第5話 甘いせんべいはお好きですか?―3

 その後、つまり昼食の後だ。僕は自主休講した。つまりはサボりだ。


 サボっても別に成績には左右されないんだからな。大学内のバカみたいに広い敷地を横断して、東門から出ていった。位置として第七白上都市大学は都市外縁部西側に置かれているから、東門から出るということは都市中心部に向かうことになる。


 まぁ、それ以外にも向かう場所なんてあるんだけど、もったいぶらずに都市中心部に向かうつもりですよ、とゲロってしまおう。隠し立てをしても特に得する話でもないわけだしね。


 目の前を大型のバスが横切ったのを確認して、信号無視をして中心部へと向かっていく。無数の無機質な鉄と砂の建造物を通り過ぎていく中、歩くのはかなり疲れる。都市が湖上にある、という特性上都市の総面積はさほどのものではないけれど、やっぱり疲れるものは疲れる。

 特に僕みたいなもやし野郎にとっては疲れる以外のなにもない。


 街中はモノクロームの体色のニンゲンが跳梁跋扈して、絶えず電波を発し合う。電波1つ1つを発しているスマートフォンとかガラケーにはどれにも二本の桐のゴロがマーキングされていた。

 都市で普及している弐桐にぎりモバイルスという九津家の傘下である携帯会社兼電子機器メーカーが開発したものだ。


 都市内に限って、通信速度は既存のものよりも早く、ラグなんてものは発生しない。バッテリー消費も最低限で、外部で使う際にもすごく便利だ。

 また、機器表面部にトランプのマークを模したマイクロチップが埋め込まれている。完全防水プレートに守られたこのチップは機種変の際にチップからデータ改ざんウイルスが、内部データをすべて移し終えた後に拡散される。


 無論、中古の端末から元利用者のデータを盗まれないようにするためだ。しかしこれにはまた別の側面もある、と噂するのが都市伝説というものだ。


 曰く、データ改ざんウイルスとは別にデータをとあるサーバーに転送するウイルスが先んじて拡散されるとかなんとか。

 データというのはクラウド上に存在しているのを媒体である端末が受け取るものだけれど、端末を使用している際はデータは端末に残る。その残留物をコピーしてーとかいうよっくわからん陰謀論みたいな都市伝説。


 本当のことなんて誰にだってわからない。それ以外にも色々憶測が飛び交っていくせいで真偽の確かめなんてできるわけがない。

 無限に近い情報が駆け巡っていって、それらは常に変化していく。犬が自分の尻尾を追って走っていくみたいに本来の目的を忘れて目の前の難題を解決するみたいに。


 とまぁ、そんなことを言ってみて、俯瞰している超上からのセリフを語るが、僕もまた似たようなニンゲンだ。

 真に超上にいるニンゲンなんてのはそもそも俯瞰なんてことはしない、と思う。俯瞰しようが、何をしようが結果をわかっているんだから、視る必要はなく、今の僕みたいにスマフォのマップ機能を確認しながら、目的地を検索する必要もないのだ。


 

 まー平たく言えば僕は今ちょっとした迷子、みたいなものになっているわけだ。人ゴミに流されて、方向感覚が壊れてしまっていた。

 周囲のビルが高すぎて、方向感覚が壊れてしまうのは当然だ。特に僕のような方向音痴にとって、どちらが太陽が昇る方向かわからないのは致命的だ。致命的に過ぎる。


 スマフォに表示された簡略的な地図を見て、右往左往するわけだが、しかし全くどっちに進んでいいのかわからない。自分の位置を示しているであろうマーカーが街道を動いているのはわかる。でも、それが目的地に近づいているのかがわからないんだ。


 東は右手の方角です、と地図は示しているのに、どうやっても何故か別の方向に歩いていってしまう。まるで僕の足が赤い靴でも履いたかのようだ。ひょっとしたら本当に赤い靴を履いているのかもしれない、と思って足元を見てみるがどこにでもあるスニーカーだった。

 ほんと、街中に監視カメラとか、消火栓を配置するくらいだったら、わかりやすい電光掲示板でも設置してくれないものだろうか。摩天楼の中、迷ったらもう方向音痴、記憶力のない僕はお手上げなのです、はい。


 「だから、ナヴィをしてくれませんでしょうか、九津さん?」

 だから、僕は仕方なく目的地にいるあいつに電話をかけるという情けない手段を取った。


 『いいよー。でも普通わかるよね。もう何度も何度もはーくんの家に来てんだしさー』

 「方向音痴なので」

 『えー?だって、どっからでも見えるでしょー。りっくんが今いる位置からでもはーくんの家見えるでしょー?そっちに向かって歩けばいーじゃん』


 え、そうだっけ?

 『首を55度くらい上に傾けろ』

 「ん?あー、ほんとだ。下しか見てなかったから気づかなかったよ」


 そうだった。そうだった。方向音痴プラス記憶音痴の僕にはない発想だった。見れば、どこからでもわかる位置にそれはあった。


 コーヒーにミルクをこぼした時に立ち上がる水滴がはねたような形の、円錐状のタワー。とぐろを巻く蛇にも似た、模様が入った白壁が眼を引き、この都市のどこからでも望めるほど巨大な建造物。

 この都市で唯一の実用性でなく、デザイン性に重きを置いた見るものによって別々の印象を受ける建造物。顔ニューロンだったかに強く作用するだとか、なんとか。


 だから、僕がアレをとぐろを巻く蛇だと感じる一方で、別のニンゲンはアレを巨大な幹だと思うのだ。


 九津財閥所有、白上グランドシティーホール。またの名を『白離塔』。名前の通り、シティーホールとして機能している百階建ての建物だが、それはあくまで二階まで。残り九八階分はすべて九津家やその分家筋なんかが所有している、という馬鹿げた建物だ。


 近くまで行くとその大きさを実感できる。実に都市総面積の十分の一を占めるこの巨大な建造物の無駄というか、権威主義的なものを。

 東京ドーム10個分と豪語している底面積は言わずもがな。一階、二階の二層だけで都市行政のすべてをこなすためとはいえ、ここまでの面積を必要とするものだろうか?


 「たかだか四十万人程度の都市にさ」

 「りっくん、世の中には知らないほうがいいってことなんていくらでもあるんだぜー?」


 瞳の向こう、紫色の床にまでかかった長い髪の少女がいたずらっ子っぽく笑った。ブカブカの黒いローブを素っ裸の上からかぶっているだけの童顔の少女にして、『白離塔』の最上階に住む、僕の友人だ。


 鋼色の瞳はなんの像も写さず、肌は不健康なほど真っ白で血の気が通っていないようにみえる。外見は十代前半の少女、キラリとみせる白い歯には汚れはなく、爪には垢もついていない。


 まるで無菌室にいるようなこいつは、おおよそ汚れというものとは無縁のように見えた。アンタッチャブル、アンコントローラブル、そしてアンヴァリュアブルな存在だと無意識下に訴えかけてくる。

 ――もう知っているけれど。


 「っと、そんなことより!――おはよう、りっくん?」

 「あいにく、今は太陽が西に傾きかけているんだけどな」

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