女盗賊、奮闘する Ⅰ
バルデロ率いる盗賊団が潜む森の奥に、誰もが美少女と見紛う美少年が訪れなくなって早五日。むさ苦しい髭面が集まる森の広場は、火にかけられていない鍋さながらに静まり返っていた。
「流石に、母親には逆らえなかったんだろうな……」
「そうだな。しゃあないわな……」
部下たちはとかなんとか言っているが、奥で物音がするたびに、賽子遊びを中断してまでそちらの方を凝視していた。そして、猪や鹿の仔が飛び出して来たら、大きな溜息を吐くのである。
以前の子分たちだったら、獲物が現れれば今晩のおかずにしようと、舌なめずりして追いかけまわしていたのに。なによりおかずを捕らえて遊戯に戻れば、たかだか干し葡萄一つでも、取っ組み合いの大騒ぎをしていたのに。
罵声も歓声も飛ばない、味気ない賭け事なんて。参加しても見物していても、少しも楽しくない。
「今回はお前の勝ちだな。ほら、さっさと干し杏一つ取れよ」
「……おうよ」
乾いた葡萄よりも二回り以上も大きい杏を奪い合っていても、拳の一つも飛ばないとは、どういうことだ。
部下たちのあまりの覇気のなさに、バルデロは戦慄すら覚えたが、こればかりはどうしようもなかった。先ほど手下の一人がぼやいていたように、流石のレミーユでも母親には逆らえなかったのだから。
家出してやると叫んで屋敷を飛び出たレミーユだが、きっとその一刻後には家に戻っただろう。そして、母親に我儘を言って済まなかったと頭を下げた後は、今の縁談を勧めてくれと頼んだに違いない。
そうしてレミーユは彼と釣り合いがとれる家柄の娘を娶り、子を成すのだろう。その過程で、森の奥の盗賊団の根城に通っていた日常は、若かりし頃の微笑ましい過ちとして処理されるのだろう。
レミーユが貴族としての日常に戻った。それこそが、バルデロがこの数か月望んでいた平穏であった。なのに、逞しく隆起した筋肉胸には小さな小さな、だが確かな穴が穿たれてしまっている。しかもその胸の穴には、夏だというのに北風が出入りしていた。
この季節外れの風は中々の厄介者で。ふとした折に木枯らしが体内に侵入するたびに、バルデロは冷めきった具なしの肉汁を前にしたかのような気分にさせられた。そしてその理由が自分自身でも理解できず、食事と村の警護以外の刻を、鬱鬱と持て余していたのである。
めぼしい武器の手入れは既に終わったから、できることといえばあとは昼寝しかない。女盗賊は冬眠から覚めたばかりの熊のごとく緩慢に、大樹の枝に横たわる。そうして、既に寝過ぎで背中が痛いというのに、更なる惰眠を貪ろうとしたのだが――
「なあ、何か人の気配を感じねえか?」
「ああ、そうだな。足音も聞こえて来るし」
藪の向こうからあからさまな人間の足音が聞こえてきたのである。
もしやあいつか、と勢いよく樹から飛び降りた女盗賊であるが、その期待は速やかに裏切られた。徐々にこちらに近づいて来る人間は、どんなに少なく見積もっても二、三人はいる。
ならば、数が少なすぎるが他の団の襲撃か。いずれにせよ油断してはいられない事態が勃発したため、盗賊たちは警戒態勢に入る。だがその警戒は直ちに解除された。
「もし……。どなたか、少しでいいから、私の話を聞いていただけませんか……?」
なぜなら粛々と従う護衛を連れて現れたのは、上質な衣服を纏っているもののどこにでもいそうな中年の、しかも小柄で非力そうな女だったから。
「あ、あんたは……」
盗賊たちは、目を丸くして突如現れた女を見つめる。その中で唯一彼女の素性を知るバルデロなど、驚きのあまり武器から手を放しかけてしまった。
「お頭、この女と知り合いなんすか?」
頬一杯に干し葡萄を詰めた手下その三は、もしゃもしゃと口を動かしながら小首を傾げる。その様は、冬籠り前の
「レミーユのお袋だよ」
この女、先日は俺を散々侮辱してきたのに。どの面下げて、何が目的でここまで来やがった。
こみ上げる威嚇の念と好奇心は、凛々しい口の端に湛えられた、嗜虐的かつ挑発的な笑みとなった。
