女盗賊、踊る Ⅱ

 待ちに待っては全然いないが、とにかく訪れた収穫祭の夜。解放された領主邸の庭には、所狭しと御馳走が並べられている。農婦たちは詰め込められるだけ、麺麭やこんがりと香ばしく焼けた肉、香辛料で味付けされた腸詰めを籠に詰め込んでいた。薄闇に紛れて良く分からなかったが、肉を巡っての主婦同士の争いも起きている。

「年に一度のこの祭り。あんたとは随分長いこと引き分けてきたけど、とうとう決着をつける時が来たみたいだね」

「それはこっちの科白だよ、このクソアマ。御託を並べるのはいい加減にして、さっさとかかってきな。木っ端微塵にぶちのめしてやるから」

 売り言葉に買い言葉とは、まさにこのこと。腕を組んで向かい合う二人の女は、魔女ですら裸足で逃げ出しそうな邪悪かつ凶悪な顔でいひひと笑い、次の瞬間飛んで――いや、跳んでいた。

 農作業に家事育児で鍛え上げられた筋力は凄まじく、農婦は蜂のごとく鋭い一撃を次々に繰り出す。彼女らの動きはまさしく蝶のごとしで、バルデロの眼前ではすっかり手に汗握る戦いが繰り広げられていた。

「母ちゃーん! 頑張ってー! 御馳走をもぎ取ってー!」

「母ちゃん、この日のために毎日腹筋背筋に腕立て伏せ頑張ってただろ! だから負けないでくれよ! 母ちゃんはこの領地一の猛者だろ!?」

「だったらうちの母ちゃんはこの領地一のごうつくばりだ! お前の出べその母ちゃんになんて負けるもんか!」

「う、うるさい! 俺の母ちゃんは出べそなんかじゃねえ! あと、“ごうつくばり”は褒め言葉じゃないんだからな!」

 子供たちの声援を背で聞く二人の女は、真っ直ぐに互いに目がけて突進する。そうして始まった取っ組み合いの決着が、いつつくかは分からない。なのでバルデロも、せっかくの料理をなるべく詰め込むことにした。もっともバルデロの場合は、籠ではなくて胃に詰め込むのだが。

 仔羊の丸焼きに、黒酸塊カシスの汁を煮詰めた液をかけた鶉の煮込み。海から離れたこの領地では希少な鱈のパイ包み。その他、食材の名前は分からずとも、美味であるのは間違いない絶品たち……。

 頭上で瞬く星々のごとく輝く料理を次々に平らげていると、ふいに篝火では照らしきれぬ青黒い夜が、橙色で明るんだ。ついに焚火台に炎が灯されたのだ。

 祭りの目玉が始まると同時に、年頃の男女は飛んで火にいる夏の虫もかくやの勢いで焚火に殺到した。バルデロは、ここでレミーユとの約束を破り、黙って森に帰ることもできはする。だが、それではあまりに男らしくないし、第一沽券に関わる。

 と、いう訳で骨までしゃぶった鴨肉を嚥下した女盗賊は、今夜ばかりは眼帯に覆われていない左目と、視力が失われていない右目を動かす。の居場所は、労せずとも探し出せた。なんせ、そこだけ妙齢の男どもが群がっているから。

 万が一にでも男とばれたらと考えると、恥ずかしいのだろう。蝗のごとく群がる男どもに囲まれ、可憐な面を伏せていた人物は、見た目だけならばまさしく妖精。

「悪いな。こいつは俺と踊る約束してんだ」

 何重にも重なった男どもの輪に突撃し、細いが骨ばった手首を掴むと、濃い栗毛に縁どられた小さな顔は薔薇色に輝いた。

「よし、走るぞ!」

「はい!」

 農民に扮した女盗賊と、村娘に身をやつした領主の息子は全速力で駆けた。それでもなお、突如として現れた美少女を諦めきれず追ってくる男達を撒くために。

 既に出来上がっていた若者たちの輪に飛び込むと、追っ手もようやく諦めてくれた。単に、自分が約束していた相手から鉄拳を食らわせられただけかもしれないが。そういえば短い逃避行の合間には何度か、「この浮気者!」だの「女の怒りを思い知りなさい!」だの、怒号が轟いていたので。

 赤々と燃える炎の近くで眺めたレミーユは、バルデロでさえ一瞬見惚れてしまう美少女だった。結い上げずに背に垂らされた細やかに波打つ髪は、余計な手を加えられていない、あるがままの純真な美しさの何たるかを教えてくれる。

 野菊と撫子の花輪に良く映える、浅緑の衣服から覗く手足は、白樺の森の中で佇む若い女鹿を連想させる細さだ。もう何度も思ったことだが、これで付いている・・・・・なんて、到底信じられない。外見だけで判断すれば完璧な美少女が、うっとりと自分を見つめているという状況には、段々と慣れつつあるのだが。

「バルデロさんはいつもとっても素敵ですけれど、今日はちょっと雰囲気が違いますね。眼帯を付けていないお顔を拝見するのは初めてです」

「ここらじゃ、俺って言ったら眼帯、眼帯付けてる盗賊ったら俺ってことになってるそうだからな。ないならないで別に困りゃあしねえし、外してきた」

 陽が沈んだ後にレミーユと顔を合わせるのは、別に初めてのことではない。だが、連続羊失踪事件を解決する際に張り込んだ夜は、周囲に村人や手下たちがいた。今回とて周りに人がいることには変わりないのだが、どいつもこいつも見ず知らずの者ばかりで、これでは却って二人だけでいるのと変わりない。

