第3話

 春休みの期間中、僕はその後も何度か呼び出されて、ソノコさんの「仕舞い屋」の手伝いをした。死ぬまでに伊勢神宮に参っておきたかったという古風な希望をかなえる為に、参道の砂利道に車輪をとられながら車いすを押していった。社会貢献として献血をしておきたいという人からは、肝臓の数値がよくないので代わりに献血をしてくれという依頼されたこともあった。疎遠にしている孫にどうしても言っておきたいことがある、という老人の車いすを押していくと、こんこんと説教を始め、たっぷり二時間ほど、そのお孫さんと一緒に聞かされたということもあった。

 結婚式を挙げた大山さん以外はそんなに大きな謝礼が入るとは思えなかったので、商売として成り立っているのか、と質問したら、

「無理ね」

 とあっさり返されてしまった。本業は別にあって、その合間にやっているのだという。しかも副業というほどには、もうかってもいなさそうだ。

「じゃあ、なんで続けてるんですか、この商売。税金対策かなにかなんですか」

 身も蓋もないが、成り立ってもいない商売を続けている動機は謎である。しかもアルバイトまで雇っているとなると、ただの道楽では済まされない。まあ、雇われている側が心配することではないが。しかし、税金対策にしては、帳簿の類もなさそうだった。

「きみはどうして、呼び出しに応じて、来てくれるのよ。アルバイト代、ちゃんと払えないことだってあったじゃない」

 逆に尋ね返された。確かに現物給付と言って処分するDVDを持たされたし、献血の際など、献血車でビスケットをもらっただけだ。そういえばどうして応じてしまうんだろう、と自分でも分からなくなってしまった。まさか、最初の動機がソノコさんがちょっと好みのタイプだったからだとは言えず、まして彼女が彼だったということが分かってからはそんな不謹慎な動機は跡形もない。答えあぐねている僕に向かってソノコさんは、

「私はね、やってて楽しいからよ。それに、お金のことにしたってそれなりにうまく回る仕組みがあるんでね。アルバイトを雇ったって基本的に赤字にはならないのよね」

 とこれもあっさりと言い放った。確かに、傍目にも楽しそうであることには違いない。実際にやることは、場合によっては馬鹿々々しい内容もあるが、ただ言えていることは、一様に依頼者から感謝されているということだ。それにそう言われると、僕も楽しいからという理由が一番近いような気がする。

「それにね、父のことを探すのを止めはしたけれど、結構真面目な人だったから、この仕事をしていたらいつか会えるかもしれない、なんて実は思ってたりするのよね」

 やっぱり、それはそうなんだろうなと思う。何とか手掛かりだけでもつかめたらいいのに。それからもう一つ、疑問に思っていたことを尋ねてみる。

「ところで、死ぬまでにやっときたいことっていうからには、結構恨みを晴らしたい、みたいなことってあるんやないですか。そんな依頼はどうしてるんです」

 僕が呼び出される内容については、まあ罪のないものばかりだったが、知らないところでソノコさんが請け負っているのはそんな恐ろしいこともあるんじゃないだろうか。

「そう思うでしょ。ところがね、意外とそんな依頼は来ないのよ。まあ、そんな人はしかるべきところに行くからっていうだけのことかもしれないけれど。でもね、これは私の考えだけど、人生の締めくくりって考えたら結構、恨みごとにとらわれている余裕なんてないのかもしれないわね。あれもこれもって並べたら色々あるのかもしれないけど、どれかに絞るとなると、やっぱり一番大切にしてきたものが残るんだろうから。ちょっと大げさかもしれないけれど、生きてきた意味みたいなものが表れるんじゃないかしらね」

 なるほど、と思った。それに、恨みを晴らす、なんていうことにとらわれている最期というのはちょっと悲しい。


 妙なところで感心しているうちに、あっという間に春休みが終わってしまった。そして、なんとなく日常を過ごしていたら、すぐにまた夏休みが始まった。他に特にすることのない僕は、たっぷりの空き時間ができて、再びソノコさんのアルバイトに駆り出されることになった。入院していた祖母は春休みが終わってしばらくしてから退院したので、他に用事がなければ来ることもない町だが、ソノコさんと一緒に歩き回って、少しその面白みに魅かれ始めていたということもある。


