女盗賊、決闘する Ⅱ

 全てにおいてそれなりな騎士は、バルデロが彼の剣戟を素早く交わすと、歯ぎしりしてこちらを睨みつけてきた。

「おのれ、邪な盗賊め! 私の裁きの剣を躱すとは!」

 おのれも何も、いきなり斬りかかられて来たら、可能な限り攻撃を回避して当然だ。だが、この騎士はそんな道理を説いたところで通じる相手ではないだろう。

 という訳でバルデロも、腰に佩いていた剣を抜く。すると、いつのまにやら集まっていた見物人は拳を振り上げた。

「お頭、頑張ってー! こんな生意気な奴、一気にやっちゃってください!」

「どこの誰だか知らねえが、いきなり斬りかかってくるなんて失礼な奴だな! せいぜいお頭の鉄拳で精神叩き直されやがれ!」

「イケメンは死ねー! 死に晒せーっ!」

 上二つはバルデロの手下の声援である。だが最後の怨み僻みに満ち満ちた罵声は村のある男のものだった。彼は長年片思いしていて、最近いい感じになっていた相手を、隣村のイケメンに取られてしまったのである。確かに、これ以上に悔しい終わりは中々あるまい。

「えーと、恨みがある相手を呪うには、まず墓場に生えている糸杉の枝を用意して……」

 恋人をぽっと出のイケメンに奪われたのが、よほど堪えているのだろう。寝取られ男は、公衆の面前で怪しげな黒魔術を始めだした。彼の血走った虚ろな目には、突如現れた騎士が寝取り男として映っているに違いない。

「それで次は、用意した糸杉の枝に自分の血を振りかけるんだよな……。血……。何か指を切れるもの……」

 瘴気渦巻く瞳は、呆気に取られて静止したする騎士が握る、曇り一つない刃にひたと据えられた。そして彼は、何気ないごく自然な動作で、騎士の剣を奪おうとしたのだが――

「騎士の魂に何をする、この無礼者が!」

 流石に我に返った騎士に、顔面を思いっきり拳で殴られてしまった。

 あぶひぃっ! という悲痛極まりない悲鳴が轟く最中。女盗賊は片方の唇の端を吊り上げ、騎士目がけて長剣を振り下ろす。

「隙あり!」

「なっ、卑怯だぞ!」

 卑怯も何も、さっきてめえも問答無用で襲い掛かって来ただろうが。という突っ込みを発する余裕などありはしなかった。なぜならそれなり騎士は、それなりにしては素早くバルデロの渾身の一撃を、己が剣で受け止めたのである。この男の、剣の技量に関する認識だけは改めなければならないだろう。

 金属と金属がぶつかり合う、硬質な音が木霊する。剣戟は次第に速さと激しさを増し、勝負を見守る観衆の表情も深刻さを増していった。

「……てめえ、思ったよりもやるじゃねえか」

 薄くかさついた唇に、尖った歯が突き立てられる。だが傷んだ口唇の端から零れ落ちたのは紅の一滴ではなく、感嘆の念が入り交じった口惜しさだった。認めたくはないが、バルデロと騎士の実力は殆ど互角。僅かな油断が、呼吸の乱れが、敗北を招きかねない。

 極めて緊迫した状況では、手下どもを始めとする観客など、いないも同然であった。ぴちちちち、と田舎らしく長閑に囀る小鳥の声も。この世界にいるのは、自分と対戦相手だけ。死にも通ずる静寂を破るべく、女盗賊と騎士は、新たなる、そして最後の攻撃を互いに仕掛けんとする。しかし、実際に行動に移せたのは女盗賊だけだった。

「イケメンは地獄に落ちろー! 俺と一緒に落ちろーっ!」

「な、離せ! お前はさっきから一体何なんだ!?」

「俺か? 俺はただの寝取られ男だ!」

「それは悲しいな!」

 なぜなら、騎士の右足は先程彼が殴り飛ばした男に、がっちりと掴まれてしまったから。辛うじて篭手こてでバルデロの剣を受け止めたそれなり騎士だが、流石に手が痺れたのだろう。剣はぽとりと地面に落ち、騎士はがくりと膝をつく。

