女盗賊、咆哮する Ⅱ

「や、やあ。今日もいい天気ですね、熊さん」

 バルデロは、できる限りにこやかに熊に語りかけた。こちらには敵意は無いのだと示すために。

「楢の樹の葉もよく茂ってるから、今年の団栗どんぐりはきっと豊作ですよ。楽しみですね。熊さん、団栗お好きでしょう?」

「……」

「あ、そういえば、もうすぐ杏や李が成る頃ですね。それに、桑の実も。俺、いい樹が生えてるとこ知ってるんですよ。特別にお教えしましょうか?」

「……あの、」

「あ、そうだ! 熊さんの好物といえば蜂蜜! 蜂蜜は花によって味わいが変わりますけど、熊さんはどの蜂蜜が一番お好きですか?」

 その時のバルデロは、命の危機を前にして、普段よりも余裕をなくしていたのだろう。父が教えてくれた鉄則――熊と向かい合う時は決して視線を逸らすな、を忘れ果てていたのだから。

「……あの。熊、もう、行きましたけれど、」

 なのに熊が去ってくれたのは、本当に幸運だった。

「――そういえばお前、こんなとこで、一人で何してたんだ!? 死ぬつもりだったのかよ!?」

 澄んではいるが少女にしては低めの声で囁かれて我に返ったバルデロは、まろみが足りない肩を容赦なく掴んだ。

「俺が偶然通りかかったから何とかなったけど、お前、あのままじゃぜってえあの熊に殺られてたんだぞ!」

「……ご、ごめんなさい」

「お前、一体何考えてこんな森の中に入り込んだんだ!? 俺に教えてみろ! 理由次第ではその可愛い顔張り倒すからな!」

 その時のバルデロの一つしかない眼の光は、刺殺さんばかりに研ぎ澄まされていたのだろう。少女は食うか食われるかだった先程よりも、背筋を震わせて唇を噛みしめた。

「だ、だって……。モテたかったから……」

「――はあ?」

 ややして囁かれた応えには、耳を疑わずにはいられなかった。これだけの美少女がモテないとはどういうことだ。この娘と同じ村の男の目は節穴なのか。それとも、この少女が可憐すぎるがゆえに、声を掛けることを躊躇っているのだろうか。

「どれだけ教会でお祈りしても、女の子に・・・・モテないから! だからもう、精霊の力に縋るしかないと思って。森の中には、精霊が眠る神秘の泉とかありそうだと閃いたから、春になるのを待ってここまで来たんです。でも、そしたら……」

「そういう伝承があるならともかく、何の根拠もない思い込みでここまでするなんて、お前すげえな! そこまでしてモテたかったのか!?」

「やだなあ。そんなに褒められると、照れてしまいます」

「どうしてさっきのやりとりで自分が褒められてると思った!? むしろ貶されて――いや、待て。待てよ……」

 こいつは、今さっき何と言った。女の子に・・・・モテたかったと言わなかったか。と、いうことは――鋼鉄筋肉胸のバルデロが指摘できたことはないが、そういえば目の前の人物は胸が無さ過ぎるし、並みの女よりはやや背が高い。

「まあとにかく、そしたら熊が来て、その次に貴女が来てくれたんです」

「確かにそうだけど、熊に言及する必要あったか?」

 推定少年は、バルデロの指摘をまるっと受け流して微笑んだ。

「……勇敢で美しい、僕の運命のひと

 ――僕は貴女に出会えたから、他の女性なんてもうどうでもいいです。

 美少女改め美少年は、霧にけぶる山並みのようで幻想的な灰緑の双眸で、一心にバルデロを注視している。確かにこの容貌ならば、大抵の女には遠巻きにされるだろう。隣に並ぶと、自分の存在が霞むどころか彼方に消え去ってしまいそうで。

