女盗賊、決闘する Ⅰ

 青年は、苛立っていた。

 極々平凡な貴族の家の五男として生まれた青年は、物心ついた頃から騎士として勇名を馳せたいと願ってきた。

 青年には上に四人もの兄がおり、また青年と年が離れた長兄は、既に多くの子を成している。言い換えれば、父の領地を受け継ぐ日など、青年には訪れるはずがない。

 つまり青年が壮大な夢を抱いたのは、彼を取り巻く環境故であったが、一方で生来の気質もまた深く関わっていた。末っ子に甘い母が聖典を読んであげましょうかと微笑めば、幼少期の彼は常に竜退治の聖者伝をと目を輝かせたのである。

 少年と呼べる年頃になると、彼は竜退治の英雄ではなく、この国の建国譚を好むようになっていた。

 智略に長けた若くも威厳溢るる英主と、王にその才を買われ取り立てられた将たち。いずれ劣らぬ英傑たちが身分の垣根を越えて尽力し、未だ邪神を崇めていた周辺部族を聖化して、この北方に統一と平和を齎す。これぞまさに、数多の少年が心躍らせる英雄伝であり、出世物語であった。それがいかに、原型の欠片も窺えぬほどに飾り立てられた、初代王とその家臣たちの実像からかけ離れたものだったとしても。

 とにもかくにも、日々訓練に励みながら成人した彼は、涙する家族に見送られて王都へと発つ。そうして青年は何とか無事に華の都ルトへと辿りつき、王国軍に入隊した。けれども、現実は彼の想像通りにはいかなかった。

 朝臣たちには魔王か怒れる神のごとく畏れられている現国王も、父譲りの美貌と父には似ぬ温厚な人柄で民草に親しまれる王太子も、平和路線を貫いている。また周辺諸国の情勢を考慮しても、騎士となった青年が勇気と技量を示す機会など、四十年は訪れそうになかった。

 唯一の可能性といえば、建国当初から度々反旗を翻してきた王国北部が挙げられる。だが、その北部とて数十年前の内乱の際、現王の異母弟を支持した罪により懲罰軍を派遣されてからは、以前よりもおとなしくなった。なんでも彼の地では、子供が泣くと「国王陛下が来るよ!」と脅して泣き止ませるのだという。

 繁栄と平和を謳歌する王都で騎士たちにできることといえば、城内の警備と王都の治安維持ぐらい。

 ――私は一体、何のために修行に励んだんだろうか。

 死ぬほど退屈し、鬱鬱と任務をこなすばかりだった若者に、朗報が齎されたのは突然だった。

「ヴェジー子爵領に赴き、彼の地のある村に出没する盗賊を退治し、悩める村人たちを災いから救え」

 その命を上司から告げられた際は、身も心も舞い上がった。とうとう自分にも運が向いてきたのだ。しかし、その希望も長くは続かなかった。

 青年は早くも翌日には、王都まで懇願に来た農民を道案内に、翼と化した心身を馬に委ねていた。しかし青年は、途中の街でいかにも農民と言う風采の、自分よりも二つ三つ年嵩であろう男に呼び止められたのである。

「わざわざここまで来てもらったのにこんなことは言いづらいけれど、俺たちの村の事件はもう解決したから、どうかこのまま王都に帰ってください」

 そう農民に懇願された時は、雲一つない晴天を湛えていたはずの胸中で嵐が吹き荒れた。百の首級を挙げてやると仲間たちに見えを切った以上、おちおち手ぶらでは帰れない。せめて、盗賊団の一つや二つは壊滅させなくては。

 思いつめた果てに年若き騎士は、農民たちの静止を哀願を振り切り馬を走らせ、盗賊が潜むという森へと侵入した。しかし、行けども行けども、肝心の獲物には一向に出会えない。

