女盗賊、覚悟する Ⅱ
鉄格子越しに見る牢屋の床には藁すら敷かれていなかった。両手を縛められた格好で中に放り込まれれば、身体を強かに打ち付けるのは当然である。それでもバルデロがどこも痛めなかったのは、
「ぐほぉっ! 親分の肘が、丁度鳩尾に……っ!」
「俺は爪先が股間にめり込み……っ!」
先に牢に入れられた部下たちが、
バルデロ一味全員が押し込められるには、この牢は狭すぎる。全員が収容されると、身動きするのもやっとだった。それでも、鏡のごとくぴかぴかと光る鎧を纏った王国軍の兵士たちは、こちらの様子など気にも留めない。
折角レミーユが危機を知らせてくれたのに、バルデロたちはレミーユと最後の別れを交わして五日の後には王太子の軍と接触、交戦していた。
あの日レミーユは、王太子が動くまではまだ時があると読んでいた。が、もしかしたら王太子の軍勢は、中北部の諸侯に文が宛てられるほぼ同時に都を発っていたのかもしれない。
「……すまねえな、お前たち」
「……親分」
いずれにせよ、バルデロは父から預かった手下たちの命を守り切れなかった。それでも手下たちは恨み言一つ零さない。逆に俺たちの頑張りが足りなかったから、と唇を噛みしめている者もいる。
だが、せいぜい十人余りの盗賊団が、千には届かずとも百はゆうに越える兵と、どうやって張り合うというのか。むしろ、最初に接触した日に逃げ切れただけでも奇跡なのだ。
バルデロたちは、早ければ明日にでも首に縄をかけられる。そうして息絶えても、屍は犯罪者用の墓所にすら埋葬されず、腐敗し、烏には啄まれ野犬には食いちぎられるに任されるのだ。亡骸から肉が落ち骨だけになり、その骨が地面に転がり落ちても、躯は約一命を除いては誰の祈りも捧げられまい。そうしてバルデロたちは、惨めに塵と成り果てるのだ。
様々な理由があったとはいえ、誰にも悼まれないような生き方をしてきたのは、他ならぬ自分たちだ。だから、涙など流せるはずがない。手下たちをも死なせてしまうこと以外は、口惜しく思うこともない。ただ、一つだけ心残りがあった。
レミーユは、あの馬鹿は、バルデロたちが死んだからといって、世を儚んで聖院に入ったりしないだろうか。バルデロ以外の女とは結婚しないなどと寝言をぬかして、母親を困らせたりしないだろうか。
レミーユはヴェジー子爵夫妻のたった独りの子だ。その唯一の跡継ぎが子を作らなければ、この領地は王室に返還されてしまうだろう。元々この領地は、ルオーゼという国が成立する以前から、ヴェジー家が代々治めてきたのに。
古の七王国からルオーゼの前身となる国が台頭し、他の六王国を併呑していく最中。征服された国の領主たちは、新たな主に帰順する際、領地を新たな主から貸し与えられたという体裁を取って封土の維持を許されていた。
何百年もの間慣れ親しんできた領主一族ではなく、冷酷無比と名高い国王に直接支配されることになれば、領民たちも不安だろう。だがバルデロには、そんな未来が訪れるのかどうかを見極める時間など、残されてはいないのだ。
だから、筋肉胸を騒めかせる危惧は、全て無意味な愚考なのだ。だのになぜバルデロは、レミーユの将来ばかりを案じてしまうのだろう。その答えを、死ぬまでに出せるかは分からなかった。
◇
これが初めてとは信じられぬ、巧みにして鮮やかな指揮で王国中北部に巣食う盗賊を次々に捕らえた王太子は、ヴェジー子爵邸にて旅の疲れを癒すこととなった。
突然訪れた
派手ではないが、王太子の前に出ても失礼にはならない程度に華やかな衣服を纏い、貴婦人は王太子一行の到着を待つ。小作りな顔を強張らせる妻の横に並んだ領主もまた、普段よりも上質な衣服を纏っていた。領主夫妻同様飾り立てられた邸宅において違和感のないように、使用人たちもめいめいの一張羅を引っ張り出してきている。むろん、この領地の跡取りであるレミーユも。
だが、王族の逗留というもう二度と起こらないだろう大事件を前にしても、地獄の底の底の底の底のまた底まで沈んだ気分は盛り上がらなかった。
もうすぐバルデロたちが殺されてしまうというのに、どうして笑っていられるだろう。むしろ、自分が今こうして立っていられるのが不思議なぐらいだった。
「しばらく――と、言っても数日の間だけだが、そなたらには世話になる。よろしく頼むぞ」
白銀に煌めく鎧で武装し、白馬に跨って現れた王太子は、古い神話の太陽神と見紛うばかりの凛々しさだった。噂に聞く以上に見目麗しい青年の出現に、歓待の雰囲気を水増しすべく集められていた村娘たちは、次々に黄色い歓声を上げる。中には、感動のあまり失神してしまう者までいた。つまり王太子は、それぐらい美しい青年だったのだ。
単純に顔立ちが他より整っているという点では、レミーユも王太子と同じ枠に分類されるかもしれない。だが、いつまで経っても女と間違えられる自分とは全く違う、美しいが男とはっきり分かる顔立ちや、細身ながら確かな筋肉を備えた肢体は羨ましいの一言に尽きた。
レミーユに王太子の十分の一、二十分の一、いやそこまで贅沢は言わないから百分の一でも男としての魅力があれば。さすれば、あの盗賊に誘拐されることもなかっただろう。
王太子のやや癖がある髪の色は、レミーユの焦げ茶色よりももっと濃い、この国の主流たるルースの民は殆ど持たない筈の黒。それも、黒曜石を糸にしたかのような、見事な黒髪だった。