 それに、この少年は、色々な意味でおかしいのかもしれない。筋肉で膨らんだ胸に、ばきばきに割れた腹筋。そして、並みの男を凌駕する長身の、近隣の他の盗賊団の輩には、男だと認識されている自分を女だと見破ったのがその証拠だ。逆に眼がおかしいとしか考えられない。

 バルデロの砂色の髪には艶もへったくれもない。肌はよく日に灼けて、髪よりも色濃くなったぐらいだ。ついでに、元から男並みに低い声は、酒焼けしてもっと低くなった。

 それにそもそもバルデロは亡き父に瓜二つの男顔の上に、額の左側から頬の半ばまでを刀傷が奔るという、別に気にしてはいないがお世辞にも魅力的とは言い難い容姿をしているのに。真っ当な感性の男なら、片目の、顔に傷がある女を美しいとは決して賛美しない。

「あー、そうか、そうか。まあ、その話は後でするとして、お前ちょっと俺の指の先の樹の天辺見てくれねえか?」

「はい、喜んで!」

 バルデロが雑な愛想笑いを浮かべると、少年はこの上なく幸福そうに微笑んだ。

「あそこに鳥が一羽留まってるだろ? その鳥の羽の色を言ってみろ」

「やだなあ、鳥なんてどこにもいないじゃないですか」

「……悪いのは目じゃなくて頭だったのか。しかも重症だ」

 ――どうやら俺は、熊よりも余程厄介なヤツに引っかかちまったらしい。

 一体どうしたものか。こいつは熊ではないから、全速力で走れば逃げ切れるだろうか。思案するバルデロの許に、計ったような頃合いで子分たちが集まって来た。

「どうしたんですか、バルデロ親分。さっきの“熊さーん”ていう、亡き前親分を思い出させるこっぱずかしい叫び声。まさかほんとに熊が……って、熊じゃなくて美少女がいる!」

 ご丁寧に声真似までした部下の鳩尾を、バルデロは拳で殴った。

「一体どうしたんですか!? こんな美少女、一体どこから攫ってきたんです!?」

「いや、こんな美少女が近所にいたら噂を聞かねえはずはないから……もしかしてこの美少女、熊が化けてたりします? そういえば、それっぽい髪の色してますし」

「いやいや、この美少女は熊じゃなくて森の妖精だよ。それで今日は、俺たちに洞窟に隠されたお宝の在り処を教えに来てくれたんだな、きっと」

 めいめい明後日の方向を向いた推理をする手下どもを黙らせたのは、美少女にしか見えない少年の歓声だった。

「あなたはバルデロとおっしゃるのですね、僕の愛しい人! とても素敵なお名前です!」

 背後に花を散らして佇む少年に、うっかり自分の名前を教えた部下の鳩尾に、バルデロは二回目の制裁をめり込ませた。

「僕の愛しい人ぉ? 親分、こいつと一体なにがあったんですか? ていうか、こいつ一体誰なんで?」

 美少女の真実に気づいたのだろう。胡乱な目をし始めたむさ苦しい輩の前で、一見美少女はバルデロの手を握り締めた。

「これはこれは……。僕としたことがうっかりしておりました。将来を誓い合った方に、自分の名前も伝えていないなんて」

「いや、誓ってねえけど!? 俺にはお前と将来を誓い合った覚えなんて、これっぽっちもねえけど!?」

「僕は、レミーユ・スィ・ヴェジー」

 この土地で暮らす者としてあり過ぎるぐらいに聞き覚えがある家名に、やんやと騒ぎ立てていた部下たちも黙り込む。

「かつて我がヴェジー子爵家が代々騎士としてお仕えしたネルウィック王家の方々は、偉大なるルオーゼ王国初代国王陛下のお妃となられた王女殿下を除いて、炎の中に消えました。しかしそれ以降は我が家は、王女殿下の裔でもある代々の国王陛下の家臣となる誓いを立てた。僕は、いずれ父から国王陛下の忠実なるしもべたる地位を受け継ぐ身なのです」

 いかにもお貴族様らしく長ったらしい口上だったが、要するにレミーユと名乗った少年は、領主の跡取り息子なのだ。そういえば彼は、平民が纏うにしては上質すぎる仕立ての服を着ているし、腰には剣まで下げている。可憐すぎる顔と頭のぶっ飛び具合にばかり注意が行っていて、中々気づかなかったが。

「はっ、はあぁぁぁぁぁーっ!?」

 ――おいおい。こんな頭ぱーちくりんが次期領主なんて、大丈夫なのかよ?