 もういい加減に、引き返して王都に戻った方がいいのかもしれない。

 青年は手ぶらで戻った末に浴びせかけられるだろう嘲笑を想像し、肩を落とす。しかし目の端にちらと過った煙の源を辿った途端、懊悩はたちまち彼方に吹き飛ばされた。

 煮炊きの音が聞こえるには遠いが、個々の目鼻立ちを識別するには十分に近い、開けた場所。そこでは絵に描いたような盗賊が十人ほど輪になって食事を摂っていた。

 盗賊は皆が皆薄汚れ、礼儀作法という言葉など聞いたこともないような、下品で野蛮な有様である。頭の方も弱そうだし、これなら楽に倒せるだろう。

 青年は逸る気持ちを抑え、剣に手を伸ばす。しかし逞しい腕は、騎士の魂たる鋼を鞘から抜く前に力を失ってしまった。肝心要の盗賊たちではなく、その図体の影に隠れて当初は気付けなかった花の、可憐さ初々しさが双眸と心臓を貫いたために。

 細やかに波打つ深い栗色の髪は、雨に濡れた若葉のごとく艶やかで。その濃い色の毛髪に囲まれた顔は白く小さく、清楚でありながら華やかだった。大きな瞳の色合いは遠目では判ぜられないが、星のごとく澄んでいるのだろう。小さく形良い鼻の筋は細く通り、ふっくらとした唇は桜桃と見紛う瑞々しさだ。

 青年は、これでも王都での滞在歴が二年を越える。その自分ですら見惚れてしまうほど美しい娘が、なぜ、どうしてこんなところに。しかも、盗賊たちと一緒にいるのだろう。その答えは、さして考えずとも導き出せた。彼女はきっと、盗賊たちにかどわかされて、こんなところに連れてこられてしまったのだ。

 盗賊たちは、娘を高値で娼館にでも売り飛ばすつもりなのだろう。娘は今のところは健康そのもので、暴力を振るわれた痕跡も見当たらない。その上、盗賊たちと同じ食事を与えられてもいた。だが、これからどうなるかは分からない。彼女の愛らしさに我慢できなくなった盗賊たちが、想像するのも痛ましい行為を娘に強いるかもしれない。

 最悪の事態が起こる前に、一刻も早く彼女を助け出さなくては。しかし、ここでいきなり行動に出ては、娘を巻き添えにしてしまうかもしれない。追い詰められた盗賊が、自棄になって娘を斬り捨てるという事態もあり得る。一体どうすれば傷一つ負わせず、彼女を救出できるのだろうか。

 青年が熟考している間に、娘も盗賊たちもいつの間にか消えていた。失態に顔色を無からしめた青年は、拳を握りしめて神に誓う。

 ――どうか無事でいてください、私の姫。私がきっと、貴女をお救い致します。

 そして青年は、一心に駆けていった。途中で別れた農民たちから大まかな位置は聴いていた、当初の目的地たる村へと。ひとまず、情報を集めるために。


 ◇


 女盗賊は、苛立っていた。

 いつものようにレミーユが昼食時に現れたのは、もう諦めたから別にいい。だがその後に、なぜレミーユとバルデロ率いる盗賊団皆で、木苺摘みに行くことになったのかが分からなかった。いや、本当は理由など分かっている。飯時の話題として、レミーユが自分の家の料理人のことを話し出したのがいけなかったのだ。

「あの木苺の甘煮ジャムはもうほーんとに美味しくて、食べるとほっぺが蕩けそうになるんですよ!」

 なんでも、レミーユの家の料理人は、木苺の甘煮を作らせると国一らしい。

 かくも美味なる甘味を想像し涎を垂らした部下たちは、続く「食事が終わったら皆で木苺を摘んで、料理人に甘煮を作ってもらいましょう」という提案に、一も二もなく頷いた。まあ、そこまでも別にいい。

 中年太りや無精ひげや天辺禿げのオッサンどもが、うふふあははと木苺を摘む姿を想像すると、微妙な気分になってしまう。だが、やりたい者だけがやればいいのだ。バルデロはその間、昼寝でもしているから。

 女盗賊は一度は木苺摘みの誘いを断ったが、部下たちとレミーユは幼児でもあるまいに、一緒に行きましょうと煩く喚きたてた。その煩さに眠気を吹き飛ばされたバルデロは、致し方なくレミーユのとっておきの場所とやらについて行ったのである。眠りたかったのに眠れなかったという最悪な気分を抱えて。

