女盗賊、奮闘する Ⅱ

 盗賊たちが囚われの姫……もとい、姫君のごとく可憐な少年を奪還すべく、道なき道を急いでいる最中。当の少年は両手首を縛められ、右足首を近くの樹に繋がれた恰好で、酒盛りに沸く盗賊たちを睨みつけていた。

 あの日レミーユは、傷心と愛するバルデロに辛い思いをさせてしまったという自責の念に駆られ、屋敷から駆け出した。するといつの間にか、いつもの森とは屋敷を挟んで丁度反対にある山の中を彷徨っていたのである。そしてそこで独り涙に暮れていたら、見ず知らずの男達に包囲されてしまったのだ。

 滅んだ王国の王に剣でもって仕えた騎士の末裔たる誇りは、年若い少年の胸にも確かに宿っている。ゆえにレミーユは十に近い敵に囲まれ、怖気づきながらも腰の剣を抜いたのだが、健闘も虚しく捕らえられてしまった。

「そんなに怖い顔すんなよ、お嬢ちゃん。折角の可愛い顔が台無しだぜ?」

 髭を胸まで伸ばした親玉らしき大男が、下卑た笑い声を挙げる。すると、子分たちも負けず劣らず下卑た声を上げた。

 この山の盗賊たちは、レミーユを女と勘違いして、見くびっている。そのためか、剣を取り上げられ、その上拘束されはしたが、腕を後ろで縛られはしなかった。そのおかげで、食事や用足しは何とか一人でできた。が、逆を言えばそれだけしかできない状態が、もう五日も続いている。

 山の天気は人里よりも変わりやすく、空気は人里よりも冷たい。まして季節は、そろそろ秋に差し掛かろうかという頃合いだ。身体を温める物といえば、投げつけられた薄っぺらな布一枚だけの少年の体力は、そろそろ限界に達しつつあった。食事も、普段の半分以下の量しか与えられていない。

 積み重なった空腹と疲労感は、なけなしの体力を食い荒らした。手足を縛める縄は太く、頑丈で、そこらに転がっている小石程度では断ち切れそうにない。

「貴族の娘が、俺たち下賤どもと会話するわけにはいかないってか? 一つ言っとくけど、お前がお高く留まっていられるのもそのうち終わりだからな、お嬢ちゃん。俺たちはお前を、お前のことなんか誰ひとり知らない、誰も助けようとはしない遠くの街で売り飛ばすつもりなんだから」

 体力の無駄な消耗を避けるべく、レミーユはどんなに話しかけられても頑なに口を開こうとしなかった。だから、髭もじゃ男は苛立ったのだろう。推定親玉は大酒で緩んでいた顔にそれまでとは異なる赤みを登らせ、露で濡れた地面に腰かけるレミーユの側まで近寄って来た。

 長い髪を纏めていた紐は、乱闘の最中に解けてしまった。華奢だが骨ばった肩から滑り落ち、細い背の上で細やかに波打つ髪を乱雑に掴まれ、伏せていた顔を持ち上げられる。

「俺たちがお前に手を付けねえのは、処女の方が高く売れるからだ。元々は貴族の娘で、しかもこれだけの器量の娼婦だったら、きっと大勢の客が押し掛けるだろうよ。でも床の上でもそんな仏頂面だったら、そのうち飽きられちまうぜ?」

 互いの吐息がかかるぐらい間近で見上げた目は澱み、血走っていた。

「――なんなら、俺たちが客に媚を売る練習の相手になってやってもいいんだぜ?」

 双眸同様澱んだ声で紡がれた侮辱は聞くに堪えないが、耳を塞ぐことはできない。

「何も最後までいかなくとも、幾らでも愉しめるんだからよ」

 まして、この男を黙らせ、レミーユの上衣の襟に伸びた汚らしい手を止めるなど。

 びりり、と耳障りな悲鳴を発して上質な布地は裂けた。夜目にも仄白い胸元が、ついに下卑た目に晒される。露わになった素肌は肌理細やかで、真珠のごとき艶を放っていたが、それを目にした盗賊たちは皆固まった。

「ど、どういうことだ……? こいつ、幾らなんでも胸が無さ過ぎやしないか……? それに……」

 レミーユの衣服を割いた男もまたしばし石化していたが、流石に頭を務めるだけあって、正気に戻るのは部下たちよりも早かった。それまでは襟で隠されていたレミーユの喉元に目をやり、真実を見抜くのも。

