女盗賊、決闘する Ⅲ

「いいんですか、バルデロさん」

 それなり騎士がひとまず退散した後。少年は愁いを帯びた顔で、意中の女盗賊に詰め寄った。

「構いやしねえよ。だいたいああいう輩は、一回コテンパンにぶちのめさねえ限りは、こっちの言い分なんざ聞きやしねえんだ」

 勝負は明日のこの時間、村の広場で。騎士が一方的に指定してきた条件だが、バルデロは不安も焦りも抱いていなかった。

 いくら国軍に所属しているとはいえ、あの騎士は乱闘の一つも経験したことはないだろう。そんなぺーぺーのひよっこになんぞ、負ける気がしない。いや、負けて堪るか。という闘志が、筋肉で盛り上がった逞しい胸の裡では、燃え盛っていたのである。

 ――これは、俺の誇りを賭けた戦いでもある。

 明日の決戦に備えるべく、女盗賊は愛用の長剣に、眼帯で隠されていない右目を凝らす。下手な少女よりも余程美しい少年は、その凛々しい横顔をうっとりと眺めていた。まさしく、恋する者だけができる眼差しである。

「なあ」

 純真な目に見つめられていると、なぜだか気恥ずかしくなっていまい、女盗賊は検分が終わった剣を鞘に収めた。

「万が一俺が負けちまっても、手下どもにあの騎士袋叩きにさせりゃあいいし、」

「なに言ってるんですか、バルデロさんは負けたりなんかしませんよ!」

 すると一見美少女は、ますます頬と双眸を輝かせ、握り締めた拳を振り上げる。

「その気持ちはありがてえが、ちょっと黙ってろ。とにかく、俺が負けてもお前は何だかんだで男なんだから、大事にはならねえだろう。だけど、あの騎士もあの騎士でなかなかしつこそうだろ? だからお前、よく似た従妹とかいねえのか?」

「え? どういうことです?」

 振り上げていた拳を一旦下ろし、少年はきょとんと首を傾げた。

「あの騎士に、お前に似た女を紹介してやれば満足して帰るんじゃねえかってことだよ。たとえば、従姉妹とか」

「あ、なるほど」

 領主夫妻にはレミーユの他に子はない。よってレミーユには姉妹はいないが、従姉妹ならば幾人かいるだろう。その中には、彼とよく似た娘もいるかもしれない。あの騎士のためにそこまでお膳立てしてやる必要は全くないので、半ば以上は冗談の発案だったが、中々の名案ではないだろうか。 

「あいつもそう悪い家柄じゃねえだろうし、まあまあの美形ではあるし、悪い話じゃねえだろ?」

 かか、と大口を開けたバルデロとは対照的に、レミーユはしばらく黙りこくっていた。ただの戯言をそんなに本気で考えこまなくてもいいのに。

 ふっくらとした桃色の唇が動いたのは、ただの冗談をそんなに間に受けるなよ、と薄くかさついた唇が開きかけた直後だった。

「バルデロさんの意見は、いい考えだと思います。ですが、僕は実は父親似で、」

「お前、その顔で親父似だったのかよ」

「ええ。しかもうちは、男ばっかり生まれる家系なんですよね。なんでも、最後にうちに生まれた女の子は、僕の曽祖父の姉に当たる方だと……」

 つまり、あの騎士には望みは一つもないのである。全てが一気にどうでも良くなったので、バルデロは明日の勝負に備え身体を鍛えることにした。

「困りましたよねえ。跡継ぎの男の子はもちろんだけど、僕はバルデロさんに似た娘も一人か二人ぐらい欲しかったのに……」

「何勝手に俺との間の家族計画立ててんだ」

「子供の名前はバルデロさんも一緒に考えましょうね」

「いや、考えねえよ!?」

 満面の笑みを浮かべる少年に突っ込みながら、バルデロはふと思った。もしも自分たちの間に娘が生まれるとしたら、レミーユに似ていた方が人生は圧倒的に楽だろう、と。

 ――って、一瞬とはいえ、俺はなんて想像したんだ!