 ところで木苺というのは、熊の好物の一つである。熊がどのくらい木苺を好きなのかというと、母熊は小熊が木苺に夢中になった隙を見計らって子別れする、とこの近辺では信じられているぐらいに。

 バルデロが不承不承ながらレミーユ発案の木苺狩に付いて行ったのには、そういう理由もあった。運悪く熊と鉢合わせしてしまったら、レミーユと手下たちだけでは生き残れる気がしない。

 予感というのは悪いものほど的中するものであり、レミーユのとっておきの場所は村にもほど近い開けた場所だったが、案の定いた・・。身体の大きさからして、母熊と別れたばかりだろう若い熊は、辺りを警戒もせずに夢中で御馳走を頬張っている。

 若く経験を積んでいない熊は、時として年を経た強靭な体躯を誇る熊よりも危険な存在だった。年若い熊は人間の危険を理解できる程、身も心も成熟しきっていない。故に、好奇心に駆られてか、人間を見かけても逃げずに襲ってくることがあるのである。

 まだ小さいとはいえ、熊は熊だ。人間がまともにやり合って勝てる相手ではない。今回眠気のあまり鈴を携えるのを忘れていたのは、むしろ幸運だった。

 若熊の食事の邪魔をしては、と息を殺して最も近い安全圏である村まで辿りついた頃には、逞しい背は冷や汗でびっしょり濡れていた。だが、それまではまだいいのだ。なんだかんだで生命の危機を回避できたのだから。しかし、そこから先が最悪だった。

 村に逃げ込んだ盗賊団の面々は、当然のごとく村人に見つかった。しかもその時真っ先にバルデロたちを見つけたのは村娘の集団で、

「ね、これぐらい、あんたたちならちゃちゃっとやれるでしょ?」

 どうせ暇なんだろうからいいでしょう、ご褒美あげるからと、盗賊であるバルデロたちをこき使いだしたのである。そのあまりの勢いには、バルデロも反論できなかった。ああいうのが将来は鬼嫁になるのだろう。

「えーと、まずは水でざっと洗って。そして、洗っても落ちなかった細かな塵を取ってちょうだい。あ、あともちろん虫もね! 幼虫が混じった甘煮なんて、考えただけでもぞっとしちゃうでしょ?」

「……ふぁーい」

「返事にやる気がない!」

「は、はい! 喜んでこの崇高な仕事を完遂させていただきます!」

 申し付けられた仕事というのは、偶然にもというべきか皮肉にもというべきか、甘煮にする木苺の塵取りだった。

 盗賊の太い指先で、触れれば潰してしまいそうな繊細な果実を挟む。それだけでも大変なのに、塵やら虫やら、混じっていたところでさして味に変わりないだろう物体を取り除くという行為は、苦行でしかなかった。バルデロは何度投げ出したくなったか分からない。だが部下たちや、進んで参加してきたレミーユは文句の一つも言わず励んでいるのだから、投げ出せるはずがなかった。ここで逃げたら、頭としての面子に関わる。

 盗賊たちとお坊っちゃんは、三つの籠にうず高く盛られた木苺全てを、とうとう点検し終えた。

「……甘煮を作るのって、あんなに大変だったんですね。僕、次からは料理人にもっと感謝しながら食べるようにします」

「ああ……。そうしてやれ……」

 疲れ切った顔で美少女もかくやの少年が呟くと、盗賊団の面々も無言で首を縦に振る。長い苦難を共に乗り越えた者としての一体感は、バルデロの中の何かを変えた。

 ――今日は、いつものおやつの時間とやらまでは、こいつと一緒にいてもいいかもしれない。どうせ、帰れと言っても帰らないし。

 村の広間で夏の風に当たり、村娘の褒美とやらをぼんやり待っていた女盗賊の耳は、突然奇妙な叫びを捉えた。

「見つけたぞ、盗賊ども! 私の姫を解放してもらおうか!」

 そして、それなりに毛並みのいい馬から降りた、それなりに端整な容姿の男が、それなりの速さで斬りかかって来たのである。

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