「えっ、これがレミーユの母ちゃん!? ぜんぜん似てないじゃないですか!」
「似てない親子なんざ、世の中ごまんと居るだろ。だいたい、顔はともかく髪と目の色は同じだろうが」
「あっ、ほんとだ!」
突然の闖入者をレミーユの母と認めた手下どもは、先日の経緯を把握している。根城に帰って来たバルデロを、根掘り葉掘り問い詰めたのだから。
「おうおう、レミーユの母ちゃん。あんた、俺たちのお頭を散々愚弄しておいて、よくここまでこれたもんだな、ああん?」
という訳で、手下たちは早速威嚇を初めたが、項垂れる貴婦人はそれでも逃げ帰ろうとはしなかった。
「皆さんのおっしゃることはもっともです。でもどうか、少しだけでもいいから、私に皆さんの時間を下さらないでしょうか?」
「ちっ。分かったよ。さっさと言うべきこと言っちまいな」
ここで手下の一人は、我こそが団長だという顔をして、切り株にどかりと座り込もうとした。が、途中で茸を踏んで滑って転んでしまった。尻ではなく頭を切り株に乗せるはめになった中年の呻き声に、気を留める者はなかった。
「……あ、ありがとうございます」
目元に滲む涙もそのままにして、貴婦人は小作りな唇を開く。そういえば今日の彼女の背後には、暗黒の竜は佇んでいなかった。
「実はあの子が……レミーユが、あの子とバルデロさんの仲を認めないと私が言った日から、屋敷に戻ってこなくなったのです」
とうとう堪えきれずに、両の眼から大粒の涙を零しだした女は、それでも正気を保っていた。辛うじて、ではあるが。
「一日目は、あんなことを言って屋敷を飛び出した以上、恥ずかしくて中々戻ってこれないのだろう。でも、ほとぼりが冷めればそのうち、と楽観していました。でも、二日経っても、三日経っても音沙汰がなくて……」
「……そうだったのか」
盗賊団の面々は、気付けば貴婦人の左右に控える護衛に勝るとも劣らぬ真剣な表情で、涙に濡れた言葉を待っていた。むろん、バルデロも。
「それで、大急ぎであの子が好きなお菓子を作らせて、風上に設置したのですけれど、それでも息子は帰ってこなくて……」
「犬じゃねえんだから、んなことしても帰ってくるわきゃねえだろ」
悲嘆に暮れる貴婦人は、息子同様軽やかにバルデロの指摘を受け流し、最後にこう締めくくった。
「それで私は、あの子があなた方の所にいるのではないか、とここまで訪ねてきたのです。でも、ここにもあの子がいないなんて……。もしかして、意中の相手と結ばれないことに絶望して、自ら命を絶ってしまったのかも……」
事の経緯を詳らかにし終えた貴婦人は、とうとう泣き崩れてしまった。
平民では一生纏えぬ質の良い衣服どころか、自身の頬にまでも引っ掻き傷を作ってまで息子を探し求めた貴婦人。彼女は、唯一の希望が絶たれ、絶望してしまったのだろう。
「ごめんなさい、レミーユちゃん。こんなことになるなら、あの時にあなたとバルデロさんの仲を認めていれば良かったわね……」
瞬間、貴婦人以外のこの場にいる全員は、それこそ二人の護衛さえ、「レミーユはそんな殊勝な精神はしていないだろう」という顔をした。しかし、小さな手で顔を覆った女は、周囲の本音と相対することはなかった。
バルデロも他同様、レミーユが自死したとは思っていない。だが、レミーユが消息不明であること自体は変わりなかった。
あいつは一体どうしたんだろう。誰か、何か知らないか、と嗚咽する貴婦人を除く皆が口々に囁き合う最中。団では一番気配と頭髪が薄く、それゆえよく偵察の任を担う手下その五が、ぽりぽりと首筋を掻きながら呟いた。
「そういや昨日、向こうの山まで散歩しに行ったんですけど、その時あの山のやつらの会話を偶然聞いちまって……」
「――それで?」
「あいつら、こんなこと言って笑ってました。“滅多にいない上玉の貴族の娘を捕まえた。令嬢なのに伴も付けず、男物の服を着て山歩きするような娘だから、身代金の方は期待できないけど、娼館には高く売れるだろう”って――あっ、これ、まさか……」