 我に返った女盗賊は、こみ上げる羞恥心を振り払うためにも、鍛錬に集中する。そしてその後仲間たちと共に夕食を平らげ、睡眠をたっぷり取り、起床して決戦に備えていると、約束の刻は直ぐに訪れた。


「逃げずに堂々とこの場に訪れるとは……。その気概だけは買ってやる」

 それなり騎士は、昨日は村共有の家畜小屋で休んだらしい。羊でいっぱいの小屋はさぞかし暑苦しく、獣臭かっただろう。

「そいつぁ俺の科白だ。かっこつけてねえで逃げとけば良かったって、後で後悔しても容赦しねえぞ?」

 にやりと口角を上げ、長剣の切先を筋が通った鼻の先に突き付けると、それなりに整った顔はさっと赤らんだ。大変素直で、揶揄いがいがあって宜しい。

 公平を期すために、騎士は今日は鎧を脱いでいた。一方バルデロは、亡父が偶然発見した屍から剥ぎ取った篭手を付けている。だから、両者の防具の条件は完全に同じだった。

 また、バルデロとそれなり騎士が同等なのは、防具だけではなかった。二人は、体格の条件においてもほぼ同じだったのである。流石に腕力の方はバルデロが劣るかもしれないが。けれども足りない力は、速さで補えばよいのである。

 バルデロとそれなり騎士を比較し、バルデロが勝っている所を挙げるとすれば、身長ぐらいのものだろう。だがそれとて、小指の第一関節までぐらいの差異でしかないから、決して油断できない。

「んーじゃま、ちゃっちゃと勝負始めんぞ」

「――望むところだ!」

 バルデロの手下たる盗賊団の面々に、暇を持て余した村人たち。そして領主の息子が見守る最中、勝負の幕はついに上がった。

 最初に行動に出たのは、それなり騎士だった。彼は、よく磨かれた剣をバルデロの顔面目がけて振り下ろしたのである。

 顔の傷をこれ以上増やされては堪らない。女盗賊は自らの長剣で騎士の一撃を受け止めると、そのまま巻き落としにかかった。そうしてがら空きになった正面に会心の一撃をお見舞いしようという算段である。

 だが、騎士の方も黙ってやられる性分ではない。今度は彼がバルデロの剣を受け止め、切り返しにかかったのである。しかし、ここまでは十分に予想の範囲内だった。むしろ、これぐらいの手ごたえがなくては面白くない。それに、そんなへっぽこでも王国軍に入隊できるのかと考えると、この国の未来が不安になってくる。

 騎士が繰り出した鋭い一線を俊敏に交わし、女盗賊は再び剣を打ち込む。攻撃は最大の防御であり、試合とは互いの刃を合わせるところから始まるのだ。

 かん、しゃりんと鋼と鋼がぶつかり合う高音が轟くたびに、野次交じりの歓声は増す。

「ねー、この試合凄いんだろうけど、なんか動きがせこせこ小さくて、つまんなくなーい? 剣の試合って、もっと大きく、派手にやり合うもんなんじゃないのーお?」

 中には、枝毛を探しながら無礼極まりない感想を吐いた者もいたが、長剣同士の戦いはこういうものなのだ。身の丈程もある巨大な剣を、力任せに振り回す怪力無双の騎士など、現実には存在しない。

 だいたい今回は違うが、完全武装した戦士同士が刃を交えたならば、鎧の隙間から剣を差し込んで致命傷を負わせるのが鉄則なのだ。この娘が期待しているような派手な立ち回りを、もしも実際の戦闘で演じたら。その間に隙間から刃を差し込まれて、あの世に逝かされるに決まっているのである。

「そなた、中々やるな。流石、我が姫が見込んだだけの腕はある」

「……あのなあ。お前、昨日からあいつのこと姫、姫って言ってるけど、あいつは、」

 非常に悔しいことに、バルデロと騎士は腕力と技量もほぼ同等だった。となれば、体力と集中力が持った方がこの試合の勝者となる。

 朝日が昇るまで安眠を貪ったバルデロとは対照的に、羊小屋を寝床せざるを得なかったそれなり騎士。彼の表情に現れ始めた疲労は、鋼鉄がぶつかり合う音が鳴り響くごとに色濃くなっていった。

「――だが、負けんっ!」

「いや、お前もいい加減に俺の話を聞けよっ!」

 そのことは、それなり騎士自身が一番良く分かっているのだろう。あと四半刻も打ち合っていれば、膝を屈するのはバルデロではなくそれなり騎士の方だ。だが、もしも更に四半刻打ち合ったら、大地に倒れ伏すのはバルデロの方かもしれない。

