第6話 お父さんと私

 「ただいま~」

私が玄関でローファーを脱ぐと、お母さんがドアから顔をのぞかせた。

 「咲妃おかえり。ご飯もうできてるわよー」

 「やったあ~グッドタイミング!」

スクールバッグを持ったままリビングへ直行した。



 晩御飯の前に一度テレビの前のソファーに寝っ転がってみる。

フッカフカだ。体の中のすべての疲れをこのソファが吸い取ってくれる。

 「ああ~ソファ気持ちいい~~」

 「ちょっと!汗臭い体で寝っ転がらないでよ!」

お母さんがハンバーグの乗ったプレートをテーブルに運びながら私に席に着くよう

要求する。

ハンバーグのデミグラスソースの匂いにつられて、体が勝手にダイニングテーブルの方に動いていった。



 弟の健人が既に席についていた。

 「お、健人。受験勉強は頑張ってるかい?」

健人は中学3年生。受験シーズンに差し掛かる。

 「まだなんもやってないよ」

剣道部に入ってる彼は、まだ何も受験勉強の準備をしてないようだ。


正直、私はスポーツ推薦で神楽西高に入学したから、受験勉強をいつごろから始め、どれくらいの勉強をすればいいのかすらわからない。みんなこの時期から塾に入っていたような気がしたが、弟はまだ何もしてないみたいだ。


 「ちゃんと勉強しなきゃね」


 「受験勉強しないで高校に入った子に言われてもね~?」


味噌汁のお椀をテーブルに置きながら、お母さんに図星を突かれた。

お母さんは優しい顔をしながらも、たまに毒をペッと吐く。それでお父さんが地味に苦しんでいる姿をたまに見かける。


 「さあ、お父さんもう少しで帰るけど、先にいただきましょ」

 「いっただっきまーす!」

いきなり、ハンバーグを箸でつかんで、かぶりつく。

隣を見たら、健人も同じことをしていた。

 

 「ぷぷっ。あんたたち食べ盛りねー」

健人にとっては一応誉め言葉になるが、女子高生の私にとっては毒のような言葉だ。


 「私は別に食べ盛りじゃないもん!」

 「あんただって陸上頑張ってるんだから、パワーつけなきゃダメでしょ?」


お母さんにそう言われると、たくさん食べなきゃとか思っちゃう。

そして、お母さんに「頑張ってる」といわれて、素直に嬉しい気持ちになった。


私はもう一度、そしてさっきより大きい口を開けてハンバーグにかぶりつく。




 「あ、そうだお母さん。今年もまた部費とTシャツ代をお願いしたい!」

私がそういうと、お母さんは若干嫌な顔をした。

 「ええ~またTシャツつくるの?毎年毎年同じようなものつくって何の意味があ

  るのよ~」

 「毎年つくらなきゃいけないルールなの~。伝統だから仕方ないじゃん」


神楽西高陸上部は毎年オリジナルTシャツをつくらなければならない。毎年ロゴの色が違うだけで、ロゴデザインは一緒。胸に「KAGURA NISHI」、背中に「KAGURA No.1!!」と書かれている。今年の色は神楽西高のメインカラーでもある赤色だ。

みんなで同じTシャツを着て、チームの一員であるということを自覚してほしいとのこと。


 「私今財布に現金ないから、部費もTシャツ代もお父さんにお金出してもらってよ

  ~」

———ガチャ!

 「ただいま~」


 「あら、ちょうど帰ってきた。お帰りなさーーい」


お母さんは箸を置いて、玄関の方へ向かった。



 「強豪校は大変ですね~」

健人が口をもぐもぐさせながら、言ってきた。

 「うっせえ」

バカにしたような目で私を見ていたので、女の子らしくない言葉で言い返してやった。


晩御飯を食べ終わった私は、皿を洗面台に持っていってから、またソファの上に寝っ転がり、テレビをつけた。


 最近よく出ている女性アイドルがバラエティ番組に出ていた。

 この子は私と同い年だ。昔からなりたかったであろうアイドルになれて本当に嬉しそうだ。他のアイドルやタレントさんたちは笑顔を無理やり作っているようにしか見えないが、彼女の笑顔は心の底から輝いて見えた。


 「芸人VSアイドル!水中息止め対決!」とかいうわけのわからないことをやっているが、彼女の顔は真剣そのものだった。なぜか「頑張れ!」と応援したくなってしまう。


 よーい、スタート!という合図と同時に息を吸って、顔を水につける。どれだけ長く水の中で息を止めていられるか。芸人側はわざとらしく苦しみだし、すぐに顔を上げてしまった。それでも彼女は息を止め続ける。口から泡がポコポコ出ている。1分半くらいしてから、ようやく彼女は顔を上げた。すごい!と拍手が沸き上がる。彼女はゼーハーゼーハーいいながらタオルで顔を拭く。



拍手が沸き上がった瞬間、彼女と一緒に息を止めている自分がいたことに気づいた。

はあ、はあ、、、いけない。なんで私までやっているのだろう。陸上部だから、競争心が芽生えてしまったんだろうか。


 

 「咲妃ー。ただいま」

後ろにお父さんがいたことにも気づかなかった。

 「ああ、お帰りなさい」

 「部費とTシャツ代、合わせていくらだ?」

お母さんから既に用件を聞いていたようだ。お父さんは既に手に財布を持っている。


 「えーーと、部費が1000円で、Tシャツが4000円」

 「あわせて5000円ね。はいどうぞ」

お父さんは財布から5000円札をサッとだし、私にくれた。

 「ありがとう~~」

私がお礼を言った瞬間、台所からお母さんの驚く声がした。


 「ええ!?Tシャツってそんなに高かったっけ!?」

お父さんの分のハンバーグがのった皿を運びながら言った。 

 「うん、毎年4000円だよ」

 「もう~あの赤いジャージだって、1万円近くしたじゃない!さすがにお金かけ

  すぎなんじゃないの~?」


そう。私たちが練習中に着ている、あの神楽西高陸上部専用の赤ジャージもかなりの値段がした。正直申し訳ないと思っている。


 すると、お父さんがお母さんに向かってこう言った。

 「まあ、いいじゃないか。それが咲妃の走りのためになるなら、多少高くてもいい

  だろ?」

 「まあそうだけど………うん、そうね」

お母さんは、一度反論しようとしたが、しばらく考えてからお父さんの言ったことに賛成した。


 お父さんは私の方を見て、微笑んだ。

そんな優しいお父さんを見て、私も微笑みをお返しした。


 「ああ~腹減った。今日はハンバーグか」

そういいながらお父さんは席に着き、いただきますと言って、ハンバーグを箸でつかんで、かぶりつく。

 「まあ。親子そろって似てるんだから」

お母さんのその言葉で、再び私は微笑んだ。




お父さんは、たまに無愛想な時もあるけど、本当に優しい。

お母さんはもちろん、お父さんも私の部活の頑張りを心から認めてくれる。


さっきのお父さんの言葉も本当に嬉しかった。いつか恩返ししなきゃ。


でもさっきの「それが咲妃の走りのためになるなら、多少高くてもいい」という言葉を聞いて何かが引っ掛かった。


部活のTシャツ、赤ジャージが私の走りのためになる。


お父さんは、Tシャツやジャージを買って、ずーっと大好きな陸上をやっていてほしい、という意味で言ったのだろう。



 だとしたら、そこらへんに売っている、安いジャージやTシャツで良いと思ってしまう自分がいた。


 私は「申し訳ない」という思いを胸に秘めながら、テレビを見ていた。

 いけない。また息を止めてしまった。

 


 

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