女盗賊、張り込む Ⅱ

 バルデロの四回目の見張りの夜は、それまでとは違い、洋墨インクのような雲が立ち込めていた。いわゆる、鼻を摘ままれても分からない夜である。バルデロが連続羊失踪事件の犯人だったとしても、犯行に及ぶならこんな夜を選ぶだろう。事実、羊が消えたのはいずれも、暗い夜のことだった。と、村長は言っていた。

 この村で代々飼育されているのは、この近辺伝統の、毛の色が濃い種の羊である。伝来の羊たちは、額や口元に白い斑がある他は、多くは黒。もしくは灰色か暗褐色の毛をしている。

 細い毛を紡いで織った布は絹のように滑らかで心地よいが、何分元の色が元の色なので、染色には適さなかった。そのため、市場に出しても安価でしか取引されない。

 なので、この村の農民たちは専ら自分たちの衣服や日用品の材料とすべく。また食肉とするために、この羊を飼っていた。夜闇に紛れやすい毛色の羊は、まだ正体は分からない盗賊にとっては、お宝そのものだったのだろう。

 ……などと今日の見張り全員でぼそぼそ話していると、やはり異変は現れた。闇夜であるからまだ村人か否かは見分けられないが、誰ぞが羊小屋に接近してきたのである。

 レミーユが持ってきた今日の夜食――他領地で作られているという、山羊乳の乾酪チーズを麺麭に挟んだもの――を慌てて呑み込むと、バルデロは剣の柄に手を伸ばしたまま息を殺した。

 動くにはまだ早い。二回目の見張りの時と同じく、呆けて里帰りしたつもりになっている老婆が、実家と家畜小屋を間違っただけかもしれないから。それに、あまり急いで行動に移してしまうと、気配を感づかれて逃げられてしまうかもしれない。

 他の見張りに目配せすると、同じような目配せが帰って来た。レミーユすらも押し黙り、梟の鳴き声のみが幽かに響く静寂が辺りを支配する最中。推定羊泥棒の足音は、嫌に大きく聞こえた。

 ここまで近づけば、朧ではあるがどんな顔をしているのかは分かる。生唾をごくりと呑みこんで仰いだその面には、見覚えがあった。

 幾度かやり合った覚えがある、近くの盗賊団の下っ端は、躊躇いなく木製の鍵を破壊する。その手つきは滑らかかつ素早くて、呆気にとられる暇もなかった。そして彼は羊小屋へと侵入したので、バルデロはとうとう剣を抜いた。部下二人とレミーユも。村人側の見張りも、鎌や棍棒を構える。

「てめえぇぇぇぇぇっ! 俺のシマで何してくれとるんじゃ、ああっ!?」

 腹の底から罵声を搾りだし、寝台で微睡んでいるだろう村人たちに異変を伝える。

 罵声に怯えたのは、羊たちだけではない。手ごろな大きさの子羊を抱えていた泥棒も、お伽噺の魔女の呪文を掛けられたように固まった。その凍り付いた顔面を、女盗賊はまず拳で殴る。すると男は、うかつにも握っていた短刀を取り落とした。

「人が! 苦労して築いた信頼と実績を! ぶっ壊すような真似しやがって!」

 丸腰になった人間を、一方的に斬りつけては後味が悪い。それにもう生きてはいないかもしれないが、羊たちの居場所を吐かせるまでは、生かしておく必要がある。このことは村人たちから重々言い聞かされていたのだが、それにしても腹が立った。

「こっちはなあ、腰痛持ち三人と、中年太り四人。あと水虫持ち一人に天辺禿げ一人の、計九人の大変な奴ら抱えて生きてんだよ!」

「お頭! 俺たちの秘密を、そんな大声でばらさないでくださいよ!」

「それに比べりゃてめえらはなんだ! ほとんど俺とタメだろうが! 若くて健康だろうが! 何物にも代えられねえ宝持ってんじゃねえか!」

「あと、俺たちを脂ぎった中年呼ばわりするのはやめてください! まだまだ気持ちは若いんですから!」

「だったらこんなしけた村でこそこそ家畜盗むんじゃなくて、どっかのセコい金持ちの館にでも侵入しろ! それが盗賊冥利に尽きるってもんだろうが!」

 なのでひとまずは「俺の話はガン無視ですか……」と呟いた手下から渡された縄で、羊泥棒を必要以上にぐるぐる巻きにするに留める。

 バルデロが人間蓑虫を拵えている間に、盗んだ羊を運ぶべく控えていた泥棒の仲間は、村人たちに捕らえられ袋叩きにされていた。なんでも羊泥棒の仲間たちは、村長が説明してくれていた落とし穴に嵌ってしまったらしい。

「とうとう捕まえたのかい!? あたしの可愛いもふもふちゃん――アナトリアンの仇を討ってくれたんだね!」

 と、弛んだ頬を薔薇色に染めた中年の農婦は、落とし穴に落ちた泥棒を悪魔すら裸足で逃げ出す形相で殴っていた。なので、アナトリアンとやらの仇は自分でも十分に討てたのではないだろうか。

「よし。あとは、こいつらの仲間の根城を叩いて、生き残った羊がいたら取り返すだけだな」

「ああ」

「やつらの塒の大体の位置は知ってるから、案内してやる。もちろん加勢もな。だから、てめえらは朝までにきちっと準備終えてろ」

 夜が明けるのを待ち、村の男たちとバルデロ一味の連合で、蓑虫男の団の根城を取り囲む。劣勢を悟ったのか、蓑虫男の頭はまだ解体していなかった羊三匹と燻した羊肉と、溜めこんだ金品を差し出してきた。