ルオーゼ王国西部には、二代目の王が征服したかつての大帝国の残滓たる民が多く暮らしていて、彼らの多くは黒い髪に青や緑の瞳を持つ。
夜すら色褪せる漆黒の髪と、処女雪よりも白い肌。そして、紅玉すらひび割れさせる紅の唇。
絶世の美貌を謳われた現国王の母妃は、二代目の王に滅ぼされた帝国の最後の皇女であった。国王自身はルースの民の統治者らしい黄金の髪を持っているが、彼の内に眠っていた悲劇の美姫の形質が王太子に顕れても不思議はない。
王太子の祖母や父譲りの高雅な美貌を一層輝かしいものにする双眸は、これまた祖母や父と同じ、天上の玉座を飾る選り抜きの
しかし珍かな色彩の髪や類まれな瞳すらも、彼を彼の民と異質たらしめるもう一つの特徴の印象には及ばなかった。というのも、白い肌の民ばかりが暮らす国の王の子である王太子は、大陸西部南方で多く見られるという褐色の肌をしているのである。
王太子の生母は大陸西部南方に起源を持つ流民で、しかも大罪を犯したがゆえに、生きながら犬の餌にされるはずだった咎人だった。しかし彼女の巨乳に魅せられた国王は、特別に彼女を妾にした。そうして産まれたのが王太子なのだという。
普通以上の顔立ちで胸が大きい女であれば、既婚だろうが未婚だろうが、貴族であろうが罪人であろうが、肌の色すらも気にしない。同様に、自分に逆らった家臣はどんなに高位であろうと処分するという国王は、逆説的に誰よりも公平な人間なのかもしれなかった。
もしも、レミーユがもっと力がある家に生まれていたら。そしたら、バルデロたちを死の淵から助け出せたのかもしれない。若き日の国王が、胸目当てで王太子の生母に慈悲を垂れたように。だが、ヴェジー家は領民たちにすらへっぽこ呼ばわりされる弱小貴族でしかないから、どうにもならない。レミーユに力がないから、バルデロたちは死んでしまうのだ。
愛する人が辿るであろう末路を嘆く少年の双眸からは、大粒の涙が溢れだした。王太子の面前だというのに。
「ま、まあ、この子ったら! 王太子殿下にお目通りが叶った感激のあまり、泣き出してしまうだなんて!」
声を抑えて泣く息子の様子から、真実を悟ったのだろう。慌てて近くまで駆け寄って来た母は、優しくレミーユを抱きしめてくれた。
「レミーユちゃんの気持ちはよおーく分かるわ。こんなことは、滅多に起きないんだもの。でも、あんまり張り切り過ぎたら、王太子殿下との晩餐会で倒れちゃうかもしれないわよ?」
「……」
「そうしたらきっと殿下にもご迷惑が掛かってしまうから、少しお部屋で休んで、気持ちを落ち着けてきなさい。時間になったら、人をやって知らせるから。ね?」
「……はい」
自分よりも小柄な母にしがみ付いて泣くレミーユの様子に、違和感を覚えたのだろうか。
中肉中背であること。長身の王太子の側に影のように控えていること。なにより、王太子の太陽のごとく眩い麗質に存在自体が霞んでしまっているが、それなりに整った容姿の王太子の従者は、猫を彷彿とさせる目でじっとこちらを見つめていた。まるで、レミーユの内側に巣食う鬱屈や絶望を、探り出すかのように。レミーユの嘆きが、王太子の命を危うくする類のものではないか、暴きださんとするかのごとく。
「あのう、貴方様は、もしや……?」
場合によってはレミーユを斬り捨てかねない目をした彼も、母が挨拶に行くと印象的な目元をふっと柔らげた。
「貴方はどことなくお義姉さまに似ていらっしゃるから、もしかしたらと思ったのですが、やっぱり! お父上はお元気ですか?」
「ええ。領地で母や弟妹たちと、変わりなくやっております」
王太子の従者の表情は、レミーユの母の問いかけに応える際もさして変わらなかったが、その対応は貴族の子弟らしく丁寧だった。
「まあ、それは何よりですわ。わたくし実は、結婚した際にはアルヴァス伯夫妻からお祝いを頂いておりましたの。勿論、後に伯夫妻にお子様が――確か、二番目のお嬢様がお生まれになった時に、お義姉さまを通じて、お返しの品と文を差し上げましたわ。ですがやはりどうしても、文づてではなく言葉でお礼を申し上げたくて。でも何分、伯の領地は遠方にございますから、中々機会がなくて……。今日は長年の想いがこんな形で叶って何よりですわ。どうか必ず、ご両親に、わたくしの感謝の気持ちをお伝えくださいましね」
「……かしこまりました。必ず、伝えましょう」
「まあ、嬉しい。これも全て、王太子殿下のおかげですわ」
対する母も、その話しぶりや仕草はおっとりと優雅だった。元々はヴェジー家よりも家格が上の実家で、蝶よ花よと育てられていただけはある。しかし、母の小さな背は、レミーユにこう告げていた。
――私が注意を引きつけているうちに、早くお部屋に行って、心行くまで泣きなさい。
今日は暗黒竜の尻尾の先すら出さぬ妻の、あまりの変貌ぶりに、領主はひたすら遠い目をしていた。その父の横を駆け、少年は自室へと急ぐ。
これでも堪えていた涙を思い切り流しながら、レミーユは考えた。想い人とその仲間たちを救う方法を。そうして暗中でもがく少年は、やがて一本の藁を掴み、立ち上がったのだった。
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