女盗賊、対決する Ⅱ
結局、バルデロは普段の服装でレミーユの母親と会うことになった。
『だって、レミーユが可哀そうじゃないですか。だから、レミーユのために頑張ってやってくださいよ、お頭』
部下たちの勢いに押されてしまったバルデロが、拒否しきれたものといえば――
『鎧を装着する代わりに、眼帯に花を飾るなんてどうです!?』
部下たちがにこやかに差し出してきた、
手下たちは、屋敷の使用人たちを徒に警戒させないために、と根城に残った。彼らの真意がどこにあるかは分かりきっているが、生憎今のバルデロには、それを追究する気力など残っていなかった。なんせ傍らのレミーユが、これが僕たちの初めての
とにかく、早くも疲れきった顔の女盗賊が、るんるん笑顔の美少女……ではなく美少年と二人で領主の館に向かう道中。
「そんな深刻な顔なさらなくても、大丈夫ですよ。さっきも言った通り、僕たちの仲を見せつければ、母上もきっと考えを改めてくださるはずですから」
「さっきからずっと言いたかったんだが、俺たちの間には、他人に見せつけるような仲は欠片も構築されてねえぞ」
レミーユはやはりバルデロの突っ込みを受け流し、のほほんと微笑んでいた。
「それに、母上は父上以外の人間にはとても優しい方ですから、バルデロさんにもきっと良くしてくださるはずです」
「前から少し気になってたんだが、お前の親父は周囲から一体どういう扱いを受けてるんだ?」
「……」
「なんで急に無言になるんだよ」
少年の様子に、色々な意味で不安を覚えないと言ったら嘘になる。だが一方で、この事件の成り行きに興味を抱いている自分がいることも、また事実だった。この桁外れに能天気で、かつ純真無垢な少年を産み育てた女とは、一体どんな女なのだろう。
一抹の好奇心を筋肉胸に秘めた女盗賊と少年は、ややしてついに目的地に到着した。
「ここが僕の家です!」
少年のすらりとした指の前には、弱小とはいえ貴族の名に恥じぬ邸宅が聳えている。すれ違う使用人たちは、いずれも驚愕と奇異の目でバルデロを凝視してきたが、いずれも一瞬で目を逸らした。あたかも、バルデロが目を合わせたら襲い掛かる猛獣であるかのごとく。
「みんな、バルデロさんがあんまりカッコいいので、びっくりしてるんです。だから、あまり気にしないでくださいね」
無礼とも評せる使用人たちの様子に、少年は幽かに眉根を寄せる。だがバルデロは、自分に突き刺さる不躾な視線を気にしてはいなかった。
使用人たちはきっと事前に、自分たちの若君が意中の相手を連れて来ると教えられていたのだろう。そして若君の恋の相手は、レミーユの隣に並ぶに相応しい、可憐な娘に違いないと想像してもいたのだろう。
なのに、性別を隠してもいないのに、事情を知らない者からは男だと認識されている自分を連れてこられたら。バルデロの姿が視界に入るなり、使用人たちの目玉がすぽんと飛び出さなかったのが不思議なぐらいだった。
という訳で使用人たちの心情は理解できるから、バルデロは少しも彼らの反応を気に留めてはいない。というか、使用人たちの態度よりも余程気にかかることがあるから、有象無象の動向に割いている余裕などありはしなかった。
「なあ、レミーユ」
「なんですか?」
「お前んち、もしかして中で熊でも飼ってるのか?」
不思議そうに首を傾げたレミーユは感じ取っていないらしいが、バルデロには分かる。一歩一歩、奥へと進むたびに、全身の産毛が逆立つような気が濃くなってくるのだ。
数多の死線激戦を潜り抜けてきたバルデロですら、一瞬だけとはいえ踵を返したくなった闘気は、歴戦の猛者のみが発せられる猛々しいもの。それが、屋敷の中心部へと近づくたびに密度を増していくのだ。レミーユは否定したが、この屋敷では猛獣が飼育されているか、怪物を封印しているとしか考えられない。
「もう一度訊ねるが、お前んちは猛獣なんて一匹も飼育してはいないんだよな?」
ますます濃くなっていく闘気を警戒し、女盗賊は腰に佩いた剣の柄を握り締める。
「え、ええ……。屋敷の近くで飼ってる大きな動物と言えば馬ぐらいなものですし、フロレンティーヌもヴァランタンも、エミリエンヌもセヴァストも黒雲号もいい子ですし」
「黒雲号!? 最後の馬だけ名前ごつすぎないか!?」
「黒雲号は牡なので」
「そういう問題じゃねえだろ」
しかしこんな所で剣を抜けるはずもなく、バルデロはついに瘴気渦巻く客間へと辿りついてしまった。
あまりの威圧感は、面を上げることすら許さない。ゆえに女盗賊は淑やかな娘のごとくしずしずと、恐ろしい気の源に接近した。
「貴女が、レミーユと将来を誓い合った方なの?」
「え、いや、全然違い……」
「そのままではお顔がよく見えないから、どうか面を上げてくださらないかしら?」
吹雪のごとき冷気に圧されながらも、視線を上げる。するとそこにいたのは――
「初めまして。私がレミーユの母親です」
四つん這いになったレミーユとよく似た顔立ちの中年男の背に足をちょこんと乗せた、レミーユと同じ髪と瞳の色をした中年の女だった。
これは一体、どういう状況なのか。縋るような気持ちで傍らの美少年の方を、首が千切れそうな勢いで向いても、可愛らしい顔は平然としたままで。
「は、母上。この人が、僕が結婚の約束をしたバルデロさんです!」
しなくてもいいのに、淑やかに微笑んではいるが血塗れの刃もかくやの目をした母親に、バルデロを紹介しだした。
