(3)宮廷魔法士の弟子


 美しく整えられた花壇と石畳の小道、まだ日が真上に昇り切っていない柔らかな陽射しの中、さわさわと風だけが通り抜ける。


 そんな晩夏のクロムベルク城の中庭に、紫色の光があらわれた。その光が薄れ、中からシルエットが見えてくる。灰色のワンピースを着て分厚い本を何冊も持ち、黒髪を肩までおろした少女――リームだ。


 約1ヵ月ぶりのクロムベルク城。中庭には石造りの小さな塔が建っていた。宮廷魔法士ラングリーの執務室や居住場所がある塔だ。


 やっと今日から本格的に魔法を教えてもらえる……!


 リームは重い魔法語教本もなんのその、軽い足取りで中庭の小路を塔へと向かった。腹黒魔法士ラングリーはやっぱり好きじゃないけれど、今はそれ以上に魔法を学べる期待が大きい。


 教本で魔法語を勉強していて、自分でも実際に魔法を使ってみようと試したのだが、滅多にうまくいかなかった。

 〈小さき光〉ぐらいの基本的な魔法からちょっとでも他の要素を足そうとすると、とたんに発動しなくなる。

 呪文の発音はティナにも確認してもらって間違いなく正しいはずなのに。やはりなんらかのコツがいるようだった。


 塔に到着すると、入口の大きな木戸を背中で押し開けるようにして中に入った。1階はシンプルな応接間のような部屋になっている。今は誰もいない。入口のすぐ横から壁に沿ってらせん階段があり、上の階へと続いている。


 重い本を両手にかかえて最上階まで上がるのは少々骨が折れるが、文句は言っていられない。リームはよしっと心の中で気合いを入れて、石造りの階段を上っていった。





 軽く息をあげながら最上階にたどり着いたリームは、執務室の扉の前で、礼儀上ノックをしなければと両手にかかえた本を一旦床に置こうとした。


 と、その時、突然扉が開いた。

 外開きの扉は、当然目の前にいたリームにぶつかりそうになる。


「っきゃ!?」

「おおっと、すまない!」


 聞こえた謝罪の声は、しかしラングリーではなく、もっと音の高い少年のものだった。

 執務室の扉を開けて出てきたのは、背の高さはリームよりわずかに高い程度、おそらく年齢もそう変わらないであろう少年だった。肩より短い蜂蜜色の髪を外にはねさせ、瞳は濃い青色。そしてどこかで見たような黒いローブを着ている。


「大丈夫か? 重そうな本だな。師匠に頼まれたのか。あいにく今師匠は出かけているんだ。もうそろそろ帰ってくると思うんだが……本は渡しておくよ。ありがとう」


 そう言いながらリームの抱えている本を受け取る少年。リームはあっけにとられて咄嗟に反応できなかったが、すぐに状況を飲みこんだ。

 まるであつらえたように同じローブを着ていれば、おのずと答えは分かってくる。師匠とは、ラングリーのこと。弟子はとらないと言っていたが、いるではないか。


「……? どうした? 何か他に言いつかっていることがあるのか?」


 魔法語教本を執務室内の机に運びながら少年がリームに聞く。間違いなくこの少年は、リームのことを小間使いか何かだと思っているのだろう。まぁ、慣れてるけどね……リームは少し遠い目をして答えた。


「あの、私は本を届けにきたんじゃないの。私は魔法を教わりにきてて……」

 リームが言い終わる前に、少年は納得の表情でうんうんと大きくうなずきながら言った。


「あぁ、なるほど。うんうん、そうだな、師匠に憧れるのはよーく分かるぞ。師匠は世界で一番っ、聡明で! 強力で! 独創的な! 素っ晴らしい最高の魔法士だからなっ! ……しかし残念なことに、師匠はそう簡単には弟子をおとりにならないんだ。ここまで来る行動力は認めるが、弟子になるのは無理だろう。諦めた方がいい」

「いや、そーじゃなくて……」


 その時、階段から足音が聞こえ、リームが振り向くと、いつも変わらぬ飄々とした笑顔のラングリーが上がってくるところだった。

「おう、お前たち。そんな入口につったって、何をやっているんだ?」


 部屋の中の少年もラングリーに気付き、ぱっと笑顔になる。なかなか華やかな見た目の少年だ。黒いローブよりも銀糸の刺繍の入った豪華な服のほうが似合うだろう。


「師匠! おかえりなさい! この子が本を運んできてくれたのですが、師匠が頼んだものですか?」

「あぁ、そういえば、お前たち顔を合わせるのは初めてだったなぁ」


 そう言うラングリーが、一瞬いたずらを企む子供(ワルガキ)のような笑みを浮かべたのをリームは見逃さなかった。こいつ、何かイヤ~なこと思いついたに違いない。

 警戒するリームをよそに、ラングリーは笑顔で続けた。


「リーム、こいつはミハレット。まぁ一応、俺の押しかけ弟子みたいなもんだ。ミハレット、こいつはリーム。新しい弟子だ。ふたりとも仲良くするんだぞ」


 予想がついていたリームはそれほど驚かなかったが、飛び上るほど驚いて大声をあげたのは少年――ミハレットのほうだった。


「あああああ新しい弟子ぃっ!? 師匠っ、どういうことですかっ!? オレは、あんなに! あーんなに苦労して弟子にしていただいたのにっ!! 急にひょいと来て弟子になれるなんて、おかしいじゃないですかっ!!」

「俺がいつ誰を弟子にしようと、俺の勝手だろう?」


 涼しげに言うラングリーに、ミハレットは頭をかかえて身をよじる。黙っていれば美少年といってさしつかえないのに、わりと台無しだ。あまりの興奮具合にリームは思わず一歩下がっていた。


「それは! そうですが! ――あああ、納得できませんっ!! 師匠っ!! オレは一番弟子としてっ!! この子が師匠の弟子にふさわしいかどうか、試させていただきますっ!!」

「お前ならそう言うと思ったさ。というわけだ、リーム。こいつを納得させるのは大変だぞ? がんばれよ」


 嵐のように目の前で話が進んでしまい、まったく理解が追いつかず固まっていたリームは、ラングリーに満面の笑みでぽんと肩を叩かれてから、やっとじわじわ単語を理解しはじめた。弟子。納得できない。ふさわしいかどうか……試す。


「……えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 今日こそは魔法を教えてくれるって、言ってたじゃないですかっ!」

「こいつにギャーギャーわめかれながらか? それは無理だろう。ま、何事にも試練はつきものだからな」


 その笑顔は、明らかに状況を楽しんでいる表情だった。こいつ……またこうなることを分かっていて黙っていたに違いない。性根が腐っている。この腹黒中年魔法士がっ!


 リームの呪いの視線に、ラングリーは心底楽しそうに笑って片目を閉じてみせた。

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