女盗賊とお坊ちゃん

田所米子

女盗賊、咆哮する Ⅰ

「やっぱり、猪は最高っすね」

 髭面が一つがははと緩めば、焚火を囲む他の顔も釣られて緩む。

「手早く血抜きされて、下処理されてるから臭みもないし。特に脂なんか、口の中で蕩けていきますよね」

 むさ苦しい面々に囲まれ一際異彩を放つ人物もまた、ふっくらと瑞々しい桃色の唇をほころばせた。

「なんたって、俺が朝から火の前につきっきりで煮込んだんだからな。俺の料理の腕に感謝しろ! 俺に感謝しながらたんと食え!」

 猪の毛さながらの剛毛を生やした腕が、華奢な背をばんばんと叩く。

「わっ、ありがとうございます!」

 透き通るような白磁の頬に火影を受けた異分子は、猪肉と野草が溢れんばかりに盛られた木の椀を受け取った。艶やかな深い茶色の髪の一筋が、汁に浸かっていることを気にも留めずに。

「でも、こんなに頂いていいんですか? 皆さんの分が足りなくなるんじゃないんですか?」

 ぱっちりと大きな瞳で男どもを見上げる仕草は、下手な女がすれば「あざとい」との嘲りを免れなかっただろう。だが当該の人物は、そのような形容詞とは無縁だった。

「いいってことよ。俺たちゃお前が持ってきてくれる酒がありゃ十分だし、それにお前は今成長期だからな。今食えるだけ食っておかねえと、一生ひょろっこいままだぞ」

「そうですね。では、頂きます」

「お頭みたいになれ、お頭に! 見ろよ、あの逞しい胸板に、丸太みたいな腕。それ以上に逞しい太腿。男の俺たちでもほれぼれすらあ!」

「そりゃ、バルデロさんは女性ですからね。胸部の厚みで皆さんに勝っているのは当然だと思いますよ」

 なぜなら、目と頬を輝かせて煮物を掻きこむ人物の表情や仕草は、頬を膨らませた栗鼠さながらに愛くるしかったから。何より細やかに波打つ長い髪に囲まれた小さな顔もまた、実年齢を考えればいささか幼くもある所作に違和感を覚えさせないほど、可憐だったから。だがそれにしても手下たちは、なぜ何度言ってもこいつを一団の輪の中に抵抗なく入れるのだろう。

「美味しかったですね、皆さん」

 華やかではあるが、大輪の影に鋭い棘を潜ませた薔薇の険とは無縁の、雛菊や鈴蘭を彷彿とさせる純粋な笑みはただただ愛らしい。

 現王の治世でめでたく建国百年の弥栄いやさかを迎えたルオーゼ王国。この地はその王都からはどんなに馬を急がせても十日はかかろう。とどのつまりは田舎に埋没させるには惜しい花の顔は、女性らしい丸みには欠けるが華奢で儚げな肢体も相まって、妖精のようでもある。

 現国王が筋金入りの巨乳好きでなければ。もしくは、いずれ玉座を受け継ぐ国王の一粒種たる王太子が、六歳年上の妃を熱愛する年上好きでなければ。

「またこうやって酒盛りしてえなあ。次は、兎とかいいんじゃねえか?」

「いいですねえ。そしたら僕、今度は麺麭パン乾酪チーズも持ってきますよ。うちの厨房で一番上等なやつを、こっそり」

「おー、そりゃいいな。期待してるから、早く持って来いよ」

 もひとつおまけに、縄張り争いの真っ最中の熊のごとく「もっとメシを食え」だの喚きたてるオッサンに囲まれた少年が、生まれる性別を間違えてさえいなければ。煌びやかに着飾った使者に招かれ、王城に迎えられてもおかしくはない美貌であった。 

 並み大抵の少女は顔色なからしめる少年は、領主の権力も及ばない深い森の中で、付近を根城にしている盗賊団に混じって談笑するには違和感がありすぎる。おっとりと気品溢れる所作といい、身に纏う衣服の質といい、近くの樹に繋いだ愛馬の毛並みといい。それもそうだろう。レミーユは、弱小貴族とはいえこの領地の主ヴェジー子爵の一人息子なのだから。

「いやあのな、お前ら。期待してるもなにも、俺ら盗賊だろ? 盗賊なら奪えよ! ガキに催促するんじゃなくて、奪えよ! なあ!?」

「あ、そうだ。ついでに、父上の秘蔵のお酒も持ってきますね。あとは、何があればいいかな……」

「そうだな。実を言うと、前にぶん捕ったのがもう尽きかけてるから、塩をちょっくら工面してもらえるとありがてえんだが……」

「塩ですね。分かりました。そういえば、この間いい岩塩を仕入れたって料理人が言ってたので、分けてもらいます」

 野太い雄叫びを華麗に受け流した未来の領主と盗賊の手下たちは、仲よく料理談義に花を咲かせる。その様子を少し離れた所から見ていると、毎度のことながら眩暈めまいがしてきた。どうしてこいつらは、揃いも揃ってバルデロの言うことを聞かないのだろう。

「そうだ! バルデロさんは干し葡萄入りと干し無花果いちじく入り、どっちの麺麭がお好きですか?」

 背後に鬱蒼とした森の中には咲いていないはずの花々を舞わせた、見た目は美少女が微笑む。すると、父を喪う原因ともなった、三年前の盗賊団同士の小競り合いで刃を受けた左目の視力も回復しそうだった。