 羊泥棒は金品に免じて、見逃してやることにした。無論、二度とこの村に近づくなとよくよく言い含めた上で。

 このまま羊泥棒たちを捕縛して、領主であるレミーユの父に訴え厳罰に処すこともできはする。だがその場合、財宝が国庫に収められる可能性があるから止めにしたのだ。国庫云々は、レミーユが教えてくれたことだった。

 ひとまずは平和に戻った村だが、まだ問題は半分しか解決していない。王都に盗賊退治のための騎士を呼びに行ったトト青年と、彼を追いかけるべく村を発った青年。この二人が戻ってこなければ、村人たちは財宝を完全に手中に収めたことにはならないのである。

 もしも騎士の到着から、領主であるレミーユの父が事情を、盗賊が差し出した宝の存在を知ってしまったら。レミーユの父から宝を差し出せと命じられたら、村人たちは従うしかないのである。

 金細工の首飾りと琥珀の腕輪は、きっと高値で売れるだろう。農民たちは、できるのなら、その金で家畜小屋を新調するつもりなのである。これまでのおんぼろ木造から、煉瓦造りの頑丈なものへと。だから、折角掌中に納めた宝を領主に奪われては敵わない。

 故に農民たちは、村で一つしかない教会で祈る時よりも真摯に祈った。どうか、この財宝を自分たちから取り上げないでくれ、と。

 俗っぽいにも程がある祈りだが、神に届いたのだろうか。羊泥棒を追い出してから五日後、二人の青年は村に帰って来た。だが、フロレンなんちゃらが妙にやり切った、うっとりとした顔をしているのとは対照的に、馬上の青年たちの表情は沈みきっていた。

 農民の子供一人に、バルデロの手下二人と自分。計四人で賽子遊びに勤しんでいたレミーユを発見するやいなや、栗毛の馬から転げ落ちるように飛び降りた青年は、長い睫毛を瞬かせる少年の足元で跪く。

「も、申し訳ございません、若様! 折角フローリアーナ嬢をお借りしていながら……」

「い、一体何があったというのです? 取り敢えず、事情を教えてください」

「若様……」

 憔悴しきった青年に手を差し出した少年は、聖典で讃えられる聖女のようと言えなくもなかった。

「あと、あの子の愛称はフロレンティーヌですよ? 正式名称は、フロレンティシラアリアンディーヌ。どちらもきちんと覚えてくださいね」

「……それは、無理です。長すぎます……」

「……そうですか」

 青年があまりに蒼い顔をしていたので、不吉な予感に駆られて集まって来た者たちも、彼を一方的に責め立てはしなかった。

「実は、それが……。途中までは順調に王都に向かっていたのですが、ある町の市場で……」

 青年が涙混じりに語ったのは、要約すればこのような経緯だった。フロレンなんちゃらは市場で偶然、身惚れるほど美しく体格が良い、王子のような気品を湛えた白馬とすれ違った。その一瞬で彼女は、その馬に一目惚れしたのである。

 そしてフロレンなんちゃらは、一目散にまさしく白馬の王子様を追いかけていった。進むべき道とは逆の方向に、まっしぐらに。御者の悲鳴に耳を傾けようともしないで。そういえば、馬の繁殖期は春から初夏にかけてだから、フロレンなんちゃらが突然発情しても不思議ではない。

 追いかけること半日で運命の白馬を探し当てたフロレンなんちゃらは、そのままその白馬と愛を交えた。あけすけに語ってしまえば、交尾をしたのである。

 交尾が終わった後、二匹は名残惜しげに今生の別れを果たし、その後フロレンなんちゃらは至極真面目に青年を王都まで運んだ。だが、一人と一匹が都に到着したのは、もはや騎士とトト青年が村へと出発した後だったのである。

 青年は運命の恋人との別れに傷心した様子のフロレンなんちゃらを果物で釣り、どうにか途中で騎士とトト青年に追いつき事情を説明したものの――

「騎士様は、“たとえそなたらの村の事件が解決していようとも、手ぶらで都に戻っては面目が丸潰れだ”と、王都に戻るよう説得する俺たちを振り切って行ってしまったんです。今頃きっと、このあたりをうろついてらっしゃると思います」

 ついに地面に突っ伏した青年の代わりに、トト青年は真摯な声で答えた。

「どうか、こいつを責めないでやってください! こいつは一生懸命頑張ったんです! フロディアンヌ嬢のことがなければ、きっと間に合ったはずなんです!」

 きりりとした目元に涙を浮かべ許しを乞う青年たちに、レミーユはこくりと頷いた。馬の名前が違うと指摘しもしないで。

「ええ、いいのです。騎士様に事情を説明していただけたのなら。もしも騎士様が領地に現れても、僕がなんとかできます。要は、父上たちに今回の件がバレなければいいのです。ただ……」

「ただ?」

「僕があの時、フロレンティーヌに“カッコいい牡馬を見つけても、ついていっちゃいけないよ”と注意していれば、このことは防げたのかもしれませんね……」

 普段は薄紅に輝いている頬も、今ばかりは一切の血の気が引いていた。

「……若様。あまりご自分を責めないでください」

「……ええ。でも、ほんとにここに騎士様が来たら、どうやって母上と父上を誤魔化せばいいと思います?」

 領主の息子もがくりと膝をつき、村中に微妙な空気が流れる最中。泥棒の洞窟から助け出された羊はめえと啼き、人間たちの苦悩など素知らぬ顔で草を食んだ。彼らの新しい家は、今まさに建設の真っ最中である。

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