「――こいつ、男だ! 俺たち、騙されてたんだ!」

 ようやく真実に気づいた盗賊たちは、棒で突いた蜂の巣さながらに騒ぎ出した。騙されたも何も、勝手に勘違いしていたのはそっちだろうに。

 自分は男だとようやく気付いてもらえたのだから、もしかしたらこのまま解放してもらえるかもしれない。寒さと飢えに蝕まれた頭にふと過った希望は、蜂蜜よりも甘ったるく、泡沫よりも儚く潰えていった。

「くそっ! よくも俺たちをコケにしやがったな!」

「メシと毛布までくれてやって、損したぜ!」

 激高した盗賊たちは空になった酒杯を投げ捨て、代わりにめいめいの獲物を持って、レミーユに襲い掛かって来たのである。むろん、レミーユには彼らに対抗する術はない。

 徐々に距離を詰めて来る顔はいずれも悪魔よりも恐ろしくて。意気地がないとは自覚しながらも、少年は薄い目蓋を降ろさずにはいられなかった。心地良い闇に包まれた視界では、幾つもの面影が夜空の星のごとくぼうと浮かんでいる。

 丹精込めてレミーユの好物を拵えてくれる料理人たち含む、屋敷の使用人たち。最近知り合った、森の中の友人たち。初めて自分一人で馬に乗り、背の上で手を振った際の、父の誇らしげな顔。その傍らで、レミーユを心配そうに見つめる母の姿。鼻の下を伸ばして若い下女の手を掴む父の、だらしない顔。その父の背をにこやかに踏みつける母の顔。そして何より、誰よりも愛しい女性の、強く逞しい顔……。

 瑠璃色の隻眼から放たれる、凛々しい光を見ることはもう叶わない。けれども、たとえ幻でも構わないから、あの芯が通った響きをもう一度聞きたかった。

 せめて愛しい人の面影をこの胸に抱いて、彼女の幻と共に散りたい。少年は自らの死を従容と受け入れる決意を固めたが、頬に何か生温かい滴が降り注いだので、恐る恐る目蓋を上げた。すると目に飛び込んできたのは、

「バルデロさん!」

 夢にまで見た愛しい人の勇姿であった。自らに襲い掛かって来た二人を鮮やかに切り伏せた彼女は、真紅の雨に濡れていても――いやそれ故に、戦女神のように、いやそれよりも美しい。

 古い神話の戦女神は、真っ赤な装束の上に漆黒の鎧を纏って武装し、同じく夜より黒い外套と、外套とは対照的な黄金色の髪を翻して戦場を駆ける美女だと伝えられている。だが、砂色の長髪や男物の衣服を紅蓮に染め、逃げ惑う悪党共を次々に薙ぎ倒す彼女の方が、よほど美しいのではないだろうか。

 ある者は斧を。またある者は槍を。またある者は矢を構えた部下たちに巧みな指示を飛ばし、次々に敵を仕留めるバルデロの姿は気高くて、見惚れずにはいられなかった。だが、レミーユの愛しい人は、役立たずを戦場に置いておくほど甘い人ではない。

「レミーユ!」

 身体の芯が痺れる声を合図に足元に放られたのは、バルデロが倒した盗賊の一人の武器だった。

「いつもの剣は後で探すとして、今はそれで縄を切って、てめえの身はてめえで守れ!」

「は、はい!」

「あと、戻ったらまずお前の母親に説教されるのはもちろんだが、その次に俺たちが待ってるって忘れんじゃねえぞ!」

「はいっ!」

 こんな時だというのにバルデロに会えたことが嬉しくて、返事が不必要に大きくなってしまった。

 ――もう絶対に、バルデロさんたちに迷惑をかけないようにしないと。

 少年は長い睫毛に囲まれた双眸に決意を宿し、残る所あと二名まで追い詰められた敵の一人と対峙する。

 この中では一番身体が小さく、腕も細いレミーユは、やはり敵に舐められているのだろう。こんな弱っちいガキ、倒すのも突破するのも容易いだろう、と。だがレミーユは黙って凶刃の露となるつもりは微塵もない。

