女盗賊、張り込む Ⅰ
熱狂もひとまず鎮まり、村長宅で連続羊失踪事件の対策を練っていた面々は、新たなる障壁にぶち当たった。村一番の馬が使いと共に王都に向かった今、どうやって一人と一匹に追いつけばよいのだろう。だがその障壁は、場違いに上質な衣服を纏った、美少女と紛う少年によって呆気なく壊された。
「馬なら、僕のフロレンティシラアリアンディーヌを貸しますよ」
「お前の馬、そんな名前だったのか。しかし名前長いな。舌噛みそうだわ」
のほほんと微笑むレミーユは、先ほどからずっとバルデロの右隣に陣取っている。ちなみに、バルデロの左隣は壁なので誰もいない。
「じゃあ、愛称フロレンティーヌにしましょう。あの子は……」
「どうしてそんな長ったらしい愛称にした!? フィーとかアリアとかで良かっただろ!」
省略してもなお舌を噛みそうな名の馬は、御年四歳の女盛り。極度の面食いなのと食い意地が張っているのが難点だが、その俊足と毛並みの艶やかさは、レミーユの父が持つ馬の中でも一、二を争う名馬らしい。ついでに、賢く穏やかで人懐っこい性格なのだとか。
「では、若様のご厚意に甘えて、フローレディーヌ嬢をお借りすることにいたします」
一連の騒動にすっかり疲れ果てたと見える村長は、馬の名前を微妙に間違えたが、訂正する者はなかった。バルデロを含め、皆まあ良いかと受け流したのである。なんせ、元がフロレンなんちゃらなので。
話し合いも終わり、連続羊失踪事件を食い止める会の面々は、肝心要の栗毛の美馬の許に近づく。
「いい子だね、フロレンティーヌ」
適当な木に繋がれた牝馬は、彼女は初めて耳にするだろう愛称が囁かれた途端、男にしては小さいが骨ばった手に鼻を寄せた。
「今からお前は、重大な任務に就くことになったんだよ」
体毛よりも黒っぽい
「だからいいかい? 途中で必要以上に道草を食べちゃいけないし、市場で果物が売られていても、鼻を突っ込んじゃいけないよ。齧るのももってのほかだ。もちろん、麦畑にも侵入しちゃいけないし、森の中で蜂蜜を見つけたからって、満足するまで舐めようとしてもいけない。あとは……」
「もういいだろ、レミーユ。フロレンなんちゃらも十分に分かったって顔してるぜ」
傍らで話を聞いていると、この馬が賢くおとなしい馬なのか信じられなくなってきたので、長い訓戒は途中で打ち切らせた。村人を無用に不安がらせないためにも、これ以上は続けさせない方がいいだろう。
「では、行ってまいります」
先んじて王都に向けて発ったトト青年と肩を並べる乗馬の腕の主であるという村人は、旅支度を既に終えていた。万全に準備を整えた彼は、善は急げとばかりにしなやかな栗色の背に飛び乗る。
「戻ってきたら、樽一杯の酒奢ってやるからな!」
「役目を無事に果たしたら、ほっぺにくちづけしてあげるわ。だから頑張って!」
村人の声援を受け、青年は竜退治に赴く勇士さながらに送り出された。彼の姿が視界から消えた速さから察するに、フロレンなんちゃらは脚の方は確かなのだろう。頭の方はいまいち信用しきれないが。
「この仕事が終わったら、一緒に酒飲むって約束、忘れるんじゃねえぞーっ!」
「お前はどうして勝手に村人に馴染んでるんだ!?」
女盗賊は、最後に一際大きなだみ声を張り上げた子分その一の頭に肘鉄を食らわせた。
「――い、いきなり何するんですか、親分! 痛いじゃないですか!」
次いで、自分よりもやや背が低い部下を羽交い絞めにし、関節を固める。
「だいたいな。んな悠長な約束してる暇があったら、夜番の順番を考えるとか、もっと役に立つことに使え! お前は昔っから詰めが甘いんだ、詰めが!」
「いたい、痛いです、親分! 誰でもいいから助けてくれーっ!」
胸に矢を射られた鹿のごとく暴れ回る壮年の男を救ったのは、並みの少女など足元にも及ばぬ可憐な少年だった。
「バルデロさん!」
全力でもがく男から、男にしか見えない女盗賊を引き剥がした少年は、細い腰に手を当て眉を吊り上げる。
「いくら部下を教育するためとはいえ、未来の夫たる僕以外の男と密着するなんて! 僕は傷つきましたよ!」
恒例の突っ込み「俺はお前と結婚の約束をした覚えはない」すら跳ね除ける勢いで、少年は貴婦人としての慎みやら恥じらいを説く。レミーユの説教は、いつものおやつの時間ぎりぎりまで続いた。
「じゃあ、もう二度と僕以外の男とみだりに接触しないでくださいね。約束ですよ?」
甚だ一方的な約束を押し付けてきた少年は、最後にちらと振り返って、バルデロに向けて片目を瞑った。
「あ、でも、僕に引っ付いてくるのは大歓迎です!」
レミーユはそれから、物凄い勢いで走り去っていった。途中、驚いた小鳥の囀りに混じって「わーっ、とうとう言っちゃった!」だの聞こえてきたのは、決して空耳ではあるまい。
「しかし、レミーユって以外と足速いんすね」
子分その二がぽつりと呟いたように、レミーユは健脚なること鹿のごとし。舞い上がっているにしてはしっかりとした、けれども軽やかな足取りで深い森の中を疾駆する様子には、あいつには馬は必要ないのではと感心してしまった。あれなら、フロレンなんちゃらがいなくともしばらくは大丈夫だろう。
