女盗賊、誤解される Ⅰ

「――っしゃあ! 今度はどうだ!?」

 脇から茸が生えた切り株に、木製の物体が投げつけられる。二、三度転がって止まったそれは、角が円みを帯びているものの、自然にはあるまじき整いすぎた六面体だった。その上、各面にはそれぞれ一つから六つの丸が彫り込まれている。つまり賽子さいころだ。

 かつて大陸一の版図と爛熟した文化を誇りながらも、時と運命の流れには逆らえずに凋落してしまった大帝国。その歴史書にも存在が記されている遊具は、神意を計るためにも、単純な娯楽のためにも用いられていた。

「残念! 今度も僕の勝ちです!」

「――くっそ。やっぱ、レミーユには何度挑んでも勝てねえなあ」

「あーあ。またレミーユが先に上がったよ。……それにしてもお前、どうしてこんなにデカイ目ばっかり出せるんだ? もしかして、インチキとかやってないよな?」

 唯一神教が南方より伝来し、宿木やどりぎを聖樹と崇める祭司たちが消え去って久しい現在。辺鄙な森の奥で神事が行われるはずもないから、むさ苦しい中年が柄にもなくきゃあきゃあと騒いでいるのは、無論賭け事である。もっとも、酒が入っている時に金を賭けたら暴力沙汰になりかねないという理由で、取引されているのは果実や菓子なのだが。

「ふふ、それはどうでしょうねえ。なんてったって、年季が違いますから、もしかしたら、皆さんにばれないように、何かこっそりやってるかもしれませんよ?」

 レミーユは朝露に洗われた桜桃を連想させる唇を悪戯っぽく尖らせたが、彼はいかさまに手を出す人間ではない。それは、この場の全員が承知していた。

「教えてくれよお。お前の秘密ってヤツをよぉ」

「だーめ。秘密です」

「んなケチなこと言わずにさぁ」

「駄目と言ったら駄目です」

「俺とお前の仲じゃねえか。なー、頼むよレミーユ。この可哀そうなオッサンを、一回でいいから勝たせてくれよぉ」

 つまり、髭もじゃの強面には似合わない猫なで声の懇願も、それに応えるつれない声も冗談なのである。その証拠に、じゃれあいを見守る盗賊団の面々は、いずれも微笑ましく緩んでいた。この盗賊団の頭であるバルデロの、引き攣った面を除いては。


 ひょんな出来事を切っ掛けに、呼んでもいないし、というか来るなと言っているのに、バルデロ達の根城に訪れるようになった、美少女にしか見えない少年。ここら一体の領主の一人息子でもあるレミーユは、ある日ふと懐に収めた革袋から、奇妙な物体を取り出した。少し暇だからこれで遊びませんか、と。

 自分たちの皮が厚い、傷だらけの手とは同じものとは思えない、白く小さな手。その上に乗せられた四角を何のために用いるか、バルデロは知らなかった。この盗賊団の頭であるが、一番若いバルデロだけでなく、亡き父と同じくらいに齢を重ねた手下たちも。

 父たちは元々は、ヴェジー子爵領よりも更に北の地の農民だったらしい。だから、都市部ではそれこそルオーゼ建国以前から続けられていたという遊戯を知らなくても、不思議はない。

 約二十五年前の、現王とその庶出の弟の玉座を巡る内乱のために故郷を離れ、生きるために山賊になった男たち。父や手下たちの若かりし頃は、全くの不遇であった。だからこそ彼らは、失った青春の楽しみを少しでも取り戻そうと、自分の半分も生きていない少年に教えられた娯楽にのめり込んでいったのかもしれない。

 交互に賽子を振り、出た目に従って駒を進め、早く上がった方が勝ちという盤上遊戯は確かに楽しそうではあった。もっとも、ここでの駒はそこらに転がっていた石ころで、盤は地面に書いた升目なのだが。