「ばっかレミーユ。お頭はな、麺麭は胡桃入りのやつが好きなんだぞ。干した果物が入った麺麭は、甘すぎるからあんまし好きじゃねえんだ」

「えっ、ほんとですか? 母上もそうだけど、女性はみんな甘い物が好きなんだとばかり思ってました。でも、僕も胡桃が入った麺麭好きだから嬉しいです。これってやっぱり――」

「運命なワケあるか! 麺麭の好みが一緒だった程度で運命感じてたら、世の中運命の恋人で溢れかえってるだろ! だけど現実はこの通りだ!」

「僕は最後まで言ってないのに、僕が言おうとしたことをぴったり当てるなんて……。僕たちはやっぱり運命の恋人同士だったんだ……」

 少年は、質素な木の椀を片手にはふはふ言っていた頃よりもっと、うっとりと赤くなった頬に手を当てる。その愛らしくはあるも、バルデロの発言を一つも聞いていないのは確実な顔は、あの時とまるで同じだった。


 バルデロにとっての面倒の始まりを語るには、夏から春まで時を遡らせなければならない。

 積もりに積もった雪も融け消え、ねぐらから這い出た熊たちの止め糞がそここに散乱する季節。亡き父の教えを守り、森の中にいる時は常に手下たちと一緒に。どうしても単独行動をしなければならない時は、盗んで煮込んだ山羊の首に付いていた鈴を振り回していたバルデロは、妙な物音を聞きつけた。眼帯に隠されていない右目は、大きな岩の側に、まだ新しい熊の足跡を見つけ出す。

 熊の足は、成獣ならば長さ自体は人間のそれと大して変わらないものの、見る者が見ればすぐに分かる。加えて、先ほどから聞こえてくる、ぱきぽきと小枝が折れる音。これらの情報から察するに、近くに熊がいると考えて間違いないだろう。だが、警戒はともかく、必要以上に恐れて取り乱す必要はない。それは、これまでの経験から分かっていた。

 里人の想像とは異なり、個体差はあるものの、熊は本来おとなしくて臆病な動物だ。熊は人間を恐れているから、人間の気配を感じればあちらから逃げるのがほとんどだった。

 例外があるとすれば、幼い仔を守ろうとした母熊か、安全圏まで逃げ帰ることもできないぐらい追い詰められた熊。そして、一度人間の味と、これまで恐れていた人間という生物が思ったよりも脆弱であると知った熊ぐらいのものである。

 熊は習性として逃げる者を追ってくるから、その点だけ気を付けていればなんとかなる。しかし熊は、鼻はいいが、視力に恵まれているとは言い難い動物だ。それに、用心深い一方で案外抜けた側面もあって、食事に熱中するあまり、人間が接近してきても気づかないこともある。

「森の熊さーん! 森の熊さんがいるんですかー!? 近くにいるなら、返事をしてくださーい!」

 ゆえに、冬眠から覚めたばかりで腹を空かせているだろう熊には、自分から存在を教えてやらなければならない。恥ずかしさを抑えて亡き父から教わった文句を叫んだバルデロは、返事が帰ってきたら大事だけどなと、いつも頭をよぎる雑感にぼんやりと耽った。

「こ、ここにいます! 森の熊さんじゃないけど、ここにいます!」

 だから、か細く震える声が返事をしてきた時は、流石に驚いた。この森は、村娘が木苺摘みに訪れるには深すぎる。

「お願いします! 助けて! 助けてください!」

 熊とはまた異なる、心霊の領域に属する恐怖に駆られた足は、一瞬仲間たちが待つ大樹の影へと戻りかけた。だが数多の修羅場をくぐり抜けた肝っ玉が、バルデロを幽かな声の許に向かわせたのである。

 絡み合った藪の向こうには、小山のように大きな熊に威圧され震える美少女がいた。

「あ、あ……」

 細やかに波打つ焦げ茶色の髪を幅広の飾紐リボンで一つに結んだ少女の唇は、木苺のごとく潤んでいて。染み一つない肌理細やかな肌は、現在の状況も相まって、まさしく新雪のごとく白く透き通っていた。

 山歩きをするためだろうか。ひらひらとしたスカートではなく脚衣ズボンを穿いた少女は、バルデロの姿を認めるやいなや、大粒の涙を零しながらも立ち上がった。そして、こちらに近づいてこようとさえしたのである。

「――やめろ!」

 しかしバルデロは、哀れに震える少女を一喝した。

「熊に背中を見せるな! 背を見せたら食い殺されるぞ!」

 すると少女の土に汚れた脚は、ぴたりと止まった。この娘は案外度胸があるのかもしれない。

「こっちに来るなら後退りして来い!」

 現に、バルデロの指示通りに逃げてきたのがその証拠だ。並みの娘なら、腰が抜けて立ち上がることすらできなかっただろう。

「こ、怖かった……」

 どうにかバルデロの傍らまで辿りついた少女は、バルデロよりも頭一つ分は背が低かった。

 バルデロよりも一回り小さな身体でバルデロにしがみ付いた少女は、緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んで号泣する。だが、安心するのはまだ早かった。なんせ、熊はまだこの場を去っていないのだから。

 熊とバルデロたちの間は、概ね大の男を縦に三人並べたぐらい空いている。図体の割に機敏な脚を持つ熊にとっては、無いに等しい距離だ。走って逃げるにも、人間が熊の足に敵うはずはない。バルデロたちが助かるには、なんとしても平和的にこの熊に立ち去ってもらわねばならない。

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