金砂銀砂。あるいは真珠や水晶と紛う星々が瞬く夜――ではなくて夕刻に、バルデロは二人の子分を伴に村へと向かった。昼間の話し合いで、村の成人した男と盗賊団三人ずつ計六人で、夕食後から夜明けまで見回りを行うと決まっていたのである。村人と盗賊団が同数なのは、盗賊団が裏切った場合を考えての措置だろう。
この期に及んであらぬ疑念を持たれているという現状に、何も考えない訳ではない。しかし、村人と比すれば遙かに数が少ない盗賊団であるから、徒に騒ぎ立てて負担を増やされては敵わない。と、バルデロは眉間に皺を刻んだ部下の口を塞いで黙らせて条件を呑んだのである。
昼にも訪れた村長宅の扉を叩くと、中では村長含む今日の夜番担当の村人が待っていた。
「おお、本当に来てくれたのか」
「俺も子分たちも、一度した約束は守るタチなんでな」
村長の囁きには、呆れたような、驚いたような、しかし一方で感心したような趣があった。
「では、早速村の案内がてら、最初の見回りに行こう。お前たちとて、この村がどうなってるかは詳しく把握しているだろうが、実際に住んでみないと分からないこともある」
やれあのあたりには村の悪童が仕掛けた落とし穴があるだの、最近その穴に隣の家の爺さんが落ちて腰を痛めただの、注意事項の半分以上は役に立ちそうになかった。しかしバルデロは、この情報を一応胸に留めておくことにした。もしかしたら、何かの役に立つかもしれないので。
村を一巡りした後は、めいめい物陰に隠れ、村で一つだけの羊小屋の辺りを窺った。
最近増改築を著しくなされた小屋は、新旧の材木が斑になっていて、お世辞にも立派とは言えない有り様だった。朧な月明かりの下では化物屋敷のようだっただろう。生憎、今日は朝から雲一つない快晴で、現在もからりと乾いた空からは遮るもののない光が降ってきているのだが。
――今夜は、月が明るすぎて影が目立つ。これでは、奴らも現れまい。
安堵を覚えれば、今度は眠気が襲ってくる。ゆえに男たちは、睡魔を追い払うという名目の下、いつしか昔話に話を咲かせていた。
「そんでうちの爺さんと婆さんはな、火祭りが切っ掛けで結婚したんだと。娘時代の婆さんは、そりゃあもう清楚でおしとやかだったそうだ。それが、結婚したら化けの皮は直ぐ剥がれて、とんだ鬼嫁、鬼婆になった。だから坊主は嫁選びは慎重にしろよ、って爺さんはよく愚痴をこぼしてたよ。まあ、何だかんだで夫婦仲は良かったんだけどな」
「ふーん。子育て中の女――母親ほどおっかないもんはねえからな。ま、家庭ってのは、妻が夫を尻に敷いてるぐらいが上手くいくってことかねえ」
この中では一番年若いバルデロは、昔話にして笑い飛ばせるほど古い過去を持たない。ゆえに、黙して野太い囁きに耳を傾け続けた。ばれずに屋敷を抜け出せそうだったら来ます、と胸を張っていたレミーユは未だ姿を現さない。
農民にすら弱小呼ばわりされているとはいえ、レミーユは立派な貴族の家の子息だ。当然、幾人もの使用人に囲まれて生活しているだろう。だからこの場に彼がいないのは、当たり前のことではあった。
「それにしても、やっぱこっちにもそんな祭りがあるんだな。俺たちの故郷にも似たような祭りがあったから、少し懐かしくなっちまった」
「そういや、お前たちの故郷って……?」
「名目上は王太子妃様の領地の、それもかなり北の方だな。あそこらへんは女でも領主として土地を相続できるから」
「お前たちはそんなに遠くから来てたのか。道理で最初は言葉が通じなかったはずだ」
現在はルオーゼ王国という一つの国に纏められている大陸中部北東であるが、百年以上遡れば、七つの部族国家が乱立する渾沌の地であった。
現在は、七王国を統一し新たな世を築いた部族の言葉が、宮廷語および共通語とされている。けれども地方ではそれぞれ滅亡し、あるいは併呑された部族の言語が方言として残っていた。むろん、平民が日常会話に用いるのは方言である。だから故郷を離れて間もない父たちと、この村の民が意思疎通など、できるはずがなかったのである。
父たちの故郷は、船に乗って海の東に去って行ったと伝えられる、幻の民の末裔が多く残る村であった。ゆえに父たちの村とこの村の言葉は、方言では片付けられないほどかけ離れていたのである。だからこそ父たちは、内乱後の荒んだ人心も相まってこの村に流れ着く道中で散々迫害され、結果的に山賊にならざるを得なかったのだ。
記憶にはない昔を想い、女盗賊は珍しく神妙な顔をする。しかし、しんみりとした雰囲気をぶち壊す馬鹿丸出しの声を捉えた瞬間、その表情は綺麗さっぱり消し飛んだ。
「バルデロさーん! 皆さーん! 待ってましたかー!? 僕、来ましたよーっ!」
背後に幻の花を散らしながら駆け寄って来た少年は、懐から出した袋から何かを取り出す。
「皆さんお腹が減っているでしょうから、厨房からこっそり持ってきたんです」
辺鄙な村の農民では生涯味わえぬと断言してもよい、貴重な香辛料が使われた干し肉は美味だった。
一回目の見張りは、皆で干し肉をしゃぶっている間に終わった。二回目と三回目も。だが、四回目は違った。
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