 根城にしている領地の未来を憂えてバルデロの目の前は暗くなったが、それでもなおレミーユの笑顔は眩かった。眩すぎるぐらいに。

「これからよろしくお願いいたしますね、僕の愛しい人とそのお仲間さんたち! まずは、手始めに僕の両親に挨拶に来ていただけませんか?」

「いや、行かねえよ!?」

「そんな遠慮なさらずに。僕の家の料理人はみんな腕が良くて、特におやつの時間に出て来る焼き林檎と、蜂蜜をかけた焼き菓子は絶品なんですよ?」

 油断した隙にバルデロの上腕二頭筋が見事に盛り上がった腕に、少年は自分の細くしなやかな腕を絡めていた。本当に油断ならない。

「熊じゃあるまいし、盗賊が林檎と蜂蜜なんぞに釣られるか!」

 細腕をべしりと振り払うと、少年はしゅんと項垂れたが、それも一瞬だけだった。

「だったら、父上の秘蔵の葡萄酒なんかどうですか?」

「あー、それだったら……なんてついて行くとでも本気で思ったのか!?」

「葡萄酒、か……。んな上等な酒、随分飲んでねえから、久しぶりにぐいっといくのも悪くねえな」

「お前もお前で、勝手に釣られるな」

 レミーユの後ろにふらふらとついて行こうとした手下の一人の頬を、もぎ取らんばかりの力で引っ張り、どうにかこちらに引き留める。

「あ、もうすぐおやつの時間だ。おやつの時間までに戻らないと母上が心配するので、僕そろそろ屋敷に帰りますね」

 ややして、こいつに領民の未来を任せると考えるといささかどころではない不安を覚える領主の息子は、諦めて去っていった。

「では、また来ますね、バルデロさん! 皆さん!」

 と、ほっと鋼鉄の胸板をなで下ろしたが、その喜びもすぐに無駄になってしまった。

「――二度と来んな!」

「もう! そんなに照れなくてもいいじゃないですか!」

 ……結局、次からは熊に襲われていても助けないだの、この山には他の盗賊団も出るだの脅しても、レミーユは諦めなかった。認めたくはないが、これが愛の力だとしたら、愛とは実に偉大である。自分に向けられてさえいなければ、バルデロも素直にそう称賛できただろう。


「ごちそうさまでした! そろそろおやつの時間なので、帰りますね。では、また明日!」

「だから、二度と来んなって毎回言ってんだろ!」

「おう! 酒、よろしくな!」

 わなわなと拳を握りしめるバルデロの横で、手下どもは元から締まりのない顔を更に緩め、馬に乗ったレミーユに手を振っていた。配下たちは、レミーユが差し入れる贅沢品に、すっかり骨を抜かれてしまったのだ。

「愛してます、バルベロさん!」

 木霊する熱烈な告白に、森の獣たちは驚いて飛び上がり、女盗賊は項垂れる。今日も今日とて、全く話が通じなかった。

「お頭。親父さんは生前、人生諦めが肝心って言ってましたよ」

 慰めているつもりなのかどうかは分からないが、バルデロの肩にぽんと手を置いた手下は、無意味に爽やかな顔をしている。

「うるせえぇぇぇぇ!」

 木霊する女盗賊の怒りは森の獣たちを再び飛び上がらせ、鳥たちを羽ばたかせた。

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