「ええと、このあたりかな」

 スマホに送られてきた住所を地図情報で確認しながら、歩いた。夜に動く必要のある依頼なので、ソノコさんの本業の方の店で待ち合わせることになったからだ。件の病院とは、駅をはさんで反対側の、飲食店などがいくつか並ぶ通り沿いだった。ただ、飲食店の数よりも、ホテルとか、安いアパートといった看板が多い。この町の独特の風景らしかった。

 指定された付近に着くと、ピンク色の電飾看板に、白抜きで『スナックソノコ』と書かれてあった。

「分かりやすいと言うたら分かりやすいわな」

 確かに本業は別にある、と言っていた。ここに来る前は歌舞伎町で勤めていたとも言っていたし、仕舞い屋が動くのは大抵昼間だから、本業が夜の商売だということは想像できた。ただ、二十歳になったばかりの僕が気軽に入る感じの店ではなかったので、さすがに少し、入り口のところで躊躇した。けれども、他の店の前に立っている呼び込みらしい人が近寄ってきそうだったので、押し込まれるようにして、思い切ってドアを開けて中に入った。

「いらっしゃあい」

 店の外観を裏切らず、店内もカウンターだけの小さな店だったが、なぜか複数の声に、迎えられた。幾人か、先客が座っている。カウンターの中に立っているソノコさんに合わせて、その先客さんが一緒に迎えてくれたらしい。ソノコさんはそれまでのどちらかというとラフな服装とは違って、ヒョウ柄のノースリーブに、黒くぴったりしたパンツをはいて、いかにもこういうお店のママ、という恰好をしている。

「お疲れ様、和俊君。うちの店、初めてよね」

「そうですね。ソノコさんの店、というより、こういう店に入ったのも初めてですよ」

 手前に三人ほど並んで座っていた女性客が、くすくすっと笑った。

「とりあえず、座って。営業時間終わるまで、まだもう少しあるしね」

 とソノコさんが、三人組の奥の席を指して言った。僕は後ろを通り抜けて、言われた通りの椅子に腰かけようとして、何気なく彼女たちの顔を見た。仕事帰りのOLという感じで、どこでだったか思い出せないが、見覚えがある。だれだったかな。思い出せずにちょっとだけ眉にしわを寄せていると、真ん中に座っていた女の人がソノコさんに言った。

「ねえ、ソノコちゃん、この子もしかして、例の花婿さんよね」

 花婿さん、という言葉が多少重苦しさを伴って思い出されるのは、恐らくもうこの世にはいないだろう花嫁さんのことが、僕の中でもまだ、消化しきれていないからだろうか。

「当たり。紹介するわ、仕舞い屋の仕事を手伝ってくれている、和俊君よ」

「こんばんは、和俊君。はじめまして、じゃないねんけど、私らのこと、覚えてないやろうねえ。私らの方は見てる側やったんで、忘れてないけど。タキシード、結構似合ってたよ」

 僕は春先の、タキシードを着せられてエレベーターに乗った時のことを思い出した。そう言えばあの時、エレベーターで一緒に屋上まで上がった見舞客らしき人たちが、そのまま結婚式に参列した。どうやら、その人たちということらしい。

「あの時にいてはったんですね。すいません、全然覚えてなくって。緊張もしてたから、顔見てる余裕もありませんでしたし。あの花嫁さん、ええと、大山さんでしたっけ。あの方のお知り合いかなにかですか」

 ソノコさんがその三人と顔を見合わせて、笑った。

「全くの、赤の他人よ。きみと一緒。この人たちもね、エキストラとして雇ったのよ。あの時の参列者は全員同じ」

「全員、ですか。言うても二十人くらいやったけど、たしかお医者さんとか看護師さんみたいな人らもいてはったような気が」

 いくらなんでも、病院の屋上で偽物の医者や看護師なんて、大胆にもほどがあるのではと思った。

「エキストラよ。ただ、この三人以外はあの病院で働いている、本物のお医者さんとか看護師さんだけどね。まあ、あの人たちにはアルバイト料を払ったわけじゃないから、雇ったっていうわけじゃないけどね」