「あと、御髪を結ぶ紐もいつもと違いますね」

「あーこれは、手下どもあいつらが“今日はこうした方がいいですよ”って無理やり……。って、この話はもういいだろ?」

 自分に好意を抱いている少年と二人きりでいるという状況は、なぜだか気恥ずかしい。女盗賊は橙色の光に鈍く煌めく砂色の髪をぐしゃりと乱した。無論、照れ隠しである。

「こんなとこでいつまでも突っ立ってたら悪目立ちしちまう。だから……」

「ええ、早く踊りましょう!」

 清楚な白い野の花がほころぶかのように少年は微笑んだ。次いで、小さいがしっかりと骨ばった手が差し出される。滑らかで傷一つない掌と、大きく厚く、ところどころに古傷が残る掌が重なった。

 人生のほとんどを森で、むさ苦しい仲間たちと過ごしてきたバルデロは、礼儀作法同様に踊り方など一つも知らない。レミーユはそのうち律動リズムが分かってくるから、それまで適当に回りの真似をしていればよいのだと笑っている。だがバルデロは、何度も彼の足を踏みそうになってしまった。というか、何回かは確実に踏んだ。

 それでもレミーユは、少しも眉を顰めたりはせず、にこやかに右も左も分からないバルデロを導いてくれた。そのおかげで幾ばくかの後には、招かれた楽師が奏でる民謡は、バルデロにもしっかり染み渡った。それこそ、体の芯にまで音楽が響いている。こうなると踊るのが楽しくなって、踊りながら会話を楽しむ余裕すら生じた。

「バルデロさん、フロレンティーヌのこと覚えてますか? 最近は、色々あって森には連れて行ってなかったんですけど」

 長く豊かな髪はさらさらと、同じく長い裾はふわりと優雅に揺れる。

「フロレン……ああ、あの食い意地が張った惚れっぽい牝馬か。――ったり前だろ。あんな名前が長ったらしい馬、他にいやしねえ」

「実はですね、フロレンティーヌが、もしかしたら妊娠したかもしれないんです。だからなのか、フロレンティーヌは厩舎からあまり出たがらなくなっちゃって」

「そうなのか! だったら俺の代わりにフロレンなんちゃらに、良かったなって言っといてくれ。……しっかし、ということは、もしかして、あの時にできた子なのか?」

「ええ、恐らくは」

 ――もしかしたら来年の春には、雪のように白くて、王子様みたいな風格がある仔馬が生まれるかもしれませんね。

 少年は唄うように囁いて、大きな瞳を愛おしげに細めた。

「仔馬が生まれたら、バルデロさんもぜひ見に来てくださいね」

「おお、行ってやらあ! ……でもお前、フロレンなんちゃらに乗れねえとしたら、今はなんて名前の馬に乗ってるんだ?」

「バルデロさんたちの所に行く時は黒雲号に、それ以外の時はエミリエンヌに乗っています」

「あの白地に茶の斑の大人しい馬が黒雲号だったのかよ! 名前とその他が合わなすぎだろ!」

 ところでこの収穫祭の晩の踊りは、必ずしも同じ相手と踊り続けなければならないものではないらしい。

 周囲の男女の組み合わせは見渡すごとに変化していったが、バルデロはずっとレミーユと踊り続けた。曇りのない月が中天に差し掛かり、焚火が消されるまで、ずっと。この上なく幸福そうな少年に頼まれたからではなく、バルデロ自身がそうしたかったから。


 ◇


 収穫祭から早一週間が過ぎたある夕べ。

 焚火が消えてもなお胸に残る幸福感と、僅かに覚えている堅い指先のぬくもり。生涯忘れ得ぬ思い出に頬を緩めた少年は、今日も今日とて厩舎に向かう。森の中の、愛しい人に会いに行くために。

 だが、羊皮紙に褐色の洋墨インクをぶちまけたかのような模様の背中を一撫でした途端。厩舎に思いがけない珍客が飛び込んできた。

「大変よ、レミーユちゃん!」

 大抵のルオーゼ貴族の娘は簡単な読み書きはともかく、乗馬は教えられない。徒歩を除く貴族の女の移動手段といえば、馬車に限られてきたからだ。

 女が馬を操れば、その手際がどんなに巧みであってもはしたないと眉を顰めるルオーゼ貴族。その例に漏れず、馬に近づくことすら稀な母が、どうしてこんなところに。

「母上。そんなに慌てて、一体どうしたのですか?」

 頭に過った疑問をぶつけるには、母の面はあまりにも蒼ざめていたが、問いかけずにはいられなかった。

 母は、ルオーゼ貴族の娘が順守すべき礼儀作法の一つ「命か貞操の危機に瀕した時以外は走らない」をも破ったらしい。肩で息をする母の呼吸が落ち着くには、しばし時を要した。

「ついさっき、お父さまの所に国王陛下からの書状が届いたから、私も一緒に見せてもらったの。そしたらそこには……」

「そ、そこには……?」

「“この地にはあまりに多くの盗賊が跋扈し、商業の、我が国の発展の妨げとなっている。それゆえ余は、余の子らの苦しみの種を取り除くべく大臣たちとの論議を重ね、結果国軍にこの艱難を討伐させることとなった。ゆえにそなたら諸侯は、指揮官となる王太子、余の息子をたすけ、か弱き仔羊を守るべく尽力せよ”って……」

 ――つまりはそのうち、盗賊退治のための王国軍が、この領地にも押し寄せるのだ。そしたら、バルデロたちはどうなってしまうのだろう。

「……レミーユちゃん。私たちは一体、どうしたらいいのかしら……」

 ちんまりとした目の端に涙を浮かべる母の言葉が終わらぬうちに、少年の身体は膝から崩れ落ちてしまっていた。

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