「そうなの、レミーユちゃん。でもそのお話は、昨日たっぷり聞いたから今はしなくていいのよ。私は、バルデロさんとお話がしたいの」
「は、はい……」
凄みさえ感じさせる笑みを浮かべた母親に気圧されたのか、レミーユは蒼い顔をして半歩下がった。妻の足置き台になり切っている領主もまた、邪神に生贄として捧げられた
「貴女は、息子と大変仲良くしてくださっているそうですね。この場を借りてお礼申し上げますわ」
「あの、俺には、レミーユと仲良くした覚えなんて、これっぽっちもないんですが……」
おっとりと吊り上げられた唇も、剣呑な光を宿した目も、ちんまりとした鼻も。貴婦人の造作は全てが小作りで。上品に纏まってはいるかもしれないが、平凡そのもの。どころか、いっそ地味ですらあった。
「息子はいつも、貴女のことを嬉しそうに話していたんですのよ。でも、てっきりただのご友人だとばかり思っていましたから、あなたがレミーユと結婚の約束をした女性だと知って、少し驚きましたわ」
「ですから、何回も言ってますけど、俺はこいつと夫婦になる約束なんて、これっぽっちもしてませんて! あなたの息子が一方的に、俺に付きまとっているんです! だからどうにかしてください!」
対峙する女は、大きな瞳が印象的な華やかな美少女顔の息子とは、正直あまり似ていない。髪と目の色が同じでなければ、とても親子とは信じられなかっただろう。
「とにかく、私の息子と仲良くしていただいて、本当にありがとうございますバルデロさん」
だがそれでもよくよく目を凝らせば、彼女の目元や口元の柔らかさは、確かに息子に受け継がれていた。人の話を聞かない所も。
「でもそれも、今日までにしてくださって結構ですのよ」
「――母上!」
優しげな曲線を描く唇から漏れた声は、心胆を寒からしめるドスが利いていて。庇うようにバルデロの前に立ちはだかった少年の肩もまた、ついに腕の筋肉の限界を迎え崩れ落ちた彼の父親同様、がたがたと戦慄いていた。
「どいてちょうだい、レミーユちゃん」
足置きが崩れたためなのか。それとも別の目的があるのか。レミーユの母はゆらりと立ち上がり、こちらに歩み寄る。途中、床に伸びた夫を容赦なく踏みつけた貴婦人の迫力は、この世のものではなかった。
「い、嫌です。僕はバルデロさんの夫になるんですから」
「……レミーユちゃん」
「夫が妻を見捨てるなんて。そんな最低なこと、たとえ神が許しても僕の矜持が許しません!」
「だーかーらー、俺はお前と結婚する気はねえって何遍も言ってんだろうが! カッコいいこと言ったら誤魔化せるとでも思ったのか? 残念だけど、俺はその程度じゃ騙されねえからな」
母は窘めるように、息子は挑むように、互いの目を覗き込む。ばちばちと火花が爆ぜる音が轟かないのが不思議なぐらいの、緊迫した対決。先に試合から降りたのは母親の方だったが、それは敗北を認めてではなかった。
「いくらレミーユちゃんが可愛くて素直ないい子だからって、誑かして自分の言いなりにするなんて……。いい度胸してるじゃないの」
暗黒が渦巻く目をした女は、あろうことか標的をバルデロに切り替えたのである。
「いや、あんたもいい加減に少しは俺の話を聞いてくれ! こういうとこは親子でそっくりだな、おい!」
バルデロは懸命に自身の潔白を証言したが、必死の抗弁は右から左に受け流された。
「よくお聞きなさい、盗賊女」
これまたこじんまりとした人差し指が、無残な傷が奔る顔面すれすれに突き立てられる。貴婦人の丹念に磨かれた爪は、滑らかに輝いていた。
「人間には、それぞれ守るべき分というものがあるのよ。貴族には貴族の、平民には平民の、ね。だのに、農民崩れの賤しい野盗である貴女が、私の息子と結婚するですって? ――冗談にしても笑えないわ。そうでしょう、あなた。あなたも私と同じ意見ですわよね?」
「そっ、そうだな! 何もかもお前の言う通りだよ!」
ぐたりと伸びる男は、息をするのもやっとという風情である。だのに、妻から同意を求められると、疾風よりも素早く首を縦に振った。
「同じ貴族の娘さんと結ばれるのがレミーユの幸せだと、あなたも考えておられますわよね?」
「う、うむ。勿論だ!」
全ての力を使い果たしているだろうに、ご丁寧に決め顔まで作って。
「父上まで……! 僕たちの愛は、本物なのに……!」
言外に諦めろと父に諭された少年は、がくりと膝を折ってその場にへたり込む。
「そういうことよ、レミーユちゃん」
今度は勝ち誇った笑みを浮かべた女は小柄なのに、渦巻く闘気のために何倍も大きく見えた。
「お父さまもこう言っていることだし、この人とのことは悪い夢だと思って忘れて、レミーユちゃんは相応しい御令嬢と結婚してちょうだ――」
「嫌です!」
聖女もかくやの慈愛を面に湛えた貴婦人は、労るように少年の細い肩に手を置く。しかし、その手は振り払われてしまった。
「僕は絶対に、バルデロさん以外の人とは結婚しません!」
「レ、レミーユちゃん……?」
「バルデロさんとの仲を認めてくれないなら、こんな家、出て行ってやるうぅぅぅぅぅ!」
そして少年は煌めく涙を零しながら、どこぞに走り去ってしまったのである。急激な展開について行けず、明後日の方向を見つめていたバルデロを残して。
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