 それによくよく目を凝らせば、敵は殆ど無傷のレミーユと違って、ところどころから赤い滴を零していた。これなら、勝機はこちらの方にあるだろう。

 時が経つほど、形勢は自分にとって不利になると悟ったのか。ろくに構えもせずに、大きく剣を振り上げた敵の懐に入るのは簡単だった。

 夜の静寂を、野太い絶叫が掻き乱す。と、同時に最後の敵もまた、傷口から命の雫を噴き出させて倒れ伏した。

 血で濡れた大地に転がる者のうち、息がある幾人かは森の友人たちによって荒縄で縛められ、蓑虫にされていった。事切れていると分かる者は、皆で簡素ながら墓を作った。

 自分が斬った男に黙祷を捧げた後。額に噴きだした汗を掌で拭った少年の足元に、今度こそ馴染みの一振りが放られる。

「――さっさと帰るぞ」

 月明かりと星明りに照らされた刀傷が奔る頬は、ほんの僅かに緩んでいた。


 ◇


「レミーユちゃん! 戻って来てくれたのね!」

 取り戻した少年を彼の屋敷まで送り届けると、レミーユの母は、感涙に咽びながら息子の元まで駆け寄った。彼女は、中に入って待たれてはどうかとの使用人の忠告を退け、門の前で夜風に晒されながらも待っていたのだ。

「はい、母上。……それで、あの、今回は、ほんとうに、」

 ごめんなさい。と少年は発しかけたが、女は我が子を抱きしめ、可愛らしい唇の動きを止めた。

「そんなこと、どうでもいいのよ。だって、こうしてあなたが無事に帰って来てくれたんだもの」

「母上……」

 大きな灰緑の瞳から、透明な悔恨の証が溢れる。

 怖かった。死ぬかと思った。もう二度とこんなことしません。母上に心配かけるようなことはもうしないから、許してください。

 幼子に還ったかのごとく泣きじゃくる息子の、項垂れた頭や背を撫でて慰める貴婦人の面は、やはり地味で平凡の一言に尽きる。ただし、その顔に刷かれた笑みは、聖女も及ばぬほどに神々しく、慈愛に満ち溢れていた。母と息子の感動的な和解を見守っていた領主館の使用人たちだけでなく、バルデロの手下たちも、滂沱の涙を流してしまうぐらいに。

「ねえ、そんなに落ち込まないで、レミーユちゃん」

 少年がひとしきりおとなしくなると、彼の背をあやすように叩いていた貴婦人は、緩やかな弧を描いていた唇をおもむろに開いた。

「今回のことは、私も悪かったの。あなたの気持ちも考えず、勝手なことしようとして、ごめんなさいね」

「……母上」

「私、ずっといたぶりがいがある嫁が欲しかったのよ。なのにあなたが連れてきたバルデロさんは、嫁いびりになんて絶対に負けないぞ! っていう感じの逞しい方じゃない? だから私は悲しくなるついでに自棄にもなって、あんなことを言ってしまって……」

 貴婦人に奇妙に温かな、いっそ温かすぎる眼差しを向けられた瞬間。バルデロは、話が自分にとって不利な方向に流れているのだとを悟った。

 バルデロは元々、レミーユを救出したからといって、母親の方がありもしない自分たちの仲を認めるはずはないと踏んでいたのに。

「約束したもの。あなたとバルデロさんのこと、認めるわ。それに、バルデロさんもよくよく見てみれば中々にいたぶ……可愛がりがいがありそうな方だし」

「今、いたぶりがいがあるって言いかけたろ」

「あ、あら。ただの言い間違いを、そんなにお気になさらずとも……」

 レミーユの母は、ほほほと上品に微笑んだが、バルデロはこれしきでは騙されない。

「や、やったあ! 流石母上! ありがとうございます! 母上も、バルデロさんも、大好きです!」

「おーっ! 良かったな、レミーユ! 愛の勝利だ!」

「おめでとうございます、若様!」

 しかし周囲は皆、口々に歓迎の言葉を紡ぎだして。妻と息子からやや離れた所に立つ、領主であるはずのレミーユの父も、この流れに異を挟もうとはしなかった。

「収穫祭には、ぜひ参加なさってくださいね、バルデロさん。この家の嫁としての心得について、色々と、たっぷり、お教えしたいことがございますから……」

 再び背後に暗黒竜を従えだした貴婦人は、腹が減ったと訴える息子を連れ、屋敷の門を潜る。小さな背中が完全に見えなくなった後。項垂れる女盗賊の肩には、彼女の手下の手がぽんと置かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る