 ――次が、最後だ。

 騎士の張りつめた両目から伝わって来た覚悟は、バルデロの右目からも迸っているのだろう。

 剣を交差し、額に髪を張りつかせて睨み合う二人の間の空気は、針のごとく張りつめる。両脇の観衆たちも、拳を握ったまま静止した。しかし勝敗が決していない以上、いつまでも凍り付いたままではいられない。

 女盗賊が後ろに一歩飛んで下がれば、当然絡み合っていた二振りの剣は離れる。そこでもう一度、渾身の力を込めて己の獲物を相手目がけて叩き付けると、刃に奔った振動は柄を握る拳にも伝わって来た。

「――っ」

 そしてそれは、それなり騎士も同じだったのだろう。だが、長旅の疲れを癒しきれていない彼は、バルデロほどには衝撃に素早く順応できなかった。その間に生じた一瞬の隙を、盗賊が見逃すはずはない。

「――貰った!」

 叫ぶよりも先に、身体が動いていた。女盗賊は身を捻って相手の側に入り、強張った騎士の腕を押して地面に叩き付けた。それと同時に、優美でありながら精強さも感じさせる装飾が施された剣を、騎士から奪ったのである。

「勝負、あったな」

 片方の口角をにやりと吊り上げ、筋が通った鼻の先にもう一度、今度は二つの切先を突き付ける。

「どうよ、騎士様。一介の荒くれ盗賊相手に無様を晒した気分は?」

「……いっそ、」

「“殺せ”って頼むのは、俺がこれから言うことを聴いてからでも遅くはないと思うぜ? というか真実を知ったら、馬鹿馬鹿しくて死ぬ気なんて無くなるに決まってらあ」

 そこで女盗賊はすっと息を吸い込み、やや乱れた呼吸を整えた。同時に、小躍りしてバルデロの勝利を喜んでいたレミーユを手招きして近くに呼び、彼の肩をぐっと掴む。

「そんな……。公衆の面前で、大胆ですよ……」

「いいか、よく聞け!」

 桃色の唇からうっとりと漏れた呟きを掻き消す勢いで、女盗賊は酒焼けした声を張り上げた。

「お前が姫と呼んで、妻にしたいとかほざいていたこいつは男だ! どんなに顔が可愛くても、付いてる・・・・んだ!」

 途端、今度はバルデロの大音声を軽く吹き飛ばす絶叫が、周囲に木霊した。むろん、その音源は騎士である。

「な……。は……? えっ……!? そ、その顔で、付いてる、だと……!? そんな馬鹿なことが、あるわけ……」

「それが、あるんですよねえ」

 それなり騎士はしばしこの世の終わりに遭遇したかのごとく取り乱した。が、レミーユは、どこまでも落ち着き払っている。可憐な顔に、孫どころかひ孫の顔を見た爺めいた貫禄が滲み出ているのが腹立たしい。

「そういえば、正式な自己紹介がまだでしたね。僕は、レミーユ・スィ・ヴェジー。この領地の後継者で、バルデロさんの未来の夫です」

「最後に何言ってくれてんだ、このボケ」

 聞き捨てならない一言に、女盗賊は形良い後頭部をばしりと叩く。すると鄙には稀な美少女――ではなく美少年は、嬉しそうに可憐な口元を緩めた。

「……あなたが、その盗賊の未来の夫……? ということは、私は、まさか……」

 更に、騎士がレミーユの発言からバルデロが女だと気づいた途端。彼の頬は、蒼を通り越して土気色に変じた。

「なん、なんという、なんということだ! 騎士たるものが、女に身長で負かされるとは!」

「お前にとって重要なの、剣じゃなくて身長の方なのかよ!」

 そして騎士はもう一度、魂を絞り出すかのように絶叫し、その場に倒れ伏した。

 それなり騎士はきっと、女に負けたと恥じて、この一件を口外することはないだろう。また、喜劇的とも悲劇的とも評せる恋を忘れるべく、一刻も早くこの地から立ち去ろうとするだろう。連続羊失踪事件から始まった騒動は、これにてついに決着したのである。

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