「くそっ! 俺の干し葡萄入りの焼き菓子が!」

 いい年したオッサンどもが、悔し涙を浮かべながら干し果物や麺麭の欠片を眺める。その様は、事情を把握していても滑稽としか評しようがなかった。

 なお、涙と涎を零した中年共に注視されながら可愛らしい口元に消えていった甘味は、元々はレミーユが持参してきたおやつである。部下たちは、レミーユが齎す文明に触れてから、あからさまに腑抜けてきていた。まるで、飼いならされ野性を失った犬のようである。情けない。

「ねー、お頭ぁ。今日こそレミーユと対戦して、俺たちの仇を討ってくださいよぉ」

「仇って……。あいつが持ってきた菓子が、あいつの腹に納まっただけだろうが。それのどこに問題があるんだよ」

 くねくねと動く部下たちの、何故だかいつもよりも円らに見える瞳の輝きは、バルデロの神経を絶妙に逆撫でした。

「でもおぉ、こうも負けっぱなしだとぉ、悔しいじゃないですかぁ」

 無意味に伸ばされた語尾も。

「負けたのはお前たちであって、俺じゃねえしなあ」

 今ではレミーユの愛馬の嘶きを耳にするだけで、期待に満ち溢れた目をして、今日のおやつは何だろうかと囁き合うようになった部下たち。骨がない手下どもとは異なり、バルデロはレミーユの誘惑に屈するつもりはなかった。

 バルデロ達は盗賊だ。盗賊とは、欲しければ奪う者だ。だからこそ、たとえ自分一人でも誇りを失うまいと、森の中では手に入らない甘味に背を向けてきたのだが――

「ははーん、俺、閃きました。さてはお頭、レミーユに負けるのが嫌なんですね?」

「んだとコラ! 俺がこんなガキに負ける訳ねえだろうが!」

 わざとらしく煽られれたのだから、この勝負を受けない訳にはいかない。

「オラ、とっとと下がれ、お前たち。そして、俺の勇姿見て目ん玉ひっくり返せ!」

「バルデロさんが勝負してくださるなんて、嬉しいです! で、何を賭けますか? 僕は、バルデロさんの唇とかいいと――」

「おお! やってやろうじゃねえか!」

 部下たちの声援を背で浴びながら、満面の笑みを浮かべた少年と向かい合った時。バルデロは悟った。自分は、もしかして乗せられたのではないか、と。

 売り言葉に買い言葉で先ほど提示された条件を呑んだ瞬間、レミーユと部下たちは一瞬思わせぶりに目配せしあっていた。背後だからばれないとでも、高を括ったのだろう。部下たちの何人かは、手を叩きあって喜んでいると、気配で分かった。

 あいつら、後で絶対にぶん殴ってやる。決意と怒りも新たに、女盗賊は賽子を投げる。

「――やった! 六が出たぞ!」

 結果に気を良くしたバルデロは、記憶にある限りでは初めて美少女然とした少年に笑いかけた。

「次はお前だ!」

 髪を伸ばしているものの、一回どころか十回、百回、いや千回眺めても、女と気づくのは不可能な、逆にこれを女と認識したほうがおかしい容姿のバルデロ。その女らしさもへったくれもない見目において、唯一美しいと称せなくもない、瑠璃色の隻眼はきらきらと輝いた。

「ああっ!」 

 初めてのバルデロの笑顔に手元が狂ったのか。それまで賽子を巧みに操って来たレミーユは、この日どころかこれまでの勝負で初めて「一」を出す。無様な結果に動揺したのか、少年の成績はその後も振るわなかった。

「へっへ。お前のツキもこれまでだったようだな」

「……いいえ、勝負はこれからです」

「どうだかねえ。あ、言っとくけどお前、負けたらもうここに来るんじゃねえぞ。お前が来ると手下どもが動こうとしねえで、稼ぎが減っちまうからな」

「そんなあ……」

 これが女とはにわかには信じがたい盗賊は得意になって、とっておきの酒を一杯呷る。だが、かさついた唇の運命を握る遊具がバルデロの意に従っていたのはそれまでだった。

「やはり神様は僕に味方してくれているようですね。長年、どんなにお祈りしても女の子にモテさせてくれないことを恨みながらも、真面目に教会に通っていた甲斐がありました」

