女盗賊、誤解される Ⅱ

「はあっ!? どういうことなんだよ!」

 事の成り行きが全く分からないバルデロは声を荒げる。それでも農民たちの双眸には、怒りの炎が宿ったままだった。

「はああぁぁっ!? どういうことだなんて、よくすっとぼけられたままでいられたもんだな!」

 ある者は鎌を。ある者は鍬を。またある者は斧を構えた男達に囲まれていては、流石にバルデロ達の方が分が悪い。相手が素人とはいえ、休息の時間に入っていた部下たちは、武器を持っていないのだから。

「お頭、何とか言ってやってくださいよぉ!」

 子分たちは唯一腰に獲物を下げたバルデロの背に隠れ、髭面には似合わぬ潤んだ目と声で懇願してくる。

「俺たち最近、夜はずっとレミーユに借りた賽子で遊んでたじゃないですか。だから、家畜を盗んだりなんてしてませんって!」

「だいたい俺たちはこいつらとは、村を襲わない代わりに上納品を貰う約束してるじゃないですか。なのにその上盗みを働くなんて。悪魔じゃないんだから、そんな非道なこと絶対にしませんよ!」

 数十年前の内乱の後始末を付けるため、即位したてだった現王が率いた討伐軍。その恐怖の手から逃れるために――なお、内乱の際に現王の異母弟を支持していたとある領主の一族は、見せしめのために女児一人を残して根絶やしにされた。その独り残された娘が王太子妃である――故郷と生業を捨ててきたとはいえ、亡き父も子分たちも元々は農民だった。だからバルデロは、農民の苦しみや、生活の苦しさが理解できる。

 農民にとっての家畜とは、財産であり命綱だ。食糧になるだけでなく、牛ならば人間では力及ばぬ頑固な土地を耕し、山羊や羊ならば温かな毛を齎してくれる。蹄が分かれた動物とは異なり雑食性の豚は、地域の掃除屋としても役に立つ。何より豚は、並みはずれた繁殖力で耕人を支えてきた。

 バルデロを出産してすぐ死亡した母の代わりに、父が語ってくれたお伽噺に登場する、無限に食糧を生み出す大釜。それが農民にとっての家畜であり、そんな家畜を無分別に奪ってしまったらどうなるか。――農民たちは、困窮して死んでいくしかないのである。

「こっちには、んなヘタな言い訳なんて聞いてる暇はねえんだよ! もう今月だけで、羊が八匹もいなくなってるんだ! 狼が侵入してきた痕跡はなかったから、お前たちの仕業に決まってる!」

 だから、家畜が次々に失踪するという現状に、農民たちは不安を覚えずにはいられないだろう。普段は刈り取った麦や干し草を集めるために使う、巨大な肉叉ピッチフォークを振り回したくもなるだろう。だがバルデロ達も、黙って濡れ衣を着せられたままではいられない。

「てめえらの事情はよく分かった。でもそれでも、俺たちはやってねえんだよ! そんな自殺行為、頼まれたってしねえよ!」

 冷酷非情と名高い現王の統治の下、ルオーゼ王国は政情不安定な南方の国々から降りかかる火の粉は巧みに回避しつつ、大陸東部北方の公国と正式な国交を初めた。つまり王国は、今まさに黄金時代に突入しようとしているのである。

 諸部族を纏め上げ、また膝下に収めた部族の反乱の芽を摘むための戦に、生涯の少なからぬ時間を費やした初代王。どんな美食や美姫よりも、戦場で飛び交う絶叫と血飛沫を好んだという、戦狂いの二代王。特筆すべき業績がない三代王の治世とは異なり、現王は即位当初を除いては概ね平和路線を貫いてきた。

 現王には、身分など無いに等しい罪人の腹から生まれた王太子しか子がない。その王太子を次代の王とすることに反対した朝臣が、後日無残な姿で発見されていても。また、城下では密やかに「陛下のご不興を買えば、明日には首と胴体が仲違いさせられる」と噂されていても、現王は民にとっては良い支配者なのだ。その偉大な支配者が、己の王国のあちこちに跋扈する不穏分子――盗賊を見逃すはずがない。

 王太子が十五の歳を迎え、父たる王から共同統治者に指名される以前から、各地の盗賊は王国軍によって追い詰められ、徐々に数を減らしつつあった。だからこそバルデロの父も、里人との緩やかな共存とも妥協ともとれる道を選んだのである。

 だのにその父の子であるバルデロが、どうして部下たちに村人の家畜を盗ませようか。そんなことをすれば、バルデロたちは近隣の農民たちの反感を買い、この森から追い出されるに決まっているのに。いや、追い出されるだけならまだいいが、もしも……。

「お前ら、まさか、都から、」

「――おうよ! お前らの想像通りだ!」

 最悪の可能性が頭に過り、盗賊団の面々はよく日に灼けた頬を蒼ざめさせる。あからさまに狼狽えた様子に、村人の代表たる青年は誇らしげに腕を組んだ。

「今まで、お前らみたいのを頼りにしてたのが間違いだったんだ! 盗賊なんて、狼みたいなもんだ。それに引きかえ、都の騎士様は腕はたつし、顔は昔話に出て来る太陽の神様みたいに綺麗だし、お月さまみてえに輝く白銀の鎧を着て、かっこいい黒い馬に乗ってるらしいからな。お前らよりよっぽど頼りになるし、見栄えもすらあ」

 ところでこの王国においては基本的に、騎士とは受け継ぐべき領地を持たない、貴族の次男や三男坊がなるものである。騎士たちは家業を継げず、やむをえず武の道を志したのだ。そんな騎士たちに、白銀の鎧を纏い、見事な黒駒を乗りこなすだけの余裕があるだろうか。答えは否である。

