女盗賊、踊る Ⅰ
太陽が最も大いなる力を振るう季節は過ぎ去った。人里で風が吹けば、熟れた麦の海が黄金色に波打つ。森では長い冬に備えて衣を替え、脂肪を蓄えだした鳥獣の声が響いていた。
秋の訪れとともにめかし込んだのは、動物たちだけではない。逞しい樫の枝に絡みつく山葡萄は紫色に、堅く締まった林檎の身は赤々と輝いていた。樹の葉ももちろん、温かな赤や黄に。
全体が華やかに、だが来るべき冷気の到来を予期させ、どこか哀愁を誘う色彩に変じた森。その中でもひときわ目を引く鮮烈な異彩は、時に妖精の輪と呼ばれる輪を描いて並ぶ茸だった。
卵型から半球状、更には開き切って平たい皿のようになった傘は、いずれも朱がかった赤色。それだけでも人目を引くのに、白い
初期では円錐状、育ちきれば傘が反り返って平たくなる茸は、全体が漂白された絹のごとく白い。すらと伸びた優美な柄も相まって、死の天使という異名がぴったりだった。だが、森にはまだまだ留意しなければならない危険が潜んでいる。緑褐色という落ち着いた色合いの傘が却って目立つ茸など、何百年も前からその強い毒性でもって恐怖されているのだから。
「ってめえ、何考えてんだ、コラ! 俺たち全員殺す気か、このボケェッ!」
という訳でバルデロは、満面の笑みを浮かべた少年が差し出す、毒茸が山と盛られた籠を慌てて手で払った。
「一応聞いとくけど、お前、まさかこれと同じ茸食ってねえだろうな? だったら手の施しようがねえぞ。命の方も、頭の方も」
「……や、やだなあ。そんなこと、するわけないじゃないですか」
並みの少女など足元にも寄せ付けない美少年は、ははは、と乾いた笑いを発する。が、目は微妙に泳いでいた。この様子から察すると、実行はしなくとも、試みようとはしていたのかもしれない。
「未来の夫として、いずれ妻となるバルデロさんにひもじい思いをさせてはいけないと、頑張ってみたのですが。なのに、危うくバルデロさんや皆さんに毒を盛るところだったなんて……。秋の森って、恐ろしいですね」
彼にしては非常に珍しく落ち込んだ様子の少年の肩を、分厚い掌がぽんと叩く。
「まあまあ、そんなに落ち込むなよ、レミーユ。お前の茸探しの腕はまだまだだが、お前はたった一つだけ、大変貴重なお宝を探し当ててたんだぜ?」
太く短く、毛はぼーぼー。さながら蓑虫の指は、崩れた赤と白と緑褐色の山からあるものを摘まみ出した。下の方に行くほど太くなる柄と、黄を帯びた明るい茶の傘が特徴的な、がっしりと大きな茸を。生ならば木の実のごとく。乾燥させればまた独特な香ばしさを醸し出す風味と、肉厚でしっかりとした噛み応えが特徴的な、
「更にここに、俺はある物を足す!」
ぱちくりと瞬きするレミーユに山鳥茸を握らせ、手下その二は贅肉で弛んだ腰から下げていた小袋の口を空ける。
「――出でよ! 春に見つけて、干してとっておいた
瞬間、旨味が凝縮された香気が、バルデロの脳天と食欲をくすぐった。
「まず、レミーユの山鳥茸と、昨日仕留めた、まるまる肥って脂が乗った山鳥を一緒に炒めます。更にその上、レミーユが屋敷からちょろまかしてきたちょー美味い岩塩をさっと振って、干し編笠茸も加えて、野菜でとった
「きっと、一口食べれば天にも昇る心地の絶品が出来上がるでしょうねえ……」
部下たちはにこにこと微笑んでいるが、いずれも猛禽の目をしていた。こいつら、確実に何かを狙っている。
「……何が、望みだ……?」
危険だ。これは罠だ。そう自覚しているのに、バルデロはこの誘惑を振り払えなかった。今のバルデロならば、頭の座も一つ返事で譲ってしまうかもしれない。
「いや、なに。俺たちもそう難しいことは言いません。ただちょっと、レミーユの話を聴いてもらえば、ね……」
「お前、お頭が了承してくれるかどうか、ずっと気にしてたもんな。だからカッコいいとこ見せようと意気込んで、ロクにしたこともねえ茸集めして失敗したんだろう? でも、今度こそ上手くやれよ!」
まだ細い背を、大きな手がばんばんと豪快に叩き、バルデロの前に押し出す。これまた珍しくぎこちなく吊り上がった少年の頬が視界に入った途端。これは計画だったのだ、と女盗賊は悟った。
狂おしいまでに食欲を刺激する芳香が、森の広場を埋め尽くす。その根源はもちろん、ぐつぐつと煮立った鍋だった。
「実はその……バルデロさんもご存じでしょうが、もうすぐ収穫祭じゃないですか」
盛れるだけ盛った椀にふうふうと息を吹きかけ、女盗賊と領主の息子は見つめ合う。
「そういや、お前のお袋もそんなこと言ってたな」
「お前のお袋だなんて……。バルデロさんにならもっと気さくに、“お義母さま”って呼ばれてもいいって、母上おっしゃってましたよ?」
最高にして最強の美味たる二種の茸と、茸の旨味をたっぷり吸った鶏肉を一度に頬張る。すると、舌の上にはたちまち天国が広がった。
「だから、何遍も言ってるけど、んな呼び方は絶対にしねえからな」
危うく地面に落ちそうになった頬を抑えながらも少年の発言に突っ込んだ女盗賊だが、その突っ込みには普段の切れはなかった。