「本物なんですか。それはそれでびっくりですけど、どうやって協力してもらえたんですか」

「お医者さんは、大山さんの主治医の先生なの。大山さんの夢をかなえてあげたら元気になるかもって話したら、協力してくれたの。それにあの病院の事務長さんとも知り合いでね、私。仕舞い屋の仕事でちょっとお世話してあげたことがあるのよ。詳しくは言えないけどね。それで、屋上使わせてもらったり、机とか椅子なんかも貸してもらったりできたのよ」

 こともなげに言っているが、そんなに簡単に協力してもらえるものでもないだろうとは思う。そもそも、確か天気がいいから屋上で、ということだったが、元々は会議室を借りる予定だったと言っていた。外部の人間が自由に使えるものじゃないだろうから、そこはやっぱりソノコさんの交渉力なのだろうか。それにしても、病院のスタッフを含む参列客に、病院の屋上と備品。新郎新婦。

 そうなるともう一人だけ、気になる人物がいる。あの時のもう一人の登場人物、神父さん。ラジカセを持ってきてスイッチを押すだけの割に衣装が結構しっくりきていた。貸衣装屋だって、そんなものはレンタルしていないと思うのだけれど。それに、前半の役割が極めて安易だったにも関わらず、後半の笑顔といい深みのある声と言い、なかなかの演技力だった。実は、店に入ってきた時から、カウンターの一番奥の席に座っている男性が気になっていた。もみあげから口の周りまでつながっている立派なひげ。日本人でそんな人が何人もいるわけじゃあない。しかも、手前の三人が参列者のエキストラ。まじまじと見つめるわけにはいかないので確かなことは言えないにしても、偶然とも思えない。そんな僕の様子に気づいたのか、ソノコさんは続けてその人の方に顔を向けて言った。

「うん、きみの予想の通りよ。あそこに座っているのが神父さん」

 男性が僕の方を見てにっこりとグラスを掲げ、軽く会釈した。

「旭と言います。よろしく」

「あ、その節はその、どうも」

 考えてみれば、僕がお礼を言う筋合いではない。それにエキストラでたまたま神父さん役をした人を相手に硬くなる必要も全くないのだが、醸し出す雰囲気に何となく押された。その僕の戸惑いを、やはりソノコさんは見逃さない。

「旭さんってね、本物の神父さんなのよ」

 危うく聞き逃してしまいそうになるほど自然に、ソノコさんが言った。本物の、神父さん。

「そしたら、なんでラジカセでやってはったんですか、わざわざ。本物の神父さんやったら、そのまま式を進めたらいいのに」

僕は当然の疑問を出してみる。旭さんは神父さんらしく、やさしく微笑んで答えてくれた。

「本物だからですね、神の前で偽物の誓いの言葉を口にするわけにはいかなかったのです。いや失礼、偽物と言っても、ご本人にとって大切だということはよく分かっているのですが。だからせめて、誓約の部分だけは本物の録音を流すことでご勘弁いただいたんです」

「じゃああの録音は」

「私が他所で行った結婚式を、録音したのですよ。それなら嘘にはならないですからね」

 道理で、ラジカセを鳴らすという陳腐さの割に、迫力があると思った。

「ソノコちゃんのアイデアよ。旭ちゃん、この話聞いてすごく悩んでたもんね。ソノコちゃんの考えることっていつも自由で面白いよね」

「そうやねえ。献血を身代わりの子にさせるなんて、ちょっと思いつかへんわねえ。ソノコイズム炸裂やね」

 三人組が愉快そうに話題を引き取ったが、献血の身代わりってもしかして僕のことじゃあないだろうか。あれはひどいだましじゃないか、ソノコイズムって一体、とあきれていると、今度は旭神父が、嬉しそうに言った。

「自由なだけじゃなくて、繊細でやさしいのですよ。ソノコさんはいつだって、人のことを真剣に考えていますからね」

 まるで自分の身内のことを自慢するような、そんな風に顔をほころばせている。三人組の方も一様にうなずいている。僕はなんだか少しだけうらやましくなって、

「皆さんはソノコさんの仕舞い屋の仕事をよく手伝ってはるんですか」

 と尋ねてみた。

「ずっとね。おかげで救われた人たちのことを見てきましたよ。懺悔って知っていますか。私たちのところにやってきて、神の前に罪を告白して、許しを請うのですよ。ソノコさんはただ聞くだけじゃなくて、行動をしてその人の心残りを取り扱ってしまう。すばらしい働きですよね。今日はたまたま四人だけですけど、この店に集まってくる客はほとんどがソノコさんの仕舞い屋に関わったこと、あるんじゃないですかね」