「俺のおっかさんが言ってたよ。昔この近辺に訪れた騎士様は、純金を紡いだみたいな金色の髪の、そりゃあいい男だったって。お前らとは、比べたら天と地ほどの差があらあな!」

 農民たちは何が面白いのかげらげらと笑っているが、バルデロには一つだけ「白銀の鎧を纏い黒駒に跨った、太陽神のように麗しい金髪の男」に心当たりがあった。

 王冠よりも輝かしいと噂される金色の髪の現国王は、彼自身がまだ王太子だった頃、北方で起きた反乱を鎮めるべく、将として都を発った。その進軍経路は、この領地を丁度通るのである。

 今もなお絶世の美男子と讃えられる現国王だ。彼の美貌は、さぞや娘たちを騒がせただろう。娘たちの心を騒がせるついでに、古くから歌い継がれてきた武勲詩の英雄と結びついて、この一帯に新たなる伝承が生まれていてもおかしくはなかった。即ち、都からやって来た凛々しく美しく高潔な騎士の英雄譚が。だがそれはあくまで煌びやかに飾り立てられた夢想であって、現実ではないのである。だから、農民たちの目を覚まさせてやらなくてはならない。

「……あのなあ、お前ら」

 眩暈をこらえつつ、女盗賊は噛みしめていた唇から重苦しい息を吐き出す。

「ああ、なんだよ?」

「……確かに都の騎士は、腕はたつかもしれねえ。だけど、謝礼金がバカにならねえし、村の娘たちに手を出されるかもしれねえだろ? それは嫌だからって、俺たちに村の警護を頼んできたのはお前たちの方だったよな? “うちの領主様は奥方様の尻に敷かれっぱなしの骨なし弱小貴族で、あてにならないから”って」

 すると農民たちのある者は目を見開き、またある者は緩んだ手から大切な農具が滑り落ちたことも気づかず、その場に立ち尽くした。

「だいたいお前ら、このことについて領主の許可は取ったのか? 流石に、自分に相談の一つもされないまま、自分の頭を飛び越えて都から人がやってきたら、領主もいい気分じゃいられねえだろ」

「……!」

 遠い都から騎士を呼ぶなどという一大事が起きれば、一応は跡取りであるレミーユの耳に入らないはずがない。だがレミーユは呑気に賽子遊びに精を出すばかりで、この件については一言も触れていなかった。だからもしやと思ったら、図星だったらしい。

「おい、どうする? 今から馬を飛ばせば、トトに追いつくか? でも、トトが出発したのは十日も前だし、村一の馬はトトが乗っていったからな……」

「それに、うちのへっぽこ領主様はともかく、奥方様は怒らせたらおっかねえしなあ。なんせ奥方様は昔、若様を懐妊してる時に、出来心で下女に手を出した領主様に全治一か月の重傷を負わせたそうだし」

「それに、奥方様はへっぽこ領主の旦那よりもずっといい家の生まれで、お城のお偉いさんとも繋がりを持ってるらしいからなあ。怒らせない方がいいよなあ」

「んだ、んだ。奥方様は敵に回しちゃなんねえ」

 うかつにもバルデロたちに背を向け、輪になって相談しだした農民たちの意見は、やがて一つになった。

「早とちりして済まなかった」

 こんなにも領民たちに恐れられるレミーユの母親とは、一体どんな女なのだろう。可愛らしい息子とは似ても似つかない、熊のような女なのだろうか。それが、少し気になった。

「この件はきっと、他の盗賊団の仕業だろう。だから――」

 少し明後日の方向を見ていたバルデロの前で、農民たちは勢いよく武器を捨て、頭を下げる。

「どうかお願いだ! 俺たちと一緒に、羊泥棒を捕まえてくれ!」

「……分かった。お前らの死活問題は俺たちの明日にも関わる。それに、遊びにかまけて警護をサボってた負い目もあるし、縄張りを荒らされたままではいられねえからな」

 農民たちの代わり身の素早さに呆れながらも、女盗賊は差し出された手を取る。すると農民代表の青年は、がばりと身を寄せてきた。

「ついでに、このことを若様に上手くとりなしてくれないか! 俺たちも今からトトを追いかけるけど、もしも間に合わなくて今回の件が若様のお耳に入ったら――」

 押しの強さと鼻息の勢いに負け、反射的に頷いてしまったバルデロだが、早速その約束を果たす時がやって来た。別に来なくても良かったのに。

「――ちょっと! さっきから話の邪魔をするのは悪いと思って黙ってましたけど、僕のバルデロさんになんてことするんですか! 父上のことを玉なしの節操なしって馬鹿にするのは、本当のことだから構いません。だけど、僕のバルデロさんに手だしするのは許せませんよ!」

「いや、まず俺はお前のものじゃねえし。こいつら骨なしまでしか言ってねえし。お前の父親が玉無しだったらお前は生まれてねえし。とにかく色々突っ込みが追い付かねえし」

 珍しく嫋やかな孤を描く眉を吊り上げたレミーユは、バルデロの突っ込みをまるっと無視し、ふわりと花のごとく微笑んだ。

「とにかく、話は最初から最後まで全部聞かせてもらいました」

「お、おう。説明の手間が省けて助からあ」

「領主とは領民を守る責務を負う者。玉なし節操なし考えなしの父上に代わって、跡継ぎたる僕も皆さんと共に戦いたい所存です。いざ往かん、戦場に!」

 レミーユが拳を振り上げれば、熱狂した農民たちと、バルデロを除く盗賊団の面々も彼に続く。

「“戦場”って。いくら何でも喩えが大げさすぎるだろ……」

 独り遠い目をした女盗賊のぼやきは、森の静寂に虚しく呑まれていった。

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