まさかも何も、向こうの山の盗賊団が捕まえた上玉の令嬢というのは、レミーユだろう。
「お、お前ら、どうしてそんな怖い顔してんだ……? レミーユは無事だったんだぜ? だから、もっと笑えよ。な、なあ……?」
じりじりと自分に近寄ってくる仲間たちに顔色を無からしめた手下その五だが、本当は理由など分かっているのだろう。
「てめえ、どうしてその時レミーユかどうか確認しなかったんだ!?」
「盗賊がわらわらいる危険な山を一人でほっつき歩く見た目は美少女、中身はただの阿呆なんざ、レミーユしかいねえだろうが、このボケェッ!」
部下たちは微妙にレミーユに対して失礼な言葉を吐きつつ、手下その五に拳の雨を降らせる。
「待て、待たんか、この抜け作! てめえみたいな空っぽ頭は、縄で縛って一晩樹にぶら下げてやらあ!」
手下その五への、残りの手下全員からの懲罰。或いは騒々しいことこの上ない攻防戦を遠い目で見つめる女盗賊の引き締まった脹脛を、か細い手が掴んだ。
「どうか、どうかお願いです!」
レミーユは、生きている。
希望を再び双眸に宿した女は、バルデロが脚に纏わりつくものを反射的に振り払おうとしても、離れなかった。
「私ではなくあの子のために、あの子を助けてください!」
「お、おい……。いいからとにかく立ち上がって、服と顔の汚れを払えよ」
れっきとした貴族の女が、額を地に付けんばかりに低頭して、自分の助力を乞うている。その光景に覚えるのは、これで先日の意趣返しができたという満足感や勝利感では断じてなかった。
「お礼に、欲しい物なら何でも差し上げます! もちろん、貴女とあの子の仲も認めますから、どうか!」
「いや、俺は別にそんなのは望んでねえから、とにかく早く、」
決まりの悪さに耐えかねた女盗賊は、彼女の身分からは考えられぬほど身を低くする女を抱き起さんとする。しかし、手下どもは様子が違った。
「女に二言はねえよな、母さん」
「どうしてお前らが畏まって母さんって呼んでんだ」
――もちろん、貴女とあの子の仲も認めますから、どうか!
子の危機に追い詰められた母親の、死に物狂いの絶叫を聞きつけた手下たちは、その五への制裁を中断してまでこちらに集ってきた。するとそれまで面を伏せていた女は、ようやくその憔悴しきった顔を上げたのである。
貴婦人の、息子と同じ灰緑の瞳には確固たる決意が漲り、真夏の太陽のごとくぎらぎらと輝いていた。
「……辛いことなんて何一つ味わったことがないような、いびりがいがある小娘を嫁に迎えて、私も味わった格下小貴族の妻として生きていく悲喜こもごもをみっちり教える。それが、私の老後の何よりの楽しみだったのですけれど、」
「趣味悪すぎんだろ、おい」
「でも、あの子の命には、代えられませんから」
ゆったりと垂れる裙を掴む細い指は、小刻みに震えていた。
「あの子が無事に戻ってくるのなら、老後の楽しみなんて、全部溝に捨ててやるわ!」
「……」
「あの子は私の宝物……いいえ、命そのものなの! 私は、あの子のためなら、生きながら熊に食い殺されたって構わない!」
吐露された我が子への愛は大変立派だが、ここで熊を引き合いに出す必要はあっただろうか。その点が引っかかってしまい、バルデロは素直に感動できなかった。
「……あんた、すげえな、母さん。まさしく母の鑑だ」
だが手下どもは皆、髭面を感涙で濡らしている。中には、あんたの息子は絶対に助けるからなと、唇を噛み締める女に誓って励ます者までいた。
「早く行くぞ、お頭とレミーユのために!」
「いや、ほんと待てよお前ら! どうしてあれで心動かされたんだよ! おかしいだろ!」
瞬く間に武装を終えた盗賊たちは、見た目だけは囚われの姫が待つ山へと急ぐ。慌てて手下たちの背を追いかけた女盗賊もまた、愛用の長剣をしっかり腰に佩いていた。
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