼はハードル選手なだけあって、背が高くすらっとしている。女子の中では身長の高い私でさえも、顔を上にしなければ彼の顔を見れない。首がやられそうだ。


 「ん?どうした?」

彼は私の顔を見下ろす。私は今自分の思っていることを話す。


 「いや、意外と部長、そういうの許すんだなと思って」

 「ええ?ああーそういうこと?」

 「うん。みんなはこの部活のルールを破った人のことをさ、、うーん、なんていえばいいんだろ、、、冷ややかな目で見るというか。悪いことをした人として、その人のことを見てるというか」


話があまりまとまらなかった。でも部長は私の言いたいことを理解してくれたようだ。


 「隆史は本当に陸上大好きだからな。もちろん自主練をしてはいけないってルールはあるんだけどさ。なんか、俺はそんなことで怒れないっていうか、、、、いや、もちろんルールはルールなんだけどさ、、、、」


お互い話がまとまらない。

それがなんだかおかしい。


 「咲妃は?あーでも咲妃は真面目だからそんなこと許せないか、、、」

そういわれると、思わず私は否定したくなった。私は即答で首を横に振った。


 「ううん。私も正直、自主練したいもん」

 「ハハッ。それな」

結構深刻な話をしているつもりだったが、いつのまにかお互い笑いあって話していた。


私と部長は同じ気持ちなんだと思う。隆史はルールを破っているけど、そんな隆史の気持ちだってすごい分かる。だからこそ私たちは怒れなかった。怒らなくても、部長と女子部長としては、隆史に何か言わなきゃいけなかったんだけど、何も言えなかった。



「おっす!おつかれーっす!!」

そんないろんな意味で調子のいい隆史が水を飲みにこちらにやってきた。

私と部長はお疲れといいながら、お互い顔を合わせ、微笑んだ。


「ん?なんだお前ら。俺の顔がそんなおかしいか?」


「いやいや。隆史、幅跳びの調子よさそうだなって。助走のスピード早くなったよね?」


私がそういうと、彼はコップを片手に持ちながら、満面の笑みを浮かべた。


「おお!ほんとか!!まあ怪我で今まで練習できてなかったわけだし、咲妃や部長が頑張ってる分、俺も頑張んなきゃなって思ってさ!おかげで最近絶好調だ!!」


そういって片手でガッツポーズしながら、水をゴクゴク飲んだ。


「ぷはああ~!水うめえ!!」


隆史は自主練をしていることを一切私に言わなかった。一応この部活としては悪いことをしているわけだし、言わなくて当たり前か。

隆史も今年の県大会の総合優勝が危ういことを気にしているのだろうか。俺が県大会で成績を残さなきゃと思っているのだろうか。この部活のために彼は坂ダッシュをこっそりしているのだろうか。


彼は水を飲み干し、片づけをするために、再び幅跳びピットの方へ向かった。

私は隆史に何も言わず、その姿を眺めただけだった。

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