「仕舞い屋を手伝う人たちの集まる店っていうことですか」

「ソノコちゃんのお店に集まる客が、仕舞い屋にも巻き込まれていくっていう方が近いかもね」

 手前の三人組の一人が再び加わる。他のメンバーも、うんうん、とうなずいていた。それで仕舞い屋のアルバイト料でこの店の支払いをする。なるほど、うまい具合に回っているとソノコさんが言っていたのはこういうことか。少なくともこの人たちはソノコさんのことが大好きなのだということだけは、よく分かる。それにしても、旭神父の懺悔、という表現は言い得て妙だと思った。心残りのないように、か。僕は仮に自分がもうすぐ死ぬかもしれないと思った時に、どんなことが気がかりになるのだろうか。そんなことを漠然と考えてみた。


 そんな風にして、『スナックソノコ』の常連客の皆さんと一緒に、僕も一杯だけ、薄く作ってもらったハイボールを飲んだ。酒を飲むのはもちろん初めてではないが、大抵はチューハイとかサワーのようなものばかりで、ウイスキーなんかはほとんど初めてに近い。はっきり言って、ビールにしてもウイスキーにしても、おいしいと思ったことはまだない。たっぷり時間をかけてそれを飲み干したころ、ソノコさんは他の皆さんを送り出し、電飾看板のコンセントを抜いて戻って来た。お開き、ということらしい。

「さあ、ぼちぼちいい時間になったから、行きましょうか」

「どこに行くんですか。例によって、何も聞いてないんですけど」

「神社よ。タイムカプセルを、掘り出しに行くの」

 ソノコさんは当たり前じゃない、といった表情だ。

「タイムカプセルって、子供の頃に宝物や何かを缶なんかに入れて校庭に埋めたりする、あれですか」

 そんなものを掘り返すだけでわざわざアルバイトを、しかもこんな時間に呼び出すはずがない。なにかのたとえとか、謎かけとか、そういう類のものじゃないか、と思った。だからわざわざ、詳しく復唱してみたのだが、ソノコさんはにべもない。

「その通りよ。宝物を入れて埋めた缶を、自分が生きているうちにどうしても掘り返しておきたいって、そんな依頼なのよ」

「そのまんまやないですか。それだけのことやったら、なにも僕を呼び出さなくたって一人で十分じゃないですか」

 もちろん、嫌というわけではない。むしろ、いつもと違う時間帯に、わくわくしていると言ってもいい。それだけに、単に小さな箱を掘り出すだけとは思えなかった。一人で掘り出すのは難しい何か。大きさが尋常じゃないとか、少し危ないものだとか。ひょっとして死体とか爆弾とか、そんな物じゃないだろうな、と不安になってしまう。

「何が入っているかまではもちろん聞いてないけど、普通の缶らしいわよ。これくらいの」

 ソノコさんは両手でA4サイズくらいの大きさの長方形を作った。

「私もね、ひとりで十分だと思ったのよ、初めは。だから昼間に行ってみたの。ところがね、人が多くて、とても地面を掘り返したりできなかったのよ」

 確かに神社の境内を、人がたくさんいる中で掘り返すことはできなさそうだ。

「だから夜に行くしかないと思ったんだけどね」

 ソノコさんはそこまで言うと一瞬言いあぐねた。

「思ったんだけど?」

 僕が素直に聞き返すと、

「夜に神社に忍び込んで地面を掘るなんて、怖くて一人じゃ行けないじゃない」

 とやや逆切れ気味に言い放った。そんなソノコさんを見るのは初めてで、ちょっとかわいいじゃないか、と思ってしまったが、色々思い出して、その感想は浮かばなかったことにした。でもまあ、そういうことなら。僕なりに納得し、頼られたことでやや得意になって、続けた。

「じゃあ、行きましょうか、ぼちぼち」

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