「――っ。これしきのことで諦めて堪るものか!」

 と見せかけて、それなり騎士は剣を拾うが早いか、再びバルデロに輝く切先を向けてきた。

「もうやめてください! バルデロさんが貴方に何をしたというのです!?」

 けれども今度はレミーユの邪魔が入ったため、魂とまで豪語した彼の剣は、再び大地に受け止められることとなった。

「あ、あ、貴女は……」

 きりりと引き結んでいた口をぽかんと開けたそれなり騎士は、獲物を拾おうともせず、一心にレミーユを注視している。

「へ? 一体どうしたんですか? もしかして、以前お会いしたことありましたっけ?」

 美少女にしか許されない角度と仕草で小首を傾げたレミーユだが、騎士が震える唇を更に震わせた途端、その嫋やかな眉ははっきりと顰められた。

「私の姫! 御無事だったようで、何よりです!」

 村中に響き渡る大音声に、バルデロは額を抑えて呻った。こいつは面倒なことになるぞ、と。


 レミーユを姫と呼んだ後、それなり騎士は感極まって涙を流して跪いた。それゆえ彼は抵抗も虚しくバルデロの手下たちに捕らえられ、そこらの木に縛り付けられる羽目になったのである。

「で? どうしていきなり俺たちのお頭に斬りかかるような、無礼極まりない真似してくれたんだ、ああん?」

「さてはお前、他の団からの回し者か? だったら容赦しねえからな」

 手に手に肉汁スープがなみなみと注がれた器を持ち、ドスが効いた笑顔を浮かべる盗賊に囲まれているのだ。騎士も、下手なことをすれば、自分がどうなるかは分かっているだろう。木苺の塵取りのお礼に、と村娘たちが差し出してきた熱々の汁をかけられたくなければ、おとなしく吐きやがれということである。

「おうおう、兄ちゃんよお。もういい加減、正直になっちまえよ。そしたら楽になれるって、分かってんだろ?」

 また手下のある者は二人がかかりで、騎士の脇や足の裏といった敏感な部分を、付近に生えていた狗尾草ねこじゃらしでくすぐったりしていた。げへへ、げへへと笑うその顔は、我が部下ながら本当に邪悪だった。

「くっ、私は騎士だ! 高潔なる騎士の私が、盗賊なぞに屈して堪るものか!」

 だが騎士はなおも意地を張り、手下たちからは少し離れた所で汁を啜るバルデロを睨み付ける。騎士の強情を認めた手下たちはむさ苦しい顔を寄せ、やがて次なる責苦を絞り出した。

「おう。あれ準備して来い、あれ・・

「分っかりやしたーっ!」

 腰痛持ちにしては軽やかに駆けていった手下の一人は、こんがりと焼けた麺麭を持ってきた。

 手下たちの意図が一切理解できず、女盗賊は生唾を呑みこむ。あいつらは一体何を始めるつもりなのだろう。同じくはっと瞠目した騎士の前で、部下たちはバルデロの声なき疑問に応えだした。つまり、どこぞから持ってきた麺麭を頬張ると、わざとらしいにも程がある大声で、たわいもない話しを始めたのである。

「あー、この麺麭と汁は美味えなあ。麺麭は小麦の味をしっかり味わえて、汁は干し肉の旨味がしっかり染み出てやがる」

「そうだなあ、そうだよなあ。一口食べると腹どころか心まであったかくなるなあ」

「こんなに美味しい麺麭と肉汁なんだから、騎士様にも味わってほしいなあ。だけど騎士様、縛られたままじゃ食事なんてできないもんな。残念だよなあ」

 要するに、正攻法では効果がなかったので、奇策で勝負に出たのだ。

「皆さん、これもどうですか? さっき皆さんがこの人を縛っている間に、一っ走りして家から持ってきたんです」

「おっ、お前やるなあ!」

 更に、レミーユが無邪気な顔で人数分の腸詰めを差し出してきたのだから、尋問はより苛酷なものとなった。なんと手下とレミーユはその場で火を熾し、腸詰めを炙りだしたのである。