「まあとにかく、もうすぐ収穫祭なんですよ。そしてその終わりでは、未婚の男女が炎の前で輪になって踊るのが決まりなのですが、この踊りというのが実は……」
「実は……?」
最後の山鳥茸を嚥下した嚥下した女盗賊は、一滴も残さぬ勢いで、匙で椀に付着している汁をかき集め始めた。山育ちのバルデロであるから、行儀などという言葉は聞いた覚えもなければ、聴くつもりもない。
「実は、恋人や婚約者同士で参加するのが暗黙の了解になっているんです! でなくとも、祭りの日までに一緒に踊る相手を見つけられなかったら、その後一年は馬鹿にされ続けるという、恐ろしい踊りでして……」
「なんだそれ。くっだらねえなあ」
最後に、器を拭ったふわふわと柔らかな麺麭を呑みこんだ女盗賊は、かかと破顔した。
「別に何が減るもんじゃねえし、馬鹿な奴らには勝手に言わせときゃあいいだろ? 恋人のいる、いないで人間の価値が決まる訳ねえんだから。そもそも、んな馬鹿な奴らにてめえの価値を決められて堪るかって話だ」
「それはそうなのですが、世の中にはバルデロさんのように達観した人の方が少ないものです。かく言う僕も、あの日この森に入った理由の一つは“何としても今年の収穫祭は、恋人と踊りたい”だったりしますし」
今日は絶好の昼寝日和なので、女盗賊は落ち葉の褥の上にごろりと横になる。その逞しい肩を揺さぶった少年は、突けばぱりんと砕け散りそうに張りつめた顔をしていた。
「バルデロさんが、こんな俗っぽいことに興味も関心もないことは、十分に分かっています」
ここまで来れば、レミーユの次の言葉はだいたい察しが付く。
「そうか、そうか。だったら大人しく家に帰りな。お前の母ちゃんが心配してるぜ」
女盗賊は静止を振り切って再び横になり、なおも諦めきれない様子の少年に向けてひらひらと手を降った。無論、いいから帰れという意味を込めて。
「いーやーでーすー! 僕は絶対に、絶対にバルデロさんと踊りたいんですー! 満天の星の下、二人で焚火を見つめてうっとりするという、何十年経っても色褪せない、心ときめく思い出を作りたいんですーっ! そしてその思い出を、膝に乗せた孫に、暖炉の前で語るんですーっ!」
柔らかな大地の上をごろごろと転がる少年に対してかけられる言葉はあまりない。
「うわ、面倒くせえ駄々のこね方してきやがった! お前今年で何歳になるんだよ!」
「何とでも言ってください! 僕は、バルデロさんが了承してくださるまで、絶対に諦めませんから!」
「ますます面倒くせえ!」
それでも女盗賊は、どうにか説得を試みた。
「祭りといえば、俺たちの森の近くの村だけじゃなくて、近隣の村からも人が集まるんだろ? んなところに、盗賊が紛れ込んでるなんて知られたら、途端に大騒動。祭りは台無しになるだろうが」
「変装すればいいじゃないですか」
しかし、レミーユの粘り強さはなかなかのものであった。
「変装ぉ? もしかして、この俺に女の服着ろってことか? お前、本気なのかよ」
ここで女盗賊とお坊ちゃんは、ほとんど同時に起き上がった。
「はい。というか変装も何も、バルデロさんは女性なんですから、女の服を着ても少しもおかしくはないと思います。勿論、今のお召し物も、とても似合っていますけれど」
長く、豊かな睫毛に囲まれた大きな瞳は、星のごとく純真無垢な光を湛えている。
「かーっ! 分かってねえなあ! 言っとくけど、この俺に対して女装が似合う、なんてほざくのはお前ぐらいだ! 女装した俺なんて違和感ありまくり、他人の注目浴びまくりの警戒されまくりに決まってんだろ!」
女装をしなければならないのなら、その祭りとやらには余計に参加したくない。
泥棒を発見した番犬のごとくぎゃんぎゃんと吠える女盗賊に、少年はふと寂しげな笑みを浮かべた。
「そこまでおっしゃるのなら、バルデロさんの何時にもまして魅力的な御姿を拝見してみたかった気持ちもありますが、諦めて――」
諦めるという発言に瑠璃色の隻眼を輝かせたバルデロだが、レミーユの諦めるは方向性が違った。
「僕が女装して村娘に扮しますので、バルデロさんは、農夫に変装してください。そしたら、誰も僕たちだと気づかないはずです」
――夢を叶えるためには、女装も辞さないなんて。こいつ、そこまでして俺と踊りたいのか。
レミーユは、貴族である。弱小とはいえ子爵という位を授与された、ヴェジー家の跡取りである。その彼がこうもあっさりと女装をすると言いだすなんて。バルデロとは、抱く覚悟が端から違っていたのだ。
「だからどうか、僕と一緒に収穫祭で踊って下さい! 絶対に、バルデロさんにご迷惑はおかけしませんから!」
必死の形相を浮かべた少年に手を掴まれた女盗賊は、少年の気迫に押され、思わず首を縦に振る。その広い背の後ろでは、彼女の手下たちが少年に向かって片目を瞑り、親指を立てていた。
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