 白露に濡れた長い睫毛を瞬かせ、にっこりと微笑んだ少年は、しなやかな指で自分の駒――もとい、ただの白っぽくて丸い石を動かす。これで、バルデロの黒くて尖った石は、完全に追い抜かれてしまった。だが、結果はまだ分からない。バルデロが次に五か六を出せば、この勝負の勝者はバルデロとなるのだから。

 掌中の小さな木製の玩具を砕かんばかりに拳を握った盗賊は、堅い木にめり込まなかったのが不思議なぐらいの力で賽を投げる。勢いよく転がった六面体は、切り株の縁から半分以上身体をせり出した格好で静止した。丸が六つ彫り込まれた面を上にして。

「おおっ!」

 しかし、これで勝ったと舞い上がって、大声を出したのがいけなかった。

「お、おお!?」

 固唾を呑んで行方を見守る盗賊団とお坊ちゃんの前で、均衡を崩した立方体はぐらぐらと傾いだ挙句、切り株から転がり落ちて――

「おぉぉぉぉぉおっ!? ……おおぉ?」

 緑と茶の斑の絨毯に受け止められ、今度こそ停止した。「一」の面を上にして。手をついて項垂れる盗賊をよそに、勝ち誇ったような、しかしこの上なく幸せそうな笑みを浮かべた少年は賽を振る。

「やったー! 上がりです」

 少年は背後に幻の花を散らし、天使も蒼ざめそうな笑顔を湛えているが、無言で要求しているものは不純極まりない。

「――っ、俺はこんなん認めねえからな! あれは事故だ! あの時、賽子はほんとは六で止まるはずだったんだ! てめえらも見てたよな!?」

 この少年と自分が接吻する――にじり寄る生まれて初めての色事の気配に狼狽える女盗賊は、生ぬるい目をした部下たちに同意を求めた。潔くないと内心で自覚してはいるが、唇がかかっているのだから、ここで引き下がれるものか。

「それはそうですけど、でも結果的には一になりましたしねえ」

「まっ、ここは男らしく潔く諦めましょう? 一度した約束は守らなきゃですよ!」

 けれども薄情かつ賤しい部下たちは、あっさりと頭を売った。そんなに菓子が欲しかったのだろうか。

「てめえら、それでも俺の部下か!?」

「そりゃまあ、特に俺なんか、お頭がおっかさんの腹の中にいた頃からお頭を知ってますけど……」

「だったら俺に味方しろよ!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる盗賊団を、少年は穏やかな瞳で見守る。

「あ、そろそろおやつの時間だ」

 そうこうしているうちに、少年はいつものごとく腹時計で帰宅の頃合いを知った。栗毛の愛馬に跨がった領主の息子は、髭もじゃの手下の肩関節を固める女盗賊に手を振る。

「では、バルデロさん。また明日!」

「――おう。明日な、明日! 明日、もう一度勝負するぞ!」

 流石に八つも年下の子供相手にごねて勝負を無効にしたままでは、色々と気が咎める。なのでバルデロは、普段は飢えた野良犬にそうするようにしっしと追い払っていた少年と明日の約束した。

 だが、待ちに待った翌日。盗賊団の元に現れたのは、紅顔の美少女も顔色なからしめる美少年ではなかった。

「――いくら若様に気に入られてるからって、今日という今日こそ我慢ならねえ!」

 他の盗賊団の襲撃から守ってやっている見返りとして、定期的に肉と麺麭と乾酪その他の食糧を収めさせている近郊の農民。普段はバルデロ達に近づこうともしない彼らは、さび付いた農具を携えていて。

「おめえら、俺たちから盗んだ羊を一体どこにやった!? 生きてる分だけでもいいから、耳を揃えて返しやがれっ! じゃねえと、痛い目に遭わせるからな!」

 野良着を纏った連中の中では最も体格に恵まれた男の目の奥では、怒りと復讐の炎が燃えていた。

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