 炎がぱちぱちと爆ぜれば、肉汁がじゅうじゅうと滴り、香ばしい匂いが辺りに漂う。

「もうそろそろ食べ頃ですね」

 一点の曇りもない笑みを薔薇色に輝く頬に湛えた少年は、こんがり焼けた串刺し腸詰めを皆に配りだした。

「はい、バルデロさんも」

「お、おう……」

 その際少年は、腸詰めを一旦は騎士の鼻先に近づけた。しかし騎士の腹がぐうと鳴ると、速やかに腸詰めをバルデロの手下たちに渡していったのである。もしかしたら、この場で最も冷酷なのはレミーユなのかもしれない。

「……分かった、全てを話す。だから、この縄を解いてくれないか?」

 残酷なる攻めの一手と空腹に耐えられなくなったのだろう。騎士は噛みしめた唇から血と苦渋を滲ませながらも、降参の旗を振った。

「変な真似しねえって約束するんなら、そうしてやってもいいぜ? どうする、兄ちゃん?」

 部下に負けず劣らずの笑顔で女盗賊は凄んだが、騎士は致し方なしといった体で首を縦に振る。

「実は、朝から何も食しておらず、腹が減っていたのだ。礼を言うぞ、盗賊ども」

 騎士は驚くべき速さで、冷めきった汁と実は石のように硬かった麺麭を平らげ、ふうと満足げに溜息を吐いた。

「礼はもういい。だけどいい加減に、どうしてあんな真似をしてくれたのか吐いてもらおうか、兄ちゃん」

「そうですよ。咎無いバルデロさんを傷つけようとした罪を、一刻も早く悔い改めてください」

「……姫。貴女は、まさかその盗賊を……」

 腹が満たされたためだろう。騎士の刺すような眼光はやや和らいだが、彼が相変わらす一心にレミーユを見つめているのは気になった。何やら、悪い予感がしてならないので。

「訳分からないことごちゃごちゃ言ってないで、さっさと白状してください」

「いや、普段のお前も似たようなもんだぞ」

 どこまでも冷淡なレミーユの対応に、それなり騎士は拳を握りしめる。

「私は、この村に跋扈するという盗賊を退治するため、都からやって来た騎士なのですが……」

 騎士は苦渋に満ち満ちた声音で、あからさまに彼にも彼の来歴にも一欠片の興味も抱いていないレミーユに、この村に辿りつくまでの経緯を語る。

「お頭。こいつ、もしかして……」

「ああ。そのまさかだな」

 それなり騎士がこの村に押し掛けてきた理由が明らかになった瞬間。その場に居合わせた者は、皆が皆はっと目を見開いた。それなり騎士こそ、連続羊失踪事件に困り果てた村人が助力を求めた騎士だったのだ、と悟ったからである。彼と面識がある村の青年二人は、今日は山に木を切りに行っているから、話がややこしくなってしまったのだろう。

「その件については申し訳ないと思いますが、この村の事件はもう解決しました。ですから村人が既に申し上げたとおり、どうかあなたにはこのまま都へとお帰りいただきたいのですが……」

 珍しく真面目な顔で美少女然とした少年が呟くと、それなり騎士は男にしては小さな少年の手を握り締める。

「この村の事件は解決しただなんて、そんな嘘はおっしゃらないでください!」

「嘘も何も、事実ですし。というか、力が入り過ぎて痛いので、手を離してほしいんですけれど……」

「貴女を見捨てて、おめおめ都に帰るだなんて、そんなことはできません! だいたい、この村にはまだ悪質な盗賊が蔓延っているではありませんか!」

 貴方、僕の話を聞いていますか、とのレミーユの突っ込みは右から左に受け流したのか。はたまた、最初から聴いていなかったのか。とにかく騎士は、鼻息も荒く立ち上がった。

「美しくか弱い乙女を拐かしただけでなく、彼女を誑かして純情な心を弄んだ卑劣な盗賊! 私はお前に決闘を申し込む!」

「は、はあ? 美しくか弱い乙女って、誰のこ……って、まさか!」

 それなり騎士はやはり、レミーユに熱い眼差しを注いでいる。

「そして私はお前を完膚なきまでに打ち負かし、私の姫の目を覚まして、姫を妻として都に連れ帰るのだ!」

 彼の指は、真っ直ぐにバルデロを指していた。

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